ooo_ookawa
2026-03-07 14:20:34
3928文字
Public 文章
 

てんえどの極感想(文章)


※そねさんの話もかなりしてる
※自分(私)(オタク)の話もしてる


絵にして出力しなよって感じなんですけど絵での出力までに時間がかかるタイプで……
このままだと水心子と清麿の二次創作が見れないので今の自分の感想にインターネットタイムスタンプを押しにきました
とはいえ解釈なんて動く点Pですから、私も半年後には全然違うこと言ってるかもしれない





私が清麿と長曽祢さんを並べて話をすると「おまえ贔屓しか見えとらんのかい!」って感じなんですが、まあそうなんですが、いやそんなことないんですがそうなんですが
清麿も長曽祢さんも、修行から帰ってきて思ったことが「私そう言ってたじゃん!!」で

長曽祢さんの時も「私は君のことを一度も真作に劣るなんて思ってないよ!!君はずっと一番かっこいいよ!!」だったけど、清麿にも「私は君が足りてないなんて思ってなかったよ!!君はどこでも一番綺麗だった!!」だった
清麿が刀工のことよく知らないことも知ってたし(※正確には、知らないんだろうな〜という解釈をしていたというだけで、やっぱりそうなんだというほうが正しい)、集合なのも知ってたし(というか審神者知らない設定だったのか)、君の父が人に恵まれただただ純粋な人なのも想像だけど知ってた!知った上で、好きだよ〜とかありがとね〜を渡してたのに、受け取ってもらえないのが寂しかった!長曽祢さんもな!!!!!
でも清麿が刀工のこと父と思ってたのは知らなかったな……これ二次創作じゃないんだ……男子が刀工を父と呼んだのって初めて?浦島の修行のことも考えると全員がそう思ってるわけじゃないんだろうな…………えっ!?ていうか父さんって呼んだ!?!?

刀工源清麿が作刀した(という設定の)刀から顕現した刀剣男士二振りに対して「こいつら〜」という気持ちにはなったけど、極になってからは二振りとも、ありがと〜とか好きだよ〜を受け取ってくれそうで嬉しいです。
公式が似せてる意図はないと思うのでこれは私の偏った視点から見た感想です。



で、うちは清麿→水心子の順番で修行に行ってもらったから清麿の話をまずします。
順番はお願いをしに来てくれた順。私は初めての天保江戸で、どちらかといえば水心子を迎え入れたくて先に清麿を選んだ審神者なので(好きなものは後で食べるタイプ)
ていうかあんな言いづらそうに声かけられて、ちょっと待っては言えないよ〜!



刀工源清麿の萩行きが武器講を投げ出したわけじゃない説は刀剣乱舞がサービス開始したあたりで出てるっぽいので、刀剣男士のキャラクターデザインに反映させることもできたと思うんだけど、刀剣乱舞では「投げ出した」を採用した様子。わからん。諸説のひとつなのかもだけど、とりあえずここでは「近藤の虎徹は清麿作刀説を採用」と同じニュアンスで捉えるとします。

「父同然の人が」なんだろうね
自分勝手といわれてるようで悔しい?悲しい?
自分勝手な人物で情けない?恥ずかしい?
明記されてない部分は自由解釈点P部分だと思ってるんですけど、この時点では情けない寄りに感じた。
清麿は、よく知らない実質父が自分勝手な人物であることにネガティブな印象を持ってたのかもしれない。
強い刀は作れても素行の悪い人だったらしいから、自分は新々刀に名を連ねる刀として恥ずかしくない振る舞いをしなきゃ……みたいな?はっきりと情けないって思ってるわけじゃないけど、刀工に対する「なんだかなぁ」みたいな気持ちと、そもそもよく知らない人物であることが、彼の足元をふわふわさせていたのかも。
それが3通目で、それだけじゃない、と気付いたのだと感じた。

清麿は修行を経て、命を燃やすほどの純粋な想い・情熱がどれほど強いのかを自分の目で見て実感して、1人分のちいさな物語を肯定した。(刀工源清麿の物語は全然小さくないが、小栗忠順のほうが強い物語と定義されてるっぽいので)

人は死んだらそこで終わりだと思ってて。
だから「死んだこと」は生きてる人間のものになるというか。死んだ本人の物語は「死んだこと以外」の部分みたいな。
死んでしまうのは悲しいし寂しい。不条理な死や自殺なら尚更。
でも、死んだその人が生きていたこと自体は素晴らしいことだし、死んで悲しい・寂しいに覆われてしまうにはもったないほどの喜び・称賛があるはず。
もちろん寂しいし悲しいし生きてほしかった。でもそればかりになって、生きてる人間が悲劇を楽しむためだけの物語にはしたくない。
出戻り刀剣乱舞して、私が生まれるよりずっと昔に死んだ人の遺物を眺めながら、私ができることなんて大してないけど、ただ、その人が懸命に生きたことを大事にして、敬意を持とうと思うことが増えた。

っていうことを昨年12月頃すごく考えてたんですけど、だいたいそういうオチだったよね!?(そうか?)

