ojinuko
2026-03-06 20:10:59
3711文字
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弟の日🐦‍🔥

都合よく()弟の日があると耳にした兄さんのお話です

原作軸/ジョシュクラ/全年齢

 なんだろう、朝から気がつくと兄さんがこちらを見ている気がする。
 ちらちらと視界の端で黒いマントが、背中に差した剣が映り込む。気になって仕方ない。今日は出掛ける用件もなく、いい機会だから隠れ家のことをもっと知りたくて気の向くまま書庫や植物園などを訪ねているのだが……
 兄さん、僕になにか言いたいことでもあるのだろうか。
 本人は尾行しているつもりなのかもしれないけど、僕にそんな心当たりはないし、何より……隠れるのが致命的に下手すぎてなんだか面白くなってきた。
 途中、子供たちに絡まれて慌てたり、ついてくるトルガルにおやつをやったり。わざと気付かないふりをしている僕をそっと窺っては、また物陰に隠れてついてくる。
 だんだん鬼ごっこかかくれんぼでもしている気分になってきて、少し昔を思い出して僕も楽しくなっていた。
 しかし、たっぷり二刻ほど楽しんだところで、そろそろ僕はかくれんぼにも飽きてきた。
 いったい兄さんは何をしたいのだろう?
 
「なんだ、お前たち兄弟喧嘩でもしているのか」
 ウォールードで見つけた砦の壁画について情報を共有しておこうと、 ナインテールズ先生の元へ訪れたのだが。
 まだ兄さんは何かを諦めていないらしい。先生は目敏く柱の陰に見え隠れするインヴィクタスをちらりと見遣り、口端を上げた。
「ちがうよ」
「それなら兄君はどうしたのだ、先程からちらちらと気が散るぞ」
 乾いた笑いで誤魔化しつつ、もしかしたら何か怒らせたりしたのかと考えを巡らせた。が、心当たりは見つからない。
「それは僕が聞きたいんだけど……
 ………
 ………………
 ……………………
 先生の目と僕の目が一緒に柱の方を見る。
 無言の視線に気が付いたのか、兄さんは黒いマントの端っこと消しているようで消えていない靴音を残して逃げるようにデッキの方へ降りて行った。
「さっさと話し合った方が拗らせずに済むぞ」
「はい……
 やっぱり心当たりはないけど、先生の忠告に従って兄さんに直接聞いてみよう。
 僕は書きつけに使っている帳面を先生に一旦預け、兄さんの後を追うことにした。

 兄さんお邪魔するよ、と声をかけながらシドの私室の扉を押し開けると、兄さんは武器の手入れをするふりをしていた。慣れているはずの武器の手入れなのに、どこかがちゃがちゃしている感が否めない。
 それにその剣、もうずっと使っていない訓練用のやつだよね?
「あ、ああ……。どうしたんだ、ジョシュア。今日は出掛けてなかったんだな」
 わざとらしいね、その磨き油、上下逆さまだよ。声、どうして上擦ってるのかな。
「兄さん……まさか僕が気づいていないなんて、思ってないよね?」
 ああ、だか、はは、だか意味を成さない相槌に作り笑いを浮かべ、兄さんは明後日の方を見て頬を掻いた。
 どこまで本気で気づかれていないつもりだったのだか、この人は。こんな風に天然なところを見ていると、あの凛々しい隠れ家の長だなんて信じられない。子供のころだって、とってもかっこいい僕の憧れの兄さんだったのに、本当はこんなに可愛い人だったなんて。
「朝から僕のこと見てたの、知ってるよ。どうしたんだい?」
「あ、いや……そう、か。知って……
 据わりが悪そうに自分の髭を何度か撫で、兄さんは持っていた磨き油を置こうとして手を滑らせた。その瓶はごろごろと兄さんの手を離れ、作業机の上を僕の方に向かって転がってくる。それを拾い上げ差し出した僕に、ばつの悪そうな乾いた作り笑いが返ってきた。
 作り笑いの端っこを小さな溜め息に変えて、兄さんは観念したのか言いにくそうに口籠りながらも話を切り出した。 
「いや……その、お前は今日が何の日だか知っているか?」
「今日?――ええと、ごめん……なにかあったかな?」
「今日は弟の日なんだそうだ、昨日ちょっとハルポクラテスのところで耳に挟んでな……
――弟の日? 初めて聞いたけど、どこか外大陸の風習かなにかだろうか。弟だからって別に記念日なんか設ける必要があるのか、よくわからない。この世界のどこかには嫡男よりも次男を尊ぶ地域でもあるのかもしれないが。
「兄の日も、あるらしい」
「ふうん……で、それはなにをする日なの」
……わからない。ただせっかくそういう日があるのなら日頃の感謝でも伝えておこうかと、思ったんだが」
 弟の日に、感謝を……
 兄さんらしいというか。
 弟の日と聞いて真っ先に理屈くさい分析めいたことを考えてしまった自分とは、やっぱり違う。弟の日だからって弟にありがとうなんて、僕にはきっと考えもつかなかっただろう。兄さんがみんなに慕われる理由、わかる気がする。
 兄さんのちょっとはにかんだ笑顔を見てなんだか僕も恥ずかしくなってしまった。
……しかし、一体何を伝えればいいのかわからなくなってだな、結局……
「結局、ただ後をつけ回しただけだった、と」
……面目ない。それにしても気づかれていたとは、さすがジョシュアだ」
 いや、あれで気づかないとかあるのか? 外の世界へ出たら魔物に狩られて痛みを感じる間もなくあの世だろう。
 それにしても、怒らせてしまったとか僕が何かをしたわけじゃなくて安心した。
 そのふにゃふにゃな笑顔、できるならあんまり外では見せないでよ兄さん。あと、そうだな。半日近く理由もわからず後をつけ回されたんだから、少しくらい意趣返ししたっていいよね?
……なら兄さん、その可愛い弟のお願いを叶えてくれたりはしないのかな」
「俺にできることなら、なんだって叶えてやるぞ」
 兄さんは、花が咲いたみたいにぱっと表情を開かせた。
 僕のお願いを聞くのに、そんな顔をしてくれるなんて嬉しいよ。
「兄さんからキスしてよ」
……は?」
「嫌ならいいけど」
 さすがに予想しなかったお願いだったのか、兄さんは藍色の目を丸くした。
 ちょっと狼狽えてるのかな、視線が泳いでる。わかっていたけど、そんな身構えなくてもいいのに。昔、寝る前におでこへおやすみのキスをしてくれたみたいに、それくらいならいいよね? だってね、小さい僕はあの時が一番幸せだったんだ。
「嫌じゃないが……そういうのは、俺でいいのか」
「兄さんがいいんだよ」
 
