春の日差しが忍術学園をやわらかく包んでいた。
太陽にぽかぽかと温められた土は、独特のにおいを含んでいる。空は高く、雲一つない。春というより初夏に近いほどの陽気で、じっとしているだけでも汗ばむくらいだった。
「
……それでは、図書委員会の活動を始める」
「はい! 今年もよろしくお願いします、中在家先輩!」
二年生になったばかりの久作が、背筋を伸ばして丁寧に挨拶する。今年も図書委員会を選んでくれた感謝を心の中で述べながら、委員長となった長次は図書室の鍵を開けた。
引き戸を滑らせると、書庫のひんやりとした空気が流れ出す。古書のにおいと春のにおいが混じりあうのを鼻先で感じつつ、長次は空を見上げた。青く高い空だ。空気もよく乾いている。
「やあ長次、お疲れ様!」
明るい声に振り向くと、そこには保健委員会の伊作が立っていた。後ろには後輩の数馬と左近が並び、ぺこりと頭を下げる。久作も同様に礼をし、同じクラスの左近と親しげに手を振り合っている。
「委員会活動か」
「うん。今日はすごくいい天気だろ? さっき薬草園で採ってきたんだ。早速乾かそうと思ってさ」
伊作は体を傾けてみせた。背負い籠の中には、何種類もの薬草が詰められている。
「新しい一年生が入ってくる前に、数馬と左近に改めて教えておきたいこともあるからね」
芽吹いたばかりの草花は、春の日を浴びてどれも瑞々しい。
長次は籠の中身をじっと見つめ、次に空へと目を遣った。どこまでも続く、澄み切った青。
「長次?」
「
……今日は、やめておいた方がいいかもしれない」
「えっ、どうして? こんなにいい天気なんだよ」
「雲一つありませんし、雨が降るようには思えませんけど
……」
首をかしげる伊作と久作に、長次はわずかに目を細めた。
「強い風が、吹くかもしれない」
一瞬の沈黙の後。伊作は、あはは、と苦笑した。
「風に飛ばされるくらいは心得てるさ。何てったって僕ら、『不運委員会』だし」
悲壮な称号を自ら述べつつも、後輩ともども胸を張る姿はどこか誇らしげですらある。干していた包帯が突風で煽られたり、薬草がにわか雨でずぶぬれになったりするのは日常茶飯事──新たに保健委員会委員長となった伊作から、そんな自虐が滲んでいた。
「でも、もしどうしようもなく飛ばされちゃったら長次たちにも集めるのを手伝ってもらうかも。その時はよろしく頼むよ」
「もそ
……わかった」
伊作たちは校庭へと向かい、広げたござの上に薬草を丁寧に並べ始めた。
返却図書を確認しつつ、長次はその様子を黙って見つめている。
「中在家先輩。保健委員会のことをまだ気に掛けていらっしゃるのですか?」
貸出カードを揃えながら、久作が声をかけてくる。
「確かに保健委員会は運の無いことが多いですけど、今日は本当にいい天気ですよ。僕は、図書委員会でも虫干しをするといいんじゃないかと思ったぐらいで
……」
「春の、温かな日。
開けた地」
「え?」
ぽつりとこぼされた言葉に、久作は思わず聞き返した。
「こういう日には、急に風が巻き上がることがある」
何故かは、述べない。理屈、経験、あるいは直感によるものだ。端的すぎる説明に久作が目をしばたかせた、その時。
「うわーっ!!」
校庭から、大きな叫び声が上がった。
次の瞬間、ぶわり、と風が吹き付けた。戸がガタガタと鳴り、本の頁が一斉に捲られる。廊下に出た二人が目を眇めて見たものは、砂ぼこりが舞い、ござが暴れ、並べられた薬草が吹き飛ばされていく光景だった。
保健委員会の面々が呆然と眺める中、青い空へと草花が散っていく。巻き上げられた土と草がぐるりと渦を巻き、天に向かって泳いでいる。
「
御前のものどものまゐらせすゑたりけるを、
俄に
辻風の吹き
纏ひて
……」
前髪を風に煽られながら、長次は淡々と呟いた。
やがて風は、何事もなかったかのように静まった。
校庭には、あちこちに散乱した薬草と、立ち尽くす保健委員会だけが取り残されていた。
春の陽だけが、変わらず学園を照らしている。もう一度空を見上げて、長次はくるりと背を向けた。無言で図書室に戻ろうとする背を、久作が慌てて追いかける。
「あのっ中在家先輩、保健委員会を手伝わなくていいんですか?」
「
……貴重な薬草ではなさそうだったから」
「そういう問題ですか!?」
「図書室も少々荒れてしまった。そちらを片付けるのが先だ」
長次は少しだけ足を止め、「それに」と続けた。
「
……今年も、保健委員会は不運なのだとわかった」
事実確認のように、淡々と。
校庭からは、伊作の「やっぱり不運だぁ~!」という嘆きが響いている。
あたたかく、のどかな春の日のことであった。
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つむじ風は明確な前兆がほぼ無く、未だに予測困難だそうです。
「御前のものどものまゐらせすゑたりけるを、俄に辻風の吹きまつひて」という部分は『大鏡』[一七八]怪異、後の障りなし―大極殿・春日社前 からです。
つむじ風について検索したところ、気象現象を指す用法の古い例として挙げられていたので引用しました。
『大鏡』は平安時代の書物なので、もしかすると忍術学園の書庫にも写しが収められていたかもなあと思いつつ、ちょろっと調べただけなので詳しく理解できていない状態で書いています。ご容赦ください。
引用部の前後は、『大宮(のちに皇后となられた方)が春日に参詣した際、御前へのお供えがつむじ風に巻き上げられて東大寺に落ちてしまった。春日の御前に供えたものが源氏の氏寺(東大寺)に取られてしまったのはよくない前兆ではないか、と噂されたがその後も大宮は長くご繁栄なさったので、あれはむしろ吉報であったと思われる。「これは良い兆しだ」と言われても特に何事もなく終わることもあるし、このように不吉に見える出来事でもかえって良い結果につながることもある』
という内容の話だそうです。
保健委員会は不運だけど不幸ではない、巻き上げられた薬草は天への供物となったのです……みたいなことを絡めて書きたかったのですが、私の力量不足でうまくまとめられなかったのでここで供養しておきます。
長次に色々解説させてしまうと、それは沈黙の生き字引ではなくなってしまうのでは?? という葛藤があります……。
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