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拓生
2026-03-13 23:07:50
5032文字
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虻+勇+ジョ 小さな花を愛でる人
本編で一度も絡んでない虻八さんとチャンプの話。私が見たかっただけ。
虻八商店の名は、ジョーとの雑談の際、何度か耳にしていた。
以前、ギアを着けて地下リングへ上がっていた頃に、そのギアのメンテナンスを頼んでいたこと。バイクの面倒も見てもらっていたこと。
修理の腕はもちろん、未認可地区の中ではかなり質の良いガソリンを取り扱っているらしいこと。基本的にツケ払いなしの明朗会計で、ぼったくられることもない、と。自身のバイクを眺めながら話していた、ジョーの声を思い出す。
なるほど、よほど気を許せる相手なのかと、間接的ながら好印象を抱いていたのだが。
実際に店主の姿を見かけたのは、今日が初めてだった。
番外地ジム一周年記念の、ガーデンパーティ。
二十人か三十人か──顔見知りや関係者が集められ、オーナーである南部氏の改まった挨拶の後には、それぞれ数人のグループで再度の乾杯をし、歓談し、自由に飲み食いをするという、アットホームな集まりだ。
その、人だかりの一角で。
「ほれ、動くんじゃねえよ。後ろの留め具がはまってねえんだから」
「あぶはちオッチャン、まだー?」
「一流のボクサーってのはな、辛抱も大事だぜ」
小さな子供達、一人一人に合わせてギアを着けてやっている、初老の男が目に留まった。
「よし、これでグローブも着けて
……
っと。おぉ、一丁前に見えるじゃねえか」
「かっこいい? ジョーみたい?」
「そうだな。ジョーみたいになるんなら、しっかり鍛錬しねえとな」
「うんっ!」
嬉しそうに走り去っていく子供を、目を細めて見送った後。よっこらせ、と声を上げながら腰を伸ばした相手と、ふいに視線が合う(こちらから不躾にじっと見つめていたのだから、当たり前と言えば当たり前だ)。
「お、あんたはチャンピオンの──」
「勇利です。もうチャンピオンではありませんが」
「いやいや、キング・オブ・キングスの名は伊達じゃあなかった。いい試合だったぜ、あの決勝戦」
まぁ一杯やんなよ、と。ビール瓶とグラスを片手に歩み寄ってきた相手から、素直にグラスを受け取る。今日は車椅子対応のタクシーに送迎を頼むので、飲酒も問題はない。
礼を言って杯を返し、軽く乾杯を。
「俺は元々、ギアレスになる前からの、あいつのファンだがね。正直、メガロニアでのあんたの姿は痺れたなあ」
一息にビールを呷り、上機嫌で話しかけてくる相手に、頷いて相槌を打つ。
「あいつが
……
ジョーが楽しそうでさ。あんたも、それまでの試合とは別人みたいに泥臭くて、がむしゃらで。二人とも、こりゃあ本物だって唸らされたぜ」
今じゃあすっかりあんたのファンだ、もちろんジョーのファンとの兼任だが、と。ぱちりと片目を瞑ってみせる仕草が粋だ。
「ありがとうございます。引退後にもファンが増えるなんて、思ってもみなかった」
そう、思わず笑みを漏らしてしまう。
「いやいや、決勝戦で初めてまともにあんたの試合を見た、って子供らもいるさ。俺だって、昔の試合のビデオを改めて見返したりしてるとこだ」
ぺぺ戦も良かったなぁ、とにこやかに話を続けていた虻八商店の店主が、ふと視線を車椅子へと落とし。
「
……
なぁ、ちょっといいかい」
そう言いながら、ひょいと身を屈めた。
車椅子のタイヤ部分が気になるのか、しきりに車輪軸を覗き込んでいる。
「何か?」
「いや、ここ。このネジんとこな。俺ぁ専門外だが、おそらくこれはブレーキ調整のアジャスターだろう? ぱっと見たところ、緩んじまってる気がするんだが」
「あぁ、そう言えばブレーキの効きが甘いような
……
」
車椅子は定期的にメンテナンスをしてもらっているが、前回から少し時間が空いている。指摘されて思い返せば、確かに、少しブレーキが緩くなっている実感はあった。
