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二卵性
10476文字
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いつか星を描く致命傷2
なんか前回めちゃくちゃ迫ってきたけどまあ最高審判官さんだし滅多なことにはならんだろとノコノコとまたお茶の誘いを受けたら滅多なことになる回(ヌヴィリオ)
判例集というのは偉大だ。
そもそも、この国には法という規則があり、罪はそれに則って裁かれる。五百年前、人間社会に何もなじみのないヌヴィレットでも最高審判官の責務を果たせたのは、羅列された規則を読み解くことができたからだ。もっと別の責務を押し付けられたならば、こうはいかなかっただろう。たとえば、そう、舞台上の役者だとか、工場の運営者だとか、要塞の管理者だとか。
規則は人を動かす。ヌヴィレットはそれを眺めていた。
ただ、審判官が裁くのは規則に反した人間である。
だのに、人はいつだって規則に反するのだと、気づいていなかった。それが生命の原則、生存という規則であっても。
「実際のところ、統計上の平均というのは、人付き合いにおいてあてにならないものだと思う」
ヌヴィレットは、リオセスリの隣に座ってそう言った。
パレ・メルモニアの執務室で、彼をお茶に誘うのは初めてのことではない。しかし、ソファの隣に座るのは二度目だった。一度目は気づいたら座っていて、今回は自分の意志で座った。近い距離で彼が声を震わせるのを見るのは、悪い気分にならない。なぜか、立って話している時より近いように感じるせいだろうか。
「どうしてそう思うんだい?」
リオセスリにこのように尋ねられて、前回のアフタヌーン・ティーを思い出す。既視感にくらりとし、彼のあらわになった喉元に視線がいきそうになる。それをどうにか抑えて、ヌヴィレットは天頂の色の瞳をひたりと見据えた。
「人は規則に囚われないからだ」
「おっと、俺の法意識に対する苦言かな?」
「そういうつもりではない。誤解を招いたのなら謝罪しよう」
「いちいち謝ってたら話が進まないぞ、ヌヴィレットさん」
穏やかに笑う男が、ほんの数十年しか生きていないと信じられるだろうか。思えばあの法廷で見上げてきたときから、シグウィンの言葉を借りれば彼は「小さな大人」だった。あのときは笑顔などとても想像することができなかったので、彼にそうする余裕ができたのは喜ばしいことだ。
「では、続けよう。人付き合いにおいて、君は平均値を参考にすべきだと言ったが」
ヌヴィレットはここで、ちょっと責めるようにリオセスリを見た。
「平均を測るための基準、統計が見当たらないのだ」
「なるほど?」
「そも、この点において規則が明文化されていない以上、ひとびとが守るべきものでは最早ない。規則があるとすれば、人を茶会に招かないことだ」
マナーは移ろうものだ。ヌヴィレットは礼を失することのないよう気を付けているが、リスクを最小化するためには他人と関わらないことが消極的で最も容易な解決法だ。
すべての相手に対し、平等に距離を取っていれば、それもまた平均だ。
しかし、ヌヴィレットとて、それが人との関係を深める際に使える手法とは思わない。恋人になることを目標としているならなおさらだ。
――
そう、恋人である。
ヌヴィレットは、リオセスリの、恋人になろうとしている。
「はは、俺としては一般論の話をしたつもりなんだが
……
、すべての人に対して平等に接するという意味だとすれば、確かにほとんどの人は最高審判官さんにお茶会に招かれることはないだろうな」
肩をすくめると、黒い髪が揺れる。額が隠されているからか、横から見ると彼は少し幼く見えた。目元の傷も輪郭の向こうに隠されて、しかし首や腕の傷は存在を主張したままだ。陽の当たらぬ深海の主の白い肌に残るそれが痛々しいのか勇ましいのか、ヌヴィレットは未だ決めかねていた。
「しかし、確かにあんたみたいな人に凡人の感覚を説くのもナンセンスだったかもしれない。あいにく教師の経験はなくってな、ご容赦願いたいところだ」
「私にもない。そして、君を責める理由もない」
「ヌヴィレットさんが寛大で命拾いしたかな」
「私が強権的であるというイメージが君にあるとするならば、遺憾に思う」
