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4324文字
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めっちゃデカくなった足立

主+足立 主人公の名前 鳴上悠

 
「はぁー……

 タールじみた重たい溜息が深夜の八十稲羽の山奥に落ちた。相当に怨嗟がこもっていた。それと同時に局地的な突風が吹いたかのように周囲の杉林がざわめいて枯れ葉が宙に舞う。秋の深まりを告げる虫の音は今は怯えたように鳴りを潜め、代わりに乾いた風が枯れ草を揺らす音だけが周囲を支配している。溜息の主は卑屈そうに膝を抱えて体育座りをしている一人の男——足立透だった。

……ったく、なんでこんなことになっちゃうわけ?」

 無造作に切り揃えられたような前髪、だらしなく緩められた赤いネクタイにヨレたスーツ。その姿形は八十稲羽署の冴えない若手刑事そのものである。ただ一つ、そのスケールが絶望的に狂っていることを除いては。
 
 一軒家、あるいは小規模なビルほどの大きさを持つ巨大な人影は面倒くさそうに首を掻き、再度ため息を吐き出した。巨大な肺から押し出されるその息は一陣の突風となって周囲の木々を激しく揺さぶり、土埃を夜空へと舞い上がらせる。足立は舞い上がる土埃を見て「わあー」と、一切気持ちのこもっていない感嘆の声を出した。夏じゃないだけまだマシとしても、一体自分はどれだけの虫を靴やら尻やらで踏ん付けて殺しているんだろうかと想像するだけで心底不快な気持ちになった。

 ぼやいた声は地鳴りのように低く腹の底に響いた。身体的な痛みは全くない。骨がきしむような感覚も筋肉が引き裂かれるような負荷も皮膚が引っ張られる感覚すら一切感じていない。ただ単に世界の縮尺が狂い、足立透という存在だけが異様に引き伸ばされていた。

 足立は組んでいた自分の巨大な手を見下ろした。爪の先からスーツの繊維、斜めに歪んだだらしないネクタイの結び目に至るまで何一つ変わっていない。ただ、サイズだけが冗談でないほどに大きくなっている。ささくれもここまで大きくなるとグロいなあ。大怪我みたいなもんじゃん、と足立は思った。
 
 八十稲羽の警察署は大混乱に陥った。堂島も目をひん剥いて絶句したまま硬直していたほどだ。現状、規制線を張って隔離するのが精一杯の対応だったが、こんな隠し切れない異常事態、夜が明ければ即座にどっかのヘリコプターが飛び交い、全国規模のニュースのトップを飾ることは火を見るよりも明らかだった。自分がどういう終わり方をするのか今まで考えたことがなかったわけではないが、こういう感じでテレビに出ることになるとはさすがの足立も想像していなかった。足立の足元には黄色と黒の『立入禁止』と印字されたビニールテープが虚しく散らばっている。それは足立が少し身じろぎしただけで蜘蛛の糸のように呆気なく千切れてしまった。
 
(バッカじゃないの……?)

 足立の瞳の奥に暗い焦燥が渦巻いていた。
 今更、原因が何であるかなどは最早どうでもいい。お天道様がこいつを晒し者にしろと判断したのだろう。ただ自分は壮大な幻覚を見るほどにとっくに頭が狂ってしまっていて、ここがテレビの中であるならばそれが一番何も考えずに済んで楽だとは思う。
 最悪なのは、正気のままこうなってしまっている可能性が割と高そうなことだ。こんな三流のギャグシーンにも劣る滑稽なアクシデントで強制シャットダウン——ゲームが終わることだけは勘弁してほしかった。天罰が下るにしてもかなり強烈なやつが来たもんだ。
 
 その巨大な影の足元へと、足音を忍ばせて近づく一つの小さなシルエットがあった。足立が気怠げに視線を落とすと、木々の隙間から一人の少年が姿を現した。
 
 鳴上悠である。

 鳴上は学生服のポケットに手を入れたまま、もう片方の手にはビニール袋をぶら下げていた。警察の規制線をあっさりと潜り抜け、周囲の目を盗んでここまでやってきたのだ。鳴上はやや緊張気味の足取りで巨大な足立の足元まで歩み寄り、そして、見上げるように首を反らせた。

「うっ……わぁ」

 足立は呆気に取られる鳴上を見下ろし、口元を引き攣らせて声帯を震わせた。普段はうっかり「嫌々」とした感じが出てしまったときは咄嗟に声のボリュームやトーンを調整できていたが、今の状態では心底嫌そうな声色は一切取り繕われず直に鳴上に届く。

「あ……足立さん。なんでそんなに大きく……
「はーぁ? ……真面目にやってきたからじゃないの? ていうか真夜中に来て、わざわざ言わせることそれ?」
……あっ、いや、そういうつもりじゃなくて」
「何しに来たの? 帰れば? そこら中に立ち入り禁止って書いてるの読めなかった?」
「すみません。叔父さんの様子がおかしくて……どうしても気になって」
「堂島さん? あの人分かりやすいもんねぇ。顔に出まくってんだろうなぁー。コレに関しては出ない方がおかしいか。あーもう」

 溜息混じりの突風が鳴上の制服の裾を激しく揺らす。
 
「こんな所にいるのがバレたら堂島さんと菜々子ちゃん悲しむよ? 夜に出歩くんならせめて女の子の所にでも行きなよ。相手には困らないでしょ、優等生の悠くん」

 矢継ぎ早に浴びせられるいつもの人を食ったような発言。しかし鳴上は怯むことなくただ真っ直ぐに足立を見上げている。その混じり気のない視線が足立をさらに苛立たせた。

……なんだよ、その目は」

 足立は苛立ち紛れに右手を地面へと下ろした。ドスッ、と鈍い音が響き、巨大な手のひらが鳴上のすぐ横に置かれる。重機のような威圧感だ。この手に押し潰されれば大怪我では済まないだろう。

