三崎
2026-03-11 22:11:20
6252文字
Public
 

青と紫、ふたつの星

ガタケット183 Raven's Market3 ペーパーラリー
アーキバスプロレスパロ 挑戦者フロイト VS 王者スネイル

 アーキバスプロレスリングの現アーキバスヘビー級チャンピオン、スネイルは挑戦者ラスティを退け、五度目の防衛を果たしていた。王者らしい堂々たる試合運び、誰もが納得する強き王者に、観客は惜しみない歓声と拍手を送る。
 しかし彼の心にあるのは虚しさだけだった。このベルトは絶対王者として君臨していたフロイトのベルト返上により開催されたチャンピオン決定トーナメントに優勝したことで手にしたもの。フロイトに勝って得たものでは無かったからだ。
 リングの上、降り注ぐ紙テープと大観衆を見回しながら、スネイルは誰にも気付かれぬよう小さく息を吐いた。
 フロイトはいつ戻るのだろう。復帰したなら、必ず奴とベルトを賭けて戦わねばならない。そして私こそが真の絶対王者であることを示さねば……
 スネイルがそう思った瞬間、会場の照明が落ちた。
 花道の奥、入場ゲートを照らすスポットライト。大観衆はそこに釘付けになった。次の挑戦者が名乗りを上げにやって来たのか。しかし誰が? スネイルはトップ戦線にいる選手たちを尽く退け、相応しい選手はもういない。
 ざわつく観衆。そこに鳴り響いたのは、一年近く欠場を続けていた男の入場曲。どれだけ経っても忘れるはずがない。あの華麗な身のこなしを、戦いを心底楽しむ様を、かつての絶対王者の姿を。ざわめきが歓声に変わってすぐ、入場ゲートに皆が待ち望んだ選手の姿が現れた。
 理由は語らず、ただ無期限欠場とだけ告げ、ベルトを返上して去っていったフロイト。彼は一年前と違わぬ姿で悠々と花道を歩く。リングへ――スネイルの元へと。
 入場曲に合わせてフロイトの名を呼ぶ観客たち。時折彼らへ視線をやりながら、フロイトはやって来た。スネイルが待つリングの上へ。
 ベルトを肩にかけたスネイルの目の前で、フロイトは受け取ったマイクを手に、ニヤリと笑った。
……久しぶりだな、スネイル」
 一年ぶりに聞くフロイトの声。それはスネイルにとっても、観客にとっても同じことだ。皆が固唾をのんでフロイトの言葉を待つ。フロイトはスネイルの肩にかけられたベルトを指さして、言った。
「俺のベルト、返してもらいに来たぞ」
 そうだろうとわかっていても、フロイトの挑戦表明に皆が沸き立つ。フロイトの持つ歴代最長保持記録も、最多防衛回数も、破られる気配はまるでない。スネイルが防衛し続けた一年、五度という記録は、フロイトのそれには遠く及ばないのだ。そのベルトをフロイトが自分のものだと口にしたことを、誰も不思議には思わなかった。ただ一人、現王者であるスネイルを除いて。
……随分と勝手なことだ。返上したのは貴方でしょう。このベルトは私のもの。一年も失踪していた貴方に、挑戦する資格があるとでも?」
 そう応じるスネイルに、僅かながらにブーイングが飛ぶ。スネイルの言葉は尤もなはずなのに、フロイトへの期待感がそれを上回っているのだ。スネイルは片手を上げて観客のブーイングを制すると、微かに笑ってフロイトに告げた。
……しかし私は慈悲深い。貴方の挑戦、受けて立ちましょう」
 誰あろう、スネイル自身がフロイトとの戦いを欲している。彼をねじ伏せてこそ、このベルトが真の意味で自分にふさわしい輝きを放つのだと、スネイルは信じているからだ。
「私のベルトに挑戦出来ること、光栄に思いなさい、フロイト」
……決まりだな」
 不遜なスネイルの発言に、しかしフロイトは動じない。ただ待ち望んだ相手との戦いが決まったことへの喜びがあった。
 次のビッグマッチ――二ヶ月後のアリーナ大会での対決を告げ、フロイトはマイクをぽいと投げ捨ると、スネイルだけに聞こえるようにこう言った。
「言うようになったな、スネイル」
 それが妙に耳に残り、スネイルはぎりりと拳を握りしめながら、リングを降りていくフロイトの背中を見つめたのだった。


