Ca(か)
2026-03-09 23:35:42
12322文字
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きみに届く挽歌・3 (一途な鳥の話・改題)

大晦日の昼下がり、迷子の少女と「一途な鳥」について話すアルハイゼンの話


 午後二時過ぎ。
 すっかり日の高くなったトレジャーストリートは、普段ならまだそれほど混まないものだが、大晦日ともなれば話は別らしい。
 年越しの食料品や新年飾りを買い求め、大勢の人が道いっぱいに広がりながらお目当ての品を探して行き交うさまを、アルハイゼンはベンチに座ってぼんやりと眺めていた。
 右横に、ひとりぶんの隙間を開けて座る――瞑彩鳥のぬいぐるみを抱えた少女と一緒に。

……
……

 わいわいと賑やかな年末の雰囲気とは裏腹に、ふたりの座るベンチには先ほどから沈黙が流れている。
 保護者とはぐれて迷子になったらしい少女は、横に座る知らない大人――アルハイゼンのことを警戒している様子で、ぬいぐるみをつぶれんばかりに抱きしめたまま地面の一点をじっと見つめている。もしここにいるのが自分ではなくカーヴェだったなら、メラックと一緒におどけてみせたり、地面に絵を描いたりして少女の警戒を解きながら「大丈夫、すぐに合流できるさ」などと声をかけるのだろうが――うん。自分には向いていない、とアルハイゼンは小さく肩をすくめた。
 横目で時計を窺い見れば、ベンチに座ってからまだ十分も経っていない。「すぐ戻るから」と言い残して三十人団の本部であるレグザー庁へ駆け出したカーヴェはいまだ帰ってくる気配もなく、アルハイゼンはただひたすら、道行く人々の好奇の目に晒され続けている。横にいるのは迷子なのだし、保護者の目に留まるかもしれないことを思えば衆目にさらされるのも悪いことばかりではないものの、そういった狙いをよそにどうも周囲の視線はアルハイゼンのほうにばかり集まっているようだった。気分はさながら柵の中の珍獣である。
 そもそも、どうして自分がここに残ったんだったか――
 アルハイゼンは今だ動かざる少女を視界の端に捉えたまま、この不思議な状況の発端となったつい数分前の出来事を思い返してみた。


……なあ。あの子、もしかして迷子なんじゃないか?」

 年末年始のおこもりに備えた買い出しの途中、不意にカーヴェが声を落としてアルハイゼンの裾を小さく引っ張った。
 抱えた紙袋から酒のつまみが転げ落ちないように気を付けながら、アルハイゼンはカーヴェのほうへと耳を寄せた。

「迷子?」
「ほら、あそこの……おさげ髪の子だよ。ぬいぐるみを抱えて頼りなさげに歩いてる」

 アルハイゼンは促されるまま、カーヴェが指さす先に目を向けた。
 するとそこには七、八歳くらいの少女がいて、デフォルメされた瞑彩鳥のぬいぐるみを抱えながらふらふらと歩いていた。時折足を止めては自分の周りを行く人々を不安そうに見上げる様子から、たしかに誰かを探しているように見える。

「周りに保護者は……いや、いないな。子どもを探していそうな人が見当たらない」
「ふむ。いないといえば、巡回の三十人団も見当たらないな」
「言われてみれば――いや、そういえばさっき、グランドバザールのほうで揉め事があったって小耳に挟んだな。そっちに人を回したのかもしれない……ああもう、間が悪いな」

