捌色
2026-03-17 00:33:24
5437文字
Public
 

苦手な後輩の話

オベヴォ百合。現パロ。自由業オベとその金で進学したヴォ。モブ先輩視点怪文書。
オベは最後だけなのでオベヴォだけ摂取したい場合は後半だけ読んでも全然大大大です。

 最初から、あの後輩は感じが悪かった。
 別に何かされたわけじゃない。挨拶はするし、話を振れば相槌は打つ。笑う時は笑うし、空いた皿があれば端に寄せるし、皆のグラスの残量まで見ていた。そういう、集団に一人いると地味に助かる役回りを、頼まれもしないうちから静かにやってしまう。
 あからさまに気がある奴も何人か居る。世話を焼かれても当たり障りの無いことしか言わない。贈り物を貰ってもそっと突き返すか、相応の返礼をする。全部わかっていて興味がない顔をしている。
 思い返せば新歓からずっとそう。少し傷んだ黒髪に、どんなカラコンより自然で高発色の碧い目。背が高くて、細くて、でも服は拍子抜けするほど普通。なのに、何を着ていても妙に見栄えがした。今日だってグレーの薄いニットに黒いスラックス、たぶん駅ビルで揃えられるような地味な格好。
 それなのに、左手首の細い時計だけが目に残る。ジュエリーがごてごて輝いてるわけでも、ロゴがうるさいわけでもないのに、知ってる人間だけが一瞬ぎょっとする程度には高いやつ。
 露骨に見せびらかすならまだ笑えるのに別に見せる気もなさそうな顔で、持っているものの端々の品が良い。
 成金っぽさも、気合いの入ったおしゃれ感もないのが鼻につく。こっちの生活感を見透かされたみたいで、でもそれら全部が被害妄想なのが嫌になる。
「先輩が飲み会来るの、珍しいですよね」
 後輩の一人が向かいで言った。飲み会常連の私にではない。
「そうだっけ?色々忙しくてさ」
 卓の角で取り皿に焼き鳥を移し替えながら返す。愛想の良い声だった。余計に癇に障る。
「バイトとか?」
「ちょっと違うかな」
「家遠かったっけ?」
「どうだろう、苦じゃないけど」
 会話を切る気はない。けど広げる気もない。空気を壊さない最低限だけ差し出して、あとはどうでもいいという顔をしている。
 皆はその曖昧さをミステリアスとかクールとか雑に消化していたけど、そんなものではない。あの女はたぶん、人に自分を説明すること自体がどうでもいい。
 だから親が金持ちだとか、昔どこかに住んでいただとか、そういう物語をこっちが勝手に想像するしかなくなる。
「お酒、何飲む?」
 メニューを見せながら努めて明るい声で訊くと、碧い目がこちらを向いた。
「何でも良いな」
「何でもが一番困るよ」
「じゃあ、おすすめで」
 一瞬見せたのは困るならやめればいいのに、という顔。そこまで露骨じゃないけど、でもそう言われた気がした。
 確かに、私が勧めなくてもこの顔目当ての人間が甲斐甲斐しくしてくれただろう。少しでもお近付きになれれば、その上酩酊してくれれば儲けものとばかりに。
「苦手だよね、あの子のこと」
 隣でグラスを片手に笑っていた同期があとでこっそり言ってきた。苦手で済むならかわいいもの。ああいう顔をされると、いかに自分が小さくて俗っぽい人間か思い知らされる。
 だから少し、痛い目を見ればいいと思った。
 集まりに滅多に来ない、サークルにも籍だけ置いているような女。付き合いが悪いくせに来れば来たで妙に場慣れしているあの子の醜態のひとつでも見れば、あの澄ました顔も少しは人間臭く見えるかもしれない。
 そういう気持ちが、なかったと言えば嘘になる。
「これ飲んでみてよ。結構美味しいから」
 甘いカクテルを前に置く。ロックとかショットとか、強い酒は露骨で良くない。色んなものを混ぜた、飲みやすくてあとから来るやつがいい。
「ありがとう」
 彼女はグラスを数秒見下ろして言った。礼まで律儀だった。
「こういうの飲むんだ」
「別に何でも飲むよ」
「強いの?」
「普通かな」
 彼女は便利な言葉をたくさん知っている。逃げ道を作るのを欠かさない。普通とのたまった顔のままグラスを空ける。喉を鳴らすでもなく、眉をひそめるでもなく、何の感想もない。
 少し経ってから別の子が注いだビールも、焼酎濃いめのソーダ割りも、断らないまま飲んだ。
 拍子抜けするくらい、抵抗がなかった。白い頬の色は少しも変わらない。ザルって言葉がしっくり来る。
 酔いが回ってきたのはこっちが先だった。
 卓上の空皿が増えていく。誰かが就活の話をして、誰かが教授の愚痴で笑っている。あの子はその全部に、必要なぶんだけ頷いたり、シニカルな相槌を打ったりしていた。場を白けさせもしない。中心にもならない。ただそこにいるくせにその場にいる誰より隙がない。
 そういうところだよ、と思った。

