2026-03-06 19:11:03
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(ファイさん視点では何も起こらない)異文化と嫁の着替えの話

 傍らで紙を捲っていた指先の動きがぴたりと止まる。ファイは一度黒鋼の様子を窺い、その眉間に新たな皺が刻まれたのを認めるとまた自らの手元に視線を落とした。手にしたタブレット端末には、見覚えのある料理と初めて目にする料理の写真が脈絡なく入り乱れて並んでいる。旅行者が集まる宿所の一角は昼過ぎの空気も相まって、眠気を誘うほど穏やかだ。
 なんとなく日本国に似た雰囲気の、ピッフル国のように技術が発展している平和な場所。降り立ったばかりのこの国に対するファイの感想は、おおむねこんな感じだった。列挙した要素だけ見れば隣の男にとってなかなか居心地の良い国のように思える。実際の反応は真逆と言ってもよかったが。
 下手に母国に似ているために、身に染みついた慣習との差異がより気になるらしい。モコナはともかくこれに対しては小狼も同意見のようで、納得いかないとばかりに黒鋼が目つきを鋭くする後ろで、いくらか困った顔をしていた。
 一番初めに遭遇した違いといえば、何の気なしに口にした緑茶に砂糖がたっぷり入っていたことだっただろうか。ファイも驚きはしたが、「こういう文化なんだな」と思うくらいである。この一件ですっかり警戒心を露わにした黒鋼は、その後も彼にとっての容認できない点に出くわしては元気にツッコミを入れている。その騒がしい態度といったらまるで旅の初めの頃のようで、ファイはこっそり面白くなってしまった。
 彼にとってある意味戦場よりも油断ならない場所であるせいか、普段は自然と自分の仕事になることが多い服装選びや食材の購入も、黒鋼が率先して計画を立てていた。こちらとしては異論もないので、気楽に従うのみである。

 宿所には情報収集のため旅行者も自由に使うことができる電子機器が充実していたものの、あいにく黒鋼はその類の扱いが得意ではない。マガニャンの購読程度は問題ないようだが、検索となるとまた勝手が違うのだろう。そのため棚の端に置いてあった分厚い案内を持ち出し、意外にも要領よくめくっている。ファイと違いおおよその言語が理解できるのも大きいのかもしれない。
 小狼はもう少し自分の目で見て回りたいと、モコナを連れ外に出ていた。とはいえそう遠くには行っていないはずだ。
「ねぇねぇ黒様」
「んだよ」
「これもお寿司? なんか見たことない感じだけど」
 適当に画面操作を繰り返したのち今しがた見つけた、おそらくこの近くの飲食店のメニューを見せる。タブレットの画面を覗き込んだ黒鋼は、不審を隠さず目を眇めた。
「カリフォルニア、ロール? ……なんだこれ」
「オレが聞いてるのにー」
 この国の字を読める黒鋼にとっても、またもや理解の及ばない範疇だったらしい。色鮮やかに飾りつけられた断面は目を引くが、以前目にした巻き寿司とはかなり違いがある。もっとも酢飯を使っている時点で、どちらにせよ自分には食べられないのだけど。
 黒鋼に指示されるまま他にもいくつか写真を開いたが、予想通り彼の好みではなかったようだ。疲れた顔でずいとタブレットが押し戻される。

 ふと顔を上げたところでこちらへやってくる小狼と目が合った。モコナもしっかり肩に乗っている。
 この土地に魔術の気配はしない。だが愛玩用の小型機械生物が一般的に流通しているらしく、モコナもその類として認識されそこかしこで可愛がられていた。
「おかえりー」
「ただいま」
 こうして改めて見ると、自分を含めどことなく旅行者という雰囲気がある。周囲から特別浮いているというわけではないのだが、それでも違和感を覚えるのが不思議だった。
 周囲の服装は和装が七割、洋装が三割といったところだろうか。その和装も日本国で見たものより、他文化の影響が色濃く感じられる。
「楽しそうな街だったよー、おいしそうなものもいっぱい!」
「大きい換金所は、この宿に来るまで通った道と反対にあるみたいだ」
 飛びついたモコナを引きはがしながら、黒鋼が冊子を閉じた。そっけなく、だが決して乱暴ではなく放られたモコナを受け止め撫でてやる。ひとまず手持ちでこの宿を借りることはできたが、しばらくここでの生活が続くなら、小狼の言う通り荷物を整理する必要があった。
「来るときに見たあのデカい建物の方か」
「おそらく」
「ならちょうどいい、その近くのあるらしい店に用がある。まとめて済ませて戻るぞ」
「ああ」
 立ち上がった黒鋼に続こうとした瞬間、不機嫌な声に制される。
「おまえと白まんじゅうは先に部屋へ帰ってろ」
「うん! モコナ、ファイについててあげるね」
……みんなありがとー」
 妙に湿気を感じる気候に対応しきれていないのか、大した痛みではないがこの国に来てから鈍く頭痛が続いていた。こちらに振り向いて微笑む小狼を見るに、彼にも気づかれていたのだろうなぁと思う。
 ファイは大人しく二人を見送り、モコナの柔らかな身体に頬を寄せ、それから一緒に部屋へと向かった。