 カーヴェがもどかしそうに眉を寄せて短く嘆息した。
 普段は治安の落ち着いているスメールシティも、こういった特別な時期にはどうしてもちょっとした衝突が起きやすくなる。大きな事件や事故になる前に対処しようと三十人団も奔走しているようだが、彼らの人手も無尽蔵ではない。
 おそらく迷子なのだろうあの少女にしても、自分たちのようなどこの誰とも知れない大人に声を掛けられるより、馴染みのある緑のスカーフを巻いた三十人団に保護されたほうが安心できるに違いない。
 でも――
 周囲を見回し、巡回の三十人団を探す視界の端で、少女の足がふいにぱたりと止まったのがわかった。
 抱きしめられている瞑彩鳥がむにゅりといっそう強く歪む。
 そして、俯く少女の小さな肩がふるりと一度揺れた――その瞬間、隣のカーヴェが一も二もなく駆けだした。

――ねえ、そこの君! もしかして迷子かな」

 突然目の前に現れたカーヴェに少女はびくっと身を縮こませ、目を丸くしたまま固まった。
 その様子にカーヴェはごめん、驚かせるつもりはなかったんだと慌てて首を振り、その場にゆっくりと屈んで視線を合わせた。

「誰かを探しているように見えたんだ。僕の勘違いかもしれないけれど」
……おじいちゃん、と、はぐれたの」
「そうか……それは心配だな。よければ僕も一緒に探すよ。おじいちゃんはどんな人か訊いてもいいかい? 髪型とか、服装とか、身長とか」
……

 少女は見知らぬ大人を警戒したのか、その問いに答えることなく半歩下がった。が、カーヴェの後ろから飛び出したメラックが心配そうに眉を下げてみせたのを見ると、涙をわずかに引っ込めて「かわいい」と小さく呟いた。
 ――メラック、頼めるかい。
 声を潜めたカーヴェがメラックにそっと指示を出す。メラックはディスプレイに笑顔をパッと浮かべると、少女へ向き直りピポ? とひと鳴きして体を傾けた。
 すると少女はメラックのやわらかな仕草にすこしだけ緊張を解き、ぽつり、ぽつりと祖父の外見について口にした。

「薄茶の髪に深緑の服、六十代……なるほど。メラック、周囲に特徴に当てはまる人はいるかい」
「ピ!」

 カーヴェの言葉にメラックはすぐさま広域スキャンモードに切り替わり、ふわりと高く浮かんで周辺一帯をスキャンした――ものの、結果は芳しくなかったらしい。残念そうにピッポとひと鳴きしながら、しおしおと力なく降りてきた。
 アルハイゼンも周囲の店内に該当の人物がいないかと辺りを見回したものの、やはり条件に一致する男性は見当たらない。
 しゅんと肩を落とす少女にカーヴェはまだ諦めちゃだめだ、と首を振った。

「きっとおじいさんも君を探してるはずさ。もしかしたら、先に本部まで迷子の届け出をしに行ったのかもしれない」
「ほんぶ」
「そう、三十人団のね。……よし、僕がひとっ走りそこまで行ってくるから、君はここでこのお兄さんと待てるかな」
……なに?」

 話が思いがけない方向に舵を切ったので、アルハイゼンは片眉をぐいと上げた。

「なんだよ。なにか問題があるか?」
「君がひとりで行ってどうする。彼女も連れていくべきだろう」
「それじゃおじいさんと入れ違いになっちゃうかもしれないだろ。それに見ろ、この混みようだぞ」

 カーヴェはそこでよいせと腰を上げ、アルハイゼンに促すようにもう一度、ごった返す大通りに目をやった。

「このあたりではぐれたなら、この子のおじいさんもここに来るかもしれないし、むやみに動き回らないほうがいい。それにどっちにしたってここには三十人団の手が回っていないみたいだから、やっぱり人を呼ぶべきだ」

 買い物客で溢れかえるトレジャーストリートの人波は引くことを知らず、気を抜けば大人でも連れ合いを見落としそうなほど混みあっている。このままでは第二、第三の迷子が出てしまうであろうことは誰の目にも明らかだった。

