PRØV!DENCƎ
2026-03-04 20:03:09
1822文字
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#01 『生きているすべてを』

#01 『生きているすべてを』

ロウワー / PRØV!DENCƎ
https://nana-music.com/sounds/06e1b907

† R-15程度の残酷描写を含みます
† 暴力 / 流血 / 加虐的な描写を含みます
閲覧の際はご注意ください。


「私ね、神様なんだって」

 物言わぬ月光だけが、静かに仄かに降り注ぐ夜更け。
 くしゃりと崩れたシーツの皺の、波打つように生まれた影が、彼岸への道を照らす海面に似ていた。冷たさのなかに、体温だけがある。凍てつくような痛みが浮き彫りにする熱。
 赤く濡れた白い海を視界の端に捉えて、生きているってこういうことだ、と思う。

「傷を治したあと、言われたの。おかしいよね。私のせいで死んじゃったひと、たくさんいるのに」
 くすくすと小さく笑みを零せば、見下ろした眼差しが不快げに歪む。化け物め、と罵るときの冷めた双眸。奪った命を数えれば、きっとまだ彼女のほうが多いはずなのに──ヴェラはいつも、私だけを化け物だと呼ぶ。

「私にとっては、ヴェラのほうが神様みたいだよ。ヴェラがいれば、どんなことも怖くないもの。知らない場所にいても、記憶がなくなっても、誰かを殺してしまっても──ヴェラがいれば、私は大丈夫。ねえ、それって、至上の愛だと思わない?」

 ヴェラは何も言わなかった。精一杯の虚勢を張るように、美しい金色の瞳を軽蔑に染めて、黙って私を見上げていた。隠した本音を飲み込むように、その喉が微かに上下する。
 些細なその仕草を見逃せず、私の心臓は大きく跳ねた。凪いだ水面に飛沫を撒き散らすみたいに、肋骨の裏で大きな塊が暴れている。
 うるさい。ヴェラの音が聞こえない。湧き上がった苛立ちを埋葬するように、左手に金属の質感が触れた。

「でも、ヴェラはまだ怯えてる。愛してる、って言ったのに。嘘吐き」
「ライア」

 私の言葉を押し留めるように、焦燥の滲んだ声で名前を呼ばれる。溺れまいと藻掻くみたいな、保身と自己弁護。ヴェラが自分を守ろうとするたび、行き場のない虚しさに襲われる。重ねた体温が離れていく予感に似ていて、すべてが厭になってしまう。

「違うって言ってよ」

 告げられた制止を振り切るように、握りしめたナイフを突き立てた。脇腹に大きな傷が咲いて、押し殺した呻き声が耳朶を揺らす。僅かに漏れる濁った吐息が、険しく顰められた端正な顔貌が、確かな彼女の痛苦を主張していて、それでも悲鳴を上げないのはきっと、暗殺を生業とする人間としての矜持だった。

「私、ちゃんと教えてあげるから。ヴェラが怖がることなんて、ひとつもないんだよって」

 浅く刺さった刃先を引き抜けば、びしゃりと真っ赤な液体が噴き出して、無防備だった私を汚した。ヴェラが着せてくれた寝間着も、ヴェラが梳いてくれた髪も、ヴェラが撫でてくれた皮膚も、鉄の香りに染まっていく。
 つい先刻まで、ヴェラの生命そのものだった流動体。頬を濡らしたそれを指先で掬って舐め取れば、ヴェラの心臓を囓ったみたいな味がした。

 彼女の欠けたところも、私のいのちで埋めてあげたくて、生まれたばかりの傷に触れる。破れた肌の裂け目に指先を這わせれば、見下ろした喉が小さく震えた。いやだ、と譫言のような声。
 痛みで動かないはずの身体を必死で捩って、ヴェラは逃げ出そうとしていた。彼女はいつも、そうだった。傷付けられることよりも、治されることを恐れている。私が治癒の力を使うことに怯えている。
 だから、何度だって教えなくてはならなかった。ヴェラが怖がることなんて、ひとつもない。繰り返し傷を刻んで、繰り返し傷を癒やして、変わらない愛を確かめる儀式みたいに、彼女の恐怖に浸かっていなければならなかった。

 冬の月明かりによく似た、薄い黄金を宿した双眸が、私を象った影を映して揺れる。
 膝立ちで彼女に一歩近付けば、錯乱したように視線が下がるから、両手で頬を包んで強引に上向かせた。私だけを浮かべた水面が潤んで、愛おしさにぎゅっと胸を締めつけられる。
 ヴェラの鼓動と呼吸の音を、彼女が生きている証のすべてを、私のものだと教えてほしくて仕方なかった。私が生きている証のすべてを、ヴェラに委ねたくって仕方なかった。

 啜り泣くような弱々しい悲鳴と同時に、彼女の身体に開いた傷が塞がっていく。再び銀色の刃を手に取って、同じ場所を抉った。浅い呼吸を飲み込む音。ヴェラが生きている音。限界まで見開かれた瞳は宝石みたいに煌めいて、ムーンロードに似ていた。

「だいすきだよ、ヴェラ」

 神様に祈りを捧げるみたいに、熱を帯びた傷を撫で続ける。
 彼女が怯えを忘れるまで。正しい愛を証明するまで。