「冗談だよ」
冗談か、と納得した。面白い冗談であるかはわからないが、リオセスリが言うのならそうなのかもしれない。じゃれつくような会話にヌヴィレットはふと頬を緩ませ、リオセスリも目を眇めた。彼がティーカップを手に取るのを眺めて、自分もそうする。同じように角砂糖を二つ入れた紅茶は、甘ったるく舌の上に残った。
「だが
……
」
その甘さで囁くように、ヌヴィレットは息を吐いた。
「私は君を茶会に招きたいと思う。そして、それだけではなく、長く時を共にしたい」
「茶会だけでは物足りないと?おいおい、最高審判官さんは俺からどんな秘密を聞きたいんだい?」
「それは以前伝えたはずだが」
ヌヴィレットの要望は変わっていないし、彼もそう認識しているべきだ。リオセスリのかすかな動揺は、共鳴するには小さすぎた。
「今の関係では不適切であると指摘を受けたゆえ、適切な関係を目指している。そのためには時間を共にし、理解を深めるべきではないかね」
「適切な関係、ねえ」
舌の上で転がすようにして、リオセスリは皮肉っぽく笑う。眉間に軽くしわが寄ると、彼は年相応に見えた。
「といっても、俺とデートがしたいってわけじゃないんだろう?」
「デート
……
」
デート。頭の中でもう一度意味を取り上げてみて、ヌヴィレットは顔を上げた。
「いい考えのように思える」
「おっとヌヴィレットさん。意味が分かっているのかい?」
子どもに対するように
――
もしヌヴィレットが映影に詳しかったのなら「小娘をおちょくる悪い大人のような言い草」と思ったかもしれない
――
言うリオセスリに、ヌヴィレットはあくまで生真面目に頷いた。
「デートとは
……
共に買い物に赴く、食事をする、散歩をする等の行いだろう。わかっている。共に時間を過ごしたい、という私の要望はまさにそれだ」
どのように誘うべきか。平均値や基準、規則がわからない以上本人に尋ねるのが一番だと感じていた。それをきちんと汲み取って適切な語彙で返してくれるとは。ヌヴィレットは感動しつつ、いくらか弾んだ声で言う。
「私とデートをしてくれないか、リオセスリ殿」
ずい、と身を乗り出すヌヴィレットに対し、リオセスリはソファの端まで追いやられていた。なぜか彼の首筋を汗が伝っている。暑いのだろうか?いや、動揺している?考え込みそうになったヌヴィレットの思考は、すぐに目の前の男の声で拾い上げられた。
「待て待て。本当に意味がわかって言ってるのか?」
「もちろんだ」
「デートってのは、普通は恋人同士やその前段階の二人が出かけるときに使われる言葉ってことも?」
そこまで人間同士の営みに興味のない人物だと思われていたのだろうか?訝しく思い、ヌヴィレットはリオセスリをじっと見つめた。なにせ、一を聞いて十を理解するリオセスリだ。こんなに問い返されることはまずない。
いや、それは職務の場合か、と思い直す。前回の茶会においても、彼はたくさんの質問をしてきた。それが人間同士の相互理解の手段であり、仲を深めるためのプロセスであるというなら、いずれにせよ真摯に答える必要がある。
「その通りだ。私は君と恋人になりたいと思っているので、前段階というなら実に適切ではないかね?」
だから、ヌヴィレットは堂々とそう答えた。微笑みすら浮かべて。
「
……
は?」
目の前の相手は、ぽかんと口を開けていたが。
ちょっと待ってくれ、どういうことだ、ありえない
……
。リオセスリが背中を丸め額に手を当てて口の中でまごつくのを、ヌヴィレットはじっと見下ろしていた。驚愕と当惑。何故その感情があるのかはわからない。「適切な関係」が「恋人」であるとヌヴィレットに言ったのは、他ならぬリオセスリだ。
さて。そのリオセスリは類稀な頭脳を持つ男であるから、ヌヴィレットを待たせるのにも時間をかけなかった。
「たとえばの話だが
……
」
リオセスリは顔を上げ、顔を少し青ざめさせて、しかし何かを覚悟したような瞳でヌヴィレットを見据えた。
「あんたは確か、俺の『死ぬ理由』とやらが知りたいんだったか」
「その通りだ」
「それを教えたら、恋人になろうとは思わないということか?」
「ふむ
……
」
グローブに覆われた指を顎に滑らせ、ヌヴィレットは考えてみた。結論はすぐに出る。
