詳細は省くが、とてつもない労力と努力の末、地球連邦政府とネオ・ジオン軍は無事に和平が結ばれた。互いに戦争していたので、もちろん軋轢も大きく、笑って手を取り合うのも表面上のものではある。しかし仮初だとしても、平和であることはやはり、多くの人々にとっては喜ばしいことだった。
さて、条約締結やら会議やらが落ち着き、余裕が出て来たら次に何が始まるのかと言うと、上流階級たちのお遊び、あるいは腹の探り合い、もしくは権力の誇示である。
やれ交流会を、やれ友好を示すパーティーを、と次々に似たような話が舞い込んでくるものだから、シャアはうんざりしていた。もちろんそこから得るものもある。そういった場では政府の高官だけでなく、他分野の権威者なども集まる。新たな人脈を築くこともできよう。シャアの立場上、とても重要な仕事だ。
億劫ではあるが、参加すること自体に異論はない。問題は、社交の場で往々にして求められる同伴者だ。公の場でもあるので、本来ならば配偶者や恋人などのパートナーが望ましい。色々と都合が良いのは、部下であり、関係を持っていたナナイ・ミゲルだが――今となっては出来ない選択だった。
シャアは今、地球連邦軍大尉であり、特使として指名したアムロ・レイに交際を申し込んでいるのである。その際に彼女とはすっぱり関係を清算した。何か言いたげなナナイの表情を覚えている。ぐっと唇を噛んでから、諦めたように微笑んで受け入れた彼女は本当に出来た女だった。初めから、聞き分けの良い女を求めていたシャアの本音を察していたのだろう。――結局、彼の心が女のそばに無いことも。
ちなみにアムロ側の返事は保留されている。相手側のトップに指名されてしぶしぶ仕事にやって来たら求愛されたのだ。「私が? 貴様と? 恋人に? ……正気か?」が第一声だった。シャアを因縁の相手としか思っていなかった彼女にとって、まさに青天の霹靂だったので若干青褪めていた。
そんな経緯があるので、シャアは素直にアムロに同伴を頼んだ。あわよくば関係の進展も望んでのことだ。「君と私が並んでいればそれだけでも和平の象徴と言えるだろう?」などとそれらしく嘯いてみれば、彼女も不承不承と頷く。
かくして、表向きには両軍の架け橋とも言える二人の、晴れやかな晩餐会参加が決まったのである。
*
――鏡の中にいるのは、見慣れた『アムロ・レイ大尉』ではなかった。
「うわ……」
「まあ、大尉。なんですかその表情。歯を見せない! 口角を少し上げて、柔らかく、お淑やかに!」
「う……ハイ……」
引き攣った笑みを浮かべてしまったアムロにぴしゃりと叱咤が飛ぶ。ピンと美しく伸ばされた背筋ときりりと整えられた眉が印象的な、社交界のマナー講師である。パーティーに参加すると決まってから、シャアがわざわざ連れてきた女性だ。その隣には、これまたシャアが雇ったスタイリストが、講師の指導に辟易としているアムロの姿に苦笑している。
「よろしいですね? もう本番なのですから! まったく大尉ときたら、何度言っても背中を丸めてしまって。胸を張りなさい、目線は前に……」
「まあまあ、先生。でも、ほら! 今の大尉なら例え壁の花になったって、総帥に見劣りなんてしませんよ!」
スタイリストがパッと花開くような笑顔で「総帥もお呼びしましょう! きっと驚きます!」と続ける。アムロは再び引き攣りそうになった頬をなんとか留め、講師に口酸っぱく指導された通りに、努めて柔らかく微笑んだ。
普段の彼女は、鎖骨あたりまで伸ばした髪を適当に束ね、顔には身だしなみ以上の色はのせない。石鹸の香りと少しの保湿、そして最低限のナチュラルメイク。それが人前に出る時の彼女の姿だった。
――――しかし今、目の前にいる鏡の前に立つアムロは、プロのスタイリストの手によって、すっかり姿を変えている。
その身を包む燃えるような赤いドレスは、明らかに新生ネオ・ジオン総帥の軍服を意識したものだ。
パーティーの参加が決まった時期から徹底してケアされた肌はしっとりと潤み、内側から輝くような瑞々しさを感じさせる。
瞼に差されたのは深いゴールドのアイシャドウと、鋭く引かれたアイライン。垂れ目気味で優しい印象を与える目元が凛と彩られ、彼女の意志の強い瞳をさらに強調していた。
