2026-03-07 20:08:27
2977文字
Public りゅうみこ
 

予想外の恋愛相談/頼灯

恋人になった頼朝との一度目のお部屋逢引直後、神気注入する前位の時間軸の小話です。
頼朝が結構思い悩んでいたり、縁づいた神のあれこれをねつ造していたりしますのでご注意ください。灯さんは出てきません。

 海中を思わせる空が東雲色に染まり始め、間もなく朝が訪れようかという頃。
 精霊すらも寝静まっている龍宮で、拝殿へ続く長い石段を駆け上がる人影がひとつあった。
 着物を着込み、その上から甲冑を身に着けながらも息を乱さず、一定のペースで走っているのは――八葉の一人である源頼朝。
 一見、早朝から一心に鍛錬に励んでいるように見える彼の内心は、珍しくさざ波が立っていた。
……走れば多少は気が紛れると思ったが、全く意味はなかったな)
 体を動かせば頭を占めている悩みが多少は晴れるだろうと当たりをつけて外に出たが、むしろそれが深くなっている気さえする。
 それでも足を止めず、頼朝は眉間に皺を寄せて溜息を零した。

 ――桜霞の世界で共に苦難を乗り越えた末に結ばれた恋人、結川灯の部屋に初めて招かれたのは、つい昨日のこと。
 想いを寄せる相手の気配がそこかしこに漂う、誰の目も届かない空間で、ふたりきりで時を過ごす。
 緊張しない方がおかしいような状況で、最初は足を踏み入れることに躊躇いを覚えた。けれども、灯の純粋な願いを聞いて己の認識を改めた頼朝は、意を決して彼女の誘いに応えたのだった。
 言葉を交わす中で、灯から『他の八葉を部屋に入れない』という発言を引き出せたことに安堵したのも束の間、『頼朝さんの部屋に招かれても安心できそう』とすっかり気を許したような微笑みを湛えた顔で言いきられてしまい、頼朝は釘を刺されたような心地になった。
……勿論、灯にそのような意図がなかったことは分かっている……が)
 それでも――いや、だからこそだろうか。頼朝にとって灯の言葉の威力は凄まじかった。内心の動揺を表情に出さないよう細心の注意を払ったが、彼女に気づかれていないことを祈るばかりだ。
「はあ……
 昨日のことを思い起こせば起こすほどに反省点が浮かび上がり、頼朝は無意識のうちに二度目の溜息を漏らす。
 灯から注がれる、清らかで心地の良い信頼に相応しい己でありたい。そして何よりも頼朝自身が、愛する人を大切にしたいという願いを抱いている。
 だから一時の欲や邪念に流されまいと、置かれている状況を変に意識しないように努めたけれど――かえって意識してしまう悪循環。彼女にとって安心できる存在にならねばと自身を戒めれば、余計にぎこちない振る舞いになってしまった。
 色々なことを考えすぎたせいで気がそぞろになってしまい、灯と何を話したのかあまり覚えていない。何とも情けない始末である。
……人を恋しく思うことが、こんなにもままならないものだとは知らなかった)
 知らず知らずのうちに視線を落としながら、頼朝は胸のうちで呟きを落とす。
 元の世界から異世界に連れてこられて以来、十年以上本心を押し殺すようにして暮らしてきた。その影響か、頼朝は自信の感情を表に出すことが得意ではない。
 それでも最近は、灯のおかげで少しずつではあるが自分の思いを示すことができるようになってきた。けれども、頼朝の想像を上回る速度で日々膨れ上がる彼女への恋情と、それに伴って生じた清廉とは言えない感情――いわゆる嫉妬心や独占欲――を、どう制御したら良いか分からない。
 二十四にもなって情けないという自覚はある。しかしながら、頼朝にとっては誰かに恋慕の情を抱くのも、その相手を想うあまり心を揺さぶられるのも初めてのことなのだ。