かと言って、危険を感じるほどではない。次回のメンテナンス時に話せばいいだろうと、放置していたのだが。
「これなら俺にも直せそうだ。ボルト締めちまうぜ? 危ねえから」
こちらが返事をする前に、前掛けのポケットからレンチをさっと取り出し。ささっと手早くボルトを締め直して、「これで良し」と頷いて顔を上げた相手と、至近距離から目が合う。
ぱちくりと瞬きをした店主は、「こりゃ驚いた」と声を上げた。
「お前さん、すみれ色の綺麗な目だな」
男前だとは思っていたが、目の色までこんなに綺麗だとは気づかなかった。テレビ越しじゃあ分からねえモンだ、と。
急に投げかけられた褒め言葉に、どういう反応をしていいか分からず。思わず「どうも」などという、意味のない返事を呟く。
この髪と目の色を、揶揄されたことは何度もある。この辺りでは、あまり見かけない色味だ。奇異の目で見られるのには慣れている。
メガロボクスチャンピオンになってからは、その他人との差異が、逆に『目立って箔が付く』という評価になったのだから、他人から評価される己の容姿には興味がない。
だが。
あまりにも素朴に、さらりと投げ掛けられた『綺麗な目』という言葉と、それを花に例える感性は、少し意外だなと気になった。
こんなことを言うと失礼だろうが、洒落た口説き文句じみたセリフを、息をするように自然に繰り出す御仁には見えなかったからだ。
少し口元を緩めながら、「初めて言われました」と目を細める。
「うん? 綺麗な目、なんて言われ慣れてるだろうに」
「花に例えられたのは初めてで」
今まで、知人やマスコミのインタビュアーから評されてきた言葉を、思い出しつつ挙げていく。
アメジスト、タンザナイト、紫電、それから──。
「
……
夜明けの、空の端の色、と」
ちらりと視線を彼方へ投げる。
──アンタの目は夜明けの空の色だな。だんだん明るくなってくる時間の、あの空の端っことおんなじ色してる。
以前、そう笑って俺の目を覗き込んできた男は、その癖っ毛を風に揺らしながら、知り合いらしき相手とゲラゲラ笑い合っている。
俺の視線の先を辿り、「なるほど」とにんまり笑みを滲ませて。虻八商店の店主は、自身の顎髭を軽く指で撫でつつ、穏やかに言葉を続けた。
「お前さんの目の色はな、今までこっちが見てきたものの中で、一番綺麗な紫に例えたくなっちまうんだよ。そういう魅力があるんだ、きっとな」
「一番、綺麗な
……
?」
「そうさ。ジョーにとっては、バイクで朝駆けした時に見た空なんだろう」
らしい賛辞だなぁ、と頷く相手に、そういうものなのか、と思う。
嬉しいような、気恥ずかしいような、妙な気分だ。
──ということは、つまり。
「あなたにとっては、すみれの花が?」
春に咲く小さな花だ。昔、白都の屋敷で見かけたことがある。よく手入れのされた花壇に、零れんばかりに植えられていた。
花の名を教えてくれたのは、出会ったばかりのゆき子さんだったか。
「ん? あぁ
……
」
店主が地面に目を落とす。
萌え始めた小さな雑草の芽に、目元の皺を深める。
「俺の店は、ここよりもう少しばかり荒地寄りにあってな。まぁ、見渡す限りの黄土と岩くれってやつさ。──それでも、春の雨の後には、ちょっとばかり緑が増える」
穏やかな声。ふ、と目を上げて、こちらに笑みを向ける。
「修理屋っていう仕事柄、地面に這いつくばって車の裏側を覗いたり、地べたに座り込んでタイヤ周りを弄ったりすることも多いんだ。視線が低いんだな。だから小さな花でも、咲いてるとすぐ気づくんだよ」
なるほど。
他店のディーラーに、何度か車の整備を頼んだ時のことを思い出す。車体下の隅々まで磨き上げられたボディは、つまり、エンジニアが車体下にまで潜り込んで仕上げてくれたものだ。
俺の見えないもの、視界には入っていたが通り過ぎていたものを、この人はきっと多々知っているのだろう。視野が広いのだ、とても。
「今まで砂地しかなかった地面に、みるみるうちに葉が伸びて、蕾が出てきて、花が咲く。そりゃあ、可憐なモンさ」
あぁ、そう言えば──と。
ひょいと首を巡らせ、視線を投げかけた先には、建物に寄り添うようにして停められた、ジョーのバイクがある。
