いを
2026-03-13 21:44:12
7593文字
Public くらくら
 

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マルタ
ふらふら
・慶さん【ppy_op】
お借りしています。

 ――引き金をひくことで助かる命がある。理解している、いや、本当はしていなかったのかもしれない。ひとりの人間を殺して、誰かの命を助ける。2引く1は1。それなら、ひとりを殺すことで多数の命を助けられるとしたら? この自問が偽善か、自分なりの良心か、きっとこの先も分からない。けれどもアンチドートや苦々犯罪者からみれば甘えた、あるいは偽善だと突っぱねるのだろう。〝殺害〟、その〝許可〟。誰が、一体どういう理屈で、どんな基準で決めるのか。人間ヒトの命を握っているアンチドートや苦々犯罪者、彼らの倫理観を問うほど、自身は図太くない。一研究者として、淡々と業務をこなすことで倫理観という後ろめたいなにかを、手のひらについた汚れを拭うように引き延ばして、薄めていく。よく見なければ分からないほどに。

 東々タワーは無残な姿になっていた。中にいる人質、不死不滅、アンチドート、苦々犯罪者、一般人。それらが入り乱れ、立ち替わり、悲惨な状況になっている。研究員たちをのせた車は現場近くで停まり、マシンに繋がるケーブルを踏まないように跨ぎながら、マルタは癒々や医療器具が入ったジュラルミンケースを持って車を降りた。炎があがり、煙が薄暗い空にたちのぼる。しらずしらず、眉をひそめごった返す人混みに紛れた。研究員の知り合いには「手当てが必要な人間がいるか見てくる」と、曖昧で利己主義的な言葉をかけておいた。黙っていなくなってもこの事態だ、大げさに探すこともないだろうけれど。
 ビルの狭い隙間にからだを滑り込ませ、スマートフォンを片手でいじる。――さ行の連絡先をスクロールしようとした指が止まる。
……
 彼がいま、どのような状況か分からない。連絡すべきでない状況下におかれているかもしれない。が、この何百人、下手をすると何千人といるなかでたったひとりを見つけ出すのは不可能に近い。仮に見つけ出したとして、なにができるというのか。おとなしく、怪我人の手当てをしていたほうがよっぽど効率的ではないのか――
「クソッ」
 効率、非効率、そんなことを考えたところで自分がしたいこと・・・・・・・・とはほど遠い。――やさしい。彼はそういった。優しいままであれるのなら、それでよかった。口が悪いけれど優しい、理想の医師、そうあれたらこんな悩みなどなかっただろう。ただ愚直にひとの命を助けようとしていただろう。自分のしたいことを無視して、蓋をし、踏みにじることも容易かっただろう。が、それでもマルタは人間であった。他の研究員やアンチドート、苦々犯罪者たちとおなじ、ひとつの命をもつヒトだった。そんなことを忘れていた。否、忘れたいと願っていた。
 手のひらをさらにきつく握りしめて、スマートフォンをコートのポケットに乱暴に突っ込み、ケースから研究員用のモバイルパソコンを取り出した。インカムのチャンネル一覧を検索し、齋穏寺慶の名前を探し出す。こちら側のインカムを耳にかけ、チャンネルに合わせた。
 もし彼がインカムを誰かから受けとっていたら通話できるはずだ。――もし受けとっていなかったら。それはありがたくも杞憂に終わった。
「こちら飛白マルタ。齋穏寺、聞こえるか」
「ハイ。こちら齋穏寺。飛白センパイ? どうして」
「お前のライフルを持ってきた。今、どこだ」
 無線のむこうの男が方角を確認するように、一瞬沈黙が流れる。その少しの間にも人々の叫び声や怒号が流れた。
「東々タワー近く、○○ビルの7階。屋上のすぐ下の階にいます」
「了解。すぐに向かう」
 モバイルパソコンを仕舞い、ビルの隙間から出てそのまま東々タワーの方角へ走る。ずしりと肩が重い。ライフルはこれほどまで重いのかと思うと、心まで重たくなってくる。これをあの男は担いでいるのだ。必要だから。ライフルが彼に似つかわしい武器だからだ。
 下卑た笑い声があちこちで聞こえて来る。自分に浴びせられているのか、それとも他者なのかさえ分からない、理由も意味もない罵詈雑言。言葉の暴力、洪水。そうのたまってもおかしくはないと豪語できるほどの、万能感に満ちあふれた言語。彼らもまた、苦々に狂わされたものたちなのだろう。哀れだとは思わないが、自業自得だと突っぱねることもできない自分は、常に中途半端だった。