「そういうアクセ、どこで買うんですかぁ?」
 向かいの一年が、可愛いネイルを見せながら甘えた声で訊いた。ずっと気になっていたのだろう、あの時計のことを遠回しに探るみたいに。
 ヴォーティガーンは手首を見て、ああ、とだけ言った。
「貰い物だよ」
 さらりと出たその一言に、卓の空気が少しだけ弾んだ。
「え、彼氏さん?」
「それは想像に任せようかな」
 ふっと笑う。その笑い方がまた腹立たしかった。はぐらかされたのに、場は妙に盛り上がる。可愛いだの大人っぽいだの、女子にきゃあきゃあ好き勝手言われているのに、本人だけがそこに乗らない。
 貰い物。やっぱり。何となくそういう匂いがしてた。普通の服に、場違いなくらい高そうな小物。生活感の出しようがない顔。私生活を語らない態度。男に飼われているだとか、そういう安っぽい噂話に乗せたくないくせに、想像だけさせてくる。酔いも手伝って、喉の奥がむず痒い。
「そういうの上手そうだよね」
「何が」
「かわいがられるの」
 少しだけ、周りが静かになった気がした。私の言葉が聞こえてない遠くの席はまだ賑やかだった。
 彼女は、すぐに答えなかった。卓上の空いた小皿を重ねて端へ避けるとか、そういうどうでもいい動作をゆっくり済ませてから、やっとこちらを見た。
 碧い目は少しも揺れていない。
「そう見えるかな」
「見えるっていうか……まあ、似合うなって」
 言いながら、自分でもひどく安い物言いだと思った。けれどもう引っ込められない。
 彼女は、それでも怒らなかった。呆れも傷つきもせず、少しだけ目を伏せた。
「ありがとう」
 返されたのはそれだけだった。たったひとことで、何かが終わった気がした。
 言い返してくれればまだよかった。皮肉でも、冗談でも、少しは感情が返ってくれば。けれど彼女は本当に気にも留めてなかった。
 そこはかとなく惨めだった。
 気まずさをごまかすように、別の子が話題を変えた。就活どうするんですか、とか、卒論って何から始めればいいんですか、とか。彼女はそれにも柔らかく答えていた。知っていることだけを、余計な親しみを混ぜずに。立ち回りまできれいで、本当にいやになる。
 そのとき、テーブルの端に置いていたスマホが短く震えた。
 彼女は画面を見るなり、ほとんど初めてと言っていいくらい、露骨に面倒そうな顔をした。
 ほんの少し、眉が寄る。口元は笑っていない。今まで見せていた愛想の良さが、音もなく剥がれる。
 その変化だけで、なぜか店内の空気まで冷えた気がした。
「ごめん、帰る」
 誰にというでもなく言って、ヴォーティガーンは立ち上がった。
「え、もう?二次会、」
「呼ばれたから」
 短い返答だった。バイトでも、家族でもない、もっと狭い相手を前提にした声。
「さっき言ってた彼氏さんですか?」
 一年が茶化すように笑う。
 ヴォーティガーンは鞄と紺のコートを取った。何でもないピーコートと中身の少ないシンプルなショルダー。そこだけ見れば本当に地味なのに、さっきまでの時計と同じで、本人が持つとまるで安く見えない。
「まあ、そんなところ」
 否定しない。肯定もしない。金の話が出るより先に高額紙幣一枚を置いて彼女は卓を離れた。
 酔って足元がふらつくでもなく、背筋を伸ばしたまま。
「なんか、ほんと読めない子だよね」
 自動ドアの向こうへ消える背中を見送りながら、向かいの子がぽつりと言った。読めないんじゃなくて読ませる必要がないのだ、私たちになんて。
 だから腹が立つ。
 酔いの回った頭の奥で、さっきの無表情を思い出す。安い挑発も、下世話な探りも、全部まとめて取るに足らない雑音みたいに受け流した目。
 最後に見せた面倒くさそうな素の顔だけが親しみやすそうで。
 きっとああいう顔を向けられる相手だけが、あの女の世界の内側にいるのだろう。

