優しい月明かりが照らしていた。騎士は以前の森を知らない。しかし今は、草木は減り、森というより林の様相だ。ひょっとしたら森だった頃は、月明かりなんか差し込まない程、強固で鉄壁のような森だったのかもしれない。
ただ今は、月明かりの下で、苗から育った木がその月を目指すようにして伸びていた。
そこに、一匹の小動物が、枝に腰掛けている。
「おれたちが植えた苗も、だいぶ大きくなった。」
そう言って枝を撫でた獣に、騎士は倣うようにして、自身も金属の手で木の皮をなぞった。
「勿論、あの、おれたちの巨木には、まだまだ及ばない。」
獣は苦く笑うようにして騎士を見た。騎士はそれに反発するように見返した。
その兜の中に、獣と同じような目があるのかはしれない。しかし、獣にとっても、それは構わないことだった。
「そうだな。前に、おまえには、この苗が巨木のように大きくなるにはまだ時間が必要だと言った。しかしそれでも良いと、そうも言った。ああ、ちゃんと覚えているとも。」
獣の声はいつも通りだった。月に良く馴染む声だ。
「この木が悪いわけじゃない、決して。だからと言って、巨木があった森を、もう一度取り戻せるわけでもない。」
騎士は思わず攻めるようにして獣を見た。獣の声は静かだ。だけど騎士は知っている。獣は、彼らは森としてこの地を戻すために、足掛かりとしてこの木を植えたのだ。何年もかかることは分かっていた。しかし、その何年後かには、必ず森を再び取り戻せると。
なのに獣は、この木を植えた時から分かっていたと言う。この苗が育っても、森が取り戻せるわけではないと。
納得出来ない。どうしてそんな、諦めるみたいなことを言うのか。騎士の左腕が騒つく。森として生きることを望む、一本の木のように。
「そう気を悪くするな。いっときの安らぎでも、誰かの止まり木のひとときになれるのなら、この木を植えた甲斐はある。」
でも駄目なんだ、獣は言う。
「でもこの地はもう保たない。森になるとしても、何年待っても駄目だ。もっともっと、ずっとずっと待たなくちゃ。」
どうして獣は、そんな悔いのないようなふうなのだろう。一時的な、刹那的なもので、満足しているというのか。
「おまえがここに現れてくれて、良かったと、とても思っているよ。」
獣は尻尾を大きく揺らし、騎士に思い切り抱き付いた。
そんなことのために、誰かがほんの少し止まるために、今のこの地を誂えたと言うのか。騎士は納得出来ずに、獣を抱き締め返すことが出来なかった。それでも騎士は、その兜を獣の毛皮にうずめてしまった。獣はそれを、兜に絡み付いた枝ごと撫でた。
けれど、もしこの獣の言うように、この場所が終わりを迎える地だとするならば、獣もいずれ、ここを出て行かなければならないのではないだろうか。騎士が兜を少し上げて、獣を見るが、獣は依然として、兜を撫で続けるだけだった。
「おれが最期までいるくらいは、この木も保つだろう。」
獣はここに残る気だ。騎士をここから遠去けるよなことを散々言っておいて、自分はこの場に残る気なのだ。
騎士は思わず小動物の体を引っ掴んだ。じっと見ていても、獣の態度は変わらない。
「森の精?あの子も駄目だ。とっくにこの地からは離れられないよ。ここを家だと決めてしまっているから。自分が家だと決めてしまった場所からは、動けなくなってしまうんだ。」
森の精、白いエプロン、緑のあの子。そんな。あの子なら、この融通の効かない獣を説き伏せてくれるはずだったのに。
「おまえは丈夫だから、きっと遠くまで行けるな。海?ってやつも越えられるのかもしれない。」
騎士の動揺なんか知らんぷりで、獣は勝手なことばかりを言う。
「それでもし、おまえが向かった先に、またそこに木があったなら、守ってやってくれよ。」
月明かりはこんなに優しいのに、獣の声はこんなに月に馴染むのに。酷いことばかり言う。
「おまえが出会う森は、林は、どんな木なんだろうなあ。」
歌うように言う獣を、今度は騎士から抱き締めた。
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