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2026-03-08 22:00:00
4041文字
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見送る人
鉢雷/3900字
忍術学園を辞める同級生を見送る二人の話。
裏返した制服の帯紐を結んで身支度を終える。
外廊下に続く戸を開けると、昼過ぎから雲がかかり始めたせいか空気が少しだけ冷え込んできた。夕刻に差し掛かり始めている。出立の予定時刻まではすぐだった。今から移動しないと宵の口までに目的の場所に辿り着けない。
どうにも気が重い。つい小さく溜息をつくとそれが聞こえたのか、同室の不破雷蔵が部屋の中からこちらを振り向いた。
「夜のうちに帰るのなら夜食を用意しておこうか」
微笑んで普段よりも柔らかい口調でそう言う。よほど不満そうに見えたのだろう。まるで幼子を労るようだと思わず苦笑した。
「構わないで寝ておいてくれ。何刻になるか分からないから」
「そうか」
道具を制服に忍ばせて不足がないかを確認し、それから部屋を出る。後ろから「いってらっしゃい」と声がしたので頷いて返した。
学園の正門近くで待つと、すぐに待ち合わせの人物はやってきた。一年の頃から同じクラスで授業を受けてきた同級生だ。いつも通りの物腰柔らかな動作で三郎に向けて片手を上げて見せる。
「よし、行こう」
気楽に、あえて明るい口調でそう声をかけると相手は微笑んだ。特に気負った様子はない。これまで見てきた普段通りの彼に見えるが、その実そうでないことはすでに分かっていた。
向かう先は戦の準備のために配備された国境近辺の足軽衆の野営地だ。課題の内容はそこでの情報収集だった。いるのは雑兵ばかりで開戦までも間がある。それほど難度の高い仕事ではなかった。五年生ならば一人で対応するような任務に二人で向かうのは、これが後ろをついてくる彼に課された補習であり、その補佐が三郎に任された役割だからだ。
走り続けて目的の山の麓へ辿り着く。頭巾を口元まで上げてお互いに顔を見合わせる。
本当に必要な情報があるのなら、足軽の変装をして焚き火を囲う男らに混ざり話を聞き出してもよかったが、この課題ならそうするまでもない。木々の裏に潜み会話を盗み聞くだけで良い。
気配を殺して獣道を進み、焚き火の灯りが見えたところで後ろから息を呑む音が聞こえた。
「大丈夫だ。私がついてる」
安心させるようにそう声を掛けて目を細めて微笑んでみせる。少しでも心強く思わせられるように、大胆不敵に見えるように。しかし内心では、本来なら背中を預けるべき相手にそんな気遣いをしなければならないことを虚しく思った。
彼は今年の春先、五年生に進級して初めての実習で怪我を負ってから訓練に恐れを抱くようになった。運悪く遭遇した大人の忍者と打ち合って斬られた傷は塞がっているが、今でもその時の痛みを思い出すのかたまに脇腹をさすっていることがある。
「農民ばかりだな。足軽頭はどこだろう」
戦線から離れているせいか、どの焚き火でも酒を持ち込んで陽気に騒いでいる者ばかりだった。成果が大した情報は得られませんでした、では課題として不十分だ。せめて指揮を採っている者の位と人相くらいは報告できないと合格点にはならない。
さらにもう少し登った先に、開けた地面があり簡素な天幕がある。足軽の服装をした男が数人。うちの一人は簡素な椅子に座り他の数名が地べたに腰を下ろしていた。同級生が緊張した面持ちで三郎を見たのでそれに頷いて返す。風下から気配を殺して近付くのを低木の陰に身を潜めて見守る。
慎重に距離を縮めていたところに反対側の木陰で影が動いた。背後を取るように出てきたのは夜の木立に紛れる濃緑色の衣を来た男だった。袂の合わせ目に右手を差し込んでいる。忍者を雇っていたのか、そう考えるのと同時に三郎は飛び出した。同級生も遅れて気付いたのか背後に現れた姿を見て、それから表情をひどく強張らせてその場で硬直した。
駄目だ、防御の構えも取れていない。男が投げた手裏剣を代わりに苦無で弾き落とす。恐怖で顔を引きつらせたまま棒立ちになった同級生の手を引いて木々の茂みの中へ走る。しばらく山を下ったところで二人で身を隠した。運よく逃れられたのか、深追いする気はなかったのか、追手が迫っている気配はない。
息を殺して身を潜めながら、つい雷蔵だったら、と思わずにいられなった。彼と同じく温和な性格だが雷蔵は格上の相手にも臆することはない。悩みはするが一度こうと決めれば危険を伴う勝負にも打って出ることができる。
足軽たちにも存在を気取られて警戒が上がっている。任務は失敗だった。変装をして足軽に紛れて様子を探ることはできるだろうが、三郎が一人で課題をこなしたところで何の意味もない。
残念だが潮時だ、そう判断せざるを得なかった。
「帰ろう。一度、学園長先生にお会いしたほうが良い。話は私が通しておくから」
