osoba1
2026-03-12 20:30:03
16758文字
Public
 

【SQⅤ自ギルド話】4 肉と刃

犬と飯と弓が好きな子のお話



登場人物

・カササギ(セリアン/十六歳/男)
無口な狩人の少年。自分から人と絡むことは少ないが、口が悪めで悪意なく場を乱しがち。猟犬で愛犬のリュウを馬鹿にされるとキレる。

・マリエル(ルナリア/十七歳/男)
年若い魔術師。名家の令息だが、知識欲満たしたさに世界樹までやって来た。模範的優等生ながら押しが弱いため、我の強い冒険者たちの中だと影が薄め。

・サレン(アースラン/十八歳/男)
世界の広さが知りたくて実家の商家を飛び出してきた旅好きの青年。実力的にも目的的にもマリエルと近めで一緒にいることが多い。多少擦れてはいるがブッ飛んではないのでツッコミ役に回りがち。

・カルド(アースラン/十五歳/男)
最強を目指して世界樹に殴り込んだ拳闘家の少年。手が出やすく粗暴ではあるが話はわりと通じる方。背が低いのを気にしている。

・レア(アースラン/十八歳/男)
絶世の美貌を持つ瘴気使い。年下の男子に目がなく、カルドに一目惚れして付きまとう形で世界樹に挑む。お金は男の子とお茶をするために貯め込んでいる。

・ユーニア(ルナリア/??歳/男)
ギルド『アカラギ』のギルドマスター。世界樹の神秘に惹かれてギルドを結成し、冒険者の曲者っぷりにも動じることなく指揮をとる。情報収集や書類仕事など裏方が主で、マッチョなのになかなか戦わない。



* * *



 ここはいい場所だ。
 溢れる緑、流れる清水、背の高い木々の隙間から射す木漏れ日も、どこか懐かしくて気持ちがいい。
 足を踏み入れるたび、故郷の山を駆け回った記憶が蘇る。初めて火を熾した日、初めて獲物を捌いた日、そしてあの日のこと。……いや、これは思い出さなくていい。
 獲物にも困らない。活きも大きさも申し分が無いが、味だけは毎回食べてみるまで分からない。
 ここで自分はどこまでやれるのか。どこまでやれるようになるのか。楽しみなようでいて、その先を知るのが恐くもある。
 そんなのどやかな日々が、まだしばらくは続いていくと思っていた。


「ソッチ行ったぞマリエル!」
「っ……!! はい!!」
 詠唱。圧縮。放出。
 迫る巨体に尻込むことなく、マリエルは術式の行程を順序よくまとめていく。
(間に合わないな)
 刃がマリエルに届く前に、突進を続ける魔物の足下へと連続して矢を射込む。僅かに怯んだ魔物のその隙を、彼らは逃さなかった。
「グルグルに、なっちゃえっ!」
「オラぁッ!!」
 レアとカルドの、脚部を狙った一閃と連打が魔物の動きを更に鈍らせる。
 それでもマリエルの眼前まで辿り着いたその魔物は、明らかに平衡を失っていた。大鎌の毒とやらだろう。
 標的を定められず狼狽えている魔物の腹に、マリエルはゆっくりと手の平を当てて呟く。
「圧縮術式・ライトニング」
 瞬間、閃光が弾けた。
 ゴーグル越しでも目が眩んでしまいそうな光が、マリエルと魔物を包む。その中で辛うじて見えたのは、細かい痙攣を起こす魔物の陰影と、魔術師の後ろに走る人影。
「マリエル、あとは任せろ!」
「サレン殿!!」
 そのままサレンは手にした突剣を構えると、マリエルが電撃を流し込んでいる魔物の腹部に向かって二度、振り抜いた。
 光が収まったのと同時に、魔物がどうと地に倒れ伏す様がはっきり見えた。
 少し間を置いて、声があがる。
「やったーーーーっ!!」
「何とか……なりました……
 喜び、安堵、様々な気持ちの入り交じった声。
 魔物の解体をしようと声の方向へ足を進めたところで、異変に気付く。
 倒れていた巨体が、起き上がって、攻撃を——
「二人とも逃げろ!」
 蘇生した魔物の刃が、反応の遅れたサレンを庇うマリエルの腕を切り裂く。
「ぎうっ……!」
 マリエルの悲鳴があがった。
(治療……いや、先に敵の動きを封じないと)
 次は致命傷になる。魔物の刃は、再びマリエル目掛けて振り下ろされようとしていた。
 ……仕方無い。
「リュウ!!」
 叫びながら、矢を放った。
 魔物の側頭部に突き立った矢は、大した痛手にはならない。しかし、魔物の注意を多少こちらに向けることはできる。それで充分だった。
 魔物の意識が逸れた逆側面の木立から、勢いよく白い塊が飛び出してくる。その白い——白い巨犬は、振り上げた魔物の腕に喰らいつき、激しく牙を振るった。関節部を何度も噛み散らされて、高く掲げた腕がずるずると落ちてくる。
「前衛、とどめ行け!」
 リュウの退いたのを確認してから、大声で呼び掛けた。
 カルドの拳とサレンの剣が、同時に魔物の腹へ抉り込む。それで、今度こそ完全に終わった。