唇には、これまで一度も塗ったことのない艶やかな真紅のルージュ。いつもはあちこちに捻れてしまう天然パーマは整髪剤で抑えられ、丁寧に編み込まれている。わざと落とされた一房が露わにされたデコルテに影を落とし、不思議な色気を感じさせた。
純朴なアムロ・レイを塗り潰し、仕立て上げられた美しい貴婦人――ともすれば、幼さの抜けない面立ちから、どこぞの令嬢のようにも見えるほど、美しい花。
鏡の向こうに立つ女が自分に思えず、アムロはそっと目を伏せる。本人が意識していないその仕草すら、物憂げな色気を感じさせた。
「驚いたな……君は化粧映えするタイプだったのか?」
「! シャア」
スタイリングが終わった旨を聞いたのだろう、シャアが部屋へと入ってくる。
彼はシックなフォーマルスーツを身に纏っていた。赤い軍服が印象強いが、暗い色合いでは彼の端正な顔立ちや美しい金髪が映え、より一層大人の男の色気を引き立たせているようだ。アムロは見慣れた男の見慣れない姿にほんの少し息を呑む。
「よく似合っているよ、アムロ」
近付いてきたシャアがキザなセリフと共に、スッと手を差し伸べる。アムロが意味を捉えきれずに固まっていると、講師が「大尉、手を」と小声で助け舟を出した。アムロが慌ててシャアの手に重ねるように手を差し出せば、彼は低く笑いながら、そっと手背に口付ける。
「では、行こうか。美しい人」
「あなた……本当にキザだよね」
呆れたように漏れ出た淑やかさのかけらもないアムロの言葉に、講師から「大尉!」と飛んだ叱責の声は、シャアの吹き出すような笑い声にかき消されていった。
*
会場の扉が開いた瞬間、ざわめきが止まる。
赤い彗星、シャア・アズナブルの隣に歩むその女性の――あまりの変貌ぶりに誰もが目を奪われたのだ。
「そんなに険しい顔をするな、アムロ。せっかくの化粧が台無しだ」
エスコートするシャアが、耳元で低く囁く。彼は外向きの完璧な微笑みを崩さない。
アムロは窮屈なコルセットと、慣れないヒールに苛立ちながら囁き返した。
「ふん。こういう派手な見せかけは、いかにもネオ・ジオンの総帥らしいな」
真紅のドレスが翻る。誰もが思い浮かべる、新生ネオ・ジオン総帥の色。一年戦争で熾烈な戦いを繰り広げた二人のことは、様々な媒体で娯楽のように拡散されて久しい。そんな因縁の二人が寄り添って歩いているだけでも人々の目を引く。
「いいや、私の指示ではない。だが……認めざるを得ないな。君が本気で装えば、これほどまでの美しさを持つとは」
――なによりも、偉丈夫である彼の隣に立ってなお見劣りしないアムロ・レイという女。
煌びやかなシャンデリアの下、完璧にメイクアップされたアムロは、まさに社交界の華だった。連邦の官僚もジオンの重鎮も、彼女が『白い悪魔』と呼ばれたパイロットであることすら忘れ、その美貌に見惚れている。
立食形式のパーティーで、シャアはアムロを伴って方々との挨拶を交わした。微笑みの下で腹の探り合いのような雑談を繰り返すシャアの姿に、アムロは口に出さずに感嘆する。彼女はあくまで同伴であるため、シャアのとなりで微笑み軽く挨拶する程度だったのだが、それでも目に見えてその表情には疲労の色が浮かんでいる。だと言うのにシャアは疲れも見せず――つまり一切の隙を見せない。本当に何でもできる男だな、と思う。
フロアにダンス用のミュージックがかかる頃、挨拶回りが落ち着いた二人はバルコニーの冷たい風に当たっていた。慣れない喧騒や好奇の眼差しからようやく逃れたアムロは、思わず深く溜息を吐く。
「……もういいだろう、シャア。役目は果たしたはずだ」
すっかり草臥れた声でアムロが言う。くるりと上向きにされた睫毛が重たくて仕方がない。彼女はつい、指で瞼をこすろうとした。しかしシャアがその手を制する。細い手首を彩るブレスレットがしゃらりと月明かりに反射して煌めいた。
「やめなさい。ラインが崩れる」
「……こんなもの、私じゃない。私をわざわざこんな風に着飾らせたのは、あなたの満足のためだろう」
皮肉混じりに笑うアムロを、シャアは静かに見つめた。シャアの隣で微笑むアムロに、不躾な視線はいくつも刺さっていた。時に連邦側の参加者に絡まれては「いやはやアムロ大尉、見違えましたな」「軍人然とされていたのに、これは美しい」とテンプレートのように声をかけられている。そうして彼らは、ほんの少しの嘲りを込めて言うのだ。
