いを
2026-03-03 18:08:46
1585文字
Public 刀神
 

はるのあわいのかなたにて

青嵐
・紫垂月さん【Metol_P】
お借りしています。

「あの木に」
 指をさすところには老いた梅の木があった。隣家の木だが、ちょうど縁側から見えるので春になると一枝もらうこともたびたびあった。
「もう少しあたたかくなるとメジロがくるようです」
 となりに座る紫垂月頼宗は、へえ、といった。
 手もとには近頃購入した茶碗がある。中には緑茶が注がれていた。春めいてきて、こうして縁側で茶を飲むことも苦にならない。
「不思議なものです。ここに居を構えて十年とたっていないのに、ずいぶんこうしているような気がします」
 この家は築何十年か、おそらく40年以上は経っているだろう。もっと古いかもしれないとも思う。冬の間はどこの部屋も寒いから。
「そういえば君の家はこの近くと聞いたけれど、その家もこんなに古いのかい」
「この家よりももっと古いのではないでしょうか。さすがに、こんな襤褸屋というわけでもないですが。どこそこを改築した等は聞きました」
「ここも改築しようとは思わない?」
 手持ちぶさたになった茶碗を床において、そうですねぇと晴れた空を眺める。空の色は薄く、流れる雲もちぎれたようであった。
「さすがに、したほうがよいでしょうか……。隙間風が入ってきて寒いですし」
「古い家は冷えるからね」
 彼もそっと茶碗を置き、おなじように空を見つめた。
 春の空は明るく、そして移ろいやすい。このまま天気が保ってくれればよいのだが。
 盆に置いた白い陶ものの急須にポットの湯を入れ、桜の塩漬けの粉末を入れた。
 彼の茶碗にその茶を淹れ、自分のものにも淹れる。ふわりと桜の香りがたちのぼった。
「そういえば今日は上巳の節句だね。青の家にはひな壇はないけれど」
「うちは男系家族で。雲井の家にもひな壇はないのではないでしょうか」
「それじゃあ端午の節句は豪華だっただろう」
 たしかに大きな鯉のぼりや五月人形といった飾り物は立派なものがあった気がする。だが青嵐のものはなく、雲井の家に生まれた男子のものであった。今の家に養子にきたのは二十年も前で、もう端午の節句といった年齢ではなかった。
「それはもう。屋根より高い鯉のぼりです。五月人形もずいぶんと立派なものでした」
「人間は、ずっとそうやって受け継いできたんだね」
 茶碗を手に取り、桜の茶を飲む横顔を見つめる。そして、そうですねと目を伏せた。それらを遺す人間と受けとる人間が何代も繰り返し続いてきたのが、今現在なのだろう。
 刀神は繰り返し、この行為を立ち止まって眺めていたのかもしれない。――自分もきっと、彼を遺して行く。その前に妖刀さえ握れなくなるのだろう。その寂しさは、年老いて引退した先達しか分からないだろうし、その刀遣いとバディを組んだ刀神も見送ることしかできない。それを寂しいと思うのか、それとも慣れたものだと思うのか。
……受け継ぐという行為は、寂しさも感じるものです。私も、きっと寂しいと思ってしまうのでしょう」
 彼は目を細め、さらっと長い髪をゆらした。
「それは、僕も含められてるのかな」
 ほんのりとほほえんだ彼に、頷こうか否かいっとき迷ったが、正直に「はい」と頷いた。
 このひとを手放すその日が惜しい。そして、寂しいのだ。
「それでも私がいつか死んでこの世界からいなくなったとき、あなたが覚えていてくだされば、それでいい」
 ――それで十分、生きた価値があったというものです。
 そういい、すっかり冷めてしまった茶をそっと飲みこむ。
 桜のかぐわしい香りが鼻に抜ける。桜の頃、きっと天照の近くでも咲き誇るだろう。
……時期になったら、藤棚が見事な場所にでも行ってみましょうか」
「酒でも持って?」
「ふふ、いいですね。ささやかながら宴会としましょう」
 スイ、とちいさな影が地面を滑っていく。視線をあげると、隣家の梅の木にメジロがとまっていた。