 後は、呑気なものだった。
「お、お疲れー……
 ぐったりと地面に転がり込むレアの姿が目に映った。
「ナイスカササギくん。あとナイスわんこ」
 カササギ、と名前を呼ばれるのは随分と久しぶりだった。リュウと二人の生活が基本だったのだ。
 というかレアは魔物の蘇生以降は何もしていないはずだが。心配で心臓がどうにかなりそうだったんだ、とでも言うんだろう。ある程度予想がついたので、問い質す気も無くなった。
 世界樹一層、四階。『鎮守ノ樹海』と呼ばれる、縦に連なった不思議な森の中で、ある物を手に入れることが目的だった。
 無傷で力の有り余ったカルドが見張りに立って、魔物の後始末が始まる。俺が解体役で、後は腰を抜かしたレア、気力の消耗が激しいサレン、そして唯一手傷を負ったマリエル。
 致命的なことは何も無い。ただ少しだけ、面倒が増える。
「リュウ、悪いけど、もうひと仕事頼む」
 リュウの頭を撫でつけながら、お願いした。猟犬としてリュウを連れ歩くようになってから、一種のまじないとしてずっと続けている。欠かしたことは、無いはずだった。
 腕の傷を押さえて唸っているマリエルに近づくと、リュウは前脚に付けた道具入れから、器用に薬草の束を咥え出した。
「マリエル、怯えなくていい。傷を治す。傷口を出しておけ」
 怯えるなとは言ったが、リュウの全長は俺の身長よりも長い。小柄なマリエルが警戒するのも無理は無かった。
 おずおずと差し出された血の滲む右腕を、リュウが丹念に舐め上げていく。痛みに時折体を震わせながらも、マリエルはただじっと耐えていた。
 真水があれば、傷を洗っておきたいところだった。四階は特に水場の多い階層だが、使うには沸かす必要がある。まあこの出血量なら問題は無いだろう。帰りも近い。
 固まり始めた血を舐め取り終わって、薬草の塗布も終わると、目に見えてマリエルの表情に落ち着きが戻った。あの薬草には血止めと鎮痛の作用がある。もっとも、マリエルにとってはリュウに迫られ続けることの方が苦しいのかも知れない。
 ひと仕事を終えたリュウが、尻尾を振りながら近づいてくる。
「よし、よし。ありがとうな、リュウ。後で口直しに肉でも食べような。こっちもひと段落だよ」
 言いながら、ナイフで最後の切り込みを入れた。ごろりと赤い塊が転がる。
 先ほど力を合わせて討伐した大物——世界樹の水場に巣食う、大蝲蛄(ざりがに)の殻だ。全長は大人の背を軽く超える。殻だけでも盾と見紛う大きさだった。
「しかしなんだってこんなモン、欲しがるんだろうな」
 ようやく立ち直って悪態をつき始めるサレンに、ひと抱えはある赤甲殻を押し付けた。
「依頼だからだ。持ってろ」
「ちょっ……。まーた荷物持ちかよ」
 マリエルの調子も落ち着いている。血は止まっていて、軽い詠唱ならもう問題無いだろう。
 腕の氷を放つ鋏もばらして持っていこうかと思ったが、特に電撃に弱いのか、触るだけで砕けてしまった。生きている内に切り落とした方がよかったかもしれない。
「ま、いいか……。それで目的は果たしたわけだし、もう行くだろ、カササギ?」
……まだだ」
 そう。やるべきことがまだ、残っている。
「この大蝲蛄の、身を持っていく」
 途端にあがるため息。「マジかよ」「また?」という声が聞こえる。構わない。
「カササギ。今回の依頼が街の料理人からだってことは覚えてるよな?」
「覚えている」
「報酬は?」
「特製料理」
「じゃあいらねーだろこっちは」
「要る。報酬の料理も食べたいが、この蝲蛄の肉はまだ食べたことが無い。どちらも食えるなら、それがいい。片方を諦める必要は無いはずだ」
「加減しろってんだよバカ」
 今まで見張りに徹していた、カルドが割り込んできた。
「捌いてる間、オレが!見張りを!するの! ヒトに余計な手間かけさせといて言うコトじゃねーだろよ……。これで弓がうまくなくて魔物の解体できるヤツが他にいたら叩き出してるとこだぜ」
「それほぼ褒め言葉だよ、カルド」
 興奮したカルドを、レアが引き取っていった。身長差のせいか、保護者に見えなくもない。
 あの二人は、どういう関係なのだろう。カルドがレアを避けているようにも見えるし、レアがカルドに下心で擦り寄っているようにも見える。それにしては、カルドの方がぐいと距離を詰めていることもあるように感じた。妙な遠慮と無遠慮が入り混じった、歪な関係なのかも知れない。どちらにせよ、興味も無い。
 くだらない問答をしている間に、身の半分ほどをこそぎ終わっていた。あくまで胴の一部だけだが、相当な量だ。内臓は除いてある。ただ捨てられるよりは、獣たちの糧になる方がいい。
 傷を負ったマリエルの相手を、甲殻を抱えたままのサレンがしていた。右腕は切り傷だけだが、無傷のはずの左手にも、火傷のような跡があった。
 確か、マリエルは左利きだった。術式を放つときも利き手を基点にしていたはずだ。あの大電撃も、制限無しに撃てる代物ではないらしい。
 そういえば、サレンも手の動きがぎこちない。初陣でも、炎に剣を潜らせて、手が火傷で腫れ上がったとぼやいていた。
リュウと二人きりのときよりも、考えることが増えている。少し、面倒な気がした。
 同時に、普段と違う自分も見えてくる。自分だけならそのまま飲み込んでしまうようなちょっとしたストレスも、口に出し、態度でぶつけ、軽く小競り合いをしてみせる。そうしてぴりぴりとしてきた仲を、飯で取りもつ。
 飯はいい。美味いというただ一点で、他の全てのものに勝る。苛々も悲しさも、飯を食べることで解決する、とまでは言わないが、立ち上がる助けにはなってくれる。大モモンガを捌いて食べたときも、悪くはないという程度の味だったが、肉を食べるギルドメンバーの顔を見て同じことを思った。
 そういえばカルドには刺身も食わせた。あまり好く人間じゃないが、飯を美味そうに食べる奴は好きだ。
 池に水の注ぎ込む音と木の枝を揺らす風の音が混ざって、逆に静けさが際立っていた。
「よし」
 完全に殻から離れた身を、金属製の籠に入れて蓋をした。中には水切り用の布、それと二重三重に防水の紙が敷いてあって、汁が漏れないようになっている。
「駄目だ、生はやれない。もうちょっと待ってくれ、な」
 ご褒美が欲しそうに鼻の先を寄せてきたリュウを手で制した。それから、籠を背負うと、魔物の残骸に向かって手を合わせた。
 これも、まじないだ。
 うんざりといった様子で、一行が歩き出した。