私はいつも清麿の刀見ると「バチバチだ!」って思うんですけど、極の清麿もバチバチに光ってるのが、刀そのものと同じ印象で素敵だなって。
刀工の、鉄を鍛える時の火花で、命の輝きで、その身に反射して見た人の目に焼き付けてきた・焼き付ける粒子の輝きのよう。



で、水心子の修行なんですけど
胸が熱くなるとはこういうことか………という感じ

真っっっっ直ぐすぎてどこかで騙されやしないかと心配になるほどだけど、私はやっぱり強く理想を抱き努力する人が大好きで、その心は絶対に否定されるべきではないと思っているので、彼の理想が、未熟が、これからも理想に突き進むことが肯定されたような気がして、ちょっと泣いた。真っ直ぐすぎて言うことない。水心子ってかっこいい。
あと重傷絵がとても主人公。本当に水心子ってかっこいい。と思ってるから放置ボイスに殴られて倒れてしまう。



初のてんえどって先の見えない靄の中をお互いの手と、自分の中で燻ってる「強くならなきゃ」という思いだけを灯火にして前に進んでいた印象だけど、修行ではっきり靄が晴れて、行くべき道が見えた結果その道は分たれていた……という感じだ。もう君の手が、君の明かりがなくても歩いていける。
ニコイチのオタク的にはそれが少し寂しいけど、自分で旅先を選んで、自分で見つけた。二振りの旅が素晴らしいものでよかった。

と、寂しがりながら聞いた水心子の「抜くべき時を誤らず〜」と清麿の「刀が戦いの道具ではない時代もある〜」のセリフ、向いてるほう同じじゃない!?相棒!!!これからもよろしく親友!!!!!オタクは元気を取り戻しました。

刀剣乱舞の飲み込めない部分として「使われてこその刀」がずっとあって。もちろん武芸とか、戦争以外にも刀が使われる場所はあると思うんだけど、やっぱり戦争あってこそ、と言ってるような部分を、ずっと見て見ぬふりしてる。
だから、水心子の「抜くべき時を見誤らず〜」を聞いて、水心子って使われない刀の最前線を走ってるのかもと感じて、ちょっと、大丈夫かも、になった。

あと、清麿は「自分勝手ともとれるほどの情熱で己の理想を突き進む人」の証明の刀になったわけですが、それって水心子もじゃんね。清麿はすべての頑張る人を応援します。特に水心子。これからもよろしく親友。





長曽祢さんと清麿の話していいですか?

白状するんですけど、私は清麿のお花見ボイスを対長曽祢だと思ってて…………
贔屓しか見えてない激狭視野のオタクがなんかいうとるわって言われたらその通りです。私はおかしなことをいっている。
でもだってそうじゃん!!

だって刀工が酒で体を壊した(※”本当のところはわからない”が現実だと思いますがここではこの説で話をします)ことから連想して「心配になる」のなら対象は、酒を飲んでる全員or刀工と近い要素があるもの。
清麿は審神者・本丸の刀剣男士全員のことを心配するようなタイプではないので、まず後者とします(既にこじつけ感)
本丸内で刀工源清麿と近い要素があるのは審神者(人間)と長曽祢虎徹(清麿作刀)のみ(こじつけ感)
「心配になっちゃうな」と、審神者本人に言った可能性もあるが、なんだか遠くを見て言ってるようなニュアンスを感じるので審神者を除外した結果長曽祢虎徹しか残らないわけですよ
すごいこじつけ。こういうバカみたいなこと言えるのって楽しいよね。オタクすぎる。

それで何が言いたいかっていうと、
極花見ボイス、めちゃめちゃお兄ちゃんだった

極麿、長曽祢さんのこと「兄弟」って呼べちゃいそう
「父さん」だし
身内のことすごく大事にしそうじゃない?
「父さん」だし
でも「彼は僕の兄弟だけど、近藤勇が虎徹と呼んだ刀でそれはこの子にとって大事な物語だし、虎徹の贋作である物語を持ちながらも虎徹兄弟の長兄であろうと努力をしているから、ちゃんと長曽祢虎徹として愛してね」って釘刺してきそう。わかったわかった。

酒にNOといえる清麿、良かった。己の信じた道を行け。
体幹も強そうだし。見た目の3倍くらい重量ありそう。これは重傷絵の話。



近藤勇が贋作の虎徹を虎徹と信じ続けたのは「大事な時におまえが一番折れず、曲がらず、よく斬れる名刀だったから」を私の中では採用しているので、長曽祢さんを虎徹と呼ぶことは良い刀である証明。だからやっぱり、君は虎徹を名乗っていい、だよね、と思いました。



まだ破壊ボイスとか聞けてないけどこの3日間ほどぐつぐつ煮ていた脳内でした。ご清聴ありがとうございました。
自力で破壊ボイス聞けないよ〜〜・・・・・・・・