 慶がいった○○ビルに辿りつく。息があがって苦しい。が、そうもいっていられない。エレベーターは無論とまり、ビル内部――おそらく多数のテナントが入った雑居ビルだろう――の、一階には大勢の人間が身を寄せ合っていた。ここには苦々犯罪者や不死不滅はいないようだ。彼らの顔を見れば分かる。善良な一般市民、とでもいえばいいのか、どうしてこんなことを、や、怖い、といった不安に押しつぶされそうな感情が流れ込んでくる。ふと、――痛い、とか細い悲鳴をあげるまだ幼い子供を見つけた。ワンフロアの隅のほうで足をおさえて丸くなっている。
「どうした」
 びく、と少女は肩をゆらした。膝をおさえた手に、血がついている。どこかで転んだか、ガラス片で切ったか、そのあたりだろう。
「医者だ。大丈夫だから」
 コートの下に着た白衣を少女はじっと見つめた。
「お医者さん?」
 頷き、ジェラルミンケースの中から消毒液と手のひら大の絆創膏を取り出す。「痛かっただろう、診せてくれ」というと、少女はおそるおそるといった様子で、手のひらをどけた。
「ガラスで切った?」
「うん……。東々タワーでお母さんとお父さんと一緒にいたの。でも爆発がおきて、はぐれちゃった」
「そうか」
 出血は多いが、傷口はそう深くはなさそうだ。消毒液で傷をそっとぬぐい、絆創膏を膝に貼りつけた。
「これでいい。ご両親の……お母さんとお父さんの連絡先、分かるか?」
「うーんと」
 肩掛けのちいさなバッグから、かわいらしいノートを取り出した。表紙にはひらがなで名前――はやしちさ、と書いてある。意識もはっきりとしているようだった。これくらいの傷で運が良かったというべきか。
「これ、お母さんとお父さんの電話番号。あのね、お母さんの電話はね、白い色でね、お父さんのは青いの」
「それはいいな」
 差し出されたノートをめくると、たしかに携帯の番号が記されていた。私用のスマートフォンを使ってよいものか迷うよりも早く、指は動いた。
 呼び出し音が続いたあと、切羽詰まった声で「もしもし」という女の声がはっきりと耳に届いた。
「もしもし。ちささんのご家族の方ですね。○○ビルの一階にちささんが待っています。すぐに来られますか?」
 電話口の女性の声で、少女は目を輝かせた。ママ、と喜びをにじませた声をあげながら。マルタのスマートフォンを少女に渡すと、「うん、うん」と嬉しそうに頷いている。
「ママ、お医者さんに替わってって」
 ケガのことなど忘れたように、少女は腕を伸ばし、スマートフォンを渡してきた。
「かわりました。ここに危険人物はいないようです。お子さんに名刺を渡しておきます。なにかあればそこまで。……俺は急ぎでやることがあるのでご容赦ください。はい、では」
 通話を切り、胸ポケットの名刺入れから一枚名刺を引き抜いて、少女に渡した。
「あと5分くらいでお母さんとお父さんがくるから、ちゃんとここで待っていろ。その名刺を、ふたりに渡してくれ」
「うん」
「よし、いい子だ」 
 腕を持ち上げようと、手に力が入ったがやめた。自分がこの少女に労っても触れる資格はない。
 ライフルが入ったバッグとジュラルミンケースを持って、階段を駆け上る。
「こんなん、だったら、普段から階段使えばよかっ、」
 7階なんて、現代人なら半数以上はエレベーターを使うだろう。自分も使う。踊り場でぜいぜいと呼吸を繰り返し、5階に続く階段をふたたび駆けた。
 心臓が早鳴って痛い。ようやっと7階にたどりつき、暗い廊下を歩く。
 ガチャ、とバッグに入った、背中に背負ったライフルが擦れたような音をたてる。――直後腕を強い力で掴まれ、狭い店内に引きずり込まれた。たった数秒のできごとだ。息をするのも忘れ、床に強い力で腹ばいにさせられ、腕をうしろに取られた。
……
 かすかな呼吸音が響く。とはいえ、自分のものは荒かったけれど。7階を駆け上ったのだ。等、暢気なことを考えてながらほおを冷たい床に押しつけていた。
 ここで無念の死というものを味わってしまうのか。なるべく押さえつけている人間を刺激しないように、呼吸を整える。
……先生?」
 ひどく不審そうな声色であった。その声にむりやり顔を上げる。首が痛んだが、今はどうでもよいことだった。
「齋穏寺か? 悪いけど、離してくれないか」
「す、すみません。てっきりサカナか不死不滅かと……
 掴まれた腕はあっという間にゆるめられ、這いつくばりながらゆっくり起き上がる。バッグとケースは無事なようだ。
「いいよ別に。誰にでも警戒するくらいでちょうどいい」
 投げ出されたバッグを持ち上げ、慶に差し出す。
「例のだ。遅くなって悪かった」
「いえ、いえ。ありがとうございます。あの、怪我とかは」