「いや。君が言ったのは、裸に剥くこと、ソファの上で迫ることが、恋人同士でないと許されないということだったな。君の理由は私にとって非常に重要だが、君を裸に剥くのに恋人である必要があるので」
「ヌヴィレットさん、その言い方やめてくれないか」
「どの部分だろうか」
「裸に剥くってところだよ。いや俺が言ったせいか、そうなんだが
……
」
いつも余裕を見せるくせに、なぜか疲弊したようにため息をついて、リオセスリは首を横に振った。
「あんたにふさわしい語彙じゃないから、真似をしないでほしい」
「君の中に、ふさわしさの基準があるのか」
「その言い方は
……
、いやあるのか?あるなコレ。でも普通あるだろ。相手は最高審判官なんだから」
ほとんど自分に言い聞かせるようだったが、その言葉を看過することはできなかった。感情の発露を表現するなら、ムッとした、というところだろう。今は職務から離れた付き合いをしているわけで、確かに最高審判官という地位はヌヴィレットを構成しているが、「ふさわしさ」を押し付けられるのはなんだか気に食わなかった。
なにせ、今のヌヴィレットは、雨の中でも傘をささないヌヴィレットなのだから。
「この場においては私のことは最高審判官ではなく、ヌヴィレット個人として認識してほしい。そうだな。姓ではなく名を名乗った方がよいか」
「待て待て、落ち着いてくれヌヴィレットさん。今はまだそのときじゃない。俺が悪かったから、どうぞ主張を続けてくれ」
名乗るための手順、あるいは規則があるのか、ヌヴィレットは首を傾げたが、そこまで重要でないので促されるままに続けることにした。
「私は君の証拠を
――
身体に残った傷痕を見たいと言ったが、それだけではない。君に生存を第一に考えてほしいと思っている。つまり、二度と証拠が増えないよう、定期的に確認をしたい」
「て、定期的に人を裸に剥きたい?」
「うむ。ソファの上で」
「なんでだよ
……
」
やはり疲れたように吐き出して、リオセスリはソファの肘掛けに体を預けた。「おかしいだろ」と呟いている。おかしくはないはずだが。
「疑問点が?」
「ありすぎる。確かに、あんたへの理解を深める必要はあるようだ」
同じ結論に達しているはずなのに、なげやりに言われると腑に落ちない。ヌヴィレットはうろ、と視線を彷徨わせ、それからリオセスリににじり寄った。ソファの半分に大の男二人が座るとかなり窮屈だが、そうしたくなったので。
「君にもわからないことがあるのか」
「何一つとしてわからないんだよ現状が」
「それは
……
由々しき事態だな」
「何もかもがあんたのせいだが?」
若干刺々しい言い方に、はたしてそうだろうか、とヌヴィレットは首を傾げた。元はと言えばこの男が、致命傷を負っていたのが原因だ。ヌヴィレットが負わせた傷ではないので、何もかもの根源にされるのは正しくない。
「あんたの言い方から察するに、傷の状態を確認したいんだろう?じゃあ医療従事者でも問題ない。医師免許を取ってきて俺の主治医になってくれれば解決だ。うちの看護師長に弟子入りするといい。メロピデ要塞は優秀な医療従事者を常に募集している」
「シグウィンに弟子入りするのは魅力的な提案だが、主治医には君の行動を制限する権利はないのではないかね」
「ドクターストップがあるが?」
「いや。私は健康な状態の君に、生命の原理に反さないでほしいと思っている。なので主治医の肩書きでは不十分だろう」
「患者に死ねという医者はいないけどな」
「シグウィンは君を止められていない」
ヌヴィレットはメロピデ要塞に勤めるシグウィンと文通している。思えば、リオセスリが入獄したての頃から、彼が怪我をしたという話題は枚挙に暇がなかった。
シグウィンの心配が読み取れる文面に対し、愛する眷属をそのように煩わせる不快感よりも、同じように心配する気持ちが強かった。当時は彼が命を賭けているなど夢にも思わなかったので、人間のそのような行動を理解した今なら身悶えるような焦燥や心痛に襲われていた可能性がある。
シグウィンはヌヴィレットよりも人間に対する理解が深いため、リオセスリが命を削り肉体を損傷させていたということも正しくわかっていただろう。わかっていたなら、止めただろう。しかし、リオセスリの体には傷が残っており、つまり彼女に止めることはできなかったという証拠になる。
「
――