そっと肩を叩いてそう言うと、彼は黙った後に痛むはずのない脇腹を押さえながら小さく涙を浮かべて頷いた。その表情はどこか安堵したようにも見えた。その中にほんの一縷でも悔しさや後悔が見て取れていたらまだ希望はあったのだろうか。
朝日が昇るまで森の中に身を隠し、衣を返して道へ出る。追手の気配はなかった。仕方ないと分かっていても胸の中に黒くわだかまるものがあった。
たとえばクラスの学級委員長が三郎ではなく、い組の尾浜勘右衛門だったら。もっとましな言葉を掛けて仲間を勇気付けて、違う結果になっていたのではないか。そんな詮無い考えが頭を離れなかった。
***
学園長の庵を退去して長屋に戻る頃には身体が鉛のようになっていた。たった一晩の偵察であったはずなのに、泥から這い出たように手足が重い。
風を入れているのか自室の戸は開いていた。三郎が辿り着く前に足音を聞いた雷蔵が廊下へ顔を出す。
「三郎、おかえり」
「
……
ただいま。雷蔵」
なんと伝えようか、一瞬だけ言葉を探した。すぐに雷蔵相手に言い回しを変える意味などないと気付いた。
「彼は実家に帰ると言っていた」
学園長の庵で、隣で聞いた級友の決断を端的に伝える。
雷蔵はその言葉だけですべてを察したようだった。微笑んだまま悲しそうにただ眉を下げる。それから廊下に立ったままの三郎の手首を掴んで部屋の中へと誘った。
「そうか。二人とも怪我は?」
「それはなんともないよ」
「ならよかった」
雷蔵が後ろ手に戸を閉めて、部屋の中に二人きりになる。今の三郎は通りがかった後輩に見せるにはやや情けない姿をしているだろうから有り難かった。
「ぼくも隠れてついていけばよかった。つらい役目を三郎だけに負わせてしまった」
つらい、と言葉を口の中で反芻して首を横に振る。つらいことなんてなかった。予想外の出来事はあったが、三郎にとってはごく簡単な任務だった。やるせなくなるほどに。
「つらかった訳じゃない、私は雷蔵のように優しくないから。彼の人生に口を出す権利なんてないと分かっているのに苛々するんだ」
春先からこれまで訓練で、クラス合同の実習で、普段の生活で、自分なりに心を砕いてきたつもりだった。彼の心の傷が癒えるまで、再び怪我を負うようなことがないように。これからも皆で同じように学園で過ごせるように。
――
その結果がこれだ。
雷蔵がどこか困ったように微笑んだ。
「それは苛々しているんじゃない、悔しいんだ。当たり前だよ。ぼくたちこれまでずっと皆で一緒にやってきたんだから」
そっと肩に手が回されて、慰めるように抱き寄せられる。
身を任せて鼻先を雷蔵の肩口に寄せた瞬間、急に脳裏に鮮やかな景色が蘇る。一年の頃、皆で煮炊きをした学園の庭、初めての夜間実習で焚き火を囲んだ夜、洗い場で揃って制服を洗った、地面に影が焼き付くような熱い夏。まだひとりも欠けていない頃の懐かしい記憶。
五年に進級して高学年と呼ばれるようになり、課題の難易度は目に見えて上がった。相応に危険を伴うようになり、大人の付き添いもなくなった。三郎にとっては実力を発揮できるやりがいのある訓練ばかりであったが、必ずしも皆にとってそうではないということは最近になってようやく気付いた。
今回の仕事も三郎にとってはつらいものなどではなかった。まだ一緒に学園で修行を続けたいと言ってくれるのなら、級友の身代わりになって怪我を負ったって構わなかったのに。
無様なことに目頭が熱くなって、雷蔵の上衣に顔を埋めた。もしかしたら雷蔵はもっと以前からこうなることが分かっていたのかもしれない。
「彼を無事に家に帰してあげられる三郎は立派だとぼくは思うよ」
山から戻ってそのままなので、きっと身体中土埃だらけだろう。雷蔵の衣まで汚れてしまうな、とぼんやり思うが身体を離す気にはなれなかった。
***
学園を出て去っていく姿が丘を越えて見えなくなった後も、三郎は雷蔵と二人並んで道に立っていた。一緒に見送りをした同級生たちも思い思いの表情で学園の中へと戻っていく。
丘の先を見つめたまま、雷蔵がぽつりと囁くように呟いた。
「寂しくなるなあ
……
。三郎、落ち着いたら一緒に彼の実家まで会いに行こう」
「いいね。私が彼の変装をして行くから、生き別れの兄弟だと名乗るのはどうだ?」
「あはは。ご両親を驚かせてしまうよ」
「実家は田舎の農村だろ。この愛しの忍術学園での生活に比べたらしばらくは退屈だろう。たまには刺激があってもいいさ」
「おまえの調子が戻ったようでなによりだよ」
ふわりと微笑んで、帰ろうと促すように三郎の手の甲に雷蔵の指先が触れる。ひとつ頷いて返してから学園に向けて足先を向けた。これからの長い人生こんな別れの繰り返しになったとしても、こんなふうにお互いに笑って受け入れながら次第に慣れていくのかもしれない。
では、雷蔵と別れるときはどうだろう?
その答えを出すにはまだ未熟すぎる。今は考えるのをやめておくことにしよう。
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