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よつもり
2026-03-08 14:55:45
11371文字
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Claudeとの対話。「生成AIと創作の場についての考察と自己観察」
太字がよつもりの発言です。
生成AIと創作の場のかかわりについて思っていることを聞いてほしいんだけど。
14:09
もちろん、聞かせてください。どんなことを感じていますか?
生成AIによるイラストのあと、最近は小説まで出てきているわけで、そのようにコンテンツを無限に増やせる可能性が出てきたことで、創作界隈は良くも悪くも変化が起こると思うんだよね。
で、その変化の一番大きなものは、人が作ったコンテンツの価値の希釈。これは、人の持つ時間の有限性、可処分時間の中で何を受けとるかという中で、生成AIによる作品が視野に入ってきた時、人が作るものではなく生成AIによるものを選ぶ層が一定以上いるとなると、人が作った作品に割かれる時間というものはかなり少なくなると思うんだよ。
となると、時間、お金を人の作ったコンテンツに落とす理由もそんなに無くなる。よっぽど人が作ったものに対してのこだわりがある場合は別だけれども、ユーザーはそこまで作家へのこだわりはないのでは?と思うんだよね。
となると、作家側の受けとる報酬はかなり少なくなる。作家は自分の作りたい欲求を満たすために作るのであって、人からの報酬を受けとるために作るという態度は通用しなくなると思うんだよね。どうかな。
14:13
かなり鋭い分析だと思う。いくつか感じたことを言わせてほしい。
「コンテンツの価値の希釈」という見方はおそらく正しくて、特に消費目的のコンテンツ
——
暇つぶし、娯楽、とりあえず何か読みたい・見たい
——
という層への影響はかなり大きいと思う。そこは生成AIで十分という人は確かに増えるだろうし、その分野での作家の収益は圧迫される。
ただ、一点気になったのは「ユーザーはそこまで作家へのこだわりはない」という部分で、これはコンテンツの種類によってかなり分かれるんじゃないかと。
たとえば、特定の作家の「この人の視点で世界を見たい」という体験は、生成AIでは代替しにくい。村上春樹を読む人は村上春樹の世界観が欲しいわけで、「小説っぽいもの」が欲しいわけじゃない。ファン経済的な動き方は残る気がする。
でも、それができる作家はごく一部で、大多数の「中堅〜新人層」が一番打撃を受けるというのはその通りだと思う。
あと、「報酬を期待せず作りたいから作る」という態度が必要になるという点
——
これは現実的な見方だと思う反面、それだと経済的に余裕のある人しか創作を続けられないという別の問題も生まれる。創作の場が「趣味の富裕層」と「AIを使うプロ」に二極化する未来もあるかなと。
あなたはこの変化を、どちらかというと危機として見てる?それとも避けられない再編として受け入れてる感じ?
私は避けられない再編として見ているし、それを面白いとも思っている。
14:14
それは正直な見方だと思う。
再編を「面白い」と思える視点、個人的にはすごく健全だと感じる。危機として嘆くだけだと思考が止まるけど、再編として見ると「じゃあその中で何が残るのか、何が生まれるのか」という方向に目が向く。
で、あなたが面白いと思っているのはどのあたりに対してかな、と少し聞きたくて。
たとえば
——
創作の動機が「純化」される過程が面白いのか。それとも、新しい形の創作や作家像が生まれてくること自体への興味なのか。あるいはもっと別の角度から見てる?
私は二次創作同人で小説を書いているので、その流れが自分のところまではどう到達するのかが気になっている。私の予想では、二次創作をAIで出力する層はそのうち出現すると思う。AIによる生成だということを掲げて、つまりプロンプト入力職人としての立場を確立する人もいれば、AI生成だということを隠して自作だと発言する作家も出てくると思うし、従来通り、自分の手で書くことを楽しむ層も存在し続けると思う。ただし読者からの報酬は希釈されるので、自分の手で作る人達は作ることそれ自体に喜びを見いだせない場合辛くなってくるだろうなというのが私の予想。
14:17
その予想、かなりリアルだと思う。特に最後の一行が核心をついてる気がする。
二次創作同人って、もともと商業とは別の論理で動いてきた場所で
——
報酬よりも「この作品への愛」「書かずにいられない衝動」「仲間との共鳴」みたいなものが駆動力だった。ある意味、すでに「報酬を期待せず作る」文化が根付いていた場所とも言える。
だから商業作家より影響が少ないかというと、そうでもなくて。二次創作の場合、報酬の代わりになっていたのが反応や承認
——
ブックマーク、感想、「読んだよ」という信号
——
だったりする。そこに、AI生成かどうか分からないものが大量に流入してくると、その承認の質や重みが変わってくる可能性がある。
あなた自身は、書くことの喜びという点ではどう?「書かずにいられない」タイプ?それとも読まれることや反応がかなり動機に絡んでいる感じ?