「待っていたんだ、準備が整うのを」
 スネイルとフロイトのタイトルマッチの二週間前、フロイトは雑誌のインタビューにこう答えた。インタビュアーはその意味を測りかね、記事の中では「その真意については謎のままである」と締めくくった。
 ファンの間でも、そのコメントについては様々な憶測が飛び交った。フロイトの長期欠場は怪我の治療のためのもので、それが治るのを待っていたとか、新たな技術を学ぶために密かにどこかへ遠征しており、十分な技術が身につくのを〝準備が整う〟と表現したとか。
 その言葉の意味を正しく理解出来たのはスネイルだけだった。そのインタビューを読んだスネイルは、怒れば良いのか喜べば良いのかわからないまま、僅かに上回った怒りに任せ、雑誌をぐしゃりと握りつぶした。
 フロイトはタイトルマッチが決まってからも通常の興行には参戦しなかった。前哨戦もないまま、復帰戦がそのままタイトルマッチという状況に批判の声もあった。一度もフロイトと肌を合わせることもなく、タイトルマッチの前、最後の興行のメインイベントを勝利で終えたスネイルは、リング上でマイクを取った。ふざけた挑戦者への怒り、今の自分を認めてくれていることへの喜び、それらを飲み込み、スネイルはリング上、アーキバスプロレスリングのアイコンの真上に立ち、叫んだ。
「何人たりとも、この私には勝てない……何故なら私は――
 I AM ARQUEBUS!! 私こそがアーキバス、ファンと共にいつもの決めセリフを唱和して、スネイルはファンの声援に応じながら、ゆっくりとリングを降り、花道を後にした。
 そうだ。私こそがアーキバスプロレスリングの象徴。いくら絶対王者と言われようと、〝私の〟準備が整うのを――フロイトが挑戦するに相応しい王者となるのを――待つという、傲慢そのものとしか思えないことを言おうと、勝つのは私だ。私でなければならないのだ。
 タイトルマッチは一週間後。すでにチケットは完売。満員札止めとなったアリーナで、二人は一年ぶりにベルトを賭けて対峙することとなった。


