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ホワイトデー

輝薫 バレンタインの続き


 事務所に着いたら、先に来ていた桜庭が机の上に何やら紙袋を広げているところだった。ひょいと後ろから覗き込むと、名産品の土産物の箱がいくつか。思い当たる地名に、俺はひとり得心する。
 「この前のロケの土産か?」
 「あぁ。最近あまり持ってこれていなかったからな。……離れろ、天道」
 ぐいと肘で押し退けられる。触るほど近づいてはいないんだから別に良くねえか?良くないか。特に下心があってそうしたわけではなかったが、じゃあ何も疚しい気持ちはないのかと言われてしまえば、俺には返す言葉もない。
 事務所にはいろんなやつがいろんな食べ物を置いていく。ちょっと打ち合わせが長引いて小腹が空いたときに重宝したりするそれは、誰が決めて増やしているものでもない。気づいたやつが、気づいたときにだ。桜庭にとっては今回のロケがそうだったらしい。
 「俺もあとで貰おうかな」
 「好きにしろ。……いや待て」
 何買ってきたのかな、と物色しようとした所を、まさか止められるとは思わない。俺はピタリと伸ばしかけた手を止めて、覗き込んでいた首をすごすごと戻した。
 え、まさかお前にはやらんとか言わないよな。まだ今日はそこまで怒らせるようなこともしてないはずだと内心で渋い顔をつくる。俺は不服を申し立てればいいのか泣きつけばいいのか、何にせよこれくらいいいだろ、と口を開きかけた、目前。
 「ん?」
 「これをやる」
 ずいと差し出された紙袋。広げた箱とは個別に分けられたそのたったひとつは、大勢の胃を満たすための土産の山と比べると小さく、片手に収まるほどの大きさだけ。俺はその袋と、それを手に持った桜庭の顔とを見比べる。
 「えっ、俺に?」
 「君以外に誰がいる」
 「お、おぉ。ありがとな」
 受け取ったそれの、中身が気になる。待ち切れなくて見ていいか?と尋ねると、桜庭は好きにすればいいという目。勝手に肯定の返事と捉えて俺はいそいそと袋の中身を覗き込んだ。瓶の蓋らしきものが見えたので、手を突っ込んで中身を取り出す。
 「実山椒?」
 瓶に貼られたラベルを読み上げて、桜庭の方を見やる。中身はちょっと予想外。俺の視線に、桜庭は澄まし顔で頷きを返した。
 なんでも、ロケ先で食べさせてもらったそれが美味しかったから自分でも買ってきたのだという。へぇ、そんなに。俺が瓶を持ち上げてまじまじと見ていると、桜庭がその視線に耐えかねたように言葉を続けた。
 「あまり刺激は強くないから、色々な料理の隠し味にも使えると言われた。……君なら、上手く使うだろうと思った」
 渡すときは平然としていたのに、そう言葉を重ねていく桜庭はほんの少しだけ居心地が悪そうだ。静かな声音が、俺たちの間に小さく響く。
 俺はそこそこ料理に自信を持っているし、桜庭にも振舞っている。桜庭はあまり美味しいだとか分かりやすい褒め言葉は言ってくれないが、彼が俺の手料理をそれなりに気に入ってるのは知っている。
 だから素直に、嬉しかった。俺のいない場所で、料理ならばと俺を思い出してくれたこと。桜庭自身はあまり使い方が浮かばなかったのかもしれないアイテムを、俺なら、と期待してくれたこと。むずむずと口角が持ち上がるのを隠せないまま、俺はどことなく視線を逃がしている彼にパッと声を向ける。
 「ちょっと食べてみていいか?」
 「今か?」
 「うん」