よって、彼女と同じ立場では、私の目的は果たせまい。理解いただけただろうか」
「オーケー。わかった。迂遠なやり取りに意味はないらしい」
ヌヴィレットの公明正大な説明に、リオセスリは即答した。うむ、きちんと伝わっているようだ。理解を一つ深められたという満足感に満ち、充足感を得る。この調子で進めれば、必ずや恋人の関係に達することができるだろう。ヌヴィレットはいかなる疑問にも真摯に対応することができる。
うきうきの水龍に対して、人間の方はため息生産マシナリーの様相を呈していた。
「これだけは聞きたかなかったんだが」
リオセスリは深呼吸し、脈拍を上げて、ちらりとヌヴィレットを見た。
「あんた、俺のことが好きなのか?」
「大変好ましく思っている」
「う、うーん
……
」
そうじゃないんだよなあ、と呟かれると、何がそうじゃないのか気になった。ヌヴィレットがリオセスリの顔を覗き込むと、やんわり肩を押し返される。
「ヌヴィレットさん、近い。少し離れてくれ。キスでもするつもりかい」
「キス」
ヌヴィレットはリオセスリの顔を凝視した。具体的には、唇を。接吻可能な距離だったと気づくと、どうにも目を逸らし難い。
「失言だ。忘れてくれ、つまり、今の関係で適切な距離感じゃない
……
、ヌヴィレットさん!聞いてるのか?」
押し返そうとしてもそれ以上はテコでも動かず、なんならぐぐっと近づいてくる距離に、リオセスリは声を荒げた。自分に向けられる声色としては新鮮だ。
「ヌヴィレットさん!」
「しても構わないだろうか?」
「ダメに決まってんだろ?!」
「確かに。恋人の関係でない場合、不適切な行為だ。うむ。なるほど
……
」
「わかってくれたならよかった、離れてくれ、押さえつけるな」
「すこしばかり、恋人になってもらいたいのだが
……
」
「な、ら、な、い!」
強調するように言われたので、キスは諦めることにした。メロピデ要塞の管理者になってから、いやそのしばらく前、体が出来上がってからは他人に力で敵わない経験なんてなかったリオセスリの、ちょっとした恐怖も感じ取っていたので。
リオセスリから恐怖を感じたことがないわけではない。たとえば、原始胎海のゲートを封印したとき、彼は内心でヌヴィレットに慄いていた。あのときのヌヴィレットは権能を行使したせいで過敏になっていたので感じ取れてしまったのだが、内心はともかくリオセスリの態度はまるきり変わらなかった。
ヌヴィレットは龍だ。その龍の権能への畏怖は当然である。権能を使って彼を操るわけではないのに、やや不満に思いながら体を離した。
顔を背けている彼を見る。リオセスリの心拍は常より速いままで、体温も上昇している。傷痕にいつもよりも赤みがさしていた。その傷を、どうしても、確認したいと思う。
くまなく。まんべんなく。一つ残さず。彼の死んでもいいと思った理由を、すべて聞く。あとキスもする。
「手順が不適切であったことは謝罪する
……
いや、謝罪していると話が進まないのでやめよう。手順に則り、君は私とデートをし、恋人になるべきだ。どうだろうか」
「ここは謝罪したほうがいいんじゃないか?」
「では、謝罪する。話を進めても?」
「ううん
……
」
あいまいな返事をしたリオセスリは、壁の時計に視線を向けた。何か用事があるのだろうか。
もちろんヌヴィレットには業務が山積みだが、それは後回しにしても問題ない。ここでどれだけ時間をかけても、空が白むまで働けば終わる類のものだ。
しかし、惜しいと思った。執務室で過ごす時間には限りがある。やはり別の状況で長い時間を共に過ごすべきだ。そうすれば、どれだけの質問でも、ヌヴィレットは答えてやれる。
あとはそう、裸に剥くのもよく考えれば業務時間内にさっと終わらせるべきことではないから、ソファの上では適切ではないだろう。しばらく帰っていないフォンテーヌ廷郊外の邸宅を思い出す。そこに招こう。準備が必要だ。手伝ってくれそうなメリュジーヌたちに声をかけよう。
「ヌヴィレットさん、」
「うむ。合鍵を用意しよう」
「なんの?いや言わなくていい。ちょっと俺の話を聞いてくれ」
怪しげな発言を賢明にもスルーすることにしたらしいリオセスリは、目を伏せる。濃い睫毛が目元に影を落とし、それに触れたくなった。ヌヴィレットは膝の上に手を置いた。
