当てもなく艦内を歩き回りアムロを探していたシャアは、通りかかった食堂に続くドアの前でふと足を止めた。ここだ、という予感に従いドアを開く。
ディナータイムをとっくに過ぎ閑散とした食堂内に目当ての姿を見つけ、ようやくほっと胸を撫で下ろした。
「アムロ君」
「……シャア?」
「探したよ」
「俺を?」
シャアの呼びかけに、テーブルにうつ伏せになっていたアムロはすぐに顔を上げた。いつからこの場所にいたのだろう。ひたいにほんのり赤く跡がついている。
思わず笑いながら近づき「ここ、赤くなっているな」と指先で前髪に軽く触れると、眉間にしわを寄せたアムロに「やめろよ」と手を払い除けられた。
アムロは決して猫に似ているわけではなかったが、その仕草はまるで不機嫌な猫のようだと思った。幼少の頃に妹が大切に育てていた猫の丸い背中を思い出す。小さなアルテイシアの腕の中におさまってしまう、小さな猫。シャアの記憶の中の猫はいつも妹のそばにいる。ルシファは警戒心が強く、結局妹以外には懐かなかった。
一年戦争後にシャアの前に再び現れたアムロは、もうルシファのように誰かに守られる存在ではなかった。いまの強く優しいアムロに惹かれているはずなのに、時折ぬかるみにバギーのタイヤがはまり困っていた幼さが恋しくなる。仮面越しのたった数分の邂逅。泥の汚れは気にならなかった。アムロ本人を目の前にした時ほど、不思議と恋しさは強くなる。
「隣に座っても?」
わざとらしくアムロは大きなため息を吐いた。
「お好きにどうぞ」
テーブルの上には赤い包装紙でラッピングされた、成人男性の手のひらよりもわずかに大きな箱が置かれている。既に片付けられた食堂の中で真っ赤なそれは目を引いた。
珍しく朝からそわそわと落ち着きのなかった艦内を温かい目で見守っていたシャアは、驚きのあまり一瞬動きが止まってしまった。この手のイベントに彼は無関心だとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。
「バレンタインのチョコレートか? 君も隅に置けないな、アムロ」
険しい顔をしたアムロは隣に座ったシャアを睨みつけた。
残念なことにむかしからシャアの口はアムロを前にすると、シャアの意に反して勝手によく動いてしまうのだった。
アムロに睨まれたシャアは表向きは笑みを浮かべながらも、反射的に出た軽薄なからかいの言葉とは相反する思いが心を占めていることを自覚する。苦しい。その感情はシャアの心を荒々しく乱した。紛れもない嫉妬だった。
一体なにに対してだろう。すっかり親しい友人だと思っていた男に親密な関係を築く相手がいたことに対してなのか、相手について知らされなかったことに対してなのか。短くない付き合いでアムロが思いのほか性別を問わず好意を寄せられることが多いと知っていたじゃないか、とシャアは自らに問いかける。ふたりが同志として手をとり合ってからはアムロの周囲が静かだったせいかもしれない。その恩恵をいちばんに受けていたのはほかでもないシャアなのだ。
私は誰かにアムロがとられてしまったようで寂しいのだろうか?
