ハイパー夢おじさん
2026-03-02 21:31:45
8718文字
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はなむけ

ツバセキ

かとぅさんのツバセキ(https://www.pixiv.net/artworks/107089257 )が元ネタです。



 コンゴウ集落にある昔からのしきたり――結ばれた男女は揃いの装飾品を身に着ける。装飾品は首飾りや耳飾りなど様々で、元服した者が代々の装飾品を受け継ぎ、やがて配偶者と分け合うという風習があった。

 元服したばかりのセキにはまだ妻も子もいない。故に今、その装飾品は彼の手元にあった。ということは、つまり。

「その片方を貰い受けるのはツバキだね!」

 ツバキは自信満々にそうセキに告げる。セキが自分以外の誰かに装飾品を渡すことなどツバキには少しも考えられなかった。名実ともにセキを支えているのは自分だという自負がツバキを突き動かす。後にも先にも自分以上の者は現れないと思っているのだ。だからツバキは、装飾品はいつ自分に渡してくれても構わないと自信満々に告げるも、それとは対照的にセキは呆れたような視線をツバキに向けていた。

……なぁ、人の話ちゃんと聞いてたか?」
「もちろん!」
「普段は大人しいのに時々厚かましくなるよな……

 セキは小さく溜め息を吐く。それからセキは「おめぇの解釈は間違っている」と呆れながら首を横に振った。しかしツバキは「自分のなにが間違っているのかが分からない」と言った表情できょとんと目を丸くする。

「大事な人にあげるんだろう?」
……『結婚するくらい大事な人に』だ」

 セキは呆れながら訂正するも、ツバキは負けじと「ならツバキでもいいじゃないかよぅ」と反論した。ツバキの主張はこうだ、セキの言う通り『結婚するくらい大事な人』に渡すのであれば、その相手とは別に結婚している必要はない。『結婚する人』と『結婚するくらい大事な人』は違う。つまり「自分はセキにとって『大事な人』に該当するはずだ」と、そうツバキは考えていた。とはいえ、ツバキはハッキリそう言葉にしたわけではない。ツバキはただ口を尖らせて不満を訴えていただけだったが、ツバキの気持ちを察したらしいセキは困ったように「あのなぁ……」と頭を掻く。

「いくら好きでもオレの一存じゃあやれねぇし、それに昔からの決まりなんだ。分かるか?」

 セキの言い分はこうだった。「昔から『結ばれた男女』は揃いの装飾品を身に着けると決まっているのだから、自分と同じ男であるツバキには渡せない」。伝統を重んじるセキはそう主張する。なんも分かってねぇと呆れるセキに対し、ツバキは「それは分かってるけど……」とシュンとしたように顔を伏せる。

 ――ボクは男だとか女だとかは関係ないと思ってるよ。相手が『セキだから』欲しいんだ。

 そう言いかけて、ツバキはその言葉をグッと飲み込んだ。喉の奥まで迫り上がったその言葉は、言ってしまえばいつかきっとセキを苦しめることになる。そう思ったツバキは固く口を結ぶ。

 セキはいつだって村のことを優先し、コンゴウ団の長として常に正しくあろうと努力している。今だってセキは「昔からの決まりなんだ」とツバキを諭そうとしているのだ。セキが伝統を重んじ、個人の勝手で決まりを破ることを良しとしない性格であることは明らかだった。そんなセキに対し、曲げさせようと頼む行為はセキをただ困らせるだけ。それは幼いツバキにも分かった。

 しかし、それでも欲しいものは欲しいのだ。そう思ったツバキはただ「欲しい」と甘えることをやめ、願いの形を少しだけ変えることにした。

「ボクね、セキが頑張ってるのは知ってる。集落の『長』として勝手なことをしたらみんなに示しがつかないって言うのも分かるよ」
…………
「でも、長になってもボクにとってセキは『セキ』なんだ。頑張っている人に認めてもらうって、それってとっても素晴らしいことじゃないかい? だからボクはセキに認められて、その証として装飾品を渡されたいんだよ」

