桐子
2026-03-03 23:34:56
3071文字
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ルミナス⑤


ゲゲ郎はドラマに映画にと忙しいようだった。だが、わずかな時間の合間にも、ゲゲ郎は水木に会いたがった。「飲みに行こう」と誘われて断り続けるのが心苦しく、三回に一回は「いいぞ」と言ってしまうのだった。
居酒屋の個室で、ゲゲ郎とビールジョッキをぶつける。芸能人だからと店員が気をきかせて奥まった場所に案内してくれたのだ。小さなテーブルを挟んで向かい合いながら、枝豆や軟骨の唐揚げを食べる。
「映画の撮影、始まったんだろ」
「うむ。子役のお嬢さんが聡い子でなあ。倅に会いとうなったよ」
唐揚げにレモンをかけながら、ゲゲ郎が寂し気に言う。
「会いに行けよ」
「それがのう、毎日のようにビデオ通話をしておったら、『父さんは撮影に集中した方がいいですよ。毎晩通話しなくても大丈夫ですから』と言ってな……週に二回に回数を減らされたんじゃ。会いに来るのも禁止じゃと」
「しっかりしてるなあ」
水木の言葉に、ゲゲ郎は嬉しそうに頷いた。
「ああ、自慢の倅じゃ。あの子は本当によくできた子でな。妻にそっくりじゃ」
どう見てもゲゲ郎のクローンのような瓜二つの顔をしていたが、ゲゲ郎にとっては妻にそっくりな自慢の息子らしい。ゲゲ郎は水木の話も聞きたがった。バラエティー番組で行ったロケの話、ドラマの話。映画の主演のオファーが来ているのだとこっそり教えると、ゲゲ郎は目を輝かせて喜んでくれた。
「なんと、主演か」
「それも監督はあの埋れ木さんなんだ。厳しくて有名だけど、あの人に認められたら一流だ。バディものだけど相手役はまだ決まってなくて」
「楽しみじゃのう。水木の相手役なら、きっといい女優が選ばれるじゃろうな」
「残念ながら相手は男だよ。人間と妖怪のバディなんだ。俺は妖怪役でね」
舞台は古い因習の残る村。そこへ訪れた野心家の男が、村を巡る事件に巻き込まれるという筋だ。埋れ木真吾といえばホラーやミステリーの分野では一流で知らぬ者はいない。以前から彼とは一緒に仕事をしたいと思っていた。やっと運が巡ってきたようだ。出演が決まってから、水木は資料になりそうな妖怪や探偵物の本を買い漁り、休日でも名作と言われた古い映画を熱心に見ている。派手なアクションがあるというから、武道の稽古にも励んだ。妖怪の男を演じるためにできることは全てしておくつもりだった。
「それなら、前祝じゃ」
ゲゲ郎はグラスを掲げた。
「映画が成功することを祈って」
かちり、とグラスが音を立てる。「ありがとう」と答えてビールを飲み干した。今日は久しぶりにゲゲ郎といても、心穏やかでいられた。ゲゲ郎も久しぶりに水木と飲めたのが嬉しいのか上機嫌だった。秋のひやりとした風がキルティングジャケット越しに肌を撫でた。
「寒くないか?」
「ふふ、平気じゃよ」
ゲゲ郎はこの寒さだというのに、薄手のスウェットと色あせたジーパンという出で立ちだった。どう見ても防寒には向いていない。見ている水木の寒さまで助長されそうな恰好だ。
「それじゃあ風邪引くだろ。ほら、これやるよ」
マフラーを外して首に巻いてやる。ゲゲ郎は目を丸くした。
「水木は寒くないのか」
「いいから巻いてろ。それと、オフだからってあんまりみすぼらしい恰好してるとネタにされるぞ」
恵まれた体躯をしているのだ。スーツやカジュアルなジャケットを着ても似合うだろう。
……ありがとう」
ゲゲ郎は嬉しそうに微笑んだ。