 調べた甲斐あってか、黒鋼が買ってきたのは日本国のものに近い、おそらくこの国では古風と呼ばれるシンプルな衣服ばかりだった。モコナいわく、「これはこれで通って感じでオシャレ!」とのことである。
 小狼は深緑、黒鋼は濃灰、そしてファイは青みがかった白を基調とした一式だ。おまけに自分だけ濃紺の上着もある。確かに今まで暮らした国の習慣から重ね着をするスタイルに慣れてはいるが、この国は上着が必要なほど寒くもなければ日差しも強くない。初日の頭痛もすっかり良くなっている。そんなに心配しなくても大丈夫なのにと考えつつ、黙って渡された服を手に取る。
 旅が続くにつれ、こういったタイプの衣装を身に着ける機会も多くなった。全体のバランスを整えてから、上着を羽織ろうとしてあることに気づく。
「これ、いつもより袖が短いんだね」
「ああ?」
 既に身支度を終えていた黒鋼が視線をこちらに向けた。さっと全身を見渡したのち、衿の部分を少々直される。胴を動かさないようにしながら、ファイは独特な形の袖を振った。
「オレが今まで着てたの、もっとここが長かったから」
……早く慣れとけ。これから着るのはそっちだからな」
 つってもそもそもそっちの方が動きやすいだろうが。そう付け足した黒鋼が袖元を見た。一連の動作になんとなく違和感を覚え、それから気づく。なぜかわずかに視線が逸らされている。
「なんで?」
「そういうもんだからだ」
 淡々とした響きからは、それがおそらく事実であることしか読み取れない。相変わらず微妙に目線が合わないまま、脱いだ衣服を手にした黒鋼が部屋を出て行く。ファイは首を傾げてそれを見送った。

 怒っているわけじゃない。ばつが悪いという表現が近いだろうか? でも自分を責めている感じでもない、なんというかあれは。
「照れてる?」
 言葉にするとより納得がいった。ただなぜそうなったかまではわからない。
……なんで?」
 もう一度疑問を口に出したが、それを耳にする者も答えを返す者も居なかった。
 持っていた上着を羽織る。とりあえず今はいいかと素直に思った。彼のことだ。必要があればきちんと伝えてくれるだろう。



 袖を捌いて炊事をこなしながら、不意にそのときのことを思い出した。隣で焦げ付きやすい鍋をかき混ぜ続けてくれている小狼に聞いてみる。
「ちゃんとした和服っていうのかな? オレこういうの何度か着たことあるんだけど」
「ん? ああ」
 急に話しかけたにもかかわらず、小狼はわざわざ身体を向き直して相槌を打ってくれた。
「今までってもっと袖がこう、長い感じだったんだよねぇ。日本国に居たころとか。でも今回黒様が用意してくれたのはそうじゃなかったから、不思議に思って聞いてみたらさぁ」
……うん」
「これからはこっちを着るもんだって言われたんだよね。これってそもそも意味があるのかなー。小狼君知ってる?」
 ファイの問いかけに小狼がぎくりと身体をこわばらせた。予想外の反応にこちらも緊張してしまう。ちょっとした雑談として話題を振っただけで、困らせるつもりなんて全くなかったのに。

 しばし視線を泳がせてから、小狼は神妙に話し出した。ファイの困惑が深まる。
「ええと、貴方が疑問に思っている部分の意味は、多分わかっている。ただおれは、おれからではなく彼自身から聞くべき話だと思っていて……
「そう、なの?」
「ああ……
「わかった、ありがと小狼君。なんか気を遣わせちゃってごめんね」
「いや、おれの方こそすまない」
 表情を緩めた小狼が再び鍋をかき回し始めたので、ファイは内心安堵した。下ごしらえを終えた食材を別の鍋に入れる。次の調理に取りかかっていると、ふと小狼がこちらを見上げて言った。
……そうだ。言うのが遅くなったが、その服も貴方にとても似合っている」
「ありがとー。小狼君もすっごく似合ってるよー」
 お互いを誉めあい、顔を見合わせ、そして笑った。なんてことない日常だった。



 何気なく引っかかった事柄だが、どうやらそれなりの理由を秘めているらしい。二人の様子を見るに悪い話ではないのだろうけど、気にならないと言えば嘘になる。
 黒鋼はあれからも何も言ってこない。変わったところといえば、初日の不調が彼の中で尾を引いているのか、少しばかり過保護なきらいがあるくらいだろうか。
 危険なことなど起こりようもないのに、都合がつく日は必ずファイの働く小料理屋まで迎えに来てくれる。問題ないと伝えても聞き入れてもらえず、そのままになっているのが現状だった。初めの頃とは異なり、自分はもう隠し事などしていない。黒鋼もそれもわかっているだろうに、彼はいつまでもファイをよく見ている。
 全員揃って囲む食卓は平穏そのもので、モコナが一生懸命今日あったことを話して伝えてくれる。小狼との会話に耳を傾けながら、ファイは我ながら自信作である味噌汁をわかりにくくも満足気に啜る男の顔を見た。
……なんだ」
「べつにー」

 黒鋼の意図はわからない。だがファイに合うよう選んでくれたのだろう一着を見れば、彼の気持ちそのものは疑いようがなかった。
 問題はその内容だ。あの黒鋼が照れるような理由なんて簡単には思い浮かばない。この国に居るうちに話してくれるといいのだけど、今のところその気配はない。小狼がああまで言うのだから、できれば黒鋼本人の口から聞きたいと思う。ただあまりにも待たされるようなら話は別だ。気になってつい知世姫に質問してしまうかも……なんて仄めかしたら、さすがに教える気になってくれるだろうか?
 本人に知られたら怒られそうなことを考えつつ食事を進める。一足先に食べ終わった黒鋼が、茶を淹れるために席を立った。もちろん砂糖は入っていない、すっかりファイの舌にも馴染んだ味だ。
 最後の一口を咀嚼し終え、手を合わせる。見計らったように目の前に置かれた湯呑の中で、茶葉の茎がぷかりと立っていた。

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人妻系魔術師(無自覚)と公然の秘密
ファイさんはバイト先の小料理屋で話題になるけど、黒様が足繁く通うため(あっ旦那だ)(旦那迎えに来た)(今日はお子さんたちもいる)とか言われながら遠くから見守られるようになる