いを
2026-03-07 21:10:40
6818文字
Public くらくら
 

マルタ
ふらふら
・慶さん【ppy_op】
お借りしています。

 2月14日。
 慶と会う前に菊の花を買った。輪ゴムで切り目を結び、水に浸した適当な新聞紙で巻き、手に持った。薄い紅色と黄色い菊だった。墓地の近くに花屋がちょうどあったので助かっている。待ち合わせもこの花屋であった。腕時計を見下ろし、10分前であることを確認してぼうっと空を眺めた。いつもどおり、春のはじめごろの陽気だった。ひどく寒いわけではないが、コートをまだ手放せない。かといって、分厚いウールのコートを着るほどではない。そんな天気だった。白いシャツの襟元を無意識にいじり、ボタンをひとつ外したころ、「先生」と聞き馴染んだ声が聞こえ、横をむくと慶の姿が見えた。
「悪いな。つきあわせて」
「いえ」
 柔和な顔つきで、彼はかぶりを振った。ふと、視線が落ちる。菊を見つめているようだった。
「本当は百合のほうがよかったんだけど……
「百合?」
「好きだったんだ。父が」
 彼は右手に携えたものを差し出し、「ちょうどよかったです」と笑った。
 白い百合。父が好きな色の。思わず、顔をほころばせてしまった。
……墓地はこのへんだ」
 慶に背中をむけ、墓地へ向かう。空っ風が吹いて、前髪をひどく揺らした。うっとうしそうに手でおさえるが春の風はとても強い。
 これでは線香もつけられない。小火にでもなったら大目玉である。
 墓地は林の中にあった。人工的に誂えた草木が風に揺れてしなっている。長く横へ続く御影石。その中に共同墓地がある。父は、きっと西洋風の墓を望んだのかも知れないと思う。いつか――母が死んだら――西洋墓地を捜して新しくつくり、ふたりを並べて埋めてやろうと思っている。
 母もきっとそれを望んでいる。いや、意識のない、もう元に戻らない人間のことはマルタには分からない。そうあってほしいという望みだけが一人歩きしているのだと理解している。ひどく、惨めなものだと思う。
「共同墓地……
「俺は父方の家族を知らない。連絡先も分からないから、ここに置かせてもらっている」
 共同墓地に納められた遺骨は、年々増えているという。苦々犯罪者に害され、やむを得ずここに埋葬された遺骨もあるのだろう。
 風が強かったがわずか、止んできたようだった。鞄からマッチを出して線香につける。線香の端が一瞬炎でひどく揺らめいたが、すぐに風に吹き消される。からからになった花を取り上げて、新しく菊を花立に入れた。古い菊の花は新聞紙に包んでビニール袋に入れておく。
「先生、これこけしですか?」
 共同墓地だからか、さまざまなものが置かれている。けれども大抵は雨風にさらされて汚れたり、壊れているものもある。
 そのなかにひっそりとこけしが紛れていた。
「そう。それ、父の趣味。実家にたくさんあってな。残ったのがこれだけだったから」
 骨しか遺らなかったし、棺桶にいれてやることもできなかった。
……まだ、捕まってないんですか」
「サカナだってことは分かっているんだけど。それ以外はなにも」
 墓の前に腰を落とし、手を合わせる。春の風は強いが、不思議と胸のうちは凪いでいた。うしろに慶がいるからだろうか。だれかと父の墓参りをすることは、初めてであった。
「どうしてか、心から憎めない。サカナのことを」
「先生のご家族を殺していても、ですか?」
「そうだな。もちろん許せないけど。俺はたぶん死にかけのサカナを見たら、助けようとする」
……
 ゆっくり立ち上がって、コートのポケットに手を突っ込んだ。指先に煙草の箱の感触をみとめた。
「サカナも人間だ。俺たちと同じ、ひとりひとつだけの命を持っている。……お前たちの立場だったら、あまり褒められた考えじゃないな」
「だからきっと、先生はお医者さんなんですね」
「甘ちゃんだよ。結局、俺は。前線にいるお前たちを見送ることしかできない。命の危機を感じたことも少ない。だからそう考えてしまうんだろう」
 ひとを殺したことがないから言える台詞だ。徹底した利己主義だと、自分でも嫌気がさす。