「あんたがデートしたいと言ったのはわかったし、俺もあんたへの理解を深めないといけないのも理解した。問題点がありすぎる。しかしそれはここで話すべき内容じゃないだろう?個人的な事柄だからな」
職務に関係がないからか、とヌヴィレットは納得して頷いた。やはり同じ考えだ。気が合う。
「よって
……
どこか適切な場所でディスカッションの機会を設けよう。デート、となると、最高審判官さんの横を練り歩くのも気が引ける。あんたは注目を集めやすいからな」
ここでようやくリオセスリはヌヴィレットを見て、ヌヴィレットが視線で口を開いても?と窺うと、「どうぞ」と頷かれた。
「合鍵を用意しよう」
二度目はスルー出来ず、リオセスリが眉根に皴を寄せながら尋ねた。
「
……
なんの?」
「私の邸宅の鍵だ。そこであれば、余人に見られることもなく、存分に討論が可能だ」
「あんた、家持ってたのか。パレ・メルモニアに住んでるとばかり思ってたよ」
「そのように思われても仕方がない。長らく帰っていなかったのでな。フォンテーヌ廷から遠くはなく、メロピデ要塞から向かうにも不便がないように思える。どうかね」
「デートの前に家に誘ってるのかい」
「そういうことになる。
……
もしや、不適切な行為だろうか?君とはすでに個人的な付き合い、つまり友人関係にあるので問題ないと思っていたが。ホテル・ドゥボールの一室を予約するべきだろうか?」
「そ
……
っ、の二択なら、あんたの家のほうがいいかもな?」
思わず答えるリオセスリに、知らずのうちに選択肢を狭めた自覚のないヌヴィレットは「ではそのように」と頷いた。
「後ほど君の都合の良い日程を知らせてほしい。私の業務は調整可能だ」
実際のところ、ヌヴィレットの業務を拘束するものは多くない。予定された審判さえ避ければ融通が利くと言える。この国のほとんどは、ヌヴィレットに都合を合わせるからだ。
「あんたの業務が簡単に調整可能とは思えないが、わかったよ。あと合鍵は不要だ」
「なぜ?」
「あんたが鍵を開ければいいだろう。他人に
……
いや、友人相手でも、簡単に鍵を預けるもんじゃない」
「私は君を信頼しているので、預けても問題がない」
「要塞の中は案外物騒なのさ。最高審判官様のご自宅の鍵を保管するための金庫はないんだ。どうしてもというなら、銀行にでも預けるといい」
「ウィンガレット号を隠した手腕でそれを?」
「はは。ウィンガレット号とあんたの家の鍵を比べちゃいけない」
確かに。ただの家の鍵と、リオセスリの計画性と周到さと技術と資源の結晶では、比べ物にならない。それを隠すための手間と同じものを求めてはならないか、と納得する。
「失礼した。では私が迎え入れるゆえ、よろしく頼む。人目につく場所ではないので安心してほしい」
本音を言えばデートもしたいが、流石のヌヴィレットも自分が衆目を集める存在だと自認している。世の目を忍ぶ深海の領主としての在り方を選ぶリオセスリに、多くを強いてはならない。特に、不可逆で
――
水龍の支配下にないことは。
「わかったよ。また連絡しよう。だからそれまでは、そうだな。
い
・
い
・
子
・
にしていてくれ」
「違法行為を働く予定はないが」
「茶会でも、ソファの上で迫らないでくれって意味だよ。ヌヴィレットさん」
そこでヌヴィレットはようやく、リオセスリと膝がくっつくくらいに近づいていたことに気がついた。ソファの隣に座っているだけで十分に近いと思っていたはずなのに。しかし、確かに近づきたいとは思って、そのように行動した記憶がある。衝動というべきか。
責務から離れたとたん衝動に突き動かされているらしい己に少しばかり驚くが、かといって目的を変更する気もない。この世界に裁きを下す水元素の龍王として、ヌヴィレットはこの男が命を賭す「正義」の在り方を知らないままではいられないからだ。
「次回は
……
気を付けよう」
惜しいとは感じる。だがこれも、恋人になるまでの辛抱だ。恋人になればソファの半分だけを分かち合うことができる。何の問題もない。
ソファのもう半分に腰を落ち着けると、リオセスリはわかりやすく深く息を吸っていた。呼吸と心拍数は、簡単には嘘をつけない。彼は緊張していたらしい、いまさら。
だが、表情も声も、いつも通りだった。
「それとヌヴィレットさん
……
、こういうことは滅多に人に言うもんじゃない」
