しきみ
2026-03-09 22:17:29
2164文字
Public ポグアレ
 

獲物になるのも悪くはない

髪カーテンを書きたかったなどと供述しており
休日を楽しむ🦅🦝です

 帝江号のオペレーター寮の一室に、コーヒーの香りと気ままにページを捲る音が漂っている。
 ここは一人部屋で、ホールスンに割り当てられた居室ではあるのだが、椅子にかけてゆったりとコーヒーを嗜む部屋の主の手元の本は、今は静かに閉じられている。時に本当に読んでいるのか疑問に思うほど速く、かと思えば幾度もひとつの文章をなぞっているかのように間隔を空けてページが繰られる小さな音は、ホールスンの視線の先、ベッドに仰向けに寝転んでいるアレッシュの元から聞こえてくる。ホールスンから見れば、自室のベッドをアレッシュに占領されているわけだが、どちらにもそれを気にする様子はない。
 帝江号での内勤が重なる期間、非番の時はこうして寛ぐことが、いつの間にかふたりの間では自然なことになっていた。今日も、時折ページを捲る音が重なり、いくつか他愛のない会話をかわし、コーヒーの香りが濃くなるタイミングを幾度か経て、休暇の午後をふたりで過ごしている。
 
「以前から思っていたのだが。貴殿からは、深い水の匂いがするな」
 ふと、これまでの雑談と変わらない様子で、カップをおろしたホールスンが呟いた。一瞬、怪訝な表情を見せたアレッシュだったが、思い至ることがあったのかすぐにいつもの調子で応じる。
「うん……? ああ、まあ、そうかもな。今朝も下でイイの釣ってきたぜ。撮ったやつ見せてやろっか?」
「それは、後ほどゆっくりと見せてもらおう。だが、そうではなく……
 そう言いながら椅子を立ったホールスンは、アレッシュの寝そべるベッドへ歩み寄り、縁にそっと腰掛ける。寛ぐ妨げにならないようにと最低限に抑えられた音と振動の気遣いに、アレッシュの尾がゆらりと揺れ、ぽふ、と軽い音ともにホールスンの尾に重ねられた。その動きをゆっくりと追ったホールスンの視線は、水源を探るようにアレッシュの身体を辿り、本と瞼に遮られている右眼へと辿り着く。
――そうだな。水の気配と言ったほうが、より的確かもしれない」
……ふ~ん?」
 アレッシュは行間から目を離し、ホールスンの気配をうかがう。注がれる視線が逸らされないと悟ると、喉の奥で小さく笑い、ぱたりと本を閉じた。
「そんなら、あんたは氷と鉄の匂いってとこか? 寒地の釣りってのも面白そうだが……
 閉じた本を無雑作に枕元へ置いた手の、人差し指をくっと僅かに曲げて、アレッシュはちらりとホールスンへ視線を投げる。もっと近くへ、と誘うその合図に逆らわず、ホールスンは上体の距離を詰めた。武人らしく硬い掌の下で、ぎしりとスプリングが軋む。耳の真横で遠慮なくかけられた圧に、アレッシュの隻眼が満足そうにゆるく弧を描く。
「羽獣がな、」
 ホールスンの頬を、冠羽の根元を僅かに擽り、アレッシュの手がするりと項へまわされる。器用な指先が、ホールスンの長髪を束ねる髪紐の端にかかる。
「あいつらん中に頭のいい奴らがいて、翼で水面に陰を作んだよ」
 束の間の休息のためか平時よりゆるく巻かれた髪紐が、微かな擦過音を立ててゆっくりと引かれていくのを、ホールスンがあえて咎めることはない。
「日陰ってのは安心するのか鱗獣が集まりやすい。これは釣りってぇか、狩りの技法だが……
 枷を解かれた長髪が項を滑り、肩を過ぎる。背に湛えきれなくなった質量はシーツの水面にざらりと流れ落ち、帳となってアレッシュの視界を囲い、影を落とす。
――あんたも、得意そうだ」
 影の底から見上げるホールスンの双眸には、いつの間にか獰猛な肉食の羽獣を思わせる鋭い光が点っていた。
 背筋を粟立たせるような狩人の視線の中に、じわりと滲む熱が潜んでいることをアレッシュは知っている。捕食者を前にした本能的なおそれが、籠められた熱によって甘やかな期待に変わる。首筋から背筋、尾の先までをひと息に伝う痺れを、アレッシュは心地よく受け止めた。その熱に応えるように、わざとらしく首筋を晒してみせると、望むままに啄むような口付けを贈られる。
 首筋から頬、頬から耳へと移動する小さな刺激を楽しんでいるアレッシュの、微かな笑い混じりの吐息がホールスンの耳朶を擽る。まるで鱗獣が水面でたてる水音のようだ。
……これは、はぐらかされているのだろうか?」
「さあ、どうだかな。淵が気になんだろ? たまにはあんたも糸垂らしてみりゃいいさ」
 影を落とされた水面は、このまま誘いに乗ってしまえと狩人を挑発している。
「大物が、掛かってくれると良いが」
「そりゃ、あんた次第だろ」
 とは言え、筋は悪くないとアレッシュは見ている。釣りは駆け引きだ。釣り上げるか引きずり込むかの攻防はいつだって楽しい。相手が強ければ、なおさら。人と釣りとは違うと解ってはいるが。
――お楽しみは、別だよなぁ?
 アレッシュは光を透かすホールスンの髪を指にやわらかく絡め、あとひと押しとばかりに軽く唇を寄せる。鋭さを増した羽獣の瞳が細く眇められ、獲物を狩るために身を乗り出す重さに耐えかねたベッドが大きく軋む。追い詰められたという気は全くしない。むしろ楽しめそうだとアレッシュの機嫌は上向いていく。
 休暇にはまだ余裕がある。アレッシュはにやりと挑発するように笑って、狩人の前に身を投げ出した。


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