虹の記憶

庭師+画家 雨上がりのティータイムと昔話
#にわとがワンドロライ #にわとがwebオンリー2026 お題「虹」「幕開け」「沈黙」 制作時間1h
※役名捏造 以前書いた二次創作同人誌( https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24986137 )の世界線のつもりで書いてます。

 何かが始まる直前の静けさだった。
 空には虹がかかっていた。赤から紫へと色が連なる光の架け橋が、水色を取り戻しつつある空に浮かんでいる。コンサバトリーのガラスに残った雨粒が、細い線を描いて伝い落ちる。
 仕事の段取りを頭の中で組み直していたタナーは、ソーサーにティーカップを戻した。向かい合って座るリッキーは、先ほどから何も言葉を発さない。そっと盗み見ると、その大きな瞳は虹を映してきらめいている。
 ああ、これは――。タナーの胸の奥で、期待の蕾がほころぶ。
 これは、彼がもうじき部屋に引きこもるときの顔だ。理想の色を追求して、光を掴もうとして、一心不乱に筆を走らせる、その直前の。
「ねえ、覚えてる?」ふと、リッキーがこちらに目を向けた。「昔、タナーが拾ってきてくれた絵本のこと」
 そう言われた途端、タナーの脳裏に一冊の絵本の記憶が鮮やかに蘇る。
「おー。当たり前だろ」
 まだ、ふたりが路上で暮らしていたころ。タナーが持ち帰ったそれは、ところどころ泥がこびりついて破れていた。
 暗い路地裏で肩を寄せ合い、初めて見る世界に胸を躍らせながら、リッキーと一緒に夢中でページをめくった。
 優しくにじむ色彩で描かれた、虹色に輝くクジラ型の蒸気飛行船の絵。リッキーはそれを特に気に入っていて、何度も何度もページを戻して眺めたものだった。
 ――もう、遠い昔のことのように懐かしい。
 オースティン邸の執事に用意してもらったティーカップを、リッキーは器用に持ち上げる。
「懐かしいなぁ」
 そう言って笑う彼は、あのときと同じ表情をしていた。
 虹が少しずつ薄れ、空は水色を濃くしていく。
「そろそろ仕事、戻ろうぜ」
「えー、もう?」
 立ち上がったタナーを、リッキーが名残惜しそうな目で追いかけてくる。
「リッキーだって、描きたくてしょうがないって顔してんじゃん」
……ふふ、それは、そうかも」
 ベゴニアが咲くみたいにぱあっと笑って、リッキーはカップを置いた。
 足取りも軽くアトリエへと向かう後ろ姿を見送り、タナーも温室へと歩き出す。
 お互いの胸の奥に、七色の記憶を抱えて。