それから数日後のことだ。映画の顔合わせで指定された稽古場へ向かう。渡された台本はもう何回も読みこんだ。台詞もほとんど頭に入っている。だが、実際に監督や共演者と顔を合わせるのは初めてだ。緊張で胃がキリキリして、食欲がなかったがなんとかゼリー飲料だけを流し込んできた。
稽古場には既に数十人のスタッフが集まっていた。早く来たつもりだが、監督は既に到着していて、演出家や脚本家と熱心に話をしている。さすがは一流の監督だ。オーラが全然違う。水木はとびっきりの笑顔を浮かべ、さわやかに声をかけた。
「おはようございます」
「ああ、水木くん。おはよう」
埋れ木監督は人好きのする笑顔で水木に向き直る。撮影が始まる前は穏やかなのだが、クランクインしたあとは「鬼の埋れ木」に豹変するらしい。しかし、彼に認められれば一流の俳優への道が開けたも同然だ。子役時代の栄光にしがみついているとか、劣化しただなんて、もう誰にも言わせない。燃えるような野心を押し隠し、水木はさわやかな表情を保つ。
「今日からよろしくお願いします。監督とは一度、一緒に仕事をしてみたいと思っていたんですよ」
「それは嬉しいな」
そう言いながら、埋れ木監督はじっと水木のことを見つめた。こちらがたじろぐほど強い視線。何かまずいことを言ってしまっただろうか。
「君、いいね。とてもいい」
「は、はあ、それはどうも」
どこをどう見て褒められたかはしらないが、褒められているのは確かなようだ。訳も分からず、とりあえずもう一度丁寧に頭を下げ、自分の席へ座る。普通、顔合わせと本読みの時には役名と役者の名前の両方が書かれた紙が貼られているのだが、この稽古場には役者の名前しか書かれていない。周りを見ると、可憐な令嬢役の女優や一族を束ねる女主人、その従者などを演じる役者たちが次々に入ってくる。しかし、水木の椅子の隣、バディ役になるであろう相手はまだ来ていない。しかも席にも名前がない。まさかまだ決まっていないのだろうか。
「ではみなさん、そろそろ顔合わせの会を始めます」
助監督が前に立って声をかけた。最初は監督からの挨拶、次がキャストの紹介になる。監督が「この映画で描きたいのは人間の業と欲、そしてさまざまな形の愛です」と語り始める。
「そして、今回の映画では人間と妖怪という異種族のバディが主役となります。その片方を演じていただくのは水木さんですが、……正直、もう一人の方はかなり悩みました。ようやく見つけた人物は、スケジュールが調整できない可能性があると言われてしまいまして」
でも、と監督は続ける。
「さっき連絡があって、何とかスケジュールを調整して出演してくれることが決まりました」
スケジュールが合わないほどの売れっ子というわけか。同じ年くらいのベテランが来るか、それとも若手か?野心家のサラリーマンという役どころだから、若手の方がイメージに合うかもしれない。となるとSか、Mというセンもあるかもしれない。水木が考え込んでいると、突然背後のドアが開いた。
「っ、お、遅れてすみませぬ……ッ!」
「ゲゲ郎……!?」
そこにいたのはゲゲ郎だった。前の現場から急いで来たのだろう、下駄に着流しという衣装のままだ。
――――どうしてこいつがここに。
驚く水木を後目に、埋れ木監督は「来てくれて嬉しいよ」とにこやかに声をかけた。
「思った通りだ。やはり僕の目に狂いはなかった」
埋れ木監督は満足そうに頷いている。

「水木くんには悪いけれど、役を交代してもらう。君は野心家のサラリーマンを……そしてゲゲ郎くん、君が演じるのは、妻を探す妖怪の男だ」

水木は目を見開いた。言葉の意味が理解できない。水木にきたオファーは妖怪の男の役だった。脚本を読む限り、バディものとはあったが実質的な主演はこちらだろう。だが、自分はその相手役のサラリーマンをやれと言われたのだ。そして妖怪は――――主演は、ゲゲ郎にと。
頭の中が真っ白になる。そんな馬鹿な、どうして、そればかりが水木の頭を駆け巡った。