――「誰か、好い人に『女』を教えられたのですかな?」
「面白かったか? シャア。私を『女』に堕としたって思われるのは」
「馬鹿を言うな」
街灯の光が、濃密なメイクを施された彼女の横顔を照らす。
美しい女である。非の打ち所がないほどに。邪推に心を痛め、遣る瀬無さと悲しみを湛えたその瞳すらも。
だが――、シャアは、そっとアムロの頬に手を添える。化粧に覆われた、美しい仮面の肌は夜風に吹かれて少し冷えていた。
「……確かに、今の君は綺麗だ。私のために着飾り、隣を歩いてくれたことは……私の自尊心を、……ああ、満たしてくれたとも」
シャアの言葉に、アムロはわずかに目を細め、寂しげな色を浮かべた。諦観の眼差しが足元へ落ちる。それを留めるように、「だが、」とシャアの声が続く。
「私にとっては……少し、遠すぎるな」
「……遠い?」
シャアが頷く。青い瞳は、夜の暗さの中でも内側から輝くように真剣な意志を映し、目の前の女を見つめている。
「私が最初に惹かれたのは、ガンダムに乗った君だ。顔も、声も知らない。性別すら知らなかった君だ。……私が交際を申し込んだのは、いつまでも少女みたいな童顔で、食事を疎かにして機械弄りに没頭する、素顔のアムロ・レイだ」
「……悪かったな、童顔で」
「ふふ、それも君の魅力だということだよ」
シャアの指が、彼女の唇の紅をなぞるように動く。ただの男女にしては深い接触に、しかしアムロは拒絶を示さなかった。
「この完璧な化粧は、君の内にある純粋さを隠してしまう。だから遠い。……私は、君の飾らない、剥き出しの魂にこそ惹かれているのだから」
アムロは、あまりにも直球な言葉に一瞬息を呑み、それから顔を赤らめて、シャアから視線を逸らした。せっかくプロが仕上げたチークの色が、さらに濃くなる。
「……相変わらず、勝手な男だ。派手にしろと言ったり、素顔がいいと言ったり」
「私に勝手を許したのは、君だろう?」
シャアは愉快そうに笑うと、今度はエスコートではなく、一人の男として彼女の手を取った。
「アムロ、君の答えを聞きたい。……その、もし、もしもだな。許してくれるので、あれば……ホテルのスイートルームを、予約していてな……」
「……へえ?」
「君の、その女の武装を解いて……いつもの君に戻るのを見届けたいと……思って、いるんだが……」
「ふ、……あははっ」
「アムロ……」
あけすけに下心を隠さず口説く男に、アムロは吹き出した。『百戦錬磨です』みたいな顔をしておいて、こんなにも不器用に誘うことがあるだろうか。
くすくすと笑って、そうしてアムロの腹は決まった。ずっと保留にしてきて、そのまま忘れられてたらいいなとこっそり考えてすらいた、シャアの告白への返事。ここまで言われてしまって、何も感じないほどアムロも無垢ではない。
「はは……うん、うん。――いいよ、シャア」
「!」
「私もあなたのこと、……嫌いじゃない。あなたが優しいことも、ずっと知ってるから」
まだ、真正面から愛を語るには気恥ずかしい。
予約されたスイートルームで行われるであろう彼是を察していながら、純朴さを捨てきれないのがアムロであった。
「えっと……これから、よろしくお願いします?」
「アムロ……ッ」
交際の了承を告げる言葉に、シャアが喜色満面で勢いのままアムロを抱き締めようとして、ぴたりと止まる。流石に、誰が来るともわからぬバルコニーで、人々の話題の種をいたずらに増やすわけにはいかない。そのあたりの分別はしっかりしている彼は、ぐっと拳を握って堪えていた。
アムロは、シャアの葛藤を知ってか知らずか、その拳にそっと自身の手を乗せる。
マナー講師の指導のひとつ……否、これは指導ではないのかもしれないけれど。『淑女らしさ』とかけ離れているような気もするけれど。とにもかくにも、講師は『イイオンナ』の文言をひっそり教えてくれたのである。実践する時だと意気込み、アムロは一歩、シャアへと近寄る。彼の手を引き、自然と前屈みになってくれた男の耳元に、吐息と共に吹き込む。
「――…優しくしろ、よ?」
直後、シャアの米神にびきりと血管が浮いたのを見たアムロは「あれ、違ったかな……」と呑気に首を傾げていた。
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