「やあ、お疲れ様。相応に消耗したようだね」
 酒場に戻ると、ギルド長のユーニアが迎えに出た。
「いえ、その色々と……色々と、ありまして」
 負傷した右腕を隠すようにしながら、マリエルが首尾を報告していく。本当に同じルナリアなのかと疑いたくなるほど、マリエルの視線は上を向いている。
「ユーニア様が今回の標的である魔物の弱点を調べて教えて下さったおかげで、楽に済みました。御礼を申し上げます」
「そういう台詞は、無傷で帰って来た時に使うものだな。腕は医者に診てもらいなさい。カササギ君の治療に間違いもないと思うが、万が一があっては困るからね。さあ、宿へ帰った」
 随分と優しい声色だった。この人は厳しいときと優しいときの差が激しい。
 一人抜けしたマリエルが消えていく間に、サレンが依頼品の大甲殻をカウンターに上げていた。酒場内にちょっとしたどよめきが起こる。
 酒場には、人が集まる。人が集まる所には、相談事も集まる。この街の酒場は大なり小なり、冒険者間での依頼を仲介する場としての役割も果たしていた。中でもここ『魔女の黄昏亭』は、アイオリス最大の依頼仲介屋として信頼を築いているらしかった。
 勿論、料理の味も評判らしいが、俺はまだ食べたことがない。この前の祝勝会は別の酒場だった。人気の席はそうそう空かないものだ。
 そんな最大手の酒場でも、持ち運びに苦労する大きさの素材を要求する依頼はそう多くないようだ。しかもこの磯臭さ。
「まあ、この硬ったい殻をわざわざ料理に使うってんだからな。どう使うのかは知らねーが、大きすぎて困ることはないだろ」
 やや匂いの染み付いたサレンが言う。両手には木の大籠を抱えていた。
「ほらよカササギ、お待ちかねの今回の報酬。ゆでザリガニ。普通サイズだけど」
 思わず、籠の中を覗き込んだ。三尾。身が大きくて、艶のある赤色をしている。
「どれだけ、くれる?」
 また思わず訊いて、はしたないな、と思った。六人いるのだから六等分、一人当たりは半身になる。少し考えれば分かることだ。
「あーー…………俺ぁ、いいや。一匹お前にやるよ」
 これもまさかの、サレンだった。
「あれだけでかザリガニ相手に切ったり突いたりした後で、これはちょっと……。というかあの殻、運んだせいだな。匂いが、キツい」
 お前のせいでもあるし責任持って食えよと、追い払うような仕草をしながらサレンに籠を持たされた。
「あ……りが、とう」
 感謝の言葉だけで、足りる気がしなかった。
「今度メシおごれ」
 強く頷く。大きな借りが、出来た。
「それでは、マリエル君の分は私から渡しておこう。今日のところは、これでお開きとしたいが、構わないかね?」
 ユーニアが話を締めるのも待たずに、自分の分を抱えて、酒場を飛び出した。
「ありがとう!」
 扉を閉めながら、もう一度声を振り絞った。
 聞こえたかは、分からない。