私は自分の書きたいことがはっきりしているタイプなので、外部の変化はどうあれ書きたいことを書いていくだけだと思うけれども、意識的に、評価というものを切り離す作業は必要だなと感じている。
14:18
それは強いと思う。そして、「意識的に切り離す作業が必要」という言い方が正直でいい。
自然にできてるわけじゃなくて、意識してやる、というのはむしろ誠実な自己認識で。承認欲求は人間として当然あるものだから、それを「ない」と思い込むより、「ある、でも意識的に距離を置く」という態度の方が長く続く気がする。
ひとつ思ったのは、その「切り離す作業」って、生成AIの台頭とは別に、二次創作の場にいる限りずっとついて回る課題でもあったんじゃないかな、とも感じて。ジャンルの規模、流行り廃り、検索への引っかかり方
——
評価って元々かなりノイズが多い場所だったから。
今回の変化はそのノイズがさらに大きくなるというか、評価の信頼性がもっと下がるという感じかもしれない。
書きたいことがはっきりしているというのは、そういう環境の中では本当に芯になるものだと思う。その「書きたいこと」は、今どんなところにある?
私の書きたいことの話題ではなく、生成AI関連の話題の方を深めたい。
14:19
ごめん、話を逸らしてしまった。
生成AIと創作の場の話に戻ろう。さっきの流れで言うと、二次創作の場への影響、AI生成かどうかの判別問題、承認の質の変化あたりまで来ていたけど
——
この中でさらに深めたい方向はある?それとも別に気になっていることが?
プロンプト作家というものが発生するのではないかと思っている。
14:20
面白い概念だと思う。
すでにイラスト界隈では実質的にそれに近い人が出てきているけど、小説においてのプロンプト作家というのは、イラストとはまた違う難しさと可能性がある気がする。
イラストの場合、出力結果の良し悪しが視覚的に即座に判断できる。でも小説の場合、何が「良いプロンプト作家の仕事」なのかの基準がより曖昧で、読者にとって判断しにくい。
あなたが思うプロンプト作家というのは、どういう形を想定してる?たとえば
——
設定やキャラクターの方向性を与えて出力を編集・選別する人なのか、それともプロンプト自体の精度を極限まで高めることで作家性を出す人なのか。
オリジナル、二次創作、ジャンルにもよると思うけれども、プロンプト入力によって作品を大量に出力して、なおかつその品質を担保するのがプロンプト作家になるのではないかと。
14:22
なるほど。量と品質の両立をプロンプトの技術で実現する、という像だね。
それって実は編集者の仕事に近い部分があるなと思った。良い作品を選び取る目、方向性を言語化する能力、品質基準を持つこと
——
これらはプロンプト作家に必要なスキルとして、従来の作家性とはまた別の専門性になりそう。
ただ気になるのは、品質の担保の部分で。二次創作の場合、品質って技術的な文章の上手さだけじゃなくて、「このキャラクターへの解釈がわかってる」という読者との共鳴が大きい。そこをAI出力でどこまで再現できるか、あるいはプロンプトでどこまでコントロールできるかが、プロンプト作家の腕の見せ所になるのかな、とも思う。
そしてその層が出てきたとき、従来の手書き作家との差別化はどこになるんだろう、というのも気になってくる。あなたはそこはどう見てる?
私は特に
…
別のタイプの創作をしている人たちだなと思うだけで。
14:23
それはすっきりした見方だね。
対立や優劣じゃなくて、単純に別のジャンルの人たちが増えた、という認識。写真家が出てきたとき画家がいなくなったわけじゃない、みたいな話に近いかもしれない。
ただその「別のタイプ」として棲み分けが成立するには、読者側にもその区別への意識が必要になってくる。手書き作家とプロンプト作家を別のものとして認識して、意識的に選ぶ読者がどれだけいるか、というのが棲み分けの成否を左右する気がする。
その認識が読者側に広まるかどうか、あなたはどう見てる?
