Ykanokawa
2026-03-12 19:06:17
4162文字
Public クリテメ
 

【オクトラⅡクリテメ】君と貴方の廻り道(序文のみ)

序文のみの修作です。エンディングまでクリア推奨。
原作軸転生現パロ。苦学生クリ君×ルームシェア管理人テメさん。シェアハウスの構造や雰囲気は創作の関係上ゆるふわです。

長編になる予定ですが1話目で三万字が見えてきたのでどうしよ…

 その人に巡り逢ったのは、いつかと同じ、鮮やかな楓が降りしきる町でのことだった。

Case1 ふたたび、楓の降るとある町で

 がらん、ごろん、とキャリーケースが音を立てる。クリックは――クリック・ウェルズリーは、この重たい荷物をこのまま転がして歩くか、持ち上げて運ぼうか、しばし悩んだ。ケース自体がそこそこに良い物なので、すぐに車輪がすり減ることはない。だが、足元に広がっているのは美しい石畳だ。丈夫な車輪がこの石畳を傷つける可能性がある。さて、どうしたものだろうか。
 ひょい、と視界の隅を緑色の何かが横切った。バッタだ。生物学に明るいわけではないので、種類まではわからない。けれど、命あるものだ。小さな命が、土を求めて石畳の上を、懸命に移動している。
 頬を緩ませたクリックは悩むのをやめ、腕に力を込めてキャリーケースを持ち上げた。目的地は、今し方、出てきた駅からさほど離れていないはずだ。いい鍛錬にもなる。体格には恵まれている方であったし、所属していた部活動だって身体を鍛えられるものだ。そう。所属していた。これからどうなるかは、わからない。
 ――どうなるかは、わからない……
 一陣、吹いた秋口の風は思った以上に冷たい。入り込んでくる空っ風を防ぐため、薄いコートの襟を正した。
 都会から外れた郊外だから、尚更そう感じるのかもしれない。今は休日の真昼だが、人通りは穏やかなものだ。すれ違う人の数は片手で足りるほど。目指す方向とは逆側に位置する商店街から、遠巻きに活気ある声が届くくらい。のんびりとした片田舎だ。都会と呼べる町――具体的にクリックが通う大学のキャンパスまで行くには、電車を乗り継いで約一時間半かかる。
 商店も、街灯もある。道だって整備されていて綺麗だ。生活には困らないだろう。娯楽の類は、まあ、必要なら自力で何かしら見つけるものだ。
 風に巻かれた街路樹の楓が、ひらひら、ふらふら、舞い踊ってから石畳に落ちる。綺麗な赤色だ。清掃が行き届いた石畳に、その赤色はよくよく映えた。
 妙に惹かれる景色だ。故郷の町には楓の街路樹なんてものはなかったから、見たことがあるとすればテレビかチラシか、そういったものであるはずなのに。
 何故だか、初めて見るはずのその色彩は、ほんのりクリックの心を温めた。風の音に混じって声が聞こえた気がした。
『初めて訪れた方には、物珍しく見えるようですね』
 鼓膜の奥の奥、脳の片隅で、かちりと何かが瞬いている。
 腰を落としたクリックは舞い降りた楓の葉を一枚、拾い上げた。とりわけて目を引いたものを一枚。ポケットに入れていたティッシュに包み、手帳に挟む。それでいつまでも綺麗な赤色を留めておけるわけではないし、それくらいのことは知っていたけれど。
 それでも、今、この瞬間に動いた心臓の鼓動は憶えておける。
――よし」
 気合を入れ直すために吸い込んだ冷たい空気を一気に吐き出す。閉じた手帳を懐へ仕舞い直し、クリックは力強く歩を進めた。


