ポほ
2026-03-17 23:12:22
5060文字
Public 跡取り息子、やめました!?
 

中学入学!

第3話

 入学式当日の朝。宗真は、かつて静乃が着ていたセーラー服に袖を通していた。
 当時の静乃よりも宗真の方が小柄なため、袖は少し長めだ。それでも全体としてはよく似合っていて、鏡の前の本人はすっかりご満悦だった。
「おーーーっ!?オレってば、やっぱイケてないか!?」
……調子に乗らないの。響も同じ中学なんだから、くれぐれもあの子に迷惑かけないでね。それと――女の子の身体で困ったことがあったら、ちゃんと周りとか、私とか、響に頼ること。いいわね?」
「へへっ、自撮りもしとこーっと――
 ゴンッ。鈍い音とともに、げんこつが落ちる。
「い・い・わ・ね?」
「はぁい……
 しょんぼりしつつも、ふと思い出したように宗真は顔を上げた。
「ところで静姉。オレが女になったことって、学校には言ってんの?」
「父さんが話してくれてるはずだから、先生たちには通ってるでしょうね。ただ――
 少し間を置いて、静乃は続ける。
「同級生たちがどのくらい納得するかは、正直わからないわ。あんた次第じゃない?みんながみんな、吉田くんみたいに昔のあんたを知ってるわけじゃないし」
 確かにその通りだ。今日から通う公立中学には、宗真の小学校だけでなく、ほかに二つの小学校からも生徒が集まってくる。
「むしろ、最初から“女の子”として通しちゃうのもアリかもよ」
「えーー……オレにそんな器用なことできねえよ……
「でしょうね。だから提案したの」
「し、静姉ってば……
 宗真は苦笑いを浮かべながら、もう一度鏡の中の自分を見つめた。新しい制服、新しい身体、そして新しい学校生活。波乱の予感しかしない中学生活が、今まさに始まろうとしていた。

 宗真のクラスは一年三組。担任は、いかにも場数を踏んできたという雰囲気のベテラン女性教師だった。ちなみに、ヨツダは一年一組になったらしい。
「じゃあ、新しいクラスメイトに簡単に挨拶してみましょうか。名前と出身校は必ず言うこと。あとは何でも構いません。好きなことでも、入りたい部活でも――とにかく、みんなのことを教えてください」
 そう言って、教師は名簿に目を落とした。前の席から、順番に立ち上がって挨拶が始まる。
さくらちなつです。中央小から来ました!趣味はネイルで、部活はバスケ部に興味があります。小学校の時から――
 元気よく、いかにも“新入生らしい”挨拶が続く。
……やっぱり、ここでちゃんと言おう)
 胸の奥で、そう決めた。そして、ついに宗真の番が回ってくる。宗真は立ち上がり、教室中の視線を一身に受け止めた。
「月城宗真です。西小から来ました。えーと……信じてもらえないかもしれませんが――
 一度、息を吸う。
「オレ、春休みの前までは男でした!色々あって、今は女子になってます。中身は男です!でも、みんなと仲良くしたいと思ってます。体を動かすのも好きです!よろしくお願いします!」
 言い切った瞬間、教室がざわめいた。
「え、本当なの?」
「トランスジェンダー的なやつ?」
「手術とか……?」
「同じ小学校だったけど、確かに男だったよな……
 小さな声が、あちこちから漏れ聞こえてくる。そんな中、ひとりの生徒が手を挙げた。
「先生……本当なんですか?」
 教師は一瞬だけ視線を宗真に向け、それから静かにうなずいた。
……そうよ。保護者の方からも、そう聞いています」
 そして、教室全体を見渡しながら、はっきりとした口調で続ける。
「月城さんも、色々戸惑うことがあるでしょう。だから――みんな、できる範囲で助けてあげてね。特に女子」
 その言葉に、ざわめきは少しずつ収まっていった。宗真は、緊張で強張った肩の力を、そっと抜いた。
 第一関門は、どうにか越えた――そんな気がしていた。