……手を合わせてもいいですか?」
「ああ」
 白い百合を墓石の前に置き、手を合わせる男の頭を眺める。
 彼は、人間を殺したことがあるのだろう。そして殺されそうになったこともあるのだろう。彼の家族の無念を、慶自身の無念を〝分かる〟とはいえない。誰も分からない。傷つけられた痛みは、自分以外には決して分からない。〝気持ちは分かる〟と、無責任に言えやしない。同じ傷を負っても、決して言えないのだ。
 それを冷めていると言うのなら、そうなのだろう。きっと自分自身は冷めていて、責任をまともに負えない男なのだろう。
「ありがとう、齋穏寺」
 手を合わせ終えた上背のある男を眺め、礼を言う。
「きっと父も喜んでいる。ひとを墓参りにつれてくるのは初めてだったから」
 彼は目を伏せて、一度うなずいた。慶も、思うところがあるのだろう。亡くしたひとの数が多ければ多いほど、こころは麻痺する。けれどもそれ以上に摩耗し、傷つくはずだから。
 ポケットから煙草を取り出す。風がまた出始める前に吸わなければならなかった。
「煙草……。そういえば月に一回吸うって仰ってましたね」
「父の月命日にな」
 月に一度しか使わないライターを手の中でいじりながら「一服いいか」とたずねる。
「ハイ」
 引っ掻くように火をつけて、煙草にそれを映す。とたん風がつよくなり、思わず目を閉じた。まずいと思いながらむ煙草というのも、あからさまに出るものなのだろう。表情に。とはいっても、眉間にしわが常な自分ではそう滅多に指摘されないけれど。
「まずい」
 このときばかりは、本心とともに煙を吐きだす。細く長い紫煙は、強風にかき乱されあっという間に消えていった。
「まずいんですか」
「すごくまずい」
 慶の、暗色のジャケットの裾がゆれる。視界の端でそれをみとめて、すうっと煙草をもう一度だけ、吸った。そして深く吐きだし、携帯灰皿にすり潰す。
「まずいのに吸うんですか」
「父が好きだったから。……お前も、二十歳になったら吸ってみるか?」
 単なるいたずら心だったが、彼は思いもよらずよくよく考えるそぶりをした。
「メビウスでしたっけ。吸ってみたいです」
……そうなのか? こんだけまずいって言ってるのに」
 男はふふと笑って、「オトナって感じがします」と、本心なのか冗談なのか分からない口調でいった。いつもながら、末恐ろしい男である。
「俺が吸える頃になったら先生もおいしいって思うようになるかもしれませんし」
「ハハ。どうだか」
 灰皿をポケットに突っ込み、横たわった白い百合を眺める。清らかな白。自分では手に入れられなかった花がここにあることで、慰めにもなったように感じた。
「煙草より、酒のほうが俺はおすすめだけどな」
「あ。ウゾっていいましたっけ」
「そう。でもあれアルコール度数40くらいあるから、初っぱなはすすめられない」
 慶と向き合って、苦笑してみせる。
 はじめてウゾを飲んだとき、頭の中が真っ赤になるような感覚になったのを思い出す。あれはいつだっただろう。まだ父が生きていたころのはなしだ。
「それじゃ、そろそろ昼飯行くか」
「ハイ」
 父の墓に背中を向ける。またくるから、と胸中で語りかけながら墓地を出た。
 例の花屋をとおりすぎ、目抜き通りに入ると途端に人が大勢見えた。ここからは東々タワーも眺められる。もう少しいったところだと海も見えるだろう。
「いつもより人が多い……
 サングラスをして、あまり人を見ないように歩く。早歩きになってしまうのはいつもの癖だ。うつむき加減に歩き、慶のすらりとした足先が同じ方角に向かっていることを確認して店へ歩いて行く。
「そういえば今日はバレンタインでしたね。それにしては少しきな臭い感じがしますが」
……。あまりいい気はしないな。最近、アンチドートに対するデモも誹謗中傷も多い」
 昨日は過敏になっていたとはいえ、気に留めておかねばならないこともたくさんあるだろう。ふと、顔を上げる。自分と同じか、少し低い身長の男がこちらをじっと見つめていた。茶色い髪の、大人しそうな男――顔が薄ぼんやりしていてよく見えない。いやな寒気を感じ、目をふいと背ける。だが、見えた。意味不明な思考が。――救えなかった人、と、男は言っているように見えた。心臓が軋むように痛む。いや痛みではない、これは恐怖なのかもしれない。足が、竦むような――
