haru_haru0704
2026-03-03 20:10:09
10741文字
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青龍と白虎(諸説あり)

哥仇/仇臨&カカ忌 全年齢

青龍と白虎になってしまった忌炎と哥舒臨の話です

石崩れの高地に、青龍と白虎の雄々しい咆哮が響き渡る。その声はまるで、「蟻の子一匹ですらここは通さん」と叫んでいるかのようだ。
破陣と伏波に詰めた夜帰兵たちは、その声に恐れおののき、息を潜めて沈黙するばかり。それは、残像との戦いに慣れた彼ららしからぬ弱気な姿だった。
しかし、彼らには弱気にならざるを得ない理由がある。
その理由とは──吠え猛る青龍と白虎の正体が、正気を失った夜帰の現将軍と前将軍だからである。

✦✦✦
夜帰軍高官および今令尹からの緊急連絡を受けた仇遠は、伏波陣地へと馳せ参じた。入口付近で仇遠を出迎えた兵は、焦燥した様子で「こちらへ!奥へどうぞ!」と彼を案内する。
伏波陣地内の雰囲気は慌ただしく、困惑していて、そして少しばかり統率が乱れているように感じた。おそらく、将軍不在の影響だろう。
仇遠が案内された部屋に足を踏み入れると、そこには残像とほとんど同じ周波数を持つ人物がいた。幽霊猟犬団長、カカロだ。
彼のことは哥舒臨を通じて、更に忌炎を通じて知っている。何を知っているのかと問われれば、困ってしまうが。
少なくとも、悪人ではないのだろう。彼は、あの忌炎将軍が見初めた相手なのだから。
「ああ、お前も来てくれたのか。助かった。さすがに1人では荷が重いと思っていたところだ・・・」
カカロは苦笑しながらそう言った。やや投げやりな雰囲気を感じるのは気のせいだろうか?
「ひとまずここに座ってくれ。とんでもない事になってしまった将軍どもの様子を観察しようじゃないか」
「うむ」
仇遠は、カカロの隣の椅子に腰を下ろした。どうやら正面に大きなモニターがあるようだが、仇遠の目では内容が分からない。
カカロはそんな仇遠を慮り、モニターに映っている内容を口頭で説明し始めた。
「これは、破陣基地と伏波陣地の中間あたりのリアルタイム映像だ。映っているのは、青龍になってしまった忌炎と白虎になってしまった哥舒臨。2人・・・2匹・・・は、この地点から動かず基本的には大人しくしている。だが、人や車や残像が通ろうとすると大暴れだ。あと、たまに2匹で喧嘩をしていることもあるらしい」
カカロは、はあ・・・と大きな溜息を吐いた。
確かにモニターからは、ぐるる・・・と低い唸り声に、呼吸音が混じった音が聞こえてくる。カカロの言う通り、2人分・・・いや、2匹分の音が聞き取れた。
「獣になった程度であれば、さしたる問題は無さそうに思うが」
「ああ、そうだな。普通の獣の大きさだったらな」
仇遠の疑問に、カカロはやれやれといった様子で答えた。
なるほど、どうやら2匹は普通の獣ではないらしい。であれば、多少話が変わってくるというものだ。
仇遠は頷くと、続けて尋ねた。
「どれほどの大きさであろうか」
「どれほどと言われても、説明が難しいな・・・。・・・鳴鐘の亀に出くわしたことがあるか?」
「うむ」
「アレと同じくらいだ。2匹とも」
仇遠は、以前出会った残像についての記憶を掘り起こした。
あの残像は鈍重であったが、優れた体躯とそれによる防御の硬さには少し手間取った。並みの大きさの残像であれば一振りで終わるところが、身体が大きいというだけで一刀両断できなくなる。
「・・・巨躯だな」
「ああ、デカい。困ったな」
カカロは再度、ふぅと溜息を吐いた。
2匹が巨躯ということは理解したが、彼は何故そこまで憂いているのだろうか。もちろん実際に手合わせしたことはないが、彼も相当の手練れと聞く。正気を失った獣風情、抑え込むことは可能だろう。
その過程で多少の怪我を負わせたとて、相手はこの石崩れの高地で将軍を務めていた男たちだ。その程度で文句を言うほど狭量でもあるまい。
仇遠がそう考えていると、不意にモニターから声が聞こえた。地を這うような、鋭く重みのある咆哮が鼓膜を揺らす。
さすがの仇遠も、獣の声から正確に感情を知ることはできないが、おそらく不機嫌なのだろうということは分かった。
「・・・あいつらは、何者かが石崩れの高地を行き来するのをひどく嫌がっているようだ。残像を倒してくれる分にはいいんだが、問題は破陣基地に詰めている兵士たちだ。彼らに食糧や物資を運ぼうとした部隊は、ことごとく通行を阻まれたらしい」
「ふむ・・・供給が絶たれて困っておるというわけか。破陣側の備蓄は残りどの程度か、わかっておるか?」
「あと3日分。哥舒臨と忌炎が正気を失い始めた時、備蓄のほとんどを破壊してしまったらしい」
「猶予はない、ということか。であれば、迅速に対処しよう。某はいつでも行ける」
仇遠がそう言うと、カカロはやや面食らったようだった。小さく呼吸が乱れ、そして元に戻る。
「・・・具体的な解決方法は?」
「力ずくで止めるのみ」
モニター越しに、荒ぶる獣の声が響く。その声に理性は感じられない。到底、話し合いでどうにかなるとは思えない状態だった。
「・・・そうだな、やはりそれしかないか・・・」
カカロは渋々といった様子で頷いた。
不穏な周波数を持っている割には、温厚な男のようだ。こんな調子で、忌炎を相手取れるのだろうか。
「難しいようであれば、某1人でも・・・」
「いや、俺も行く。忌炎は俺が相手をするから、お前は手出ししないでくれ。俺も哥舒臨には手出ししない」
カカロは仇遠の言葉を遮り、きっぱりとそう言った。
手出し無用の意図はよく分からないが、彼なりに何かこだわりがあるのだろう。仇遠はひとまず頷く。
「承知した」
「15分後に出発で問題ないか?」
「無論」
話がまとまると、カカロは早速準備を始めた。夜帰兵に指示を出し、物資や輸送車の準備などをさせているようだ。
手持ち無沙汰になった仇遠は、モニターから聞こえる音をただ静かに聞いていた。

