摩天楼ウォーカー(モブ+藤+坂)


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 夜が更けるとますますとラスベガスの街は栄え光り輝いていた。巨大なネオン広告や賑やかな音楽が街を照らし、金に眼がくらんだ観光客がカジノに金を落としていく。
 光が強ければそれだけ闇も深くなる。
 路地に一歩入り込めば、そこは曲がりくねった通路に囲まれて、陽光が差し込まず湿っぽい泥で踏み固められ、長年の劣化が凝縮したような臭気で覆われている。そこでは薬を懐に隠す売人がうろつき、金持ちの財布を狙う名うてのスリが潜み、高利貸しに雇われたならず者が利子の膨れ上がった債務者を探しているものだ。住民ですら揉め事に巻き込まれないためにやすやすと立ち入りはしない。
 そんな薄暗い一帯に入り込んだ観光客は身ぐるみはがされても不服を申し立てることはできないのだ。せいぜい表のきらびやかな世界を楽しんでいればいいものを、自ら闇に足を踏み入れたのだから。
「ヘイ、坊や。楽しいオモチャでもお探しかい」
……そんなところかな」
 かれらはこの辺りでは不良くずれの男たちだった。警察に知られたくないような後ろ暗い遊びを楽しむ。いつものようにきつい匂いの煙草をふかしていると、今夜の獲物が迷い込んできたようだ。
 闇にも目立つ髪色の少年はゆっくりと振り向いた。声をかけた男は、ヒュウと口笛を鳴らす。
 そこらではお目にかかれないような白皙の顔立ちだ。ハイスクールの子供のような体格だが、声変わりは済ませているらしく、歳のわりに落ち着いたような印象を与える。衣服の新しさをかえりみるに、夢と希望を胸に都会に出てきたばかりのティーンエージャーだろうか。
 少年をじっくりと舐め回すように見て、男の一人が隣の男を小突いてみる。ひそひそと下卑た笑いを噛み殺した。少年は四人の男たちをまっすぐと見上げて、手持ち無沙汰に左の腕を引っかいた。手袋をしているらしい左手が月明かりに照らされて銀光りする。
「ちょうどよかった。この辺りで、聖杯の話は聞いたことはないか」
 まるで道を訊ねるような気安さで、少年は男たちに一歩踏み出す。
 いやに肝が据わってるな、と一人が呟く。自分たちがやろうとしていることが社会に反していることくらいは知っている。だから、こんな路地で、複数人で囲んで怖がらせてやろうとしている。別の一人が思わず答えてしまったのも無理はない。
「はぁ? んなもん知るかよ」
「そうか、ありがとう」
 素直に頷いてかれらを押しのけて立ち去ろうとする少年に、男は右肩を掴んだ。
「おい。何勝手に行こうとしてんだよ。俺たちにお礼くらいするもんだろ」
「お礼?」
「そうだよ、お礼。そのおキレイなツラちょっと貸せよ。楽しいこと探してるんだろ? 俺たちと遊ぼうぜ」
 くいと指で下品なジェスチャーをしてやれば、少年は状況をよく理解していないのか、きょとんと眼をまるくした。ガラス玉に似た双つのブルーが不思議にまたたく。
 焦れた男は肩をひねって少年を壁に押しつけてやった。路地に足音があっても誰も覗き込んではこない。赤の他人のために闇に踏み込む馬鹿はそうそういないものだ。少年はやっと危機を覚えたらしく否を唱えながら身じろぎしたが、男が首にナイフを突きつけてやれば静かになった。
 おいおい、そんな急いたら可哀想じゃないか、優しくしてやれよ、調子付いた仲間がはやしたてる。男は少年の衣服のポケットに不躾に手を伸ばそうと、した。
――ぶごっ」
 左ストレートが男の顎に寸分の狂いなく入った。崩れ落ちた男の股間を蹴り上げ、少年は脇で手を叩いていた男に目星を付ける。
「まっ、待て! ちっとからかっただけだろ!」
 ふかしていた煙草を取られ、襟を鷲掴みされたかと思えばきれいに視界が上下回転する。背負い投げられたと認識したのもつかの間、この男は壁からせり出す排水管に叩きつけられてあっけなく気絶した。
……はぁ、なんでいつもこうなるんだ。カジノは子供だからって入れてくれないし、街を歩けば浪人に絡まれるし……
 体格にまさる男二人を涼しい顔で伸した少年は、足元に落とした煙草の火種を靴裏で踏みつぶし、とんとんと足の爪先を動かしながら、左の鉄鋼製の義手を握って確かめている。情けない悲鳴を上げて残りの二人は後ずさった。もしこれで逃げ出していればかれらは無傷であったやもしれない。
 だが、この路地で大きな顔をして獲物を食い散らかしてきたプライドがわずかに勝った。片方の男がジャケットから拳銃を抜いた。
 おい、あいつらに当たる、と制止されるも。彼は狭い路地で少年に銃口を突きつけた。
「てっめえええ!」
 続けざまに引鉄が震える。
 銀糸のような閃光。
 空薬莢が飛び散り、男は呆然と目を見開いた。
 寸分狂わず真っ二つに斬られた銃弾はかつん、と軽い音を立ててすす汚れた地面に転がっていく。どこに隠していたのか、少年は抜き身の真剣を掲げていた。
 ブルーのガラス玉ににたりと好戦的な火花が燈り、少年は一歩踏み込んでくる。
「どうした? 丸腰の相手じゃないと不服か?」
 絶句したままの男は片刃の背面で脇腹を殴り倒された。正直に尻尾を撒いて逃げようとした最後の男に一気に詰め寄り、少年は身軽な動きで壁に追い詰める。男はへなへなと尻をつけ、首元に銀光りの刃が反射した。
「念のため、もう一度訊こうか。近頃、聖杯の話を聞いたことはないか? あるいは、有り得ないような願いを叶えるような……奇跡を起こせるような代物だ」
「ひっ……!」
「何でもいい。噂程度でも」
 声色こそ落ち着いているはずなのになぜか恐ろしい。男には少年が、地獄へと惑わす美しい悪魔のように映った。
「ストリップ通りのホテル王が、すげえもんを手にしたらしい……カジノで絶対に外さない、ウィジャ盤だと。……こ、これで満足か! ほんとかどうかまでは保証しねえぞ!」
 やけくそまぎれに捻り出した噂話だったが、少年は心から満足したらしかった。サンキュ、と口にした単語は田舎くさく訛っているような響きがあった。
 少年が立ち去って、男は今度こそ腰を抜かしていた。

