roku
2026-03-04 10:12:57
1372文字
Public 松イチワンドロライ
 

第36回『波』

・ハピエンイメソンを聴いてアウトプットした話

このままではいけないと頭ではわかっている。
だけど体が思うように動かない。
「松本、交代だ」
………はい」
滴り落ちる汗を拭いながら唇を噛みしめた。

夕飯の後、ランニングという名目で外に出た松本は底なしの藍に導かれるように海岸へと向かった。寄せては返す波が白く鋭い刃のように松本の心を抉っていく。
「松本」
名前を呼ぶ声がして振り向けばそこには一之倉が立っていた。
「探したよ」
ザッザッと砂を鳴らして歩みを進めた一之倉は立ち上がろうとした松本を制してその隣に腰を下ろした。
「すまない」と眉を下げて笑顔を作った松本。一之倉は少しの沈黙のあと、「そういうの、いらない」と松本の背中をぽんと叩いた。
松本の頬を一筋の涙が伝う。苦しさ、申し訳なさ、面目なさ、そんな様々な感情が入り混じった涙。その中で一之倉が何よりも強く感じ取ったのは、悔しさ、だった。
「ありきたりかもしれないけど、足りないものは埋め合えばいいと思うんだ」
青黒い海に言葉が飲み込まれないようにしっかりと松本を見つめてそう言った。
「バスケも、そうじゃない部分も」
……一之倉」
「松本はずっと同じ場所から動けないでいるって思ってんだろうけどそんなことないからな。努力した分だけ前に進んでるよ」
雲間から顔を覗かせた月が海面うなもに反射し一之倉の横顔を照らす。
「ならもっと努力しねぇと
「そういうとこ松本だなって思う。でもオーバーワークはよくない」
「わかっている」
「わかってないからこうなってる。周りをもっと見ろ。オレたちはチームだ。オレは……
一之倉は何かを口にしようとしてきゅっと唇を結んだ。
「一之倉は、何だ?」
「何でもない。とにかくお前がいないと困る。だから夕飯後はオレも一緒に走るからな!」
「ははっ、それはありがたいな」
『やっと笑った』
一之倉の言葉は波が攫い、松本の耳には届かなかった。

◇◇◇

「一之倉ちょっといいか?」
寮の部屋を片付けている一之倉のもとに松本が訪ねてきた。
「どうぞ。松本はもう片付け終わったの?」
「まだだぞ」
開き直ったような松本に「オレは手伝わないよ?」とくすくすと笑う。
「違うぞ。そういう話じゃねぇ」
「じゃあどういう話?」
「海、見に行かないか?」
松本は何かがあった時、決まって海へ行くことを一之倉は知っていた。ざわつく心を隠し「いいよ」と荷造りしている手を止めた。

果てしなく広がる青い世界を前にあの日のようにふたりして並んで座る。頬を打つ風はまだひんやりと冷たい。あの日とは違う清々しい松本の横顔を見つめ、もうこれで最後なんだと感慨深い気持ちになる。
「一之倉。3年間、ありがとう」
改まって告げられた言葉に、波が寂しさを連れてくる。一之倉は思わず立てた膝に顔を埋めた。
……こちらこそ」
「一之倉のおかげで辛くて苦しいことも乗り越えられてきた」
オレもだよ」
顔を上げてくれと一之倉を覗き込む松本。一之倉はゆっくりと松本に向き合った。重なる視線がまっすぐ一之倉を捉え、松本は決意したように深く息を吐き口を開いた。

「一之倉のことが、好きなんだ」

はっきりと紡がれた想いは一之倉の胸を深く突き刺した。ドクドクと大きくなっていく鼓動が波の音すら掻き消し、ふたりの影が重なった。