「先生?」
 無意識に立ち止まっていた。いや、とか、ああ、とか、言えればよかったのだが、うまく言葉にできない。ただ首を振って、「行こう」と促す。
 打って変わり、店のなかは明るく賑やかであった。白と青を基調とした店内。どこか母の故郷を思い起こされる。
 通された席は窓際。大きな窓の向こうは人々が楽しげに、あるいは寄り添いながら目抜き通りを歩いていた。コートと鞄をカゴに入れ、店員が持ってきた水とレモンが入ったピッチャーをぼんやりと眺める。
 あの茶髪の男と面識などない。ないはずだが、確実にこちらに視線を投げかけていた。
……
 目を一度きつく瞑り、深く呼吸をする。
「先生、大丈夫ですか? 顔色が……
「すまん、なんでもない。ホラ、好きなの頼め」
 メニューを押しつけながら笑ってみせた。きちんと笑えていたらいいと思いながら。
 慶は素直にそれを受け取り、そっとメニュー表をめくりはじめる。
「どれも美味しそうですねぇ。イタリアンにフレンチ……。地中海料理もあります」
「俺はここのケバブが好き」
 イスケンデルケバブ。ヨーグルトを添えたケバブもある。何回か来たことがあるので、もう決めてはいるがたまには冒険してみたもいいかもしれない。
「ケバブ。屋台でよく見るあれですか」
「そう。ここのは美味い」
 慶のぶんと自分のコップにレモン水を入れ、ひとくち飲むと頭がすっと冴えてきた。
「俺、ケバブにします」
「ん。じゃあ俺もそれにする。あと、適当にサラダ頼むけど、いいか?」
「ハイ」
 冒険しようと思ったが、食事については先に決めた相手につられやすい。これもまた、マルタの癖だ。
 注文をすませ、窓辺を眺めた。正午を一時間半ほど過ぎたが、さらに街中は色めき立っている。みな大事そうに紙袋を持っていたり、手を繋いで歩くひとびとが目立った。
「バレンタインねぇ」
「先生もらいましたか? チョコ」
「いや。毎年この日は休みだし、そんな物好きいねぇよ」
 一度だけ、本命チョコなるものをもらったことがあるけれど。もう十年も前のことだ。
「ああ……お前には明日やるよ」
「フフ、用意してくれていたんですか?」
「まぁな。諸々の礼だ」
 あらためて慶を見ると、ひとの良さそうな、人懐こい顔だちに長いまつ毛、あたたかい色の髪に黒い石のピアス、なにより高身長――といったさまである。
 黙っていられない女子たちもいるだろう。じいっと眺めて、ひとつ息をついた。
「先生、人の顔見てため息ついてます」
「あ? ああ、悪い。お前、さぞかしモテるだろうなって思ってな」
「うーん……そうでしょうか。それをいうなら先生も」
「俺がモテるように見えるか? いつも仏頂面で捻くれたことしか言わないのに」
 自覚あったんですか、という表情をしている。心外だと思いながら、レモン水を一気にあおった。
「恋人つくろうとか思わないんですか?」
 すかさず、とでもいうかのように――無自覚だろうけれど――慶がのたまうので、昨日に続いて今日も咽せた。今度は水でだ。
「先生はそういうところ、分かりやすいですねぇ」
 フフフと笑っている慶を恨めしくも思うが仕方のないことだ。こればかりは。
「それは悪かったな。……ほしくなくはない」
「ほしくなく……えーっと」
 指折り数えているすきに、店員が大皿のサラダとケバブを二皿持ってきた。白く、ぱりっとしたテーブルクロスに置かれ、テーブルが一気に華やかになる。
 取り皿にサラダを取り分けてズイと慶の前に置く。彼は黙っている。プツンと途切れた会話に少々の居心地の悪さを感じ乍らも、自分のぶんのサラダをフォークでレタスを持ち上げて口に入れた。甘酸っぱい、レモンとオリーブオイル、コショウのきいたドレッシングだ。彼もまた、もくもくとレタスを食べ始めた。
「それは、つまりほしいということですか?」