そのいつも通りの顔で、子どもを嗜めるよりも迫力のある苦言を呈される。ヌヴィレットが罪人であれば縮こまって平謝りしたかもしれないが、最高審判官には罪悪のかけらがひとつもなかった。
「私がこのように言った相手は、君しかいないが」
「そ、うかい」
「恋人を複数作る行為は不貞に値する。私は
い
・
い
・
子
・
なので、そのようなことはしない」
彼の含みのあった言葉をそのまま返すと、リオセスリは手で口を覆って固まった。前髪が邪魔で瞳の色がうかがえない。指を伸ばし、髪を退けて顔を覗き込むのは適切な距離感だろうか。口を覆っていればキスはできないはずだ。そうヌヴィレットが考えている間に、リオセスリは立ち上がってしまった。
「すまない。あんたを不快にさせてしまったかも
……
、いや、今日はどうも調子が悪いみたいだ」
「不快に思うことはないが、体調がすぐれないなら今すぐ帰って休むべきだろう。付き添いが必要なら私が送ろう」
ヌヴィレットも立ち上がったが、リオセスリは一歩だけよろめくように下がって、首を横に振った。力のないそれに、やはり送るべきだと思う。手を差し出す。エスコートはいつでも、リオセスリのものだ。
「リオセスリ殿」
「大丈夫だ。ほんとうに」
「では、せめてパレ・メルモニアの外まで送ろう」
「
……
どうしてもっていうなら、この部屋の外までにしてくれ」
前回もそうだった。そこまで人に見られたくないのなら、と了承し、彼の手を取る。隣を歩くリオセスリの足取りは確りとしたもので、呼吸や体温、心拍に異常は見られない。今すぐ倒れるような状態ではなさそうだ。
「今日はよく晴れている。陽射しに灼かれぬよう気をつけて」
「ああ
……
。ヌヴィレットさんも」
「そうしよう。では、連絡を待っている」
取り繕ったような笑顔のリオセスリが扉の向こうに消えていく。バタン、と音がして、ヌヴィレットはそのままじっと扉を見つめていた。彼の体格に反して響かない足音が去っていく。じっと待つ。まだパレ・メルモニアの中にいる。まだ
……
、ああ、出て行った。
雨が降ればリオセスリがどこにいるか追えるが、あいにくの快晴だ。ヌヴィレットはのろのろと執務机に戻る。審判記録を全て片付けて、すっきりしたその机の上には急ぎの決済書類くらいしか残っていない。
ならばやはり、送って行くべきだった。ついそう考えたが、彼はもう人混みに消えてしまっただろう。目立つのはリオセスリも同じなのに、どうやってか人目を集めない方法を知っている。デートをするならご教示願う必要があるかもしれない。
「ヌヴィレット様、お考え事ですか?」
茶器を片付けに執務室に入ってきていたセドナにそう声をかけられ、ヌヴィレットは顔を上げた。
「ああ
……
そうだ。邸宅のことを考えねばならなくてな」
「ヌヴィレット様のおうち
……
。ああ、あそこのことですね」
「うむ。近々リオセスリ殿を招く予定があるので、手の空いているメリュジーヌがいれば片付けを頼みたいのだ」
「わかりました!ヌヴィレット様のお願いなら、みんな集まりますよ。鍵はないから、ヌヴィレット様についてきてもらわないといけないですけど」
「ああ、鍵は私が開けよう。なに、任せきりにするつもりはない」
自分の家のことだから、と言うヌヴィレットに、セドナも頷いた。人手はある方がいいし、人間の規格の家ならばヌヴィレットがいる方が手が届きやすい。
「公爵様とお親しいんですね。おうちにひとを招かれるのは、初めてではないですか?」
リオセスリと親しいと、メリュジーヌの目からも言われるのはなんだか心が浮き立つようだった。
「そうだな。彼に不便のないよう、整えたい」
「お任せください!」
やはりメリュジーヌはうつくしく、清純な種族だ。純粋な喜びと敬慕の念に、ヌヴィレットは微笑む。
――
同じように、リオセスリ殿に思われたい。
ヌヴィレットにメリュジーヌのような無邪気さはないが、信頼と好意を寄せることはできる。彼はその感情を心地よく思ってくれるだろうか。恋人という関係になれば、きっと。
そうしたら
――
ばくりと飲み込んでしまいたい。
顎
あぎと
を開けたまま、龍は宝石の瞳を細くした。
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