ぬす
2026-03-11 18:41:42
4825文字
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野良猫

お題箱でいただいたネタで書いたもの。泣くンポの夢。

 にゃあ、と愛らしい呼び声がした。
見下ろせば路地の入り口で一匹、ぶち柄の猫が鳴いている。
首輪らしきものはついていない。おそらく野良猫だろう。
だとすれば餌のおねだりだろうか。
だがしかし、野良猫への無責任な餌やりはよろしくない。
彼らが生きていくために、私は心を鬼にした。
「可愛いけど、ごめんね」
 もう一度にゃあという声がした。
足元に転がったりスリスリと身体を擦り付けたりと可愛らしいアピールをして、心が揺さぶられてしまう。
餌やりはダメでも、少し触るぐらいなら。
魔が差して、手を伸ばして触ろうとすれば猫はするりとその手を避けてまた路地へと戻っていく。
「行っちゃうの?」
 またにゃあと鳴いて、私を誘うようにちらちらと振り向く。
まさか、ついてきてほしいのだろうか?
この子についていった先で猫の集会があったり?
都合のいい妄想をして、その愛らしい誘惑に乗る。
足音も立てず奥へと向かうその子を追って、狭い路地を突き進む。
つんと立った尻尾は猫じゃらしならぬ人じゃらしだ。
そうして追いかけた先で、猫が立ち止まりにゃあと鳴く。
……え」
 足元に転がっていたのは見知った人間。
虫の湧いたゴミ箱に凭れ掛かって、虚空を見つめるサンポ・コースキだった。
数匹の猫が彼の周りでゴミを漁って、こちらに気付いて一斉に逃げ出す。
まるで彼のことはゴミ箱のひとつとでも思っていたかのような反応だ。
「ちょっと、大丈夫!?」
見たところ外傷は無さそうだ。血や痣も見当たらない。
酔っているのだろうか?それにしては酒の臭いもない。
ぼんやりとして、まるで壊れた人形のようだ。
あまりにも異様な姿に心配して手を伸ばせば、自動機兵が外敵に反応するかのように私の手首が掴まれた。
……あ」
 そこでやっと気付いたかのように、目に生気を宿して私を見上げる。
すぐにいつも通りの貼り付けたような人懐こい顔になって、「これはこれはお得意様!」と大仰な声をあげた。
……なに、してたの」
「少しぼーっとしておりました!
 あなたにもあるでしょう?夕食の献立をぼんやりと考えてみたり。
 ええ、このサンポも次は何の商売をしようと考えていたのですよっ!」
 先程まで虚な目で転がっていたとは思えない程にペラペラと言葉を並べ立てるサンポだが、そこからは焦りが見て取れた。
おそらく彼が人に見せたくない姿を私は見てしまったのだろう。
このまま何事もなかったかのように立ち去るべきか、それとも――少し悩んでから、良心に頼って結論を出す。
……サンポ、今から私の家に来れる?」
「え?ええ、それは勿論!
 お姉さんのためなら、どこへだって駆け付けますよ!」
 彼は私にとって特別な人でもなければ、私も彼にとって特別な人間ではないのだけれど――それでも放っておくことができなくて。
立ち上がった彼の足元でぶち柄の猫が身体を擦り付けて、そして去っていった。



「それで、本日はどういったご用件で?」
……えっと」
「どうぞ遠慮なさらずに!
 このサンポを家に招いたのですからそれなりの事情がおありでしょう?