✦✦✦
仇遠とカカロは夜帰の輸送車に乗り込み、2匹の獣の元へと向かっていた。
ある程度接近したら車を降り、獣の注意を引き付け、輸送車が破陣基地へと向かう手助けをする。そういう手筈だ。
石崩れの高地は基本的に見晴らしのよい土地であるため、遠目からでも獣の様子は確認できる。カカロが車の窓から様子を窺うと、遠方の空に浮かぶ忌炎は車を凝視していた。何とも恐ろしい雰囲気だ。
哥舒臨は地に伏せているのか、あまり様子が分からない。遠目からは、潰れた巨大な豆大福が地面に落ちているように見える。
「忌炎はこちらを見ておるな」
カカロの隣に座っていた仇遠が呟く。
彼は窓の外を見ていないどころかそもそも盲目であるはずだが、なぜ分かるのだろうか。
「某には、目に映らぬものが見えておる。晴眼者とは知覚の種類が異なるというだけのこと」
「俺が何を考えているかまで分かるのか。凄いな」
「ある程度は。無論、何もかもが詳細に分かるわけではない」
「なるほど」
そこで2人の会話は一旦途切れた。少しの沈黙の後、再びカカロは口を開く。
「・・・ところで、あいつらはどうしてあんなに大きいんだろうな。俺も狼になりかけたことがあるが、普通の人間サイズだったぞ」
「某も、普通のたぬきの大きさであった」
「たぬき」
「うむ。先日、たぬきの姿でお主とも会ったな。犬と誤認していたようだが」
仇遠がそう言うと、カカロは首を傾げた。あまりよく分かっていない雰囲気だ。
彼は瑝瓏の生まれではないから、あまりたぬきを見たことがないのだろう。そもそも、たぬきという動物がいるということを知らない可能性もある。
仇遠が「年末のことだ」と申し添えると、カカロは合点がいった様子で頷いた。
「ああ、あの時の。あれがお前だったのか。・・・遠慮なく撫でて悪かったな」
「あの状況では仕方あるまい・・・」
仇遠とカカロの間に、なんとなく気まずいような、気恥ずかしいような、生ぬるい空気が流れる。その瞬間、遥か遠くの青龍が吼えた。
「────!」
その声は、超常的な響きを帯びていた。
獣と輸送車はいまだ何kmも離れているというのに、まるで耳元で叫ばれたかのように鮮明な咆哮が耳を劈く。輸送車ごとビリビリと震えたように感じたのは錯覚だろうか。
「何だ、急に!」
カカロは慌てて窓の外を見た。すると、先ほどまで静止していた忌炎が移動を始めているではないか。
彼は、輸送車を目がけて猛烈な速さで飛行していた。
「む・・・忌炎が怒り狂っておる。目標はこの車・・・否、お主のようだ」
「俺か?どうして急に怒ったんだ?」
「わからぬ」
「・・・まあ、俺が狙われているのなら好都合だ。忌炎を引き付けて何とかする。哥舒臨の方は頼んだぞ」
カカロは輸送車の大きな窓を開けると、そこから外へ飛び出していった。びゅうと風が吹き込み、仇遠の長い髪を揺らす。
やはり、忌炎の狙いはカカロのようだ。忌炎の意識が車から逸れ、カカロを追い始めたのを仇遠は確かに感じ取った。
そして彼の耳は、哥舒臨の低い唸り声も捉えた。どうやら、気持ち良く寝ていたところを起こされて不機嫌なようだ。
仇遠は窓からの風を浴びながら、ふぅと溜息を吐いた。