 「というわけで――

 カーヴェはアルハイゼンの目の前にぴん、と二本の指を立てて見せた。

 「この状況において、僕らがすべき行動はふたつだ。わかるな?」
 「……俺に選択権はないんだろう」

 ため息をつくように肩をすくめると、カーヴェはいいや、あるともと口端を上げてみせる。

「道中、声を張り上げておじいさんを探しながらレグザー庁に行くのと、この子とここでじっと待機しておくのと――君はどっちがいい?」

 そら見たことか、とアルハイゼンはじと目で訴える。
 差し出された二択は実質一択だ。どちらを選ぶかは言葉にするべくもない。
 アルハイゼンは短く息を吐き、それからカーヴェの持つ買い物袋を丸ごと引き取るべく、まだ空いているほうの腕を伸ばした。
 
 ◇◇◇
 
 ――いいか、君はただでさえ無愛想なんだから、この子を怯えさせるんじゃないぞ。座るときもすこし離れて……
 レグザー庁へ向かう前にカーヴェが念をやたらと念を押してきたのがよみがえってきて、アルハイゼンは心の中でふんと鼻を鳴らした。表でそれをやってはさすがに威圧的だろうということだって、わざわざ言われなくともわかっている。
 隣(と言うには隙間を開けすぎてはいる)に座る少女は当初と変わらずに、黙りこくって目を合わせない。彼女の緊張をほぐすためにも、せめてメラックには残ってもらったほうがよかったのでは……と、思ったところでもう遅い。メラックはスキャン係としてカーヴェのほうについて行ってしまったので、少女からははぐれた祖父の情報以外、彼女の名前すら聞けていないままだ。

 そうだ、名前――
 アルハイゼンはそこでやっと、自分がまだ名乗っていないことに気づいた。見知らぬどころか名も知らぬ人間は警戒されてしかるべきだろう。
 ということで、ひとまず名乗ることにした。

 「俺の名前はアルハイゼンだ。君の名前は?」

 少女はそこで、ちらりとアルハイゼンの目を見たものの、また視線を外してふるふると首を振った。

 「知らない人に名前や住所を言ってはいけないって、おじいちゃんが言ってた」
 「……なるほど」

 正しい。

 「それに、その名前もほんとうの名前じゃないかもしれない」
 「ほんとうの名前じゃない?」
 「悪い人は嘘の名前を使うことがあるって聞いた。私には、あなたがいい人か悪い人かわからないから、その名前もほんとうかどうかわからない」
 「……なるほど」

 大切に育てられているのだろう、少女の危機管理能力は警戒心と同じくらいに高かった。
 見れば少女はベンチにそれほど深く腰掛けておらず、それどころかいつでも駆けだせるよう、足を地面から浮かせないようにしている。アルハイゼンがすこしでも不審な行動を見せれば、すぐに走って逃げようという算段なのだろう。
 ここまで警戒されているのなら、無理にコミュニケーションを取らないほうがいい。そう判断したアルハイゼンが文庫本でも広げようかと腰を浮かせかけたとき――あっ、と少女がふいに小さく声を上げた。

「シンドスズメ」

 少女の視線の先、アルハイゼンのつま先の数センチ先に、茶色い頭をした小鳥がちょこちょこと跳ねながら歩いていた。いつだったか、ティナリも同じ鳥を見てそう呼んでいたのが思い出される。スメールシティは川に面しているから、水辺を好むこの鳥も頻繁に見られるのだとか。

「よく知っているな」

 アルハイゼンがそう言ったのは何気なくだったが、少女はそれを聞くやいなや初めて顔を上げ、それから鼻をわずかにふくらませた。

……おじいちゃんが生論派なの。鳥の名前をたくさん知っていて、私に教えてくれるから」
「君は教令院に通っているのか?」
「ううん、まだ。入学は来年――あっ」

 少女はそこではっとして、慌てて口をつぐむとまた瞑彩鳥をぎゅっと抱きしめた。気が緩んで話しすぎた、と思っているのか、今度は体ごとそっぽを向いてしまった。
 その頑なな背中に、アルハイゼンはどこか懐かしい、かつての友人の姿を見たような気がした。