 決して男女の真似事がしたいわけではない。伝統を軽んじているわけでもない。自分はただセキに認めてもらいたいと思っているだけだ。そう訴えながらツバキは膝の上でグッと拳を握る。そんなツバキの訴えが真摯であるとセキに伝わったのか、今度のセキは反論せず、根負けしたようにフゥと息を吐いた。

……じゃあオレの前にシンオウ様にも認めてもらわねぇとな」
――……!」

 セキのその言葉にツバキはパッと顔を輝かせる。いつか自分がシンオウ様にも認められる男になれば、そうすればセキは自分を認めてくれる。そう納得したツバキはセキの手を取り、いつかシンオウ様やセキに認められるくらいの立派な男になると、そう力強く宣誓してみせた。

「ツバキは頑張るよ、セキのために! セキを支えるためにキャプテンにだってなってみせる!」

 そう熱く語るツバキに、セキは「キャプテンになれたらやるよ」と笑う。


 ――はたして、そんなやり取りをしたのは何年前のことだったか。


 ツバキが「セキを支えるキャプテンになる」と宣言したあの日から、早いことに幾年もの時が過ぎた。セキと同じくらいだったツバキの身長はコンゴウ集落の誰よりも高く伸び、セキの背中を追いかけることしかできなかったツバキは、今こうして一人でキングマルマインの試練を乗り越えられるまでに成長した。

 試練を無事に乗り越えたツバキは尻に土埃がつくことも厭わず、固く乾いた地面に座り込む。そして休憩がてら、ツバキは相棒であるスカタンクを撫でながら過去の記憶に思いを馳せていた。しみじみと呟いた「これでボクもようやっとキャプテンだ」の声にスカタンクからの返事はない。ツバキと同様にスカタンクも疲労困憊の様子である。お互いボロボロの中で一人呟かれたツバキの声は、稲妻の走る曇天の空へと溶けていった。

 ――ついにセキの背中に追いついた。

 こんなときでもツバキが思うのはセキのこと。長年の目標を達成したツバキは不思議な感覚に包まれていた。気分が高揚しているような、それでいて冷静でいるような。放心状態にも似たぼんやりとした手付きでスカタンクの毛繕いを続けるツバキの背後に、不意に「よくやったツバキ!」と声がかけられた。

 疲労による緩慢な動きでツバキが振り返ると、そこには笑顔を浮かべながら駆け寄ってくるセキの姿が見えた。どうやらセキはツバキのためにわざわざ山麓まで迎えに来たらしい。ツバキは重い足に鞭打って立ち上がり、近付いてくるセキを迎え入れる。

「アニキ! 来てくれたんだ!」
「応よ。本当によくやった! いつもオレの後ろをついて回ってたあのツバキがなぁ……感慨深いぜ」

 セキのその声は我が子を見守る親のようでもあった。安堵と喜びの混ざった声で称賛しながら、セキは幼い子供にするようにツバキの頭を撫でようとツバキに手を伸ばす。

「あ、待って今髪を触ると――……

 ツバキがそう制止するのも間に合わず、セキの手がツバキの頭に触れたその瞬間、キングマルマインの放出した静電気をたっぷり蓄えていたツバキの髪はボンッと爆発するように逆立った。「うぉっ、痛っ」と静電気による肉体的ダメージを受けるセキに、パチパチと音を立てて膨らむ髪の毛に「だから言ったじゃないかよぅ」と精神的ダメージを負うツバキ。締まりのないそのやり取りに、山頂を包んでいた緊張感はいつの間にかほどけていた。


 ◇


――それで、この後はなにをしたらいいんだい?」

 村に戻るため、岩肌の続く急な下り道を歩きながらツバキはそうセキに尋ねる。ツバキの三歩前を歩くセキは、振り向くことなく声を張り上げた。

「ああ、やることはたくさんある! 就任式は十日後だ。引き継ぎがあるから就任式まで覚えておくこと!」

 少しの説明のあと、セキは引き継ぎに関する説明が面倒になったのか、途中で「詳しいことは先代に聞いてくれ」と話を切り上げた。それからセキは思い出したように「新しい刺繍もヨネに頼まねぇと」と呟く。せっかちなセキはツバキが口を挟む隙も与えず、歩きながら器用にも次々と今後の予定を語っていた。