「ない。お前は? 大丈夫か」
 ハイ、とおずおずと頷く慶の腕を軽く叩いて、「大丈夫だから」と笑ってみせる。
「それならいい。で、これからどうする?」
 この部屋に入って今まで、隣接するビルの窓からの死角でしか行動していない。ということは、向こうのビルにだれかがいるのだろう。おそらく、敵意をもった苦々犯罪者か、不死不滅か。彼のであれば、それがアンチドートか否か、分かるだろう。
「となりのビルに、不死不滅のメンバーが三人。先に彼らに攻撃を受け、この壁の向こうはボロボロです。武器がなかったので下手に手出しができませんでした」
 暗い店内はやけに濃い匂いが漂っている。ルームフレグランスかなにかだろう。鼻をスンと啜って、窓の近くに顔を寄せた。
 ぼんやりとした影がひとつ、見える。男だ。考えていることも分かるが、青臭い、雑魚のような言葉だったので慶に伝えるまでもないだろう。
「幸いなことに、相手は丸腰です」
「そうか。ライフルだと距離が近すぎるな。……途中で、コレ拾った」
 ジュラルミンケースからハンドガン――拳銃を取り出す。ランヤードをむりやり切ったような切り口があるところを見ると、警察官が苦々犯罪者に襲われたのだろう。推測でしかないけれど。
 向かいの壁ぎわにいる慶が黙り込んでいるのに気づき、視線を上げる。暗くて分からないが、青ざめているようにも見えた。
……齋穏寺?」
「いえ、なんでも……
 暗がりではあるけれど、あちこちで閃光が走っている。だれかの異能の光だろう。ふと、男の手がすこし震えていることに気付く。
「なんの異能か分かれば対処できるかもしれない。少し待ってろ」
 拳銃の扱い方など、知識でしか知らない。それにともなう慶のこころのゆらぎ。告げられなくても分かってしまう。本当に、自身の異能は罪深い。
 これを使うことがなければ御の字である。窓の視界ぎりぎりで相手を見る。たしかに三人いる。眼鏡をかけてきてよかった。おかげでそれぞれの異能が見える。この事態で相手が優越感を得られていること、そのせいでもあるのだろう。また異能を発揮したくてウズウズしていることも分かる。
「一番手前の男が炎操作、出入口付近にいる男が金属操作、向かって右側にいる男が身体強化系の異能だ。あいつら、全員若い。高校生か、中学生くらいじゃないか」
「どれも攻撃特化の異能ですね」
「ああ。ひとりでも行動不能にすれば、自滅も可能かもしれない。三人とも、まだ人を殺していないようだから」
「殺そうにも、俺のライフルではここから距離が近すぎます。パララックスがズレてうまく弾着しないかもしれない」
……外せばこちらがやられるってわけか」
 彼は一度うなずき、マルタに視線を移す。なにかを伝えようとしているようだった。伝えたいのに、自分から言えるわけがない、というような目をしている。
「俺が撃つ」
……すみません」
「だが、殺さない。お前にもあいつらを殺させたくない」
 短い髪が、ちいさくゆらぐ。爆風がおきたようだった。同時に笑声が轟く。このビルの近場からだ。悪意のかたまりのような声色だった。
 ――甘いことをいっているなんてことは、理解している。いやになるほど。
「即死させたほうが遙かにマシだし、あとが楽なのは分かる。けど、」
「分かりました。動けなくさせるなら、足と肩を狙うのが効果的でしょう。致命傷にならない部位――あ、飛白センパイの得意分野ですね?」
 慶は口の端を上げ、おどけてみせる。
 目をふせ、同じようにくちびるをゆるめて「そうだな」と頷いた。医者の自分が、他者を害することの意味を知らなければならない。今は。
 この膠着状態がどれだけ続くか分からない。1階にいる一般人――あの少女たちのことも考えて、これ以上長引かせてはいけない。
「飛白センパイ、撃ち方は?」
「知識でしか知らない。引き金を引くくらいならできる」
 慶がふいに店内を眺め、ちょうど死角になる位置にかけられているタペストリーに視線がとまる。彼はそれを顎で示し、壁に背中を添えながら移動した。マルタもそれに続き、タペストリーの影に身を潜めた。
「齋穏寺。あの不死不滅の奴らに説得はしたのか?」
「ええ。テンプレですけど。気が大きくなっているようで、投降に応じませんでした」
「そうか」
「これだけでは理由になりませんか?」
 眼前で慶が問う。まっすぐに。うそ偽りのない、おためごかしのない純粋な問いだった。
 それが、マルタにはすこし痛い。
「そうだな。……いや……
 甘いだろ、と失笑する。男はこたえない。
「俺はどうしても人を殺したくはないらしいし、殺すところも見たくないらしい」