「待って、お釣りお釣り!」
 幹事の声と共に何人かが店を出る流れになって、私も一緒に外へ出た。あの女を迎えに来るのが誰なのかを一目見たいだけの野次馬に吹いた夜風は思ったより冷たい。外のネオンは終電前特有の慌ただしさで、路肩にはタクシーだの送迎だの数台の車が並んでいた。
 ヴォーティガーンは道路脇に立って、スマホを見ていた。あの席の誰よりも飲まされたと思えないほど姿勢がいい。頬も赤くない。
「ほんとに全然酔ってなくない?」
 誰かが小声で言った。
「強……
「でも迎え呼ぶんだ」
「箱入り?」
「いや、男だろ」
 低い囁きがいくつか重なる。私も同じことを思っていた。時計、雰囲気、私生活の見えなさ。男に迎えに来させるのも妙に似合う。むかつくくらいに。
 一台のタクシーが滑るように寄ってきた。
 後部座席のドアが開くより先に、内側から人影が降りた。
 顔を見た瞬間に、息を呑むというのはこういうことかと思った。
 白金に近い髪だった。夜の灯の下、一等星みたいに冷たく光る柔らかい色。長い睫毛の影に、繁華街ほどの明かりがあれば十分わかる鮮やかな青い目。
 顔立ちだけならヴォーティガーンと似ているのに、印象は一輪挿しと花束くらい違った。向こうはもっと明るくて、もっときらきらした顔だった。
 笑っているわけでもないのに、出てきた瞬間にその場の空気が春の訪れのように華やぐ。
 なのに、本人は私たちなんてほとんど見ていなかった。
「待った?」
 降りてきた女は、開口一番そう言った。軽くて親しい声にヴォーティガーンは眉ひとつ動かさない。
「遅い」
「だから迎えに来てあげたのに」
「頼んでない」
 そこで初めて、白金の女が笑った。甘いのに、人を食ったみたいな笑い方。
 騒がしい駅前のはずなのに、そのやり取りだけ妙に輪郭がくっきりして見える。
……誰?」
 隣で、小さく誰かが呟く。
 私も訊きたかった。友達にしては近すぎる。恋人にしては、もっと別の何かが混じっている。似ているのに似ていない。同じ種類の顔の良さをしているのが気味悪い。
 白金の女の視線が、ようやくこちらへ流れた。
 その一瞬だけで、寒気がした。見られたというより、まとめて値踏みもせず視界の端へ追いやられた感じ。
 悪意はない。関心すらない。ヴォーティガーンと同じ種類の、でももっと露骨な無関心。
「知り合い?」
 白い女が言う。訊かれた方は鞄を持ち直して大学の、とだけ返した。
「ふうん」
 それだけだった。紹介も、会釈もない。私達にも彼女にも必要がないということだけがわかる。
 それを無礼とも思っていないみたいに、二人は当然の顔でタクシーへ向かった。白金の女がコートの裾を軽く払って、先に乗り込む。ヴォーティガーンは一度だけこちらを振り返った。
「じゃあ、お疲れ」
 いつもの、愛想のいい声だった。場を壊さないためだけに置いていく、向こうの透けそうな薄い声。
 そのまま彼女も乗り込み、ドアが閉まる。車内で二人の横顔が一瞬だけ並んだ。似ている。だからこそ異様だった。鏡写しのものが違う動きをするような気味の悪さ。
 タクシーは、何事もなかったように発進した。
 テールランプが遠ざかっていくのを見送りながら、しばらく誰も喋らなかった。
 先に口を開いたのは、酔って顔を赤くした一年だった。
……彼女?」
「うわありそう」
「どう考えても姉妹でしょ」
「いや、似てたけど……なんか……
 なんか、の先を誰もうまく言えなかった。
 私はまだ、最後に白金の女がこちらを見た一瞬を思い出していた。綺麗だった。親しみが僅かもなかった。ヴォーティガーンの感じの悪さを、もっと洗練させて、もっと無邪気にしたような顔だった。
 あんなのが迎えに来るのか、と思う。
 そして、あれを前にしたヴォーティガーンが、さっきまでの店内よりよほど素に近い怠さを見せていたことも、妙に引っかかった。私たちの前では最後まで乱れなかったのに、あの女には最初から隠す気もないみたいだった。
 散々飲ませても一滴も取り乱さず、最後にはあんな顔で迎えが来る。男に買われていそうだとか、箱入りだとか、そういう安い想像の全部が急に馬鹿らしくなった。たぶんあの女の世界は、勝手に噂できるような尺度の外にある。
 だから余計に腹が立つのだと、そのときやっとわかった。

 後部座席で、オベロンが俺の手を音もなく握る。自分の手が血が通ってないみたいに冷たいことに気付いた。
 今ごろ身体の中ではなけなしの血液が必死に酒精をどうにかしようとしているに違いない。
「はきけがする」
「うん、お酒臭い。最悪」
 首筋に鼻を寄せたオベロンがわざわざ笑顔で囁いた。
 仲睦まじい姉妹の仕草は運転席からどう見えているだろうか。どうでも良いか。