シャアがひとり結論をつけるのと同時に、アムロから「これはもらったものじゃない」という呆れた声が返ってきた。
「そう……そうなのか」
「そうだよ」
食堂の前の廊下をひとが通りかかる気配がする。アムロがごくりと唾液を飲み込む音が、やけに耳についた。
シャアとアムロの間に気まずい沈黙が流れることは日常茶飯事だ。シャアにとって、アムロ以外の人間と話している時にはまず起きないことだった。誰かといて気まずくなるということを、シャアはアムロに出会って初めて知った。
パッと空気を変えるように、アムロは「そういえば」と身を乗り出してシャアの顔を覗き込んだ。
「そういえば、俺を探していたんだよな? なにか用があったんじゃないのか?」
「ああ。ブライトが君を探していてね。ちょうどそばにいた私が頼まれたんだ」
「ブライトが?」
ブライトの名前に表情を硬くしたアムロに首をかしげる。
「君はブライトの用事に思い当たる節があるのか?」
「ああ、まあ。なんとなく」
「急ぎの用か?」
「違うから大丈夫。悪いな、手間をかけて」
「私は構わないが」
今日のアムロは挙動不審だ。
突然唸りながら再び勢いよくテーブルにうつ伏せたアムロは「ブライトめ……余計なことを……」「そもそもカミーユとジュドーが絶対に大丈夫って言うから……」とシャアにはよくわからない内容をぶつぶつと呟いている。
アムロはやたらと年下のニュータイプたちに慕われ、懐かれていた。アムロも満更ではなさそうで、自ら進んでカミーユやジュドーの世話を焼く姿を目にすることも少なくない。カミーユもジュドーも、アムロから期待をかけられるとわかりやすくうれしそうだった。場合によっては反発することもあるが、助言も素直に受け入れている。普段は自由奔放で大人たちに反抗的なふたりは、アムロの前では比較的従順な態度を見せた。
カミーユやジュドーの名前が出るということは、ブライトの用事というも所謂レクリエーションの一環かもしれない。
落ち着きをとり戻したらしいアムロは、先ほどよりもゆっくりと顔を上げた。眉間のしわは、先ほどよりもさらに深い。なぜか覚悟の決まった顔をしている。
「ん」
赤い箱を手にとったアムロが、シャアに向かってそれをぞんざいに押しつけた。
「私に?」
「あなたに」
恐る恐る両手で受けとり、向かいで小さくうなずくアムロと受けとったばかりの赤い箱を交互に見る。
「お節介な艦長と後輩たちに焚きつけられて作ったんだ。あなたに渡すために」
「君の手作りなのか?」
「簡単なものだよ。ここには材料だってそんなにないし。……シャアがいままでの人生でもらったものに比べたら大したことない」
靄のかかった心が一気に晴れていく。アムロ・レイという存在は、なんの前触れもなく、無遠慮に、シャアの気持ちを解放してまっさらなものにする。
「バレンタインに手作りのものをもらうのは初めてだ」
熱に浮かされたように箱を凝視していたシャアは、「はじめて?」という驚いた声に引き寄せられてアムロに視線を戻した。アムロは信じられないという表情で目を丸くしている。
「バレンタインに手作りのプレゼントをくれたのは、君が初めてだ、アムロ」
シャアの言葉に口もとをゆるめたアムロはほっと息を吐き、頬杖をついた。
「それならもっとちゃんと渡せばよかった」
「照れ隠しだろう?」
大丈夫、わかっている、うれしいよ、という気持ちで笑顔を向けると、かすかに顔を赤くしたアムロに足を蹴られた。
こういう時、アムロは口よりも先に足が出る。シャア以外にこのような態度をとるところを見たことがないので、シャアは甘んじて受け入れていた。アムロがむかしからいちばん頼りにしているブライトや、特別かわいがっているカミーユやジュドー、いまも変わらずに大切にしている幼馴染らしい女性にも見せない、シャアだけが見ることができるアムロの一面。
「俺、シャアのことなにも知らないんだな」
「これから知ればいい」
「あなたが直々に教えてくれる?」
冗談交じりの問いかけはシャアの負けず嫌いな性格を刺激する。
「私を暴く楽しみを君から奪ってしまってもいいのか?」
シャアと同等かそれ以上に負けず嫌いなアムロは、「だめ」とシャアの肩に頭を預けて笑った。子どものような笑い声も、小さな頭の重みも、ふわふわと揺れる柔らかな髪も、すべてが愛おしく、シャアの胸を満たす。
「あなたでもそれはだめ」
いたずらっぽく目を細めシャアを牽制する姿がかわいい。
意図的なのか恣意的なのかはわからなかった。どちらにせよシャアがアムロに振り回されていることだけは確かだ。アムロは知る由もないが、これもアムロのそばにいることを選んだシャアが甘んじて受け入れていることのひとつなのだった。
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