「ごちそうさま」
 手を合わせた。
 目の前には、殻だけになった茹でザリガニの皿と、ソースやその他調味料の跡が付いた皿と、パン屑のまばらに残る皿の三つが並んでいる。
 酒場を飛び出した後、宿に戻ってからしばらくは昼飯の準備にかかりきりだった。
 まず、宿の炊事場の一画を借りて、樹海から持ち帰った蝲蛄肉を片端から飯にしていった。焼く、蒸す、茹でる。背負い籠一杯の肉も、大鍋や大釜に取り分けてしまうと、案外すぐに無くなった。
 宿の女将に文句を言われそうだったが、料理の一部提供を約束することで納得させた。これも飯の力だ。
 出来た料理は自分と女将の分を除いてから、宿から借りた籠に詰め、酒場に居残っているユーニアに届けに行った。あの男に渡しておけば、ギルドの全員に行き渡るはずだった。
 帰り道で、一旦引き返して少しいいパンを買った。ただ漫然と食べるのでは勿体無い。
 宿に戻ると、ようやく飯にありつく時間だった。俺もリュウも、空きっ腹に街中を駆け回って目が回りそうになっていた。
 蝲蛄肉の味付けは、基本的に塩、それと常備してあるスパイスや調味料諸々だった。初めての獲物は基本的に火を通すだけで、味付けの方を色々と変えられるようにしてある。
 焼いたものはまあまあ、蒸したのはそこそこ、やはり茹でたものが一番美味かった。味付けが上手くいった。
 酒場で貰った茹で蝲蛄は、流石にプロの味だった。茹で加減も下味も絶妙で、ほのかな塩と素材の味だけでいくらでも食べられると思った。
「でも俺は、自分で茹でたのも好きだな」
 空になった皿を片付けながら、まだ自分の皿にがっついているリュウに話しかけた。リュウの分は、別に塩抜きで作ってあったものだ。
 それから五分ほど、リュウの食べるのをじっと眺めていた。
 リュウは、なるべく戦いに出したくなかった。獣との戦闘自体は猟犬なら避けては通れない。だがここでは、大きさ、数、習性、そのどれもが今までの常識とはかけ離れていた。今日の相手だって、二人だけで狩りきるのは相当厳しかっただろう。リュウは拒まないが、俺の勝手で無用の危険に付き合わせるのは忍びない。だから、ギルドに入った。
 まともな狩人は、まともな獣を狩ることでしか育たない。俺は別にまともでなくてもいい。リュウは別だ。
「リュウ、腹ごなしに行こうか」
 抱えた皿の山に食べ終わったリュウの皿を重ねると、自室の扉を開けて宿の廊下に出た。満腹そうなリュウが、尻尾を振り振りゆっくりとついてくる。
 出がけに女将に皿洗いを頼むと、「またいい獲物がとれたらよろしくね!」と言われた。好評だったらしい。
 しばらく飯はリュウとだけがいいと思いながら適当に相槌をして、ぶらぶらと歩いた。
 街の中心区からは少し離れた地域だったが、落ち着いた構えの飯屋もいくらかあって、既に何軒かは寄ったことがある。期待を裏切られたことは、まだ無い。ただ、金が続かないのだけが心配事だった。もう少し剥いでくるべきだったか。
 そうだ、サレンの恩に報いないといけない。あいつ自身はそこまで期待もできないルーキーといった程度だが、美味いものの借りは美味いもので返すべきだろう。俺が今用意できる中で、一番美味いものは……
「や、元気?」
 後ろからの声。レアだった。
「何」
 振り向くのも面倒だった。この男は視線が邪だ。
「ご馳走してくれたお礼が言いたくて。マリエルくんも来るよ、来ない?」
「行かない」
「そう言わずに、おやつも兼ねてさ。中央通りのケーキ屋さんなんてどう? おごるよ」
…………行く」
 ……背に腹は、代えられない。
「腹ごなししてくるから、ちょっと待ってろ」
「お早めにね」
 歩きながら、ケーキのクリームの味と、レアの舐めるような目線が頭の中で混ざって離れなかった。

