もち粉
2026-03-02 23:09:19
2131文字
Public
 

病弱な犬ではないらしい(噛み合わない僕ら③)


カブミス
カレシの定義

「一つ頼む」
「お、嬢ちゃん。今日はサバサンドがオススメだよ、それでいいかい?」

ミスルンが屋台に顔を出すと、店主が愛想よく話しかけてきた。
この店主は個数だけ言えば、メニューを選ばずともいつも勝手にオススメを作ってくれて楽なので、ミスルンはよくここで買っている。

しかし。
「カレシ元気か? 仲良くやってるかい?」

……まただ。
「カレシ」とは何だろうか?
この店主は以前は行く度に、「嬢ちゃん、せっかくそんなにかわいいのに愛想がないねぇ」「女の子は笑顔が一番だぜ」等と顔をしかめて首を振り、「ほら、にこーってしてみなよ」などと絡んできたのだが、ある時を境にぱったりと言わなくなった。

その代わりに登場したのが、「カレシ」なる、嫉妬深くてミスルンと仲が良いらしい、生き物である。
いつも店主に元気かどうか心配されている。

そんな生物に心当たりはないが、わざわざ確かめたい欲もないミスルンは、当たり障りのない返答をした。

「おかげさまで」

サバサンドを受け取って歩き出したところで、背後から声がした。

「隊長……

振り返ると、買い物袋を提げたパッタドルが驚愕の面持ちで固まっていた。

「あの、隊長、"カレシ"がいらっしゃるんですか?」

(また「カレシ」だ)

さすがにミスルンは少し考えた。
パッタドルの言い方からして「カレシ」とは犬のような生き物の名前ではない。誰かとの、人との関係性を示す言葉だ。

「いるらしい」
「え、あの……まさか、カブルーではないですよね?」
「カブルー? 何故?」

聞き返したミスルンに、パッタドルは胸をなで下ろした。

「あ、そうですよね。失礼しました。
以前彼に、隊長のよく行く屋台がどこか知っているかと尋ねられて、そこの屋台を教えたものですから」

その瞬間、ミスルンの脳内で全てが一本の線に繋がった。
以前、あの店主に強要された「お願い♡」の仕草を、カブルー相手に試したことがあった。

その時カブルーは、そんな仕草をどこで覚えてきたのかと詰め寄ってきた。店主の態度が変わったのはそれからではないだろうか。

「そうか……」ミスルンは納得したように呟いた。
「カブルーが私の"カレシ"だったらしい」
病弱な種類の犬等ではなかった。

「ええっ!?」

​衝撃のあまりその場に凍りついたパッタドルを残し、ミスルンは悠然と歩きだした。



その夜、ミスルンは最近毎日のようにやって来るカブルーに問いかけた。

「カブルー、聞きたいことがあるのだが」
「はい?」
「お前、私の"カレシ"なのだろうか?」

「ええ!?」
ミスルンの風呂の支度をしていたカブルーの手から、タオルがはらりと落ちた。

え、え、ちょっと待って、カレシ? 彼氏!? 恋人って、意味の?
――これは、「私たち付き合ってるのよね?」って確認だよな?

(ミスルンさんが、そんな気持ちでいたなんて……
いや、参ったな。俺は様子を見に来ていただけで、付き合うとかそんな……

ちらりとミスルンを見る。
彼は返事を待つように、じっとカブルーを見つめていた。無垢な瞳から僅かに視線を逸らした先、その引き結ばれた唇を、思わずつついてみたくなった。

(くそ、かわいいな。おじさんのクセに)

カブルーは無意識にごくりと唾を飲みこんだ。

「お、俺が彼氏でもいいんですか?」
「支障はない」

「あ、あの……
カブルーは、ミスルンの手をひったくるように両手で握りしめた。

「大切に、しますから!」
……? うん」

以降、ますますカブルーは心を込めてミスルンの世話をするようになった。
――何せ恋人ですからね!

ミスルンは、"カレシ"とは「熱心に世話を焼いてくれる人間」を指す言葉なのだと理解した。
​カブルーは正式に"カレシ"であることを確認し合ってからというもの、一層張り切ってくれている。
……そうだ、今度パッタドルにも確認してみなくては。

そんなふたりの認識が決定的に食い違っていると判明したのは、その二週間後のことだった。
​初めてキスをしようと顔を寄せたカブルーに驚いたミスルンが、読んでいた本で咄嗟にその唇を遮ったのである。

​硬い革張りの表紙にキスをする羽目になったカブルーが「何をするんですか!」と憤り、ミスルンが「こちらのセリフだ」と返したところで、二人の間に重苦しい沈黙が落ちた。


……俺たち、恋人同士ですよね?」
……お前は、私の"カレシ"だろう?」


相互理解のための話し合いが持たれ、
――そこからの「カレシ」という定義に関する緊急講義は、実に深夜にまで及んだ。

「すると、パッタドルは……
「カレシじゃありません! 彼氏は一人だけ!!」
「そうか」


ふたりが互いの了承のもと、改めて初めてのキスを交わしたのは、白々と夜が明け始めた頃のことである。


ミスルンに不都合はなかったので、この関係は今も継続されている。



……カブルーは、キスが上手いし。