一之倉は足を取られないよう、雪の積もった石段を一歩一歩踏みしめて登った。革靴の底で、水っぽい雪がぱしゃりとぱしゃりと音を立てる。石段の半ばまで登ったところで足を止め、顔を上げた。
走り込みのたびに何百回何千回と見上げた空は、今日も雲が垂れ込めて暗い。
視線を足元に戻して、また登る。溶けかけの雪には先客の大きな靴跡が残っていて、一之倉はそれを避けて足を運んだ。もしかしたらこの靴跡も見納めになるかもしれない。どんな些細なことだって、ひとつ残らず覚えておきたかった。
時間を稼ぐようにのろのろと登っても、やがて石段は途切れて、一之倉は最後の一歩を踏み出した。視線を上げる。神社の拝殿の前に立つ松本が、まっすぐに一之倉を見つめていた。
「一之倉」
松本の口から白い息がふわっと空へ昇っていく。鼻の頭は寒さで赤くなっていた。
一之倉が石畳を進むのを待ちかねたように、松本が歩み寄ってくる。腕を伸ばせば届く距離にまで近づいたところで、互いに足を止めた。
「ごめん、お待たせ」
「いや、今来たところ。最後のホームルームだからって長引いてさ」
松本の目をまっすぐ見られなくて、一之倉は松本の胸のあたりに視線を落とした。胸には見慣れた『6』の代わりに、卒業を祝うコサージュが飾られている。小脇に抱えているのはバスケットボールではなく、卒業証書だ。
松本は一之倉の感傷になんてお構いなしに、話し続けた。
「一之倉、ここ登ってきたのに、全然息切れしてないな。さすが」
「まぁね」
一之倉もなんでもない風に答えた。本当は喉から心臓が飛び出しそうになっている。我慢は得意なのだ。
顔をうつむけたままの一之倉の視界に、松本の手が伸びてきた。冷たい手のひらが、一之倉の頬に添えられる。
「……今日で、離ればなれだ」
松本の声が途切れる。
一之倉は覚悟を決めて、顔を上げた。そこにあったのは、予想外に柔らかく顔をほころばせる松本だった。
「なかなか会えなくなるけど、電話するよ。手紙も書く」
力が抜けた一之倉の手から、卒業証書が雪の上に滑り落ちる。
「わっ」
松本は慌てて一之倉の卒業証書を拾い上げ、ぱたぱたと水を払った。それをこちらに差し出した松本が、首を傾げる。
「一之倉?」
「……オレ、振られるんだと思ってた……」
「えっ? なんでだ?」
「だって、オレが告白したときと同じ場所にわざわざ呼び出すなんて……」
松本は目を見開いて、それから、目を細めた。
「最後に思い出の場所に来たかったんだ。ごめん、心配させて」
「いや、こっちこそ、勘違いしてごめん」
松本はふたりぶんの卒業証書をまとめて小脇に抱えると、もう一度、一之倉の頬に手を添えた。互いの白い息が重なって、それから、くちびるが触れ合う。
それはほんの数秒の出来事だった。離れていった松本の顔は、鼻の頭だけじゃなく耳も頬もおでこも真っ赤になっていた。
松本の右手が、一之倉の左手を握る。なにも言わずに見つめ合って、それから、歩きだした。
ふたりの足元で、柔らかな雪がぱしゃりぱしゃりと音を立てる。
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