……」 
 ぎこちなく向き合ったまま、停止すること数分。
 兄さんはまるで沈黙した遺物のモンスターみたいに固まってしまっている。ここにネクタールがいたら後ろから容赦なく蹴飛ばされそうだ。まるで軋んだ音でも立てそうなほど、関節という関節が固まってるな、兄さん。
……ジョシュア?」
 躊躇いがちに発せられた声に、こみ上げる笑いを堪えつつジョシュアは可愛い振りをして首を傾げてみせた。
「ん、なに?」
 言いにくそうに不自然な瞬きを繰り返しながら、兄さんは僕の頭の上あたりに視線を泳がせる。
 そんなに目元を朱くして、何も知らない年頃の娘か何か? この純粋さでここまでどうやって生き抜いてきたのだろう。修羅場だって僕なんかよりずっとたくさん超えてきているはずなのに。
「その、えー目は……開いたまま、なのか」
「せっかくだから顔を見ていたいと思って。やりにくいかな?」
「できれば、閉じてもらったほうが……お、俺としては……
でも、むしろそんなの余計に恥ずかしくないかな。初めてキスする十代の恋人同士じゃあるまいし……などと思いながらも、兄さんのいうとおり目を閉じた。
 しかし目を閉じると視覚の情報がなくなる分、鼻先に当たる兄さんの吐息の熱がリアルに感じられてどうも背中がこそばゆい。
 待ってこれはちょっと、僕まで恥ずかしくなってくるんだけど。
 どうしてそんなに間を溜めこむの、もういっそ早くしてくれないかな……
 ――兄さん?
「?!」
 最初に触れたのは上唇、ちょっとかさついた、でも熱い体温。
 次に下唇を掠めたのはざりりと固めの、たぶん、髭。
 気がついたら、恋人みたいなキスしてたなんて、流石の僕も息を飲んだよ。
 僕はてっきりおでこか、もしくは頬にその髭がざりっと当たるんだと思ってたんだから。
――だって、まさかね?
 薄く唇の隙間を開けて、ちょっと戯れに舌先を出してみた。触れたのは、ぎこちなく閉じられたままの乾いた唇。
 兄さんは僕の舌がちょんと触れた瞬間、びくっと後退って離れてしまった。
 顔を真っ赤にして口許を手で抑えたりなんかして。むしろ誘ってるようにしか見えないから、絶対僕以外の人の前ではしないでねそんな顔。
 もう少し味わってみたかったけど、そのあきれるほどかわいい顔を見られたから、まあいいか。

「いやすまない、まさか……その、子供のころのおやすみのキスのことを言っていたとは……」 
 語尾を濁しながら兄さんは赤い顔で謝っていたけど、普通は口づけのことだなんて思わないんじゃないかな、兄弟なら。
 僕は、期待していいのかな。
 兄の日もあるって言ってたね、兄さん。
――その時は、楽しみにしておいてよ?