 上半期を締めくくるビッグマッチとなるアリーナ大会。メインイベントであるアーキバスヘビー級タイトルマッチの他、複数のタイトルマッチが対戦カードに並んでいる。否応無しに注目されるフロイトとスネイルの試合に負けじと、他の選手たちのモチベーションも高かった。アンダーカードでは若手選手が躍動し、ベテラン選手もファンたちを煽り、会場の熱気は徐々に高まっていく。唯一の女子選手であるメーテルリンクは、他団体からの挑戦者であるシャルトルーズとアーキバス女子王座を賭けて、自身初のタイトルマッチとなるペイターと、彼とデビュー当初からタッグを組んできたキャリア二十年のホーキンスは、タッグ王者であるラスティ・オキーフ組とタッグベルトを賭けて、それぞれ戦う予定になっている。豪華な対戦カードの中、実況席にはゲストとしてベテラン選手であるスウィンバーンが座り、配信を楽しむファンに小気味よい解説を披露していた。
 一年もの間欠場していたフロイトの復帰戦でもあるタイトルマッチを見届けようと、他団体の選手の姿もちらほらと客席に見られた。ベイラムプロレスリングの歩く地獄ことミシガンには、フロイト直々に招待状が送られたという噂もある。
 そして、長時間に渡る大会もクライマックス。ついにメインイベントの時間がやって来た。
「本日のメインイベント、アーキバスヘビー級選手権試合、六十分一本勝負を行います」
 リングアナウンサーのコールに、全員が入場ゲートに釘付けとなる。挑戦者であるフロイトの入場だ。入場曲が流れると同時に、会場が大・フロイトコールと手拍子に包まれる。そしてフロイトが、一年ぶりにコスチューム姿でファンの前に現れた。スリットの入った膝上丈のトランクス、脛が隠れる長さのリングシューズ。青を基調としたその衣装は、数度のマイナーチェンジはあったもののずっと変わらない、フロイトの代名詞のようなものだった。上半身は一年前と変わらず……いや、より一層鍛え上げられ、美しく引き締まっている。コンディションは最高だ。
 挑戦者は、伸ばされるファンの手にタッチしながら花道を行く。その表情は、玩具で遊ぶのを心待ちにしている子どものように無邪気で、しかしほんの少しだけ狂気を孕んでいる。
 コーナーポストに上ると同時、リングアナウンサーが〝青の錠前師〟フロイトの名をコールする。一年ぶりのその姿に、ファンは歓喜の声を上げる。中には涙を流す者もいた。スポットライトを浴び、コーナーポストでポーズを決める彼の姿は、あまりにも一年前と変わらなかったから。ただ一つ違うのは、彼の腰にあったはずのものがないことだけ。
 フロイトが青コーナーに背を預け、視線を入場ゲートに向けると同時、会場の照明が落ち、スネイルの入場曲が会場に響いた。スポットライトが照らす入場ゲート、現王者が堂々と姿を現した。会場にいる全員の視線を一身に浴びながら、自身が巻くベルトを見せつけるように、スネイルは両腕を広げた。重く豪奢な紫のガウンが広がり、ベルトの輝きを引き立てる。ベルトの下では、紫のショートタイツが、逞しく鍛え上げられたスネイルの脚を際立たせていた。脛を覆う編み込みのリングシューズはスネイルのこだわりだ。靴紐を結ぶ時間は静かで、試合前の昂りを抑える儀式に近い行為になっている。
 スネイルの思いはただ一つ。フロイトを下し、このベルトを守ることだ。アーキバスプロレスリングの至宝とも呼ばれる、アーキバスヘビー級のベルト。このベルトを賭けて、今まで何人もの強者が戦い、そして高め合ってきた。その重みを背負うのは、アーキバスプロレスリング一筋、デビュー当時からずっとこのリングだけで戦い続けてきた、自分のような選手こそが相応しい。このスネイルには、それだけの力も自負もある。その決意を胸にリングへと続く花道を歩くスネイルの視線は、青コーナーで待ち受けるフロイトに注がれていた。
 リングのど真ん中、リングアナウンサーが〝紫の果てなき信仰〟スネイルの名を呼ぶ。コーナーポストに上り、大観衆に向けて自身のベルトを高々と掲げる。皆がフロイトの活躍を見たいのだろう。王者への歓声はあれど、フロイトに向けられるそれより熱量は低い。だとしても、私は私の強さを示すのみ。スネイルはコーナーを降りると、青コーナーにもたれかかったままのフロイトの元へ歩み寄り、自身のベルトを掲げた。これは、お前のものではない。私のものだ。この試合が終わった後も、ずっと。――そう宣言するように。