 人には言えない頼みでも、僕ならご存知の通り!ですよ」
 いかにも稼ぐ好機とばかりに声色を変える彼の態度に、すでに家に上げたことを後悔し始めている。
私が馬鹿だった。彼と私は商人と客の関係でしかないのだから、こうなるのが当然だ。
時間を使って一銭にもならない。良心にすら幻滅されそうだ。
しかしやはり先程の姿が胸に引っかかっていて、このまま帰す気にもなれなかった。
とりあえず温まる飲み物を、とシナモンと蜂蜜を入れたホットミルクを出して彼の口に蓋をする。
……とりあえず、上着脱いで。身体、見せて」
「えっ!?このサンポ、身体を売るような真似は……!」
「ち、違う!やめて!冗談じゃない!馬鹿じゃないの!」
「ふふ、揶揄ってみただけです。
 はい、どうぞ。じっくり見てください」
 男を金で買うなんて考えたこともない。
その妙な発言のせいで彼の身体を見るのも何だか居心地が悪く感じる。
露出した腕や脇腹に傷はない。脚は先程特に引き摺ることもなく歩いていたからおそらく大丈夫だろう。
インナーまで脱がすわけにもいかず胴体は少し触っての確認になったがこちらも問題なさそうだ。
「ナターシャさんに連絡はしなくてよさそう、かな」
「ええ、傷ひとつないでしょう?
 こちらも脱がせて見てくださっても構いませんよ?」
「本当にやめてったら!変態みたいなこと言わないで」
「おや、冗談はここまでにしておきましょうか。
 お姉さんだと思っていましたが、まだお嬢さんだったのかもしれませんね」
 先程からやけに私を煽るのは、彼もこの空間を居心地悪く感じているからなのだろうか。
どう考えても先程のサンポはおかしかった。
きっと、そのことにあまり触れられたくないのだろう――このまま何も聞かずに返すべきなのだろうか。
彼と私はお世辞にも恋人や友人のような親しい関係とは言えない。
それなのに男を家に招くなんて私も気が動転していたのかもしれない。
ホットミルクを一口飲んで、逃げるように彼から目を逸らす。
「そんな顔しないでください、お姉さん。
 サンポを心配してくださったのでしょう?」
……別に。
 何もないなら、それでいいから」
「ふふ、お姉さんは優しい方ですねぇ。
 勿論、僕は前から気付いていましたよ!」
 彼のそれが褒め言葉だとはとても思えない。
普段の彼は狡猾だ。人の情や甘さにつけ込んで、詐欺行為を働くこともあるという。
それ故に彼にものを頼むときはいつだって慎重に行動していたが、今日は明らかに間違えてしまった。
心配なんて、彼の前で隙を見せたも同然だ。
「実は僕、最近よく思うのです」
「うん?」
「何年も世の中を歩き回って、本当にもう……
 何となく、嫌な予感がした。
今の私は彼にとって絶好の獲物のはずだ。
なんせ、彼の人となりを思い出して尚あのゴミ箱の前での姿が忘れられないでいるのだから。
同情を誘って妙な話をされてもおかしくない。
そうして身構えた時、彼の目から一筋の涙が零れ落ちた。
……えっ?」
 驚きの声をあげたのは、私ではなく彼だった。
次々はらはらと零れ落ちるそれを手で拭って受け止めては、訳がわからないとばかりに狼狽える。
最初はその涙も演技かと思ったが、どうやら様子がおかしい。
自分でも抑えが効いていないような、そんな泣き方をしている。
……ティッシュ、好きに使っていいよ」
「は、はぁ。ありがとうございます」
 どう声を掛ければいいかわからなかった。
商人と客の関係で彼に何が言えるだろうか?
