こばと
2026-03-07 18:56:00
3004文字
Public タキ書♀
 

芽生える


朝の鍛錬をしている護衛組&タキの日常、もっと見たいです。
肉を食べなさいと迫るレナードが書きたかった前半は、おまけです。(分かる人にだけ分かる中の人ネタ)



 朝早く目覚めると、得した気分になる。それはタキの持論でもあったが、どこかの国を旅したときに聞いた『早起きは三文の徳』という言葉は、なるほど確かに言い得て妙だ。
 朝日が射し込む寮の自室で、ぐっと腕を上げて伸びをしながら大きく息を吸い込むと、それだけで身体中に酸素が巡って細胞が目覚め始めるような気がした。ぬくぬくとしたベッドには名残惜しさもあるが、それよりももっと、まだ見ぬ景色や出会いにワクワクしたい気持ちのほうが強い。それがタキ・ルーカス・スタンリーという男だった。
……よし、起きるか!」
 目を覚ますようにぱんっと両手で頬を叩くと、タキは跳ね除けたブランケットを意外なほどに丁寧な手つきで折り畳む。
 普段からあちこちを飛び回り、旅することが多い彼の身支度は至ってシンプルだ。寝床を整えたら手早く着替えて、冷水で顔を洗う。
 濡れた顔と手をタオルで拭いて、ついでに寝癖を撫でつければ、タキの身支度なんてほとんど終わったようなものだ。多少跳ねた毛先もご愛嬌、自由気ままな彼らしいヘアスタイルだろう。主人から貰ったヘアオイルを毎夜丁寧に髪に揉み込んでいる幼馴染が見たら、またガミガミとお説教を食らうのかもしれないけれど。
「さて、と……朝メシ前にひと汗流すか」
 寮の自室を出たタキは、朝の鍛錬に精を出していそうなメンバーの顔を思い浮かべながら、廊下を歩く。いくつかの部屋の前を通ると、わずかに起き出した気配があったり、反対にまだぐっすり夢の中であろう静寂を感じたりと、早朝の特別寮ならではの空気を感じた。
 光取りの大きな窓から白む空を見上げると、ほんの数時間前まで夜空に浮かんでいた月も、今はすっかり空に溶け込んでいる。薄いヴェールを纏ったようなウィスタリア色の夜明けの空が、少しずつ光をまとって目覚め始める時間だ。
 特別寮のある棟を出て校庭に出ると、剣を交える者たちの姿はすぐに見つかった。
 鍛錬のメンバーはほとんど固定で、三年のレナードとザイードにユージン、二年と一年はタキとジークだけだった。タキ自身トレジャーハンターの仕事であちこちを飛び回ることも多く、残りのメンバーもまたそれぞれに忙しい者たちばかりなので、全員揃う日もあればそうじゃない日ももちろんある。どうやら今日は、後者らしい。
「おはようございます、タキ」
「おはよう。お前も朝の鍛錬か」
「おはようございます! レナード先輩もザイード先輩も早いですね」
 激しく木剣を打ち合っていたレナードとザイードだが、タキが近づく気配に気づくとすぐさま、にこやかな笑顔と落ち着き払った微笑みを向ける。その傍らのベンチに、無惨に折れた木剣が二本転がっていたのには見ないふりをして、タキは片手を上げた。
「ええ、このあとギザムルークへ調査に行くんですよ。朝しか咲かない花の採取をしに」
「あれ、じゃあもう鍛錬はおしまいですか?」
「そうだな。残念だが、俺たちは付き合ってやれそうにない」
「なーんだ、そりゃ残念」
 ちょうどタキの登場が、鍛錬の区切りになったのだろう。自然とベンチに集まると、レナードとザイードは汗ばんだ肌をタオルで拭いながら、タキとの会話を続けた。
「帰ってきてからでよければ、付き合いますよ」
「ははっ、レナード先輩の底なしのスタミナが羨ましいですよ」
「タキも常人よりは体力もあるほうだと思うが……
「うーん、まぁ一般的な平均よりは?」
「スタミナをつけたいなら肉を食べなさい、タキ」