 ベルトが返還され、両者はリングの上で向かい合った。青のフロイト、紫のスネイル。ゴングが鳴ると同時に、二人の戦いに立ち会う観客たちは二人の名を口々に叫んだ。しかし圧倒的なフロイトコールの前に、スネイルへの声援は掻き消されてしまっている。だが、それでも良かった。その中でこの男に勝ってこそ、このベルトの価値は高まるというもの。
 鳴り止まぬ歓声の中、二人は互いの腕と首を掴み、がっしりと組み合った。まずは力比べ。体格と体重はスネイルに分がある。二人は腰を落とし、互いの体を全力で押し合った。隆起した背中と腕の筋肉を見る限り、フロイトも決して見劣りしていない。だが、じりじりとフロイトの体はロープ際へと押し込まれ、ついにその背中がロープに触れた。レフェリーがロープブレイクを指示する。スネイルは両手を上げ、フロイトの胸板へ宥めるように手のひらをそっと当てると、ゆっくりと後方へと下がった。王者には追撃など必要ない。そう言いたげに。
 フロイトは嬉しそうに薄く笑うと、もう一度だとばかりにスネイルにロックアップを仕掛けた。力比べで敵わないことはわかったはずだ。だが応じるのも王者の役割。二人は再度組み合い、しかし今度はフロイトが素早くヘッドロックの体勢に持ち込む。ギリリと米神を締め上げられ、スネイルの眉根が寄る。最初の力比べでは勝ったものの、フロイトは以前より力を増している。太くなった腕での締め上げの強さは、一年前とはまるで違う。フロイトも確実に仕上げてきている。逃れようとスネイルはフロイトをロープへと押し込んだ。そのままフロイトを逆側のロープに振り、スネイル自身はリングの真ん中で迎え撃つ。ロープの反動を利用しての勢いのついたラリアット。それを喰らっても尚、スネイルは一歩も動かない。立派な二本の脚で仁王立ちになり、驚きに見開かれたフロイトの首元へ強烈なエルボーを叩き込んだ。凄まじい衝撃にフロイトはその場に倒れ込む。スネイルもまた一年前とは違っていた。力に裏打ちされた強さは、より洗練されている。立ち上がったフロイトは、実に楽しげに、目を見開いて笑っていた。
 やはり、一年間待ったのは正解だった。嫉妬と羨望を向ける相手を失って、スネイルはずっと強くなった。自分が挑戦するに値する王者に成長してくれた。今のお前となら、最高の試合が出来る――
 フロイトは今までのプロレス人生で一番と言っていいほどに目を輝かせ、目の前の壁に向かって全身をぶつけていった。


 フロイトは、受けることを恐れない。痛みでさえ、戦いの中では喜びだった。だからこそ、自分を容赦なく打ち抜いてくるスネイルとの戦いが好きだった。
 他団体から移籍してすぐに組まれたスネイルとのタイトルマッチ。当時の絶対王者と呼ばれていたスネイルを、フロイトは軽々とねじ伏せて見せた。フロイトの必殺技〝ロックスミス〟で首と肩を固められ、スネイルは失神。レフェリーストップによる敗北を喫した。
 試合後、ベルトを腰に巻いた新王者を憎々しげに見つめるスネイルに、フロイトはこう言った。
「思ったよりつまらない男だったな、スネイル」
 それから歴代最多防衛記録となる十二回、フロイトはベルトを防衛し続けた。その間、スネイルは三度フロイトの持つベルトに挑戦したが、いずれも敗北。しかし、計四度の戦いを経ても、フロイトはスネイルのプライドを打ち砕くことは出来なかった。
 ベルトを失い、ファンからの支持と声援を浴びるフロイトを横目に忸怩たる思いを抱えながらも、それでもスネイルが戦い続けられたのは、ただ、自身の強さと、アーキバスプロレスリングの生え抜きとしての誇りを示したいという思いからだ。つまらないなどとはもう言わせない。無様を晒したりもしない。今度こそフロイトを倒してみせる――
 リングの上のスネイルの一挙手一投足から伝わってくるのは、そんな真っ直ぐな思い。
 そんなスネイルだからこそ、フロイトは何度もスネイルの挑戦を受け入れたのだ。戦いを重ねる度、スネイルはより強くなった。そしていつしか、再び王者となったスネイルと戦ってみたいと、フロイトはそう思うようになっていった。記録やファンの支持など、フロイトにとってはどうでもいいことだった。それら全てを投げ捨てて、フロイトは姿を消した。スネイルとの最高の戦いのためだけに。


 交差するドロップキック、スネイルの丸太のような脚による凄まじい足四の字、フロイトの華麗なムーンサルトプレス。汗が霧のように弾け飛ぶ激しい攻防の末、ベルトがどちらの手に渡るのか……
 その結末は、またの機会をお待ちください。ありがとうございました。


つづく