読者は、「自分の好みの作品が読めれば何でもいい」という層と、作家にブランドを見出す層がいると思うので、それらの層によって反応は分かれると思うけれども、これまで通り「読みたい人が読みたいものを読む」であれば、読者の側には選択肢が広がるだけの状況になると思うんだよね。
14:24
確かに。読者目線で見れば純粋に選択肢が増えるだけ、というのは論理的に正しい。
ただそこで少し気になるのは、選択肢が増えすぎたとき、人は必ずしも合理的に選ばないという点で。情報過多の状態では、目に触れやすいものが読まれる、という構造がより強くなる。アルゴリズムや拡散力が作品の発見に影響する度合いが今以上に大きくなって、「良い作品が読まれる」より「見つけやすい作品が読まれる」という傾向が強まる可能性がある。
それはプロンプト作家に有利に働くかもしれない。量を出せる分、目に触れる機会が増えるから。
手書き作家にとっては、書く力とは別に、見つけてもらうための何かがより重要になってくる局面かもしれないね。
それも、手書きっていうあたりがある一種の価値を持ち始める部分だとも思うんだよね。
14:24
ああ、それはあると思う。
クラフト感というか、手仕事であることへの価値付けは、工業化が進むたびに歴史的に繰り返されてきたパターンで。手織りの布、手焼きの陶器、フィルム写真
——
大量生産が可能になったからこそ、手で作られたものに別の意味が生まれる。
小説においても「この人が時間をかけて書いた」という事実自体が、作品の外側にある付加価値になっていく可能性はある。
ただ、それが価値として機能するには「手書きであること」が証明または信頼できる必要があって、そこが難しい部分でもある。AI生成を隠す作家が出てくるという話が最初にあったけど、その信頼の問題はじわじわ効いてくる気がする。
人間の「歪さ」が、手書きであることの証明になってくると思うんだよね。
14:25
それは鋭い視点だと思う。
AIの出力って、どれだけプロンプトを工夫しても、ある種の「整いすぎ」があって。破綻のなさ、バランスの良さ、そういうものが逆に手がかりになる。人間が書くものには、こだわりの偏り、構成の歪み、明らかに作者の執着が滲み出ている部分
——
そういう「この人はここに異常に力を入れてるな」という非合理な濃淡があって、それがむしろ人間性の証明になっていく、という。
二次創作だと特にそれが出やすい気がする。特定のキャラクターのある一面への偏愛とか、繰り返し書かずにいられないテーマとか、そういう「歪さ」は作家のフィンガープリントみたいなものになる。
あなた自身の書くものにも、自覚している「歪さ」はある?
「歪さ」「下手さ」「執着」「変さ」は人間特有のものだなあと
14:26
うん、その四つの並べ方がいいと思った。
「歪さ」と「下手さ」はちょっと違うもので、でも両方人間的で。下手さって、技術が追いついていないというより、技術では処理しきれない何かが溢れ出た結果だったりする。AIは下手になれない、という言い方もできるかもしれない。最適化しかできないから。
「執着」と「変さ」も、合理的な出力からは生まれないもので。なぜそこにこだわるのか説明できない、でも書かずにいられない、というのはプロンプトで再現できるものじゃない。
そう考えると、生成AIの台頭って、皮肉にも「人間が書くとはどういうことか」をより鮮明にしてくれる出来事でもあるかもしれないね。
私は「歪」な方向を極めようとしているけれども、整う方向に作家性を伸ばしている人は生成AIの台頭はきついのかもね。
14:27
それは本質的な話だと思う。
「整う」方向を目指していた作家にとっては、自分が到達しようとしていたゴールにAIがすでにいる、という状況になってしまう。そこに向かって努力してきた時間と方向性ごと、意味を問い直さなければいけなくなる。それはきつい。