✦✦✦
カカロは輸送車の進行方向に対して直角に走る。
ちらりと横目で見ると、忌炎はカカロを目掛けてまっすぐに飛翔してきているのが分かった。その表情は険しく、怒っているのはほぼ間違いないだろう。
彼の怒りには、きっと何か理由があるはずだ。そうでなければ、輸送車には目もくれずカカロだけを追うはずがない。
カカロは走りながら、自分が怒りを買った原因について考えた。つい先ほどの、輸送車の中での行動を思い出す。
「・・・・・・」
だが、特段思い当たる節がない。
車の中では大人しく座っていただけだし、仇遠との会話も当たり障りのないものだ。強いて言うなら、最後少しだけ微妙な空気になったが・・・それは関係ないだろう。
カカロは走りながら考えを深めた。
輸送車そのものではなく、運転手の夜帰兵や仇遠でもなく、自分でなければいけない理由。すぐに思いつくのは、やはり周波数の特殊性だ。
忌炎が感知できる範囲内に、残像の周波数が侵入したせいで怒っている?
理性のない獣と思っていたが、人間よりも残像を優先的に排除しようとする程度の分別はあるのかもしれない。特に根拠のない仮説だが、なかなかしっくりくる。
「─────!!」
と、そんな事を考えている内に、忌炎はいよいよカカロとの距離を詰めてきていた。その咆哮と存在感は圧を増し、カカロを押し潰してしまいそうなほどである。
だが、カカロは不敵に笑った。そして立ち止まり、長刃を構え、忌炎を待ち受ける。
「正気を失った恋人を、傷つけずに止められるかどうか・・・腕の見せ所、というやつだな」