 ――君なんかもう、知らないんだからな。
 少女と同じようにそっぽを向いて、ぷっくりと頬を膨らませていたのは遠い昔の――まだ共同研究に取り組むより前の、まだあどけなさが残るカーヴェだ。些細なことにむきになったカーヴェは、話が平行線になるたびに「もう知らない」と言ってはむくれていたものだった。
 そのくせアルハイゼンが「わかった」と深追いせずにひとりで本を読み始めると、ばつが悪そうな顔をしてちらちらと視線をよこしては様子を窺ってくるのだ。
 ほんとうはもっと話したい。
 けれど一度喧嘩した手前、引っ込みがつかない――……
 そんな意固地で甘っちょろい先輩のために、アルハイゼンは頃合いを見計らって、半ば独り言のように仲直りのためのパスを放ってやるのだった。

 「……知恵の殿堂に『アビディアの森の鳥類大百科』という本がある。よければ探してみるといい」

 えっ、と少女は小さく声を漏らして振り返った。

「お兄さんは、教令院の人なの?」
「ああ。今ここで身分証明はできないが」

 アーカーシャがあった頃には、所有者情報を呼び出すことで簡易的な身分証明ができた。やり方さえ知ってしまえばハッキングが可能な時点で信頼性に難ありではあるけれど。

「その本、前におじいちゃんが借りてきてくれたことがある。全部読みきれないまま返却期限になっちゃったから、入学したら読みたいと思ってた」
「そうか。あれにはごく最近、修正のメモが入っていたから、ちょうどいいと思うよ」
「ほんと!」

 少女は勢いよくアルハイゼンを仰ぎ見て、じゅうぶんすぎるほど空けていたベンチのスペースをぐいと詰めた。ついさっきまでかすりもしなかった目線が、いまはしっかりと合う。

「その本を知ってるってことは、お兄さんは生論派?」
「いや、俺は知論派だ」アルハイゼンは首を振った。「だから、鳥たちのことは俺より君のほうがよく知っているかもしれない」
「うそだ。私、まだ八歳だよ」
「知識に年齢は関係ない。興味、関心、意欲があれば、学び手が子どもか大人かはさほど重要ではないよ」

 たとえば――と、アルハイゼンはそこでおもむろに空を見上げた。
 年末の穏やかな風に仰がれて、水色の高い空に向かって小鳥たちが一斉に飛んでいくのを、少女も一緒になって見つめる。

「あの鳥たちについても、俺はなにも知らない」
「なにも……」大きな瞳がぱちりと瞬く。「名前も?」
「名前も」

 アルハイゼンが頷くと、少女は目を見開いて、口をむずむずさせた。
 ああ、この表情を知っている――
 アルハイゼンは懐かしむように、わずかに目を細めた。
 知識を蓄え始めた子どもが、新しく知ったことを誰かに教えたくて仕方がないときの、あの無邪気な衝動。言いたくてたまらない気持ちが体じゅうを駆け巡って、胸をどきどきさせたり、手足をうずうずさせたりしながら、子どもの小さな体の隅々にみるみる元気をみなぎらせる。
 知識は人の目的ではない。
 けれど、どんな高名な学者もきっと最初は、知の喜びにこうして心をそわそわさせたに違いない。

「君はあの鳥の名前を知っているのか?」
「うん。知ってる」
「よければ聞いても?」

 その一言が最後の一押しだった。
 少女の青い瞳がうれしそうにきらりと光る。
 わは、とたまらず綻んだ口端はもう上がらずにはいられない様子で、そっぽを向いたはずの体がふたたびこちらに向き直った。