「すみれの花は、あのバイクを修理してから咲くようになったんだ。たぶん、タイヤの溝に詰まってた泥の中に、種が混ざってたんだろうぜ」
花運びの才があるなんて、可愛いバイクだろう、と。誇らしげに胸を張る様に、ついこちらも笑みが浮かんだ。
そして、決めた。
──この人に頼もう。
「今度、店を訪ねてもいいですか」
あなたに仕事を依頼したい、と。
いきなりそう話題を変えた俺に、一瞬、不思議そうな顔をした後で。
「そりゃあ構わねえが
……
車椅子のメンテナンスは専門外だぜ?」
さっきのは応急処置だからな、とタイヤ部分を見やる相手に、軽く首を横に振る。
「いえ、車椅子ではなく。──メガロボクスに用いる、練習用ギアの調整を」
リュウの指導に当たる際、練習用ギアを何処で調達しようかと、ずっと考えていた。
白都関連の人脈に、心当たりがないわけではないが。『行き場のない若者にとって、灯台のような場所』という、ジミーさんのジムの練習生には、最新型のギアはそぐわないだろう。
ギアの性能に頼るのではなく、まずはボクサー自身の力を磨くためには、初めからあまり精度の高いギアは用いない方がいい。
ならば中古や型落ちのギアで、となると、メンテナンスの問題が出てくる。旧いギアは、手入れをするエンジニアの技量で、格段にパフォーマンスが変わってしまう。
最新型ではないギアを、丁寧に面倒見てくれるエンジニアは貴重だ。腕が良いのは大前提として、旧いものへ愛着を持ってくれる人間がいい。
そういう人物を、ずっと探していたのだが。
灯台下暗しだったな。
知人の知人に──ジョーとの繋がりの先に、この人との縁が繋がった。
「練習用ギア
……
」
そう、口の中で小さく復唱した後で。片眉を上げ、茶目っ気のあるウィンクと共に、弾んだ声が返ってくる。
「そうか、あんたトレーナーに転向するのか」
いつかは弟子を取ったらいいのになあと思っちゃあいたが、楽しみが増えて嬉しいぜ。そいつのギアを調整してやればいいんだな。あんたのお眼鏡にかなうなんて、どんな優秀な弟子なんだい、と。察しよく、矢継ぎ早に尋ねられるのに、やや言い淀んでから。
相変わらず、人の輪の中で笑っているジョーへ、そっと視線を流す。
「
……
少し、ジョーに似た男で」
「はは、そうか」
育て甲斐がありそうだな、という言葉に、頷く。
ここで、こうして話し込む前。
弟子を取ることになったという経緯は、まず真っ先にジョーへ伝えていた。
アンタならいいトレーナーになるぜ、いつかうちの若いのと練習試合でも組んでくれよ、と笑うジョーにも、「どんな奴なんだ? アンタをメガロボクスへ引き戻した弟子ってのは」と尋ねられたのだが。
本人相手に『お前に似た、いい面構えの男だ』と伝えるのは、少し気後れしてしまった。
照れ臭かったのかもしれない。
俺がジョーに憧れにも似た気持ちを抱いていることを──眩しい光のようだと思っていることを、悟られてしまうような気がして。
けれど、この人になら、そっと吐露してもいいだろう。
小さな花を愛でる人だ。
俺の小さな気持ちも、きっと尊重してくれる。
「いやぁ、楽しみが増えたな。腕によりをかけて、仕事させてもらうよ」
あんたと、あんたの愛弟子に乾杯! と瓶ビールを掲げられるのに、こちらもグラスを挙げて応じる。
その後、発注予定のギアの型番や、業界最新の軽量化アイデアについて話し合っていると、ふいに背後から声を掛けられた。
「なんか盛り上がってんな」
珍しい組み合わせじゃねえか、アンタら顔見知りだったのかよ、と。
そう顔を覗き込んできたのは、ジョーだ。
いつの間に歩み寄ってきたのだろう、全く気づかなかった。
今は仕事の話を、と言いかけたところで。
「なぁに、あんた綺麗な目だなって口説いてたとこさ」
ふふんと笑った虻八さんが、意味ありげに流し目をくれる。
は? と口をぽかんと開けたジョーの顔に、内心で思わず笑い出しそうになりながら。
「口説かれたところだ」
そう、大真面目に頷いてみせた。
終
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