「私、こういった経験はその、初めてなのですが……
「話すなら、味の話にしろ」
 広場の噴水前。レア、マリエル、俺の三人は、そこで三時の甘味を味わっていた。他にも人は多く集まっている。そして、こういう所の食べ物は高い。
「フフフフ……
 目上から覗き込んでくるレアの視線だけはどうしようもなかった。これも奢られる条件だ。我慢。
「ワンちゃん連れ込み不可だって言われてカササギくんがどうするかヒヤヒヤしたけど、こんな場所が空いてるんだもんね。持ち帰りにして正解だったよ」
 噴水の縁に腰掛ける俺たちを眺めて、レアはさも満足げに呟いた。地面に届かず浮いているマリエルの足の周りで、リュウがうろうろとしている。
 俺はチョコレートのケーキ、マリエルは生クリームだった。レアは何も食べずに仁王立ちをしている。食器は例によって宿からの借り物だ。
「癪だが……美味い」
「本当ですね……あ、いえ、レア殿に不服があるという訳ではなく……。クリームがしっかりとしていて甘すぎず、中のスポンジも地に足の着いた印象です。一口食べる毎に安心するような、実に優しくて良いお味だと思います」
 同感だった。チョコレートの方も、濃厚ながら強い滋味を感じる。ほんの少し、マリエルへの評価が上がった。
「で、おやつとお話の、お話の方ね。マリエルくんとカササギくんのことを聞きたくて」
 半分ほど残ったケーキを眺めながら、手だけをマリエルの方に差し向けた。食事中に話を振られるのは嫌いだ。
「私達の話……とは?」
「身の上話、とまでは言わないけど。なんでこんなトコロまでやって来たのか、とか、どんな人が好きか、とか」
「世界樹に挑む理由……と言うのなら。まず、ここは未知に溢れています。書物で読むだけでは知り得ない知識、経験、人、魔物……街をひと回りするだけでも、ここに来て良かったと心から思えます」
 カササギ殿のようなセリアンの方々など、この目で実際に見るまでは信じきれませんでしたから。そう続けるマリエルを睨みつけると、そそくさと目を逸らしていった。
「知識欲とは」
 右腕を押さえながら、マリエルが続ける。服で傷は見えないが、医者に行ったというのなら包帯でも巻いてあるのだろう。
「人間の持つ最も原始的な欲求の一つであり、そういった純粋な欲求こそが人を人たらしめ、成長させるのだと、私は教わりました。また、知識欲など、食欲や性欲と同列の物で、特別に考えることはない、とも。……尤も後者は、サレン殿の言葉なのですが」
 珍しく、マリエルが目を閉じて笑った。
「サレン殿とも……いえ、『アカラギ』の皆様とも、出逢えました。危険は覚悟の上です。少なくとも今この時、私は充分に満たされているのですから」
 それだけ言うと、マリエルは満足げに俯いた。終わりらしい。
「ありがとうアンドお疲れさまマリエルくん! そしてお次のカササギくんどうぞ!」
「食ってる、少し待て」
 レアは無視して、口の中のチョコレートを味わった。不思議な沈黙が流れる中で、じっとりしたレアの視線と目が合った気がした。
……よし。ケーキのおかげで俺は今、機嫌がいい。だから、訊かれたことには答える。そこそこな。ただし、お前も話をすることが大前提だ。聞きたいなら話せ。話したくないなら、訊くな」
 別にこの男には興味は無い。一方的なやり取りをされたくないだけだ。
「ん〜? 別に構わないけど、面白いことはなんにもないよ?」
「私も、レア殿のことは、知りたいです」
「じゃあ。来た理由は、カルドが好きだからで、好きな人は、カルドとキミたちみたいな年下の男のコです! 以上!」
 ……下心の塊が。マリエルの腰が明らかに引けてきた。もう少しで噴水に落ちそうだった。
確かにマリエルはひ弱で小柄で世間知らずで、男の体が出来きっていない。そのくせ芯はあって、そういう手合いに好かれそうなのは理解ができた。俺も、というのは全く分からない。
「す、す、すき、という、のは」
「え〜聞いちゃうマリエルくん? 本命はモチロンカルドなんだけど……イイよね、男の子って。元気で、可愛くて、みずみずしさがあって、それに」
 レアがぐいと身を乗り出す。
「こ〜うやって……ちょっと距離を詰めるだけで、女の子よりもドキドキしてくれちゃうトコロが」
 マリエルの顎を右手で持ち上げたレアが、鼻先が触れ合うほどの距離で、普段より低い声色を囁いていた。
「あっ……………………
 赤く染まったマリエルの鼻先が、ゆっくりとレアから離れ、そのまま噴水の中に落ち込んでいった。
……ちょっと刺激が、強すぎたかな?」
 借りた皿が割れてないといいが。
 確かに、レアはちょっと見たことが無いくらいの美貌だった。多分、十人の女が十人とも羨む。その上、抜群の愛嬌と演技力も持っていた。
 でも俺は、こういう類の美形が嫌いだ。
「まあ、カササギくんに効くとは思ってないよ、こういうの」
 あの拳闘馬鹿もこいつに引っかかったのか? そういう男には見えなかったが。
「俺は、狩人だ」
 皿を噴水の縁に置いた。歩く下心に向かって、話し始める。
「母も狩人だった。俺は、一流の狩人になる。理由は言わない。ただ、絶対に母の名に恥じない狩人になってやる。すぐにでも。それだけだ」
……うん、ありがとう。それだけでもキミを呼んだ価値はあったな。カササギくんのことが知れて、嬉しいよ」
 レアが微笑む。芯からの笑顔に見えた。内容だか言動だか分からないが、数言話しただけで本当に満足したらしい。得体の知れない気色悪さはあるが、義理は果たした。
 不意に、にこにこと笑いながら見つめるレアの視線が、何故か逸れていくように感じた。
 理由は、すぐに分かった。
「おぉーーーーい!!」
 後方からの声に、体が、大きく跳ね上がった。続く足音が、どんどんと近づいてくる。
 こんな所で、聴くはずのない声が、聴こえて。
「カササギくんの言ってた理由って、コレ?」
 レアの視線の先に、振り向こうと思っても、体が動かない。強張って固まった体を助けるように、肩を、がしり、と掴まれた。反射的に向けた顔の先には、
「ただいま、サギ」
 二度と見るはずの無かった、兄の顔があった。