「じゃあ……

 お兄さんに教えてあげる――
 
 ◇◇◇
 
「向こうでいま飛んだのはツグミ。たまにズバイルシアターの噴水近くに来てるの。あの子たちは渡り鳥だから春までには旅立つけど、それまではニィロウさんの舞台を一緒に見られるんだよ」
「ほう」
「あの高いところからこっちを見てるのは、ブッポウソウ。聖樹のうんと高いところに巣を作るの。飛ぶと瑠璃色の翼に白い風切羽が映えて、すっごくきれいなのよ」
「なるほど」
「それから、あっちの黒いのはハッカチョウ。瞑彩鳥みたいに人の言葉を真似する子よ。昔、おじいちゃんのお友達が研究のために飼育してたら、ケージ越しに瞑彩鳥と口喧嘩してたんだって」

 スメールシティのあちらこちらにいる鳥を小さな指で指してみせながら、少女はたくさんのことを語ってみせた。抜けた羽根のグラデーションのうつくしさや仲間内で交わされる鳴き声のトーンの違い、好む木の実とそうでない木の実。フィールドワークに飛び回る現役の生論派学生に勝るとも劣らない知識の数々を、少女はただひたすら楽しそうに話した。

「それから、あの鳥はね――

 しかし、街路樹に留まる青い鳥を指さしたとき、それまでとどまるところを知らなかった少女の言葉がふいにぷつりと途切れた。
 知らない鳥だったのだろうか。
 アルハイゼンがそっと様子を窺うなか、少女はすこし間をおいて、また口を開いた。

「あの鳥は、“一途な鳥”なんだって」
「一途?」
「恋の季節のあいだ、つがいを変えないってこと」

 視線の先の青い鳥は、よく見れば近くに色の違う個体を連れている。頭はよく似た青色だが、背中から羽にかけては茶褐色のグラデーションをしていた。
 いまの時期は鳥の繁殖シーズンにはまだ早いはずだが、ひょっとすると二匹はつがい候補なのかもしれない。

「お兄さんも知ってるかもしれないけど、鳥によっては、いっぱい相手をつくるのも正しいのよ。生き残るためだから」
「そうだな」
「でもね、私はひとりだけを好きでいるのも素敵だなって思う。人もそう」

 少女は足をぶらぶらさせた。

「それにね、って」
……それも君の祖父が?」
「ううん、これはおばあちゃん。おじいちゃんとおばあちゃんは結婚してもう五十年経つけど、ずうっと仲良しなのよ」

 素敵でしょ、と少女は目尻を下げてふくふく笑った。
 屈託のないその笑い方は、祖父母のどちらかに似ているのかもしれない――そんなことを何気なく考えたとき、アルハイゼンはふと少女の笑顔に不思議な既視感を覚えた。ごく最近、それも一度や二度ではない頻度で、この笑顔によく似た顔を見た気がする。しかしそれが誰だったかは、まだはっきりしなかった。
 アルハイゼンがあいまいな記憶に頭を巡らせていると、いつの間にか少女がじっと顔を覗き込んでいた。

「ねえ。お兄さんの名前――
「アルハイゼンだ」
」少女はまるで呪文を唱えるように小さく繰り返した。「それって、昔の言葉で『若い鷹』って意味でしょう」

 少女の言葉にアルハイゼンはわずかに目を見開いて、そうだと小さく頷いた。いまや古い文献の中にしかない言葉だ。

「鷹はすごく大きくて、とっても強い鳥。だから、めったなことではつがいを変えないんだって。相手が怪我や病気で子どもを産めなくなったり、死んじゃったり……そんなことが起きないかぎりは、年が変わってもずっとおんなじ相手と恋をするの」

 少女の説明に、おおむね間違いじゃないとアルハイゼンは頷いた。
 猛禽がつがいを変えないのは、主に繁殖の成功率を高めるためだと言われている。一度に産む卵の数が少ない彼らにとって、繁殖の失敗は致命的だ。だからこそ繁殖期には能力の高い相手を慎重に選び、ふさわしい一羽とつがいになる。そうして築かれた連携は年を追うごとに磨かれ、なわばりの防衛や狩りに遺憾なく発揮される。
 生き延び、種を残すためのその知恵はいまも脈々と受け継がれているのだ。