一方、カカロ同様に輸送車を降りた仇遠は、哥舒臨を目掛けて走っていた。
哥舒臨は金の瞳をきょろきょろと動かし、車と仇遠の姿を見比べている。どちらを狙おうか迷っている様子だ。
輸送車には、破陣基地に物資を届けるという重要な任務がある。哥舒臨の興味がそちらに向いてしまわぬよう、仇遠は大袈裟に竹林を生やしながら走った。
「ンナ゙∼」
わさわさと揺れる葉に興味を引かれたのか、哥舒臨は低く鳴いた。直後、毛の擦れる音と、砂を踏みしめる音が仇遠の耳に届く。
哥舒臨は尻をもにもにと動かして、獲物を狙う体勢に入っていた。仇遠の灰色の瞳にその光景が映ることはないが、彼は音の種類や響き方、それから多少の勘によって哥舒臨の動きを察知している。
哥舒臨との距離は・・・1kmを切った程度だろうか。徒歩の人間にはやや長い距離だが、今の哥舒臨の図体であれば数秒とかからぬだろう。
仇遠はいったん走るのをやめ、その場で竹林をざわめかせる。自ら巨獣の懐に飛び込むよりも、向こうから来させる方が動きを読みやすいからだ。
時に大きく揺れ、かと思えばひっそりと動きを止める竹の葉に、哥舒臨は夢中になっている。ざり、ざり、と足元の砂を整え、今にも走り出しそうな様子だ。
「来るがよい」
仇遠は静かに呟く。
竹林が大きく揺れ、そして静まり──哥舒臨は駆け出した。
フッと鋭く吐き出された呼吸の音。それから、しなやかに筋肉が躍動する音。哥舒臨の図体が大きいおかげで、それらの音は普段よりも容易く聞き取ることができた。
彼は驚異的な速度でもって、仇遠との距離を詰める。仇遠はすらりと剣を抜くと、タイミングを見計らって跳躍した。
「!」
獲物が突然動き出し、哥舒臨は驚愕に目を見開いた。その目前を、仇遠と墨竹が通り過ぎていく。
哥舒臨は咄嗟に前脚で獲物を捕らえようとしたが、仇遠の方が僅かに速い。彼の迅刀は青く閃き、哥舒臨のぷにぷにでピンク色の鼻に浅い切り傷を作った。
「フギャ!」
負傷の程度からすれば、かなり大袈裟な悲鳴が上がる。哥舒臨はドタドタと走って仇遠から距離を取ると、まずは前脚を舐め、その前脚でくしくしと鼻先を擦り始めた。
仇遠は哥舒臨を追い、更なる斬撃を浴びせようとした。したのだが・・・
「ゥウ∼ン・・・」といかにも悲しげな声で鳴かれ、刃が鈍る。相手が普段の哥舒臨であれば容赦なく斬りかかるところだが、無垢な獣相手となるとさすがにやりづらい。
もしや、カカロが憂いていた理由は、このやりづらさを予見していたからだろうか?
仇遠はひとつ溜息を吐き、迅刀を鞘に納めた。ぱちんという音で我に返ったのか、哥舒臨は「シャ-!」と仇遠を威嚇する。
「・・・獣よ、お主は何を望んでおる?なにゆえ通行者を拒むのか」
仇遠の問いかけに哥舒臨は答えない。ただ低く唸り、仇遠を睨みつけるだけだ。
「仕方あるまい・・・」
仇遠は腰に提げた竹筒を手に取ると、中の薬液をごくごくと飲み下す。途端、暗闇ばかりだった仇遠の視界に、ざわめく竹林が現れた。
彼は、心の鏡に獣の姿を映し込む。人間以外に共鳴能力を使うのは初めてだが、人間も白虎もさして変わりはしないだろう。

「・・・・・・」
仇遠はぱちりと目を開いた。ここは、哥舒臨の心の中の世界。
今は精神が獣と化しているせいか、その風景は極端に単純なものだった。
果てのない世界の真ん中に、ふかふかのベッドがぽつんと置かれている。そしてイエネコ程度の大きさになった哥舒臨は、そのベッドの上でぬいぐるみを齧ったり蹴ったりして遊んでいた。
「哥舒臨」
「ンミ゙ャ?」
仇遠が声をかけると、哥舒臨はぬいぐるみ遊びをやめて首を傾げた。仇遠は静かにベッドへと近づき、そっと腰掛ける。
哥舒臨に敵意は感じられない。ただ、興味深そうに仇遠を見つめているだけだ。
仇遠が手を差し出すと、哥舒臨はフンフンとその匂いを嗅いだ。やがて、彼の手に頭を擦りつけるようにして甘え始める。
ふわふわの被毛を撫でてやりながら、仇遠は尋ねた。
「お主は何を望んでおる?石崩れの高地の通行者を狩りたいわけではあるまい」
哥舒臨はゴロゴロと喉を鳴らしている。仇遠の言葉を理解しているかどうかは不明だ。しかし、仇遠は話を続けた。
「遊び相手を欲しておるのか、それとも腹が減ったのか。あるいは・・・こうして、ただ誰かに撫でられたかったのか」
「ンー・・・」
哥舒臨は鼻にかかったような声で鳴いた。そしてのそりと動くと、仇遠の膝の上に乗り上げる。
「ン゙ナゥゥ」
仇遠の膝の上で何度か足踏みをした後、哥舒臨は不満げに鳴いた。どうやら、仇遠の両脚が大きく開いているせいで体が安定せず、乗り心地が悪いらしい。
仇遠が脚を閉じてやると、哥舒臨はフスーと満足そうに鼻息を漏らし、体を横たえた。膝の上があたたかく、やわらかい。
仇遠はしばし無言のまま、哥舒臨をやさしく撫で続ける。
盲目である仇遠には知る由もなかったが、哥舒臨が先ほどまで遊んでいたぬいぐるみは、仇遠を模した姿かたちをしていた。