「ええと、こちらの方がカササギ殿のお兄様、ということでよろしいのでしょうか?」
 頭までずぶ濡れになったマリエルが恭しく質問をした。
「うん、ヒサメっていいます。サギを……あ、カササギか、カササギと仲良くしてくれて、ありがとう」
 男が喋る。知っている声だ。
「やっぱり似てるね。髪色とか眠そうな目元とかソックリだ。お兄さんの方が少し優しそうな顔、かな?」
 似ている。お兄さん。
……そう言ってもらえると、嬉しいよ。サギと二人でいられることなんて、もうずいぶんなかったから」
 サギ。そう呼ぶのは母さんと、父さんと、あと。
 目の前で交わされる会話は、ただ言葉が通り過ぎていくだけという感覚だった。耳には入っても、頭の中には届かない。
 ——何故こいつがここに? どうやって? 嘘だろ 目的は? ありえない 消えてくれ! 殺してやる どうしたらいい? 許さない。 
 頭の中で際限無くこだまし続ける声を打ち消したのもまた、この男だった。
……サギ、大丈夫? 具合、悪いの?」
 はっとして上げた顔が、視線が、かち合って、まじまじとヒサメの顔を見てしまった。
 長い睫毛に長い髪、頭の天辺に生えた、俺と同じセリアンの耳。根元で大きく分けた深い緑の前髪が、顔の白さを一層際立たせて、細い瞳の眼力を強く感じさせていた。
「その……ごめんね。僕のことをどう思ってるかは、分かってるつもりだけど、これしか思いつかなかった」
 座った姿勢の俺と目線を合わせるように屈み込みながら、ヒサメはそう言って、困ったように笑った。
…………ごめんね」
 嫌いな、顔だった。端正な顔つきで、阿(おもね)るように、卑屈に笑う。それで何となく、許して貰えそうな気がする。大嫌いだ。
……何しに来やがった、クソヒサメ」
 “あの事件”が起きてから、この男を許したことは一度も無かった。
 初めて怒鳴り声をあげて、体に染みついた記憶が蘇ってきた。目の前のヒサメが怯えた顔をして、腹の底から怒りが沸々と湧いてくる。幾度となく繰り返した光景だった。その流れをまた繰り返すように、右拳をヒサメの顔に叩きつけた。
「カササギ殿!?」
…………危ないよ。いつも、言ってるでしょ」
 拳は、ヒサメの顔面すれすれで手首を掴んで止められていた。一度を除いて、弓を使ってもヒサメに傷を付けられたことは無い。
 リュウも、心配そうな顔で見つめている。
「自分が何しやがったか忘れた訳じゃねーよな馬鹿ヒサメ。俺、ついてくるなって言ったよな? どうして、いやどうやってここまで来た」
「色々あったんだ、あの後。サギがうちを出てから一年間、本当に色々。以前父さんが世界樹に行ってみたいって話をして、サギが目を輝かせて聞いてたから、それでここかもって……
「何しに来たって訊いてんだよ。こうも言ったぞ。尾けたら殺すって」
 立ち上がった。合わせて背を起こしたヒサメを自然と見上げる形になる。
 頭半分だけ高い目線も、下着同然の袖の無い上衣も、顔に似合わない盛り上がった筋肉も、以前と全く変わらない。
 勿論、腰に差した、蒼鞘の刀も。
「護りたいんだ」
 怒りも一瞬忘れるほど、理解できない言葉だった。
「サギの力になりたい。本当はサギに危険な目になんか遭ってほしくない、けど、君は進むのを止めないだろうから。せめて、そばで護りたい」
 ……はあ? はああああ??
「許してくれとはもう言わないよ。君に憎まれても僕は僕にできることをするって決めたんだ。……また明日」
 言うだけ言って背を見せたヒサメに向けて、矢をつがえていた。引き絞る。
「ダメだよ。カササギくん、それはダメだ」
「止めんなレア、これで殺せるならとっくに殺してる。当たんねえよ」
「それでも、だよ。止められたくないなら、事情くらい説明してほしいな。どうしてお兄さんとあんなに仲が——
「家族じゃない!!」
 大声に、衆目の視線が集まる。それはそのままどよめきと悲鳴に変わった。街中で弓、考えれば当然だった。
「カササギ殿、もう止めましょう!」
……くそッ」
 ヒサメの姿は、路地に入って見えなくなっていた。
「ホラ、どっか行きなキミたち。あとはボクがなんとかしとくからさ」
「レア殿」
「その代わり、またご飯よろしくね」
 そのまま、マリエルに連れられて逃げるように宿へと帰った。実際、逃げ帰っているだけだった。
「頼みますから、ここで大人しく、大人しくしていて下さいね」
 私はユーニア様に指示を仰いで参りますので、と言い残して、マリエルがそそくさと出て行く。聞き分けの無い犬の相手をするような態度だった。
 いつもの部屋の中には、いつもと同じようにリュウがいて、明日も何も変わらない。そう、思い込もうとした。
 ぼんやりとしている内にまだ明るかった日がすっかり落ちきっていて、部屋に明かりを入れた後もまだ、しばらくぼんやりとしていた。
 晩飯の時間をとうに過ぎていることにようやく気付いたが、特に食べたいという気もしない。だからリュウの分だけを皿によそって、そのままベッドにゆっくり落ち込んだ。
 リュウの咀嚼音だけが、閉じた目の奥で響いている。今夜は、眠れる気がしなかった。