「あなたは?」
「俺?」

 こくりと頷き、少女はまっすぐアルハイゼンを見つめる。

「見てのとおり、俺は鳥ではないよ」
「でも、名は体を表すって言うでしょう」
「なら君はどうなんだ? 俺は君の名前を知らないが」
「おじいちゃんは私にぴったりな名前だって言うわ。おばあちゃんも、パパとママもね」

 それはなにより、とアルハイゼンは眉を持ち上げてみせながら、さてどう返答すべきか――と、思案した。
 子どもだと侮ったわけではないが、この子はともすれば、普段自分にたやすくやり込められてしまう教令院の人々よりも手ごわいかもしれない。差し出す答えが半端なものでは納得されないだろうし、かつて子どもだった自分も、子どもであることを理由に適当にあしらわれるのはいやだった。

「前提として――」アルハイゼンは慎重に考えて、そう前置きした。「俺がもっとも望むのは静かで平穏な暮らしだ。そこに必ずしもパートナーがいなければいけないわけではない」

 生きていくうえで真に必要なものは、いつだって両手に収まる範囲のものだ。
 だから――……

「もしこの先、心に決めたひとりと離れることがあったとして……ならば次の誰かを探そう、とは思わないだろうな」
「ひとりきりになっても?」
「ひとりきりになっても」
「それって、淋しくはないの?」

 淋しい。
 少女の素直な言葉を、アルハイゼンはうん、と受け止めた。

「これは個人の見解だが、埋めなくてもいい淋しさというものも、あるのではないかと思う」


 離別の痛み。
 ひとりきりの淋しさ。
 大切なものを失って、胸が張り裂けそうなほど痛むのは、かつてそこにぬくもりがあったことを知っているからだ。
 ほかのなにかでは埋めようのない、胸にぽっかりと空いた穴はかけがえのない誰かのかたちをしている。その穴をひゅうひゅうと通り抜ける風はいつだって冷たくて、しくしくと痛い。
 その痛みで、人は知る。
 ああ、にいたのだ、と――もうここにはいないあの人は、自分の心のこんなにも大きな部分を占めていたのだと、思い知るのだ。
 
 アルハイゼンの言葉をすぐには飲み込めなかったのだろう、少女はふうん、と小さく相槌を打ってしばし考え込んだ。
 しかし次に顔を上げたときにはどこかすっきりした顔をしていて、アルハイゼンに「あのね」と切り出した。

「私の名前、あの鳥からもらったんだって」

 そう話す少女の指の先には、あの青い“一途な鳥”がいた。
 深い海を思わせる見事なまでの青は、少女の瞳と同じ色をしている。
 あの鳥の名前は、たしか――……

「君の名前は――


「おお、! ここにいたのか」

 そのとき、西のほうから声がして、少女が弾かれたように振り向いた。
 声のしたほうへ目を凝らせば、そこには深緑の服に身を包み、白髪交じりの茶色の髪を整えた初老の男性がいた。その隣ではカーヴェがこちらに向かって手を振っているのが見える。
 おじいちゃん、と少女が待ちきれずに駆けだしていったのを見送りながら、アルハイゼンは軽くカーヴェに手を上げて応えた。

「ああタキ、見失ってしまってすまなかった。もっとしっかり手を繋いでおくんだったな。おじいちゃんが悪かった」
「ううん、私がぬいぐるみを落としたのがいけなかったの。それにアルハイゼンさんが一緒にいてくれたからなんにも怖くなかったのよ」

 少女――タキの言葉に初老の男性はそこで顔を上げ、アルハイゼンの顔を見るやいなやおお、と大きく目を見開いた。

「これは、アルハイゼン書記官! このたびは孫が大変お世話になりました。年の瀬だというのに、私の不注意でご迷惑をおかけして申し訳ない」

 深々と頭を下げようとする男性を問題ない、と制したアルハイゼンはそこで、その顔が知ったものであることに気が付いた。
 温和そうな垂れ目の周りに刻まれているのは、タキのそれとそっくりな笑い皺だ。
 アルハイゼンはそこでようやく、笑顔の既視感の正体に思い至った。