 まだ続いていたのかと感心しながら「いつかな」とだけ答えた。
「先生、これおいしいです」
 次に手を付けたのはケバブだった。ケバブはケバブでも、屋台でよく見る方のドネルケバブだ。
 香辛料やマリネで下味をつけた野菜と、マトンや牛肉をナイフでそぎ落として食べる。ここでは屋台と同じくピタもついていた。
「そりゃよかった」
「香辛料きいているし、本格的な味ですね」
 手拭きで指先をぬぐいながら、おいしそうによく食べる男を見る。こういった姿だけを見ていたいとは思わないけれど、任務に行く背中がどうにも頭にちらつき、心苦しくなる。この男はまだ18歳だ。それなのになぜ命をかけなければならないのか。ずっと疑問だった。そこに、本当に自分の意思があったのだろうか、周りの同情に促されてアンチドートになったのではないかと思ってしまう。どうしても、あの6年前のまっすぐな瞳がよぎる。お前は今、悲しくはないか、つらくはないか、痛くはないか――と、親のような心配までもしてしまう。
 となりに立って戦うことができないもどかしさと罪悪感。それも結局自分のエゴでしかないのだろう。理解している。痛むほどに。
……俺が、」
「ハイ?」
 ポツリと零れたことばは止めようがなかった。
「俺がお前の親で、兄で、友で……そうあれれば、よかったんだけどな」
……せんせ、」
 い――ということばは大きな音――いや声か――で、かき消された。
 ばっ、と窓辺を睨む。慶も同じように睨め上げ、警戒するように椅子から立っている。
 他の客も恐ろしいものを見るようにそれ・・を見ていた。
 大勢の人々が、行列をつくって大きな声を上げている。――窓を隔てていても分かる。目を覆いたくなるアンチドートへの悪態が書かれた札をかかげ、絶叫していた。大規模というにはなまやさしい人数のデモ隊であった。
「デモか……
「通達はありましたが、これまでとは」
 腕時計を見ると15時半をまわっていた。
 デモ隊ひとりひとりの感情が脳に流れ込んでくる。アンチドートへの憤怒、恐怖、恨み、妬み――さまざまな思考と感情がマルタの精神という精神、神経という神経を圧迫し、思わずたたらを踏んだ。
「先生!」
「いい。大丈夫だ」
 あればまし、というだけのサングラスをかけ、慶に視線を移す。暗がりにぼんやりと浮かぶ男に、頷いてみせた。
「俺、警備の手伝いに行ってきます」
「そうだな。そうしてくれ。俺は一度、本部に行く。デモはまだしも、数人……気になることを考えている奴らがいた」
「気になる……?」
「フシフメツ……どういう字を書くのか分からんが、そいつらが良くない行動を起こすかもしれない。気に掛けておいてくれ」
「分かりました。先生、気をつけて。デモ隊は本部まで行く予定です」
「ああ。お前も……、」
 うすくことばを切る。奥歯を噛みしめ、「じゅうぶんに、気をつけろ」と言うことしかできなかった。
 彼はジャケットを着て、こちらに背中を向けた。
 どれだけこの後ろ姿を見送ってきただろう。どれだけ願っただろう。生きてまた、話がしたいと。
 本部に行くにせよ、ここを出なければならない。
 眉をひそめてデモ隊を見つめている店員に声をかけ、会計を頼んだ。


 ――東々タワーが爆破されたのが18時。
 犯行メンバーは不死不滅と名乗る高校生が多数を占める団体。人質をとり、タワー内部、地上にそれぞれメンバーを確認。
 マルタが本部に到着して数十分たった頃には、不死不滅の情報が研究施設にも流れていた。
 鳴り止まない警報、サイレンの音、怒号――。なぜ自分はここにいるのだろう。なんのために研究員になったのだろう。マルタがどう動いても、事件は増える。増え続ける。けれど、動かなければならない。医者だからだ。元医者だと思い込みながらも、自分にできることはそれくらいしかないと考えながら動き続ける。けれどもちっぽけなものだ。アンチドートに比べれば。が、自分にできうることをしなければ彼らに顔向けできない。
 ――どこであろうと、相手が誰であろうと、マルタにできることは必ずやり遂げる。
 そう誓ったのではないのか。今はもう亡い、妹に。