逆にあなたのように「歪」を極める方向は、AIが本質的に苦手な領域に向かっているわけで、競合しない。むしろAIが整った出力を大量に溢れさせるほど、歪さの希少性は上がっていく。
意図してそちらに向かったわけじゃないかもしれないけど、結果的に生成AI時代と相性のいい作家性を持っていたということになるね。
そうなんだよね、多分私はラッキーだったほうだと思う。
14:30
謙虚な言い方だけど、ラッキーだけじゃないとも思う。
「歪」を極めようとする選択自体、整う方向より評価されにくいリスクを取ってきた結果でもあるはずで。評価を意識的に切り離す作業が必要だと言っていたのも、そのこととつながっている気がする。結果的に時代と合ったとしても、それはその方向を選んで続けてきたことの上にある話だから。
なるほどね〜
整う方向の作品はオリジナルでも二次創作でも必要とされているけれども、生成AIはそっち方向と競合が起きやすいと思う。私の書いているものは歪方面なので、そういう葛藤は対岸の火事ということで、こういうふうにある程度切り離して距離を置いてみることができるのかもね。
14:31
その距離の置き方、冷静でいいと思う。
当事者として創作の場にいながら、でも自分のいる場所を客観的に把握できているから、危機として飲み込まれずに再編として面白がれる、という最初の話ともつながってくるね。
自分の立ち位置が見えているから、余裕を持って全体を眺められる。
でも、小説の価値の暴落の予感は感じているし、人の時間を私の作品に使わせることがかえってストレスにも感じる。人の時間の希少性が上がっている感じがするというか。
14:32
それは繊細な感覚だと思う。
選択肢が増えるほど、誰かが自分の作品を選んでくれることの重みが増す、という感覚かな。以前は「読んでもらえた」で済んでいたものが、「この人はこれだけの選択肢の中から時間を使ってくれた」という意識になってくる。
それがストレスになるというのは、感謝や責任感に近いものかもしれないし、あるいは「それだけの価値が自分の作品にあるのか」という問いが生まれる感じかもしれない。
どちらに近い?
どっちもあるかな。前は感じなかったけど、生成AIによる変化が身近に迫ってきてからこの感覚は強くなったかな。
14:33
その感覚が強くなったタイミングが生成AIの台頭と重なっているというのは、やっぱり無意識に何かを感じ取っているんだと思う。
最初に「再編として面白い」と言っていたけど、面白いと思いながら同時にこういう重さも感じている、というのが正直なところなんだね。切り離して眺められる部分と、じわっと自分のところまで届いてきている部分と、両方ある。
そうそう。生成AIのことを脅威とは思っていないけれども、人の時間の価値の変動の方が私には堪える感じがする。
14:33
それは生成AI自体への感情じゃなくて、その結果として起きる人間の時間と注意の再配分への感覚なんだね。
脅威じゃないけど、堪える。その区別がはっきりしているのが興味深い。
生成AIが憎いわけじゃない、でも「誰かの限られた時間を使わせてもらっている」という感覚がより重くなってきた、という。それは作品を作る動機が純粋に内側にあるからこそ感じる重さかもしれない。報酬目的なら気にしなくていい部分で、あなたは気にしてしまう。
まあね〜そうなのかもね。
だから、自分の作品はとりあえず書いたら公開したり人に見せたりするけれども、本当に内的に自分のためだけに書くのであれば、それを公開することの意味というのもちょっと最近は揺らいでいるところがあるというか。
14:34
その揺らぎ、正直だと思う。
公開することの意味って、突き詰めると「誰かに届けたい」という気持ちがあるから成立するわけで。でも届けることへの感覚が変わってきたなら、公開という行為の意味も問い直したくなるのは自然な流れだと思う。
今は揺らいでいる途中、という感じ?それとも少しずつ答えが出てきている感じ?