「乗る? アトラクションみたいで意外と面白いかもねー……って」
「えっ」
「何だよ、せっかく野次馬にサービスしてやろうと思ったのにそういうつもりでもないの? じゃあ早く帰れよー」
「乗り……ます。乗ります」
「はあ……

 巨大な手が隣にある。
 本来もっと驚くべきことなのだろうが、巨大な手に顔までついたようなものをテレビの中で見すぎたせいか、正直者の鳴上はそこまで驚いてやることができなかった。それに現実味がないのだ。鳴上はおそるおそる足立の太い指を乗り越え、土の匂いが染み付いた手のひらの中央に座り込んだ。一度言ってしまったからには背に腹は代えられない。足立がゆっくりと腕を持ち上げると、景色が急速に遠ざかる。鳴上は、地上数メートルの高さ——足立の顔の真正面まで引き上げられた。
 冷たい夜風が直接吹き付ける。安っぽい生活の匂いが鳴上の鼻腔を掠めた。

「冗談じゃない状況なのに君落ち着いてんねえ……
「足立さんもじゃないですか」
「当事者は君らより現実味がないんだよ」

 足立は手のひらの上の小さな存在を品定めするように見つめ、鳴上もまたぶつくさと不平を並べ立てる足立の顔をじっと観察していた。足立透は、鳴上より十も年上の大人だ。だが、鳴上たちが知る大人たちとは決定的に何かが違う。

「甥っ子君、見て、飛行機」
……
「今の僕だったらアレくらいつまめるだろうね」
「怪獣みたいですね」
「僕が理性的な大人でよかったね。デッカくなったのが極悪人だったら、八十稲羽が壊滅してたかもしれないしさー。ここの建物なんか、大体ボロっちいし」

 飛行機が横切る空の下に民家の灯りがぽつぽつと見える。確かにどこもかしこもすぐに燃えるか崩れてしまいそうな年季の入った木造住宅ばかりだ。そんなボロ家たちを足立はつまらなさそうに見下ろす。
 足立は、大人でありながら大人の皮を被りきれていない、残酷な子供と疲弊した大人の境界線を綱渡りしているような酷く不安定な存在に見えた。
 以前堂島家に足立がやってきた夜のことを鳴上は鮮明に記憶している。手品を見せて菜々子が笑った瞬間に足立がふと見せた何とも言い難い複雑な表情。
 
 諦観と微かな渇望がそこにあったような気がした。
 
「ていうかさ、それ何?」

 足立は鳴上が大事そうに抱えていたビニール袋を視線で指した。

……食べてないかと思って」

 あろうことか、ビニール袋の中からはプラスチック製のタッパーが現れた。いつもの癖でつい持ち出してしまったようだ。それを見た瞬間、足立は目を丸くし、そして堪えきれないように吹き出した。

「っぷ……ァハハハ!!」

 巨大な笑い声が夜の山に木霊する。鳥たちが驚いて飛び立った。
 
「君さぁ……ほんっとありえないんだけど!」
「すみません、その……癖で」
「それ、今の僕のサイズだと小指の爪くらいの大きさもないんだけど。そんなの食べたうちに入らないし。てかどうやって食べればいいのさ? あ~~アホらしい!」

 言われて初めてその事実に気づいたように、鳴上はタッパーと足立を交互に見比べた。その滑稽さに鳴上も微かに苦笑する。鳴上の表情が緩むのと反比例するように足立の笑いが少しずつ収まっていった。

……ほんと君って鬱陶しいよね」

 足立の声のトーンが一段下がり冷たい凄みを帯びた。

「他人の世話焼いてる暇があったら自分の心配でもしてなよ。君の周りにはもっと構ってあげるべき連中がいっぱいいるでしょ」

 突き放すように足立は言ったが、鳴上を乗せている手のひらは鳴上を乱暴に振り落とそうとはしなかった。

…………

 秋の夜風が二人の間を吹き抜ける。山奥の静寂の中に佇む、巨大な男とその手のひらに乗った高校生。片方が美女であれば画になったかもしれないが、そうではない。その上田舎の山だ。足立はしばらく鳴上の顔を無言で見つめていたが、やがて、本日何度目になるかわからない深い溜息を吐いた。

「二度と来んなよ、堂島さんに迷惑かけんな」

 足立はそう吐き捨てると鳴上を乗せた手をそっと地面に下ろした。
 ドスッという音と共に、鳴上の足が大地を捉える。

「フリじゃないから! ほんっとに来ないでね? 次来たら握り潰すよっ」

 顔を背け、再び体育座りの体勢に戻った足立は、それ以上何も語ろうとはしなかった。月明かりが巨大な足立の背中を照らしている。その背中は以前見た時よりもずっと大きくずっと孤独に見えた。
 鳴上はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてビニール袋を引っさげたまま静かに踵を返し、落ち葉を踏みしめながら山を下り始めた。サク、サク、という足音が遠ざかっていくのを、足立はただ膝に顔を埋めたまま聞いていた。
 土埃に塗れたスーツの袖口から夜の冷たさがゆっくりと染み込んでくる。足元の千切れた立入禁止のテープが秋風に吹かれてカサカサと乾いた音を立てていた。




※翌日何事もなかったかのように元のサイズに戻った!