「失礼致します、カササギ殿」
 ノックの音で、思考が戻ってきた。
 窓の外はもう明るくなり始めていた。眠れてはいない。ただずっと、意識にもやがかかったような気分だ。
 扉を開けると、マリエルが立っていた。
「昨日の件について、ご報告を」
 マリエルが淡々と連絡事項を並べ立てていくのを、黙って聞く。
 昨日の広場での騒ぎは、玩具の弓を使った仲間内での悪戯という扱いになったこと。それはそれとしてギルド長であるユーニアはしっかりとお偉いさんから叱責されたこと。それと今日の探索は、予定通り、一層最奥を突破して二層へと進むこと。
 五階の探索は済んでいた。後は、戦闘だけだった。
「あの場はレア殿が収めて下さったから良いようなものの……ギルド内で刃傷沙汰など冗談にもならないのですから。ユーニア様にも謝罪と御礼をなさっておいた方が良いですよ。ギルド管理に関する問責自体はさほど堪えてはいらっしゃらないようでしたが、最初に状況をお伝えした時はひどく驚いた顔をされていましたし」
「分かった、分かったよ。熱くなってた、悪い」
 マリエルにここまで強気に出られるのは初めてで、少し面食らった。とにかく波風を立てないように間を取り持つだけの男と思っていたが、面と向かって異議を差し挟んでくるだけのまともさは持っているらしい。正論なので反論の余地も無かった。
 …………あ? 待てよ。
「ギルド内、って言ったか?」
 マリエルの顔を見据えて、聞き返す。気まずそうに俯いていくその視線で全てを察した。
……ヒサメ殿は既にギルド登録を済ませておいでです。ユーニア様からも、今日の探索行に同行させて欲しい、と……
 舌打ちが漏れた。マリエルが萎縮するのが分かったが、抑えるつもりも無かった。
 本当に、来やがる気か。
 ユーニアにしてみれば、ヒサメを拒む理由も特に無い。俺も、樹海の中だろうとそうそう奴を殺すことはできないだろう。思いつく限りではヒサメの同行を阻止する手立ては全く無いらしかった。それがまた、苛立ちを加速させる。
「あの」
 マリエルの遠慮がちな声が耳の端を流れる。
「ヒサメ殿と、仲直りをされては」
 それから、しばらくお互いに何も喋らなかった。また思考が止まったようになって、宙を見つめる。マリエルが喉をごくりと鳴らす音がはっきりと聞こえた。
「マリエル」
「は、はいっ」
「驚いたよ。マリエルはもっと利口な奴だと、俺は思ってた」
「カササギ殿、私はただ」
「お前なら分かるだろ。頭いいんだからさ、それを今訊いていいかどうかくらい。だから、黙ッてろよ」
 後の方になるほど、語気が強くなっていくのが自分でも分かった。マリエルの方に目を向けると、普段に増して真っ白になった顔がびくりと跳ねた。
 何やってんだ、俺。
 頭の半分が冷や水をかけられたように醒めていて、子供じみた八つ当たりをした自分の姿を、冷たい目で見つめている。
 ヒサメは嫌いだ。それ以外の人間は、好きでも嫌いでもない。ただ、ほどほどの距離にいればそれでよかった。
 マリエルは近づいてきた。ヒサメの話と一緒でなければ、突き放すこともなかった。いや、これは言い訳だ。
……マリエル、その……悪い」
 俺が言い終わるのを待つことなく、マリエルは振り返って開け放しの扉から部屋を出て行った。怒りか恐怖か、どういう気持ちで飛び出したのかは分からない。どちらにしても、追える訳も無かった。
 結局何も進まないまま、一層攻略の為に迷宮の挑み支度をした。一部始終を見ていたリュウの顔が、心なしか白けているように見える。
 宿を出るときに、女将に声をかけられた。
「あぁアンタ。昨日貸したお皿ね、ずいぶん礼儀正しい子がお礼言って返しに来てくれたよ。こう、白っぽい髪の大人しい子供だったね。アンタと一緒にケーキを食べたって言ってたけど友達かい? 仲良くしときなよ!」
 何も言葉を返せなくて、なんとなく手を振るしか無かった。
 街に出る。秋の朝で光は弱いが、起き続けの目には随分眩しかった。
「本当、何やってんだ……
 これから実戦だというのに今更、眠くなってきたような気がする。