✦✦✦
忌炎が飛び回る度に、カカロは強風に打ちのめされる。風上の方向にしっかりと重心を置いておかなければ、あっという間に吹き飛ばされてしまいそうだ。
「忌炎・・・!頼む、落ち着いてくれ!」
カカロは必死に声を張り上げるが、忌炎の険しい態度は揺るがなかった。おそらく声自体は耳に届いているはずだが、内容が理解できないか、最初から聞くつもりがないのだろう。
忌炎は旋回し、牙を剥きながらカカロに襲いかかった。彼は、切れ味の鋭い風の刃を全身に纏っている。まともに受ければ、カカロの体はあっという間に切り刻まれてしまうだろう。
カカロは飛び退き、大きな顎による攻撃を避けた。続いて襲い来た風の刃は、手にした長刃で受け流す。
対峙する相手が残像であれば反撃を試みるところだが、相手は忌炎だ。そうもいかない。
しかし・・・これでは埒が明かないことも確かだ。このまま回避を続けていては、こちらの体力が尽きてしまう。
やはり、攻撃を仕掛けるべきだろうか?だが、輸送車は既に破陣基地側へ走り抜けているはず。ならば無理をして忌炎を止めずとも、時間さえ稼げば・・・
「────!」
忌炎が再び咆哮する。彼はぐるぐると空を旋回し、またもやカカロに向かって急降下してきた。
カカロは先ほどと同様、横に飛び退いてその攻撃を躱す。しかし忌炎はそれを読んでいたのか、長い体をぐるんと捻り、その尾でカカロを打ち据えた。
「・・・ッ!」
カカロはその攻撃を長刃でなんとか防ぐ。しかし、巨大な質量による打撃の衝撃は凄まじく、彼の体は容易く弾き飛ばされてしまった。
空中で体勢の復帰を試みるが、間に合わない。カカロは背後にあった岩壁に背を強かに打ちつけた。その痛みに呻く暇もなく、忌炎の大きな爪が迫る。
──まずい。

一瞬の後、カカロは忌炎の手と岩に挟まれた自身を知覚した。顔のすぐ横に、鋭い爪が突き刺さっている。
このまま押し潰すつもりなのだろうか。忌炎の手に力が籠り、ミシミシと体が軋む。
「忌炎・・・ッ」
カカロの手には、まだしっかりと長刃が握られている。忌炎に押さえつけられているため右腕はあまり大きく動かせないが、その長刃で忌炎を攻撃することは可能だろう。
それに、カカロには相棒の影もいる。長年付き合ってきた共鳴能力もある。
反撃は、いつでもできるのだ。カカロがその気になりさえすれば。
「・・・忌炎、もう一度だけ言う。落ち着いてくれ。俺はお前を傷つけたくない。お前が大切なんだ」
カカロは静かにそう告げた。
これで駄目なら、諦めて反撃するしかない。・・・大切な相手を害するなど本意ではないが、殺されてやるわけにはいかないのだ。
「・・・・・・」
忌炎はじっとカカロを見つめている。
彼の手から少し力が抜け、カカロはほっと息を吐いた。ひとまず、捻り潰されることはなさそうだ。
「忌炎、仲良くしよう。な?」
カカロは右手を開いた。長刃が地面に落ち、がらんと音を立てる。
忌炎は首を傾げ、ますますカカロに顔を近づけた。
怜悧な輝きを帯びた金色の瞳は、いつも通り美しい。瞳孔のふちに走る朱色が、金をより一層引き立てている。
ぐるる・・・と喉を鳴らした後、忌炎はカカロを押さえつけるのをやめた。大きな爪が岩から引き抜かれ、そっと離れていく。
「分かってくれたか。ありがとう、忌炎」
カカロは長刃を拾って鞘に納めると、自ら忌炎に近づく。そして手を伸ばすと、忌炎は恐る恐るといった様子で鼻先を差し出した。
怖がらせないよう、ゆっくりと撫でてやる。少しひんやりとしていて、すべすべした手触りだ。
しばらく撫で続けていると、忌炎は「もっと」とせがむように顔を寄せてきた。カカロは両腕を広げ、そのまま抱き締めてやる。
くるるるる・・・と甘えるように喉を鳴らしているのが可愛らしい。人間の時よりもよほど分かりやすい態度に、カカロは思わず笑みを浮かべた。