 一方の灯は元の世界では大学生で、頼朝よりもそういった人生経験は豊富に違いない。
 だから胸の奥に澱のように溜まっているこの気持ちを知られたら、彼女に幻滅されてしまわないだろうか――なんて、悪い想像すらしてしまう始末で。
――ここは、八百万社か? ……こんなところまで来てしまっていたのか)
 ふと目の端に鳥居が見え、頼朝は足を止めた。額から流れ落ちる汗を手で拭いながら軽く辺りを見回せば、いくつもの小さな――龍神に縁づく神々を祀る――社が目に映る。
 物思いに耽るうちに、随分と奥深くまで入り込んでしまったらしい。目的がなく、このような神聖な場所に足を踏み入れるのは褒められたことではない。
 そう思い、頼朝が踵を返そうとした、その時だった。
「どうした雛鳥、浮かない顔をしておるが」
――!?」
 深みを帯びた声音が耳元で響いたと同時に、眼前に現れた人影に頼朝は目を瞠る。
「八幡神、どうしてあなたがここにいるのだ?」
 豊かな金色の髪をたなびかせ、真っ白な翼を広げているその姿は、源氏の氏神に他ならない。放たれる神気の強さも、目の前の存在が八幡神であることを裏付けている。
 しかし、思わぬ相手の突然の登場に頼朝の理解が追い付かない。
 戸惑いを滲ませた声で尋ねれば、八幡神は泰然とした態度で口を開いた。
「あちらの世界で、お前たちが私を鎮めてくれたおかげだろう。再び龍宮に縁づき、こうして顕現することができるようになったのだ。常にというわけにはいかないが」
 不思議な仕組みだとは思うけれど、神が語る言葉に嘘はない。腑に落ちたように「そうか」と頼朝が頷くと、八幡神はあごに手を添え、小首を傾げた。
「それで、雛鳥よ。お前は一体何を思い悩んでいたのだ?」
「っ……!?」
 思いもよらぬ形で水を向けられ、頼朝の顔が強張る。
 恋人への想いを持て余している話など、きっと氏神の耳汚しにしかならない。けれども、己を案じて顕現してくれた神を誤魔化すのは不義理に当たるのではないか。頼朝の中で二つの感情がせめぎ合う。
 しばしの逡巡の後、彼は「源氏を率いる者として実に情けない話だが」と前置きをした上で、重い口を開いて抱えている悩みをひととおり打ち明けた。
「神子にお前の思いの丈を、余すことなく告げてしまえば良かろう」
 頼朝が語り終えるや否や、八幡神から授けられた答えは実に単純明快。
 暗に迷う余地などどこにもないだろうと告げるような彼の態度に、頼朝の口の端に自嘲の笑みが浮かぶ。
「そうすることで、灯に幻滅されはしないだろうか」
 みっともない胸のうちを明かしたことにより、無意識のうちに気を許したのかもしれない。頼朝の唇から、思わず弱音が零れた。
「いらぬ心配をしてどうする。あの娘がその程度のことで愛想を尽かすような者ではないと、お前が一番理解しているのだろう?」
 八幡神から投げかけられた問いに、頼朝ははっと目を見開く。
 初めての感情に惑うあまり、いつの間にか目が曇っていたのかもしれない。最も大切な事実に思い至り、頼朝の表情から迷いが消えた。
……そうだな。彼女は私の全てを受け入れてくれる人だ」
「答えは見つかったようだな」
 導くような響きを持つ八幡神の言葉に、頼朝は力強く首肯する。
「ああ。八幡神、このような話に耳を傾けてくれて、心から感謝する」
 流れるように礼の姿勢を取った後、真っすぐなまなざしを注げば、八幡神の口元がふっと緩む。「では、いずれまた見えよう」と一言残し、氏神は音もたてず姿を消した。
――ありがとう、八幡神」
 飾り気のない、けれども心からの感謝を込めた言葉を紡いだ頼朝は、今度こそ踵を返して来た道を戻っていく。
 迷いの霧を晴らす手助けをしてくれた守護神のおかげで、足取りは軽かった。