 一層最終階、五階最奥の大部屋までは、何事も無く進んだ。マリエルが敵の目を眩ます魔法とやらを使ってくれたからだ。
 そこまでの道中、誰とも話さなかった。地図を読み込んでいたから、という理由で。当然、ヒサメとも。
 「サギが行かないなら僕も行かない」とほざいて俺を無理矢理連れ出したあの男は、目が合うたびにあの媚びた笑みを向けてくる。並んで歩きたい訳も無かった。
「開けるぞ」
 大部屋の扉を開き、カルドが先陣を切っていく。
 部屋の中央には、人の背丈ほどあるまだら色の岩が、こんもりと佇んでいた。その岩を囲むように、部屋の四隅には見慣れた石人形たちが祀られている。祭壇のようだった。
「アレだな」
「うん、アレだね」
 カルドと共に前へと進み出たレアが、中央のまだら岩へと小石を放り投げる。まだら岩が鳴動を始め、地面が揺れる。岩は倍以上の高さに背を伸ばし、人の形をとっていた。
「これが、『鎮守ノ樹海』の守護者……ゴーレム……!!」
 マリエルが、恐れと興奮の入り混じったような表情で石の巨人を見つめている。無機物を生きているかのように操る業は、恐らくルナリア由来のものだろう。マリエルが興味を持つのも当然と言えた。
 これまでも大蝲蛄や梟といった大物とは刃を交えたが、このゴーレムはそれらとも明らかに一線を画している。それなのに、恐れるような気持ちは湧かなかった。
 部屋の隅に並べられた石人形たちも、動き出している。五階の探索道中でも動かない石人形相手に警戒はしていた。今更動くというのも、なんだか拍子抜けだった。
 各々が戦闘態勢に入り、攻撃の動きをとる。前衛にカルドとレア、後衛にマリエル、俺、リュウという構え。ヒサメは、どちらでもない位置にいた。
 サレンは留守番だった。探索は五人一組で行うという経験則があり、ヒサメ参加の煽りを受けて一旦編成から外された。とはいえ今回は、五人が一人でも大した違いは無かった。
 ヒサメが、右腰に差した刀に指を掛けている。
「マリエル」
 宿で別れてから、初めて口を利いた。こちらを見るマリエルの表情には、当然だが困惑の色が混ざる。
「すまなかった、と言うつもりは無い。許して貰えることとも思わない。だけど」
 視界の端で、ヒサメが刀を抜き放った。思わず視線が刀へ向かう。
「見て欲しいんだ。俺が最も憎む男、そして、最も怖れる男の姿を」
 マリエルがどんな顔で聞いているのかは分からない。ただ、術の詠唱は止んだようだった。
 ヒサメが、跳躍する。
 石のゴーレム直上から、青白く発光する刀を真っ直ぐに構えて、ただ稲妻のように、振り下ろした。
 一瞬の光と、刀のものとは思えない耳障りな音を響かせながら、巨人の岩肌に刃が食い込み、通り抜けていく。
 瞬きの後に残ったのは、俯いて刀を納めるヒサメの姿と、脳天から股座まで、焼け焦げたような傷跡を深々と刻まれて崩れ落ちる、巨躯。
……雷切」
 ヒサメがぼそりと呟いた。終わってから技の名前を言う、父さんのやり方だった。
 一瞬、戦場が静まりかえる。マリエルもレアも唖然とし、特にカルドは振るいかけた拳をわなわなと握りしめていた。こうなるだろう、とは思っていた。
 氷雨丸。それが刀の名前だった。
 氷のように蒼い鞘に納められたその刃は、名前の通り、触れた物を全て凍らせる。岩を焼き切るほどの斬撃に、氷の刃。稲妻と零下、二つの衝撃が合わさることで鋼すらも灼け溶ける、そう父さんが言っていた気がする。俺は刀を習わなかったから、もう、分からない。
 ヒサメが後ろに跳び退いた。理由はすぐに分かった。
 轟音を立てて、倒れ伏したゴーレムの体が弾け飛ぶ。飛び散った石くれのうち、ある程度の大きさを保ったものは、ぶるぶると震えて、起き上がった。ゴーレムの破片が、小型の石人形となって蘇っている。部屋の隅にいた人形たちも、まだ動いている。十数体はいるだろう。
 嫌な予感がした。
 ヒサメが、ちらりとこちらに視線を向けた。目配せ。氷に腹を刺し貫かれたような悪寒が来て、声になって喉から出た。
「みんな伏せろーッ!!!」
 隣にいたマリエルの肩を掴んで引きずり倒す。リュウは元々低い姿勢をさらに縮ませて地に伏していた。
 前衛組はと見ると、レアとカルドがお互いの頭を掴んでもつれ合うように倒れ込む最中だった。
 ヒサメは。刀の柄に手、煌めき——
 風が、巻き起こった。のけ反りかけるマリエルを押さえながら、見開いた目に眼前の光景を収めた。ヒサメの目の前から、石人形が次々と真っ二つになっていく。縦にではない。横にだ。
 風の輪が広がり、ヒサメを中心とした渦を描くように人形がすぱりすぱりと崩れていく。刃の風が頭上を通り、後方で石が切れて落ちる音がした。目と耳が持っていかれそうな、冷たい風だった。
「散華」
 大きく抜き放った刀を納めながら、ヒサメが呟く。「伏せろ」からここまでが、瞬き数度の間だった。
 刀の間合いよりも遥かに広い範囲を一息に切り裂く、それが散華。ここまで来ると、何をやっているのか俺にはもう分からない。
「イカれてるだろ」
 掴んでいた手を放しながら、口も目も開ききって呆然としているマリエルに話しかけた。僅かに頷いたようだった。
 部屋の中央で黄昏れているヒサメが、いきなり顔を上げた。こちらを見ている。
「サギ、動かないで」
 薄笑みを浮かべながら刀を抜き、上段から無造作に振り下ろした。また風。俺とマリエルの間を風が通り過ぎる。後ろを向くと、片手の無い石人形が一歩を踏み出し、地面を踏みしめることなく倒れていくところだった。頭の裏に縦長の風穴が空き、霜が張っている。
……空刃。やっぱり最後の方は切れ味が落ちちゃうね。討ち漏らしちゃった」
 そう言い、にっこりとヒサメは笑った。媚びも陰りも無い、満面の笑みだった。もう動いている石人形はいない。
 震えているマリエルの肩を軽く叩いてから、ヒサメに向かい合う。にこやかに見下ろす長身が、無視して通るには不快すぎた。
 弓を構える。ヒサメの笑みが消えた。跳び退き、強く弦を引いて、射つ。そのまま二矢目をつがえ、一矢目の後を追わせるように速射した。
 ヒサメは抜きの刀で初撃を鏃(やじり)から斬り払い、そこで刃を止めて切先を上に向けると、二撃目の矢を撥ね上げた。
 成功するとは思っていない。だが、やはり圧倒的だった。二つに分かれた矢が上空から落ちてきて、草面でぱさりと音を立てた。
「殺してやる」
 いつか必ず。今はまだ、無理だ。それでも、殺さなきゃいけない。
 だって、父さんと母さんはお前のせいで死んだんだ。
「待ってるね」
 嫌いなあの顔でヒサメが言う。その横を通り抜けて、早足で二層へ通じる扉へ向かった。
 足下をついて来るリュウは何か言いたげだったが、今は聞かないことにした。上の階へ続く石と蔦の階段に足を掛ける。水と草の匂いが、乾いた風に変わっていくのを感じた。二層は不毛な岩の荒野だというが、特に落胆も高揚も覚えなかった。
 ただ、乾いていた。