✦✦✦
仇遠は現実の世界に戻り、哥舒臨とのんきに・・・否、いたって真面目に遊んでいた。
竹林じゃらしで哥舒臨の興味を引き、時折仇遠めがけて繰り出される猫パンチを華麗に避ける。それは仇遠にとっても、なかなか良い修行だと言えるだろう。
「ニ゙ャア∼ン・・・」
しばらくそうやって遊んでいたのだが、哥舒臨は一声鳴くと地面に横たわってしまった。どうやら遊び疲れたらしい。
仇遠も哥舒臨のもふもふな前脚の上に乗り、休息を取る。もふもふすぎて体がほとんど埋まってしまったが・・・まあ、問題はないだろう。
「ンー」
哥舒臨は仇遠に顔を近づけ、匂いを嗅ぎ始めた。フスフスと鼻息が当たり、なんとも生温かい。
「やめよ」
仇遠は哥舒臨の鼻を押したが、びくともしなかった。さすがに体格の差がありすぎる。
仕方がないので好きにさせていると、哥舒臨はやがて仇遠の竹筒に興味を示した。フンフンフン・・・と嗅いだ後、口を半開きにして固まる。いわゆるフレーメン反応だ。
「これは美味いものではないぞ。・・・む?」
不意に、仇遠の耳に聞き覚えのある音が届いた。
それは、巨大な質量が空を翔ける音。先ほど輸送車の中でも聞いた、忌炎の移動音だ。
先ほどとは異なり、その音に攻撃的な雰囲気は感じられない。カカロの方も、説得に成功したらしい。
仇遠はもふもふの毛から脱出し、哥舒臨の横に立って忌炎の到着を待った。

ほどなくして、仇遠と哥舒臨の前に青龍が降り立つ。カカロは彼の首にしがみついていたようだが、なんだかヨレヨレになっている。
「あ、ありがとうな忌炎・・・物凄い速さと揺れだった・・・」
カカロは忌炎の上から降りると、少しフラつきながら仇遠に近づいてきた。どうやら、空の旅はなかなか過酷だったようだ。
「忌炎と仲良くなった。おそらくだが、もう暴れることはないだろう」
「某の方も同様」
カカロの言葉に、仇遠は頷く。その直後、仇遠の頭上から猫パンチが降ってきた。どすーん・・・!という音と共に、カカロの視界は白い毛で埋め尽くされる。
当然、仇遠は巨大肉球に押し潰される前に移動しており、猫パンチを食らってはいないのだが・・・
「・・・本当に仲良くなったのか?どうも狙われているようだが」
「問題ない」
そう言い張る仇遠に、カカロは一抹の不安を覚えた。

✦✦✦
大きな大きな青龍と白虎を連れ、カカロと仇遠は伏波陣地に帰還した。
獣たちは落ち着き、石崩れの高地は問題なく通行できるようになり、破陣基地には支援物資が届けられた。考えうる限り、最も良い成果を得られたと言っていいだろう。
伏波に詰めていた兵たちは喜び勇み、功労者である2人のためにささやかなパーティを開いてくれた。仇遠とカカロは少しだけ居心地の悪さを感じつつも、夕飯と酒をありがたくいただく。
やがて夜も更け、そろそろ解散──という雰囲気になったところで、外から轟音が響く。ゴリゴリ、ガリガリ、ギャリギャリ・・・と、硬いもの同士が激しく擦れ合うような音だ。
仇遠とカカロ、夜帰兵たちはすぐさま外へ飛び出し、音がする方向を見た。すると──
「ああ!見張りやぐらが爪とぎにされてる!」
「やめてください哥舒臨副将軍ー!」
夜帰兵たちは口々に悲鳴をあげる。
ふぅと溜息を吐くと、仇遠は哥舒臨の元に向かって走り出した。