「先生は治すひとですから」
……俺が引き金を引くから、お前がその目で見て、腕を支えてくれないか」
「はい。弾は何発残っていますか?」
 シリンダーをずらすと、四発分残っているようだった。それを伝えると「一回、発砲したようですね」そう目を細めた。彼がこれに触れない理由を分かってしまっているから、マルタはなにも言わないし、なにも言えない。
「まず、グリップを両手で握ります。利き手を先に、反対の手は利き手を覆うように」
 心臓がどくどくと強く脈打つ。ただ、重い、と感じた。銃口は下に向けている。実際、片手でも持ち上げられる重さだというのに、今は両手でもひどく重い。
……ッ、」
 慶が後ろから腕を支える。銃を落としそうになる手を叱咤し、グリップに力を込めた。マルタの手を支える慶の手のひらが、小刻みに震えている。彼がこれを発砲することは難しい。一番近くでこのふるえを感じているからこそ分かる。恐ろしいのだろう。彼の家族を殺したこの武器が。
「右の親指で、撃鉄ハンマーを起こします。そう。――これで、引き金を引けば発砲できますが、タペストリーが邪魔です。少し待ちましょう」
 耳もとで静かなトーンの声が響く。同時に、血が流れる音が強く耳に届いた。余計な力をこめれば不死不滅を殺してしまうかもしれない。もし外したら、こちらが殺される。慶とマルタが持つ異能は、決して攻撃的ではない。こちらが用いる武器は拳銃とライフルだけだ。近距離戦にでも持ち込まれたら、どちらもきっと、助からない。
 閃光が止み、爆風が再び巻き起こったタイミングでタペストリーを銃身でずらす。
「このまま撃てば一番手前の男の肩に弾着します」
「分かった。齋穏寺」
「ハイ」
「怖かったら目をつむっていてもいい」
 精一杯の年上ぶった物言いであった。彼はクスリと笑って、こういった。
 ――もうそんな子どもじゃありません、と。
 そうか。
 子どもじゃないか。
 あんなにちいさかった慶は自分の腕を支えられるほどおおきくなった。おおきくなっても、変わらないところがある。それにマルタは気付いている。やさしいところ。純粋な気持ちをもっているところ。素直なところ。マルタを見る、まだすこしいとけない目。姿がどんなに変わっても、一番大切なまんなか。変わらないところが心の中にある。
 ――そんなお前に、今の俺は釣り合っているのだろうか。甘えてしまっている俺を、お前は許してくれているのだろうか。俺もお前もずいぶん変わった。でも、俺にも変わらないところがきっとある。それが俺にとって、お前にとって変わってほしくないものだったらいい。俺を好きだといってくれたあの頃の自分にはもう、戻れないだろうけれど。
 
 震えていた人差し指は、静かに重たい引き金を引いた。

 あっけなく火花が散り、慶の読み通りに一番手前の男の肩を撃った。
 まだ10代の男たちは倒れた男をいっとき、凝視した。そして異能を使うことなく錯乱し、倒れた男を残しビルから逃げ去っていく。
 撃たれた男はもごもごと身動きし、痛い、痛いと泣き叫んでいる。それだけ元気があれば大丈夫だろう。
 それを窓から確認し、インカムで某かに伝えた。
 時計を見る。23時半。ずいぶん長い一日だったような気がした。どちらも言葉を発することもなく、その場でじっとしていた。本来ならば休みの日だ。少しくらい休んでいても叱られはしないだろう。――東々タワーは爆破されてしまっているけれど。
 すぐに拳銃をケースにしまいこみ、いまだ痺れている手首をそっと左手で撫でた。
……齋穏寺」
「ハイ」
「無理を言った。我儘を言った。すまない」
「飛白センパイ、最近、謝ってばかりですね」
 冷たい床に座り込んだまま項垂れていえるマルタに、困ったように呟いた。
「こちらこそ、ごめんなさい。撃たせてしまって」
「そうしなきゃ、俺たちがやられてた」
 あんなに、重いものなんだなと、ひとりごちる。
 彼はなにも言わなかった。もう、慣れてしまっているのだろうか。引き金を引くことに慣れてしまうような世界になってしまったから。自問して、勝手に答えを見つける。
「ハハ、とんだバレンタインデーだ。……来年はこれ以上ひどくないことを願ってる」
「ココのランドマークが爆破される以上のことはきっとないです」
「そりゃそうだ。なぁ齋穏寺」
「ハイ」
「墓参りに、昼飯。デモに爆破事件だ。気を張ってたし、疲れたな?」
「ハイ」
「少し休んでくか。俺も疲れた」
「フフ、そうですね。少しくらいいいですよね」
 
 ――その30分後、不死不滅全員確保の連絡が届いた。