頑張って?無理しないで?泣いてもいいよ?どれも空っぽの音になるだろう。
背中を撫でる?彼を抱きしめる?それをするような間柄ではない。
せめて一人にしてやろうか、と席を立った私の袖を、彼がそっとつまんで引き留める。
立ち止まって振り向けば、間違えたとでも言うように手を引いて。
「サンポ?」
……すみません、側にいてくれませんか」
 潤んだ瞳で見つめられて、さすがに無下にもできないと彼の隣に腰掛ける。
だが、泣いている人の励まし方なんて知らない。優しい話で気を紛らわせることもできない。
私にできることは何もない。ただ黙って、側にいるだけ。
「肩をお借りしてもよろしいですか」
……いいけど」
 こてん、と首を傾げるように彼の頭が私の肩に預けられる。
その大きな手で顔を覆って、涙を見せないようにして。
だがしかし、零れ落ちるそれは止められずに時折私の肩にもぽたりと落ちてくる。
その涙の理由も知らぬまま、理解してやることもできないままにただ彼の隣で目を閉じる。
「何も聞かないんですね」
「話したくなったら勝手に話すでしょ」
「はは、それはそうだ」
 泣いてる人間に素っ気なかっただろうか、と少し反省したりして。
無理に笑わせる必要はない、泣きたいだけ泣かせておけばいいのだと自分に言い聞かせて、彼の涙が止まるのを待つ。
「すみません、もう、疲れてしまって」
……そう」
 その言葉がやけに胸をざわつかせて、何もできない私を動かそうとする。
やはり抱きしめてやるべきだ、せめて手を握ってやるべきだとありきたりな励まし方を脳内に提示して、酷く騒がしい。
もし彼の言葉が真実なら、今はただ黙っていてやるべきだ。少なくとも、私はそう思う。
疲弊した人間にとっては善意さえも疎ましいものになり得るのだから。
 無力感故の焦燥から酷く喉が渇いているのに、ホットミルクに手が届かない。
きっともう冷め切ってしまっているのだろう。
彼に出したマグカップに目をやれば、最後の一口分だけが底に残されていた。



……サンポ?寝ちゃったの?」
 すぅ、と穏やかな息が聞こえた。
いつの間にか私の肩を震わすことはなくなって、重みと温もりだけがそこにある。
こつん、と頭で小突いてやれば彼の口から笑い声が漏れた。
「起きていますよ。あなたの隣は居心地が良くて、つい」
……やめて。なんか恥ずかしいから、それ」
「ふふ、素っ気ないように見えて優しいんですから、お姉さんは」
「泣き止んだなら顔でも洗ってきたら」
 確かに、と立ち上がって彼が洗面所に向かう。
初めて家に招いたというのに随分と馴染むのが早い男だ。
戻ってきた彼の顔からは涙の跡は消えていて、しかし目の周りは少しだけ赤く色付いていた。
「ああ、どうしましょう。これではお客様の前に出られませんね」
 それぐらい、誰もわからない。
見て察するとしたらナターシャさんやオレグさんぐらいだろうか――なんて考えて、彼の口元が笑っていることに気付く。
調子が戻ってきたのだろう。私も切り替えなければ。
「さて、お姉さん。僕に用があるんでしたね?」
「まだ続けるの?その話。
 私がなんであなたを呼んだか、もうわかってるでしょ」
「はは!ええ、ご心配おかけしました。
 勿論、全てわかっていますよ。はじめから」
 全く頭が痛い。
この男が調子を崩していなければ今頃私もネイビーブルー詐欺被害者の会の一員だ。
善意や良心というものはいつだって人に隙を作る。
彼のような男の前では、賢くあるべきだというのに。
「そう睨まないでくださいよ!サンポは嬉しいです。
 お姉さんの意外な一面が見られましたからね!」
「こいつもそのうち騙せるなって?」
「そんな失礼なこと考えていませんよ!
 ご存知の通り、僕はただの行商人です。騙すだなんて、そんな」
「その昔、レイビニーの絵が欲しいって言った私に自分で描いた風景画を持ってきた男がいてね」
「いやぁ、はは、アハハ……あれはほら、ジョークじゃないですか!」
 もう温かさのなくなってしまった最後の一口のミルクを飲み干して、ジャケットを羽織った彼が玄関へと向かう。
もう用は済んだ。引き止める理由もない。
見送るために私も玄関に出て、扉を開けると外の冷気がぴゅうと吹き込んで思わず縮こまってしまった。
寒い。せめて上着はちゃんと着てから出た方がいい。
「ホットミルク、ご馳走様でした。
 次もまたあれが飲みたいです」
「え?まあ、いいけど……コーヒーとかじゃなくて?」
「ええ、蜂蜜とシナモンの入ったホットミルクを」
 そう残して、下層部の薄暗さの中に彼の色が溶けていく。
彼が去った部屋で一人、自分のマグカップに口をつけてミルクの味を確かめる。
冷めて尚柔らかな甘みの残るそれが彼の好みだとでも言うのだろうか。
意外と可愛らしい一面もある、なんて微笑んでしまって。
彼が「次」の約束をしたことに気付いたのは、マグカップを二つ洗った後のことだった。