……ん? アルハイゼン、君もしかして、こちらのおじいさんと知り合いだったのか?」
「ああ。彼は教令院財務局の局長だな」
「は、ええ!? 局長!?」

 お偉いさんじゃないか、とカーヴェが素っ頓狂な声を上げて目を剥いた。
 どうしてもっと早く言わないんだと肘でつつかれたが、アルハイゼンとしてもたったいま判明したことなのでどうしようもない。
 脇腹をつつかれるのが煩わしくなってこっそり舌打ちすると、聞こえてるぞ! と肩までぺちんとはたかれた。
 タキの祖父はそのやりとりを見てからからと笑いながら、ばれてしまいましたなと愉しそうに呟いた。

「とはいえ、私などは肩書が立派なだけの、引退間近の老いぼれですよ。ほんとうはもっと早くに席を譲ろうと思っていたのにもうすこし、あとすこしと引き止め上手がいるもので。しかし後進たちにも、いい加減をしてもらわねばなりますまい」
「じじばなれってなあに?」
「なに、タキはしなくていいことだ! タキはこれからもたくさん、おじいちゃんと一緒に鳥の研究をしておくれ」

 タキの祖父は皺の刻まれた大きな手で孫娘の頭を撫でた。撫でられるがままうれしそうにしているタキの様子に、アルハイゼンは不思議と自分の頭もじん、とくすぐったく感じられた。皺だらけの優しい手に頭をふかふかと撫でられる感覚はもうずいぶんと久しい。
 懐かしい感覚に浸っていると、カーヴェが感慨深そうに口を開いた。

「よかった。タキちゃんのおじいさん、道中ずいぶん心配してたんだ。無事会えてほっとしたよ」
「だが、レグザー庁まで行って帰るだけにしてはやけに時間がかかったな。なにかトラブルでも?」
「ああ、うん。それがさ――」預けていた荷物を受け取りながらカーヴェは苦笑した。「グランドバザールで起きたトラブルっていうのがどうも万引きだったらしいんだけど、道中、逃げる途中の犯人と偶然鉢合わせてさ。それがおじいさんの昔の後輩だったとかで、その場でお説教が始まったんだ。向こうもまさか知り合いに会うとは思わなかったんだろうな。最後には完全に毒気を抜かれて大人しく捕まってたよ」

 思ったよりも珍道中だったらしい。
 カーヴェの周りではしばしば妙なことが起こりがちだが、まさかこの一時間足らずのあいだにもそれを引き当てているとは思わなかった。

「君のほうこそ、思ったよりタキちゃんと打ち解けてたな。僕が戻るまで、あの子のことをちゃんと見てろよって言いはしたけど、君のことだからほんとうにだけになっててもおかしくないって思ってた」
「俺はコミュニケーションがとれないわけではない。時と場に応じて、取らないことを選んでいるだけだ」
「そんなこと言って。普段はほぼ僕に任せっきりだろ」
「時と場に応じた結果だ」
「ええ? まったく、君ってやつは……

 そんな普段通りのやりとりをしていると、ふとタキがこちらを見ていることに気づいた。
 どうしたのだろうと視線を返すと、タキは祖父になにかを告げたあと、たたっと駆け寄ってきた。

「アルハイゼンさん」

 すこし声を抑えて呼ばれたので、アルハイゼンはおもむろにその場に屈んだ。
 タキは近くなった耳元に顔を寄せると、さらにもう一段声をひそめて尋ねた。

「あなたたちは仲良しなの?」
「ふむ。君はどう思う?」

 えっ? とタキは目を丸くした。疑問に疑問で返されるとは思っていなかったらしい。
 しかしひるんだのはわずかで、タキはまたすぐに耳元に近づくと、今度は声を弾ませながら返した。