 虚をつかれたような顔をした桜庭を横目に、ペリリと包装を剥がして蓋を開ける。キッチンからスプーンを出してきて、二粒程をそこに乗せた。そのまま口に放り込むと、噛んだところからふわりと鼻に抜ける山椒の香り。
 「ん、美味い。……たしかに、ちょっとアクセント入れたい時に丁度いいかもな」
 「そうか」
 桜庭の声は平淡なままだったが、どこか幼い瞳がじっと俺の方を見つめていた。隠すように混ぜられた安堵の息に俺はもう一度「ありがとな」と伝えると、桜庭は今度こそフンと口角を緩めた。
 「これどうやって使うのがいいかな。桜庭は何か食べたいものあるか?」
 「君にやったんだ。君の好きに使えばいい」
 「え、でも桜庭も食べるだろ?」
 片眉を上げた桜庭と目が合う。俺が彼に負けずにキョトンとした顔を返すと、桜庭は渋い顔をつくったあと、ため息と共にそれを吐き出した。力の抜けた彼の表情からは、柔らかな呆れが滲むばかりだ。
 「全く、君たちはいつも僕と一緒に食事をとる前提でものを喋るな」
 「たちって、誰」
 硬く響いた声が落ちる。桜庭は俺の咄嗟に挟んだ声を聞いて、ピクリと眉をひそめた。俺の顔を見てから、何か言いかけた口を再び閉じる。彼の閉ざした口の隙間から、吐息が音になって落ちた。
 「柏木だ、間抜け」
 「あ、あぁ。そっか、そうだよな」
 瞬間、体の感覚が戻ってくる。遅れて俺変なこと言ったな、という羞恥が焦りとなって返ってきて、内心ドッと冷や汗をかき始める。桜庭の顔がまともに見られず、代わりに落とした視線の先にはこの会話の中心たる山椒の瓶があった。
 「それにしても、珍しいよな。わざわざ買ってきてくれるなんてさ。そんなに気に入ったのか?」
 口から出る言葉を精査することなく、ただいつもの通り、を目指して言葉を繋げた。桜庭は当然俺のように取り繕うまでもなく、涼しい顔を崩さないままだ。
 「別に、大した理由はない」
 桜庭がチラと上げた目線に、ひとつ心臓が跳ねる音がした。レンズの奥の瞳とかち合って、桜庭はそれすら分かっているみたいに二の矢を継ぐ。
 「コンビニ菓子一つの三倍返しなら、これで十分だろう」
 渾身の一撃。の、つもりで彼が言い放ったかどうかは分からないが。少なくとも、俺はもういつも通りを貼り付ける余裕すら持っていかれてしまい、思わず右手で口元を押さえた。表情筋は言うことを聞かず、変な汗も出てきそうなほど、顔が熱い。
 「バレンタインのつもり、じゃ」
 なかったことも、正直ないけど。でも本当に、渡せたと胸を張って言えるものでは到底なく。だから今日がホワイトデーだなんてことは、ただ曜日感覚と一緒にカレンダーに乗っかっているだけのものであって。
 「なら、これはただの土産だ」
 けれどもこうして丁寧に逃げ道まで用意されて、その声に呆れと一緒に落胆の色を見つけてしまえば、たとえそれが自惚れだったとしても、俺は。
 「悪い、やっぱり嘘だ」
 掴んだ手首は骨ばっていて、少し動かせば彼の長く美しい指に重ねることもできる。それに気づいて、俺はそのまま握る手のひらに力を込めた。指を絡めてしまったら、止まれる気なんてしなかったからだ。目の前の勝気な瞳の奥が、僅かに震えた。
 「来年は、ちゃんと渡すから」
 「……随分と気の長い話だ」
 勝手にしろ、と手を払われる。当然だ、俺はまだその手を握っていられる権利を手にしていない。来年なんて言ったはいいが、俺だって一年も待っていられるとは思えなかった。
 「飯、作るからさ。いつならいい?」
 その俺の言葉にも、桜庭は少しの沈黙の後でスケジュールを返してくれる。悪いようにはきっとならない。そんな確信めいた自惚れた予感は、多分もうすぐそこまで来ていた。