哥舒臨の爪とぎ騒ぎが収まった頃、カカロは1人忌炎の元へと向かった。
気ままに行動する哥舒臨とは異なり、彼は伏波陣地の端でずっと大人しくしている。昼間の暴れっぷりが嘘のようだ。
忌炎は、「何をしに来たんだ?」とばかりに首を傾げる。
「お前が寂しい思いをしてないかと思ってな」
カカロがそう言うと、忌炎は瞳をうるうるさせて、きゅるる・・・と高い声で鳴いた。そして、顔を擦り寄せてくる。
「なんだ、俺が会いに来て嬉しいのか?」
尋ねると、忌炎はきゅるきゅると鳴いた。目を細めている様は、なんだか笑っているように見える。
顔にちゅっと口づけると、忌炎は嬉しそうに尻尾を揺らした。そして体を折り曲げると、何やら腹のあたりをごそごそと探り始める。
忌炎は1枚の鱗を口に咥えると、そのまま強く引っ張った。ぷちんと音を立て、青緑色の鱗が剥がれる。
忌炎は甘い声で鳴きながら、その鱗をカカロに差し出した。
「俺にくれるのか?ありがとう」
カカロは受け取った鱗をしげしげと眺めた。
大きさはカカロの手のひらほどで、向こう側が透けて見えるほど薄い。表面はつるつるしていて、光の加減なのかうっすらと発光しているように見えた。
「綺麗だな。宝石みたいだ」
カカロが笑ったのが嬉しかったのか、忌炎は続けて鱗を剥ごうとした。カカロはそれを慌てて止める。
「1枚で十分だ。そんなに剥いだら痛いだろう?」
きゅ、きゅ、と短く忌炎は鳴いた。これくらい何ともない、と言っているような気がする。
「痛くなくても、ほら・・・禿げるぞ。やめておけ」
忌炎はきゅっと鳴き、鱗を剥ごうとするのをやめた。その代わりに細長い体をくるくると丸め、カカロを包み込むような体勢になる。
「ふ・・・今日はここで寝ようか?」
カカロが尋ねると、忌炎は上機嫌で喉を鳴らす。その音は伏波陣地にやわらかく響き、やがて夜闇の中に溶け消えた。

✦✦✦
数日後、哥舒臨と忌炎は人の姿に戻った。
元に戻るまでの間、哥舒臨と忌炎が大喧嘩を始めたり、伏波陣地全体に砂をかけられて半分埋もれてしまったりといくつかの騒ぎがあったが・・・何はともあれ、めでたしめでたしである。

人間に戻ってすぐ、哥舒臨は記録情報を確認した。獣になった自分が、どんな行動をしていたのか気になったからだ。
デバイスを操作し、今回の顛末をまとめたフォルダの中を漁る。するとすぐに、映像記録が見つかった。
ファイル名は、「白虎_行動記録」。さっそく内容を見てみよう。
再生ボタンを押す。するとデバイスが映像の投影を始めた。そこに写っていたのは、巨大な・・・白と黒のまだら模様の毛をした動物。これは──
「白虎じゃなくて、ただの猫だな・・・」
毛の模様はまったく虎柄ではないし、体つきもなんというかモチモチとしていて丸っこく、虎の力強さは感じられない。
これを白虎として扱うことに異を唱えた夜帰兵は、1人としていなかったのだろうか。目が節穴すぎる。
しかし今更事態をほじくり返しても、疲れるだけで何も得られないだろう。無駄な行動は慎むべきだ。
「まあ・・・見なかったことにしておくか」
ただの猫より、白虎の方が格好いいしな。
哥舒臨は一通り記録を見て、そしてそのまま内容を忘れることにした。