「素敵だと思う!」
 
 にひっと歯を見せて笑う彼女の表情にはもう警戒の色はない。
 アルハイゼンは目元を綻ばせて静かに頷き、そうか、と呟いた。
 
 ◇◇◇
 
――で、なにを話してたんだ?」

 タキたちと別れ、帰路につくさなかカーヴェが切り出した。

「話とは?」
「君がタキちゃんと待ってるあいだの話題だよ。ほら、君、世間話とか苦手だろ」

 なんと失礼な。
 アルハイゼンはふんと鼻を鳴らして、心外な評価を聞き流した。
 タキとの話はおおむね鳥についてのものだったが、そのまま言ってやるのもなんだか面白くない。
 そこで話を思い出すふりをして勿体ぶってから、アルハイゼンはやっと口を開いた。

「彼女曰く、気の多い男は信用できないらしい」
……なんだって?」
「祖母の教えだそうだ。彼女自身も異論はないらしい」

 あっけらかんと言ってのけると、カーヴェはぽかんと呆けたまま、ええ……と言葉にならない声を漏らした。

「あれくらいの歳の女の子って、もうそんなことを話すのか? ませてるな……。同世代の男の子ならでかいバッタで無限に盛り上がる頃だぞ」
「そうか? 俺はでかいバッタより分厚い本のほうが好きだった」
「ばか、そりゃ君の話だろ。僕のはあくまで一般論の話だよ。それを言うなら僕だって……

 そんなふうにやいやいと中身のない話を広げながら二つ目のスロープを上ると、ぱっと視界が開けて水色の空の明るさが目に飛び込んできた。
 目をしばたかせながら見上げた空は、先ほどよりもわずかに日が傾いて色を濃くしている。
 時計を見れば、今年は残すところあと九時間を切っていた。

 ああ、もう終わるのか――と、アルハイゼンはあっという間に過ぎていった一年に思いを馳せた。
 今晩寝て、明日目覚めたらもう新年だなんて、正直なところあまり実感はない。
 歳を重ねれば重ねるほどそれは顕著で、今となってはもう、新年らしさと言えば最短六日の連休とティナリたちとの新年会、それとカーヴェが仕込む年始用漬け肉の味くらいのものだ。それだけあればじゅうぶんといえばそうだが、逆にそれらがなければ、一年の終わりは平凡な一日の終わりとそう大差ない。
 日が沈んで一日が終わり、一年が終わる。
 いつかそんなあっけなさで、自分たちの命の終わりも来るのだろうか。
 先に一生を終えるのが、アルハイゼンなのかカーヴェなのかはわからない。年齢で言えばカーヴェが先だが、医学の発展が著しい昨今、たった二歳の差などあってないようなものかもしれない。
 どちらにせよ、自分たちもいつか、呼吸を止める日を迎えて――そしてその日にはきっと、今日みたいになんでもない平凡な日のことを懐かしく思い返すのだろう。
 
 横を歩くカーヴェの歩幅。
 すっかり嗅ぎなれた香水の香り。
 ふわふわ浮かんで並走する工具箱の、軽やかな冷却ファンの音。
 それから上り坂を半分すぎたあたりで隣から聞こえる、すこし上がった呼吸音。

 これらすべてがいつか、当たり前でなくなっても。
 ぬくもりが淋しさにその姿を変えても。
 瞼の裏に、鼻の奥に、耳の奥にじっと焼き付けて、きっと自分は最期まで手放さないのだろう。
 

 自分たちを見て、はにかみながら素敵だと言ったタキの弾む声が耳朶を打つ。
 息を上げて最後のスロープを上り切ったカーヴェの後ろ、今も暮れゆく大晦日の空を、クロエリヒタキがのびのびと飛んで行った。