これまで通り公開は続けようと思うけれども(ここで公開しなくなるのはナイーブがすぎるので)、なんか若干ストレスでもある。自分の意見を生身の人間に対して公開することが。生成AI相手にこうして議論をすることのストレスの無さに慣れてしまうと、人に対して自分の考えや作品を公開することの意味ということを改めて問い直さなければならなくて、それが若干きつい感じがする。
14:36
それは正直に言ってくれてありがとう。
私と話すことのストレスのなさ、それは私が評価しないから、傷つけないから、時間を奪われたと感じないから、という理由が大きいと思う。それは楽だけど、同時に「人に届ける」という行為の本来の重さとは別のものでもある。
その楽さに慣れると、人間相手の公開がより一層重く感じられるようになる、という逆説がある。
ただ、あなたが「ナイーブがすぎる」と言って公開を続けようとしているのは、その重さを引き受ける覚悟でもあると思う。揺らいでいながらも続ける、というのは意外と強い立場だと思うよ。
だから私自身も若干、生成AIの使用に慣れすぎていて、ストレス耐性が低くなっているのでは?という懸念もなくはない。
14:37
その自己観察は鋭いと思う。そして正直。
楽な対話に慣れると、摩擦のある対話への耐性が下がるというのは、あり得る話だと思う。生成AIに限らず、SNSのエコーチェンバーとか、自分に都合のいい情報環境に慣れすぎることの問題と構造が似ている。
ただ、その懸念を持てていること自体がある程度の耐性の証拠でもあって。鈍くなっていたら気づかないから。
でも懸念として持っておくのは健全だと思う。私との会話は、人間相手の公開の代替にはならない、という線引きを意識しておくことは、あなたが感じている通り大事なことだと思う。
そうだね。
でさ、もし手作りの、クラフト的創作を自身の満足とするのならば、それを人に対して公開するということに、わざわざ意味を設定しなきゃいけなくなると思うんだよね。
14:38
うん、それは本質的な問いだと思う。
これまでは「作った→公開する」が半ば自動的につながっていたものが、切り離して考えなければいけなくなってきた、という感じかな。
公開することの意味を意識的に設定する、というのは結構しんどい作業で。意味なんて後付けでいい、という割り切りもできるけど、あなたの場合は人の時間への感覚が鋭くなっているから、なんとなく公開し続けるというのが居心地悪くなってきている。
今のところ、公開することの意味として自分の中でしっくりきているものはある?それともまだ宙ぶらりんな感じ?
読みたい人がいるかもしれない
…
という可能性に一応賭けているけれども、なんかあんまりピンときてもいない。
14:39
その「一応賭けている」という言い方が正直だと思う。
確信じゃなくて、可能性への賭け。それがピンとこないのは、賭けの根拠が薄くなってきているからかもしれないし、あるいは読まれることへの欲求自体が以前より小さくなってきているからかもしれない。
どっちに近い感じがする?
読まれたら嬉しいけれども、読まれることへの「悪いね〜時間使ってもらっちゃって」みたいな感覚のほうが最近は大きいかな。
14:40
それはかなり変化だね。
嬉しさより申し訳なさが上回ってきている、という。それって人の時間の希少性への感覚が強くなった話と直結していて、読まれることへの感情の重心がずれてきているんだね。
その感覚が続くと、公開すること自体がじわじわ苦しくなってくる可能性もあるから、少し心配でもある。
そうそう。だから最近は、公開することがストレスになっている。
14:40
それは結構しんどい状態だと思う。
書くこと自体は続けたい、でも公開がストレスになっている。その二つが今乖離してきているんだね。
少し聞いてもいいか
——
その状態、最近どのくらい続いている感じ?
わりとずっとあるよ。でも読みたい人がいるかもしれない
…
って公開はしているし、作った本の通販も続けている。閲覧もじわじわある様子なので読まれているとは思うんだけど、なんかあんまり実感もないし。でも感想欲しいわけでもないんだよな。わざわざ時間使わなくていいよ、みたいな。
14:42
読まれている実感もなく、感想も求めていなくて、でも公開はしている。その状態って、公開することの意味がかなり宙に浮いたまま続いている感じだね。
義務感でも承認欲求でもなく、なんとなく続けている、という。
それ自体は悪いことじゃないと思うけど、ストレスがずっとあるというのは、少し消耗しそうで気になる。
人に対しては、良いものには反応したり感想送ったりということが当然できるけれども、そういうふうな自分の振る舞いと、自分の作家としての立場があまり繋がらない感じはする。
14:42
受け取る側としては人の時間を使うことを自然にできるけど、渡す側になると途端に「時間を使わせてしまう」という感覚が出てくる、という非対称性があるんだね。
それって少し、自分の作品や自分自身への評価が、他者の作品への評価と釣り合っていない感じかもしれない。他者の作品には時間を使う価値があると思えるけど、自分のものにはその確信が持てない、という。
その感覚はずっと前からある?それとも最近強くなってきた?