     *

「やあ、藤堂君。お待たせ」
 藤堂が路地を抜け出れば、ネオンでオレンジ色に染まったような坂本が風景に溶け込んでいた。隣のお竜さんはバケツサイズのアイスボックスを抱えて頬張っている。藤堂の恨めしげな視線にもかまわず、お竜さんはご機嫌にてのひらほど大きなスプーンを掲げた。
「いっぱい入ってて美味いぞ。おまえも食うか」
「チョコは欲しいな」
「そう云うと思って、お竜さんはスプーンをもう一つ手に入れているのだ。どうだ、えらいだろう。ポテトもあるぞ」
 むふー、と頬を膨らませてスプーンを差し出され、藤堂は素直に頂くことにした。
「おまえの見立て通り、排気口に偽装して魔力吸収装置がそこら中の建物に取り付けてあるな。裏を歩いていると吸われている感じがする」
 藤堂は近代の英霊だが、取り込んだマガツヒのおかげで魔力の流れを感知できる。そのため裏通りの捜査に回っていたが、藤堂のような若者が一人でうろついているのは目立ったらしく、浪人に邪魔をされてばかりだった。先刻遭遇した浪人はマシな方で、本当に発砲してきたのが合計四人、人攫いと思われるのが三人、ぼったくりが一組、カツアゲされそうになって殴り返すこと七人ほど。チョコアイスを重点的に食べながら藤堂が云うと、坂本は苦笑した。
「なかなか刺激的な時間だったよ。マスターは?」
「他の皆と一緒にホテルに戻ってもらったよ。マスターは今朝から歩き通しだったからね。おかげさまで、だいたいの情報は掴めた」
「例のホテル王のヴィジャ盤の噂がもう末端にも広がっているようだな」
「カジノで絶対に勝てる、って口上だものねえ。それだけでなく、気に入った客を特別な部屋に呼んで勝負を挑むこともあるようだ」
 さらりと坂本は追加情報を付け加えた。藤堂はひときわ大きな一口を掬い、指よりも太いフライドポテトもつまむ。
「坂本さんなら、特別室とやらに招待してもらう方法も突き止めているんだろ?」
「うん、まあそうだね。手順については明日、マスターと相談しよう。藤堂君にも手伝ってもらいたいことがあるんだ。ところでそのアイス、二人で食べきれるのかい? 手伝おうか?」
「問題ないぞ。食べたいならお竜さんがあーんしてやろうか、龍馬」
 真顔のまま陽気を抑えきれないような声色でお竜さんが云った。坂本はぶんぶんと残像が見える勢いで首を横に振った。
「いいいやいいよお竜さん。僕は見てるだけで胸やけしそうだ」
「むぅ。ほんとに美味いんだぞ。カエルほどじゃないが。な、藤堂」
「ん、チョコチップとクッキーもザクザクで美味い」
 お竜さんから山盛りのアイスを突き出された坂本は、いまにも逃げ出したそうな浪人のような顔で、意を決して開いた口に容赦なく突っ込まれてむせていて、藤堂は横目に仕事終わりのアイスを頬張った。