 自分も、担任も、ちゃんと説明した――はずだった。
それでも。気づけば、宗真の席の周りには、誰もいなかった。
 休み時間。ざわつく教室の中で、宗真の机だけが、ぽっかりと空白のように取り残されている。
……オレ、どうすりゃいいんだ)
 女子と仲良くするべきなのか。それとも、今まで通り男子と接するべきなのか。どちらの輪に入るのが“正解”なのかが、宗真にはわからなかった。
 考えてみれば、ヨツダ以外に、胸を張って「仲がいい」と言える友達がいるわけでもない。知らない顔ばかりの教室で、手を伸ばす先も、声をかける相手も見つからない。
 結果――宗真は、ひとりぼっちだった。机に座ったまま、宗真はぎゅっと拳を握りしめる。
 入学式の朝、鏡の前で浮かべたあの自信満々な笑顔は、もうどこにもなかった。

 春休みのあの日――
イオンのフードコートで交わした、ヨツダとの会話がふと蘇る。
「新学期からは……女の子として過ごすつもりなのか?」
「そう思ってたけど。なんか問題あんの?」
「いや……いろいろ大変なこともあるだろって話。多分さ、お前……お姉さんたちに頭下げて、世話になる場面、増えると思うぞ」
(ヨツダは……あの時点で分かってたんだな)
 胸の奥が、ちくりと痛む。
(なのにオレは、跡継ぎから解放されたことが嬉しくて……女の子のまま学校に行ったらどうなるかなんて、何も考えてなかった)
 後悔とも、照れともつかない感情が、ゆっくりと胸に広がっていく。
――しかし。
 そんな憂いを帯びた表情が、周囲にどう映っているかなど、宗真自身は知る由もなかった。伏し目がちに考え込む横顔。どこか守ってやりたくなるような、不安げな雰囲気。それは、周囲の男子たちの視線を引き寄せるには、十分すぎるほどだった。
(こ、こいつ……男だったって言ってたよな……?)
(いや、でも……なんか可愛くね……?)
(惚れたらダメな気がする……!)
 混乱と葛藤の末、男子たちが選んだ行動はひとつ。
――距離を取ること。こうして彼らは、必死に理性を保つことに精一杯で、宗真に話しかける余裕など持てずにいたのだった。結果として。宗真は、その理由も知らぬまま、ひとりで席に座り続けることになる。

 ……そして、放課後。
「というわけでさ……今日は全然、友達できなかったんだ。なんか、すげえ疲れた……
 ソファで横になってぼやく宗真に、静乃が苦笑する。
「そっか。でも、女子歴二週間にしては、よく頑張ったわよ。ねえ?」
 突然話を振られ、響が一瞬きょとんとする。
「え、あたしに振る?でもまあ……制服もちゃんと着られてたし。中学生活なんて、これからでしょ」
「オレさ……女のグループに入った方がいいのか、それとも男と仲良くした方がいいのか、どうしたらいいと思う?」
 その言葉に、姉ふたりは揃って黙り込んだ。
「うーーん……基本的には、したいようにすればいいと思うけど……
 少し考えてから、言葉を続ける。
「でも、男とばっかり仲良くするのは、あんまり良くないかもね」
「確かに!媚びてるとか、男好きとか……そういうの、陰で言われたりするもん。そのくらいの年頃の女子って」
「それに、女子のグループに入るなら、早めの方がいいわよ。後からだと、どんどん入りづらくなるし……他のグループの子と話す機会も、あんまりなくなったりするし」
「マジかよ!?女子こえー……オレ、男に戻りたいかも……
 ぽつりとこぼしたその一言に、響の表情がわずかに曇った。それを察した静乃が、すぐに口を挟む。
「ちょっとは現実見なさい。可愛くなれてラッキーだの、セーラー服着られてラッキーだの……ずっと浮かれてたんだから」
「げー……なんか静姉、冷てえな」
「あとさ。中学なら……部活に入るのも、いいんじゃない?」
「あぁ……
 クラスメイトの櫻井ちなつが、自己紹介でバスケ部に興味があると言っていたのを思い出す。
「でもさ、せっかく稽古から解放されたのに、忙しい部活に入るのは嫌だな……
「うちの中学、文化部は吹部以外は結構ゆるいよ。女の子も多いし、大人しい子が多いから、そんなに大変じゃないと思う」
「文化部かぁ……
 少し考えてから、宗真は肩をすくめた。
「まあ、ゆるいなら……入るだけ入ってみてもいいかもな」
 中学生活一日目にして、宗真の進む道は、まだ定まらない。けれど、選択肢だけは、少しずつ増え始めていた。