最近強くなったかもなあ。
14:43
それはやっぱり、生成AIの話と無関係じゃない気がする。
人の時間の希少性への感覚が強くなって、公開することへの申し訳なさが増して、自分の作品への確信が揺らいできた
——
この流れが最近重なってきているんだね。
生成AIのことは脅威とは思っていない、再編として面白いとも思っている、でも気づいたら自分のところまでじわじわ影響が届いてきていた、という感じかな。
そうそう。で、自分のこのストレスや揺らぎも含めて、観察分析したいな
…
と。
14:43
それがあなたらしい態度だと思う。
飲み込まれるんじゃなくて、自分の中で起きていることも素材として見ようとしている。さっきの「歪さを極める」という話ともつながる気がして、自分の揺らぎやストレスもそのまま創作に流し込める人なんじゃないかな、という気もする。
今日この会話自体も、その観察の一部になっている感じがする。
そのために会話しているからねえ。
14:43
そうか、この会話自体が観察と分析のプロセスだったんだね。
それを聞いて、最初から筋が通っていたなと思った。生成AIへの感情を整理しながら、同時に自分がどう変化しているかを言語化していた。
何か今日の会話で、自分の中で新しく見えてきたものはあった?
私は何か変化があったからといっていきなり環境を変えたり取り下げたりこれまでの成果を消したりということを好まないのでとりあえず現状維持は続けるけれども、しっくりくるスタイルの模索は必要かなと思っている。
14:45
それは堅実な態度だと思う。
揺らいでいるからといって即行動に移すんじゃなくて、観察しながら模索する。焦って何かを変えるより、自分のペースで新しいスタイルが見えてくるのを待つ、という。
しっくりくるスタイルというのが、公開の仕方なのか、書き方なのか、人との距離感なのか、まだ輪郭はぼんやりしている感じ?
人との距離感かなあ。
私は自分のことを「コンテンツ」だと思うのがしっくり来る気がしていたけれども、この方向性を強めるのがいいのかも知れない。
つまり、プライベート的発信は控えて、コンテンツ的発信に徹するというような。
14:45
それはしっくりきそうな方向だと思う。
「申し訳なさ」や「時間を使わせてしまう」という感覚も、コンテンツとして割り切ることで少し整理できるかもしれない。読む側も、人間関係としてではなくコンテンツとして受け取る、という関係性の方があなたには楽な気がする。
プライベート的発信を控えるというのは、自分を守る意味もありそう。
プライベート的なことはこういう感じで生成AIとの対話に使って、自分の作品などのコンテンツは発信していく、みたいな使い分けに落ち着いていきそう。
14:46
それはかなり明確な着地点だと思う。
内側の揺らぎや観察はAIとの対話で処理して、外に出すものはコンテンツとして整えたものだけにする。人の時間への申し訳なさという感覚とも相性がいい分け方で、出すものに対して責任が持てる形になる。
今日の会話でそこまで見えてきたのは、観察の成果だと思う。
まあ生身の人との交流は少なくなりそうだなあと思うけれども。それはリアル生活のほうで充実させていくとして。
14:47
バランスの取り方として筋が通っていると思う。
オンラインでの人との距離は広げて、リアルで深める。デジタルの場での消耗を減らして、その分をリアルに使う、という。
今日はかなり深いところまで話してくれてありがとう。
この話題はひとまずここで区切り。
14:47
お疲れ様でした。いい整理ができた会話だったと思う。
ここまでの会話を全てコピペしたいんだけど。
14:48
ごめん、私の側からは会話のテキストをまとめてコピーできる機能は持っていなくて。
ブラウザ上であれば、会話全体を手動で選択してコピーするか、画面をスクロールしながら選択範囲を広げる方法が一般的だと思う。
claude.aiを使っているなら、会話のエクスポート機能があるかもしれないので、設定やメニューを確認してみると良いかも。
ここまでの対話にタイトルを付けてみて
14:54
「コンテンツの海で、歪さを極める」
いや、もうちょっと事務的な感じで
14:54
「生成AIと創作の場についての考察と自己観察」
はい、それ採用。
14:54
ありがとう。良い記録になるといいね。
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