 肉はいいですよ、とにっこり微笑むレナードは、見た目だけで言えば薔薇を背負いながら優雅にティータイムでも楽しんでいそうな外見をしているが、実際は鍛錬中に木剣を木っ端微塵にしてしまうほどのパワータイプの騎士だ。
 もちろんタキ自身もザイードが言うように、決して体力がないわけではない。むしろミーティア内でも、五本の指に入る程度の体力と身体能力を兼ね備えていると言っても過言ではなかった。
 しかしそんなタキから見ても、レナードやザイードの強靭な肉体と底なしのスタミナは、羨望の眼差しを向けるに値するものだった。
「んー、アムルにも体力増強メニューを作ってもらってんですけどね。なかなかレナード先輩やザイード先輩みたいにはなれなくて」
「体躯については遺伝もあるからな。努力だけではどうにもならない部分も確かにあるだろう」
「そうですね。持って生まれたフィジカルを活かした立ち回りを工夫するのがいいでしょうね」
「よしっ。じゃあまた今度タイミングが合ったときは、鍛錬に付き合ってくださいよ!」
「ええ、もちろん」
「楽しみにしている」
 そう言ってさりげなく折れた木剣を回収しながら、ザイードはレナードとともにその場を後にした。
 調査へと向かう二人の背中を見送ると、タキはまた一人になる。
 特別寮での共同生活において、一人きりになる時間というのは意外と珍しいものだ。だからこそ、どこか持て余した気持ちになりながらも黙々と筋トレに励んでいると、校庭の隅を紙袋を抱えた書記生が通りかかった。
……あれ? タキ先輩、お一人ですか?」
「よっ。レイは……朝から街へ?」
 繰り返していた腹筋がちょうど百回を迎えるタイミングで、駆け寄ってきたレイがタキに声をかける。起き上がったタキの鼻先をくすぐるのは、香ばしい小麦の匂い。抱えた紙袋の中身は、きっと焼き立てのパンだ。
「えへへ、バレちゃいましたか。実は繁華街のパン屋さんで、曜日限定で並ぶバゲットサンドがあってですね」
「おお、いい匂い」
「でしょう! よかったらたくさん買ってきたので、タキ先輩も一緒にどうですか?」
 ガサゴソと袋に手を突っ込んだ書記生は、見て見てと言わんばかりに紙に包まれたバゲットサンドをタキの眼前へと差し出す。薄いワックスペーパーに包まれた中身はもちろん見えはしないのだが、満面の笑みを浮かべる彼女の表情を眺めるだけで、タキの頬も思わず緩んでいった。
「いいのか?」
「もちろん! こういうのは誰かと一緒に食べたほうが美味しいですから!」
 くるくる変わる表情も、自分を見つけてパッと嬉しそうに駆け寄る姿も、そのすべてがかわいくて仕方がなかった。まだそれを本人に伝えるつもりはなかったけれど、レイと交わす些細な会話の一つ一つにタキは癒され、胸の奥深くにある柔らかな部分を確かにくすぐられていた。
 こんな風に、愛おしいと思える存在ができるなんて。少し前の自分には想像もできなかったと、タキは小さく笑う。
……ふはっ、あははっ」
「ど、どうして笑うんですか?」
「ああ、いや、お前らしいなって思ってさ!」
 思わず噴き出してしまったタキの顔を、まっすぐに見上げてくるつぶらな瞳。ガラス玉のように透き通ったそこに映り込む見慣れた顔は、見たこともないくらいやさしい顔つきをしていた。
「あとさ、こういうのって、青空の下で食べたほうがもっと美味いと思わねぇ?」
「っ! それ、最っ高ですね……!」
「だろ?」
 きっともう、見て見ぬふりも後戻りも、出来やしないんだろう。だって、目の前の存在をもっと笑顔にしたいと、そう願う自分に気づいてしまったから。
 いそいそとベンチへと向かう小さな背中を見つめながら、タキは澄み渡る早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。