 響は稽古場へと向かっていった。その背中を見送ってから、静乃はふと思い出したように宗真へ視線を戻す。
……ていうかさ。あんた、トイレとか大丈夫だったの?」
「は?」
「家では座ってしてるなら、用を足すこと自体は問題ないでしょうけど……今まで男だったのに、女子トイレに入るの、気まずくなかった?」
 宗真は一瞬だけ言葉に詰まった。そもそも宗真は、跳ねて掃除が面倒になるという理由で、家では座って用を足すよう、静乃からかなり厳しく言い聞かされている。
……ついでに言えば、父の宗二も同様だった。
「あー……
 頭をかきながら、正直に答える。
「緊張しすぎてたせいか、一回も行かなかったな。今日は入学式とホームルームだけで、午前中だけだったし」
「大丈夫?明日から、ちゃんとトイレ行ける?」
「いや静姉、オレを何歳だと思ってんだよ!トイレくらい、一人で行けるっつーの!」
 少しムキになってから、付け足す。
「それに、女子トイレって個室だろ?そんなに恥ずかしいことないと思うけど」
 静乃は一瞬考えてから、肩をすくめた。
……まあ、それもそうか」
 とはいえ、その視線はどこか心配そうだった。宗真自身は気づいていないが、静乃にとっては、まだまだ目が離せない弟――いや、ある意味では“妹”なのだった。
 
 そして翌日の休み時間。宗真は、自分でもはっきりわかるほど、もじもじとしていた。
(と、トイレ行きてえ……
 限界を感じ、意を決して立ち上がる。
 ――が。女子トイレの前まで来たところで、ぴたりと足が止まった。

 宗真の脳裏に、ある光景がよみがえる。
 小学校の頃のことだ。ヨツダの体操着入れが、いじめっ子に奪われ、そのまま女子トイレの床へと放り込まれた。取りに行こうとしたヨツダは、入口の前で立ち止まった。
「お、取りに行くのか!?」
「男が女子トイレに入るなんて、変態のすることなんだぞ!」
……
 囃し立てるいじめっ子集団に何も言い返せず、ただ立ち尽くすヨツダ。その場を通りがかった宗真は、女子トイレの中――個室以外に人影がないことを確認してから、声を張り上げた。
「ごめん、誰かいる!?ちょっと落とし物しちゃって、一瞬入るけどいい?」
「いいけど、すぐ出てってよ!」
 中にいた女子の返事のあと、宗真は中に入り、ヨツダの体操着入れを回収した。
……その後、宗真がしばらく「変態」と呼ばれたのは、言うまでもない。
(でも……
 現実に引き戻され、宗真は唇を噛む。
(オレ、今は男子トイレに入る方がおかしいんだよな……でも、やっぱ抵抗が……
 そのとき。
「どうしたの?」
 同じクラスの女子に声をかけられ、宗真はびくっと肩を跳ねさせた。
「あ……月城さんって……男の子、だった子か」
 宗真は、少し気まずそうにしながらも、こくりとうなずいた。
「女子トイレ、入りづらい?」
「ま、まだ……ちょっとだけ……
 女子は少し考えるようにしてから、にこっと笑った。
「じゃあ、私と一緒に入る?」
「えっ!?」
(まさか、同じ個室に……!?女子って、そんなことするのか!?)
 ……そんなわけはなかった。並んで入り、それぞれ別の個室へ。用を足し終え、手を洗って外に出る。
(だよな……でも……
「間に合ってよかったね。別に、今みたいに堂々と入っていいんだよ?」
「あ、ありがと……一人で入るの、ちょっと緊張してたから。助かった」
 胸の奥にあったわだかまりが、ほんの少しだけ溶けた気がした。それはまだ小さな一歩だったが――宗真にとっては、確かな前進だった。

(姉ちゃんたちは、女の子の怖いところばっかり言ってくるけど……
 手を拭きながら、宗真はふっと息をついた。
(別に、みんながみんな、意地悪ってわけでもないのかもな)
 さっきまで胸を締めつけていた不安は、完全には消えていない。それでも、確かに――少しだけ、世界がやさしく見えた。宗真は、ほんのわずかに表情を緩めて、教室へと戻っていった。