 父親との折り合いが悪くなったのは、クリックが大学に進学してしばらく経った頃のことだ。
 いや、それは正確ではないかもしれない。実のところ、ごくごく小さな頃から、クリックと父親の間には、いつも細く深い溝があった。どちらが良くて、どちらが悪いというわけでもない。もっと簡単に、単純に、クリックと父親は似ていなかったのだ。似ていないだけならばまだしも、相性すらよくなかった。
 多少のことを切り捨て、他者を踏み台にしても、大きな利を得ようとする父と。
 父が多少のことと片付けるような、小さなことを、人を、物を、大事にしたいクリックと。
 段々と、世の中が見えてくる年齢になってから、その溝が表面化し、修復が困難になっていった。それだけの、よくある話である。
 父のすべてが間違っているとは思わない。現実として、そうして父が築いた富があったから、クリックは不自由のない少年時代を送った。それだけは事実なのだから。それだけは、事実なのだが。
 ――受けた大学に、父が納得していなかったのは知っているけど……まさか、仕送りも家賃も止められるだなんて。
 大学に進学するにあたり、父とは随分と揉めた。父の意向に反している上に、その大学に入るには家を出て一人で暮らさなければならなかったからだ。温和な母には心配をかけたし、また最終的に取り成してくれたのも母なのだから頭が上がらない。
 チャンスは一度だけと察していたクリックは必死に勉学に励んだ。そうして今年の春に、ようやく望んでいた門戸を開いたのだった。背中に刺さっていた視線が、祝福するばかりのものではないことは、知っていたつもりだったけれど。
 その頃はまだよかった。祝福も激励もしない父ではあったが、学費は払われていたし、それほど悪くないアパートの家賃も出してもらえていた。少額ではあるが、仕送りも出してもらっていた。クリックの中にも、もしかしたら、という父への期待が残っていた。
 夏を迎える頃に、仕送りが止まった。目の前が暗くなりかけたが、生活の時間は止まってくれない。大体、一切、仕送りなどない学生だっていくらでもいるのだ。生活に足りない分は、働いて工面できる。幸いなことに、クリックには気のいい友人が幾人かいたので、健全な働き口をいくつか紹介してもらうことができた。夏場ということもクリックに味方した。長期休暇のある夏は、どこも働き手が不足するものだからだ。
 そうして、いくつかの職を掛け持ちして夏を乗り切った。生来、働き者だったクリックは、働き先から気に入られ、給与にいくらか色もつけてもらえた。おかげで少しだが貯金もできた。だから、ほっとして油断してしまっていた。
 夏が終わった頃に、家賃滞納の督促状が届いた。家賃の引き落とし口座が、二ヶ月も前に凍結されていた。学業と仕事。両立の忙しさで目が回り、確認を怠っていた。失敗した。
 ここまで来て、流石のクリックも父の心積もりに気づかざるを得なくなった。根比べだ。父はクリックがこの苦境に音を上げるのを待っている。そうしてクリックに頭を下げさせ、自身の引いた線路の上に引き戻すタイミングを見計らっている。
 かろうじて学費は支払われているが、これは支払時期の問題だろう。後期の支払い日がきたとき、学生課に呼び出されてからでは遅い。
 失望とまではいかないが、がっかりでは済まない程度には、落胆した。うっかり心の陰に囚われそうにもなった。だが、それだけは我慢ならない。クリックが、クリック・ウェルズリーである以上、持ち続けなければならない矜持がある。
 ――負けてたまるか。
 再度、奮起したクリックはできたばかりの貯蓄を叩き、滞納分の家賃を支払った。そして退去を決めた。大学に近い、快適で築浅のアパートだったが、今の自分では住み続けるだけの支払い能力に欠けている。もしかすれば、これから学費も納めなければならない事態になるのだ。まだ余裕があるうちに、打てる手はすべて打っておきたかった。引っ越し代が払えるうちに行動を起こさなければ。
 その日から不動産への行脚が始まった。高望みはしない。築年数がどれだけ古くても、隣室との壁が薄くとも構わない。どうせ空き時間や休日にはアルバイトのシフトを入れてしまうのだ。寝に帰ると言っても過言ではない生活になる。なんなら風呂がなくとも、トイレが共同でも構わない。現代人には不便に感じる環境だろうが、クリックにはそういった狭苦しい場所・・・・・・に住むだけの耐性があった。
 あったのだが、大学近くに位置する不動産屋は面倒見が良く親切だった。
 あちらの物件は治安が悪い。こちらなら深夜まで騒がしいが、その分、働き口が多い。懇切丁寧に根気よく物件探しに付き合ってくれた。友人たちと他人の好意が、極端へ振り切りかけるクリックを止めてくれた。説得を重ねられ、程よく冷えた頭で物件の書類と見つめ合う。
 ここは安いが空き巣が出る。ここは西向きだがエアコン付属で高い。どこが妥協点になり得るか。見分していくクリックの目に、その一枚が飛び込んできたのは、偶然だった。
「コーポ……アルパテス・・・・・?」
 名前に感じるものがあって、その一枚へ手を伸ばした。家賃が妙に安いと思えば、その物件はアパートではなかった。広いリビングダイニングとキッチン。共同の風呂とトイレ。リビングを中心に寝室がいくつか隣接している独特の間取りだ。所謂、シェアハウス、というものだった。
 シェアハウス。プライベートなスペースは寝室しかない。共に暮らすのは赤の他人。その代わり、水道も、光熱費も折半。家賃も破格。そんな家の一部屋が空き室になっているという。普通のアパートの一部屋と違い、管理人の筆跡と思われる注意事項が添えられていた。内容はゴミをいつ出すだとか、共用スペースの掃除や家事の分担についてだとか。必要になると頷けるものばかりで、それ自体に驚きはなかった。
 けれども。
 ――この文字、は。
 何度も、何度も。文字の撥ねを、止めを、なぞるように読んだ。そして最後に記されていた署名に指で触れた。つい、長いこと食い入るように書類を握りしめてしまった。
 そんなクリックの様子に気がついた不動産の担当者が、たん、と手を叩く。
「ああ、そうだ! そこがありました!」
「あ、あの、ここは……
「渡航費用が大変な留学生や訳あって奨学金を利用している学生を対象にした男女共用のシェアハウスでして。大学からは少々離れますが、通学できない距離ではありません。あなたも事情がおありのようですし……。管理人に掛け合ってみる価値はあるかと」
「管理人、さんに」
「外国の方も暮らしているので、トラブルがないとは言い切れません。ですが、管理人も一緒に暮らしているシェアハウスなので、間に入ってくださいますし。もちろん、審査はありますが。どうしましょうか」
 躊躇いはなかった。
「ぜひ、お願いします!」
 クリックの剣幕に担当者が上体を仰け反らせ、目を丸くする。身を乗り出したせいで、机上に重なった書類が宙を舞った。