「就任式は十日後! 昼は卯月の戦場、夜はリッシ湖の湖畔で行う」
――随分と準備期間が長いじゃあないか」

 そこでやっとツバキはセキの言葉に口を挟む。就任式が十日後と遠いことが、ツバキにとっては少し不満だった。せっかく試練を乗り越えたと言うのにキャプテンを名乗れるようになるまであと十日も待たなければならないのか。そんな不満を感じたツバキはフンと鼻を鳴らす。

「そんな悠長に構えていて良いのですか? ツバキは明日からでもシンオウ様のお膝元で立派にお役目を果たせるよぅ」
「バカ言うな。キャプテンの勤めはそんなに甘くねぇ」

 自分は明日からでも仕事ができると大口を叩くツバキに対し、セキは漫才のツッコミ役のようにバシンとツバキの腕を叩く。セキのそのツッコミに「満身創痍なんだから優しくしてくれ」とツバキは口を尖らせるも、セキは謝ることはせず、慣れたように「さっさと帰るぞ。おめぇの家まで送ってやるから」と軽い足取りで山を降りていった。

 自分を置いてさっさと歩いていくセキの背中を見つめながら、ツバキは小さく溜め息を吐く。ツバキには就任式の話よりも、もっと他にしたい話があった。セキが振り返って今すぐ欲しい言葉をかけてくれないかと、そう期待して足を止めてしまった自分をツバキは認めたくなかった。

 ――ほんの少しだけ期待した自分が嫌になる。

 ツバキの脳裏に浮かぶのは数年前にしたあの約束。キャプテンになったら家宝の装飾品を渡してくれると約束したが、セキの口からは約束の「や」の字も出てこない。一体セキはいつ渡してくれるつもりなのだろう、ツバキはそんな期待を込めながらセキに今後の予定を尋ねたのだが、どうやらセキはその約束についてすっかり忘れてしまっているらしかった。就任式、仕事の引き継ぎ、服の刺繍。セキの口から出るのはそんな話題ばかり。あの約束はセキにとって覚えておくほどの価値もないものだったのかと、そうショックを受けたツバキは小さく俯く。

 自分はセキにとってどうでもいい存在だったのか? それともあの約束が子供の戯れ言だと思われただけ?

 いくら考えても答えは出ない。どちらにせよ、約束の話をしてこない時点でセキにとってそれは「なかったこと」になっているに違いない。そう結論づけたツバキはセキに気付かれないようギュッと拳を握る。それはもちろん虚しさに耐えるため。

 ツバキにはもう自分からあの話をセキに切り出す勇気はなかった。約束をしたあの日から今日に至るまで、流れた長い時間はツバキに我慢というものを覚えさせるには十分だった。大人になってツバキも慎重になったとでも言うべきか。ツバキは「セキとの関係が壊れてしまうくらいならいっそこの想いはなかったことにしてしまおう」なんて考えるようになってしまっていた。

 セキを支える役目は恋人でなくてもいい。部下として友として、これからもセキの隣に立てればそれでいい。ツバキは慰めるように自分で自分にそう言い聞かせながら、長年の片思いにそっと蓋をした。そして遠くから「置いていくぞ」なんて言うセキに「待ってようアニキ!」と普段のように返事をする。


 これでもう片思いは終わりだ。――そう思っていたはずだったのに。


 ツバキの決意を揺るがす事件が起こったのは、ツバキの就任式が終わった深夜のことだった。式のあとに呼び出されたセキの庵にて、ツバキは何故かセキに唇を奪われていた。

 これは夢なのか、ツバキはうまく働かない脳をフル回転させてそう考える。しかし、絡む舌の感触は夢とは思えないほどに生々しかった。触れるだけの口付けが少しずつ深くなっていくにつれ、ツバキは呼吸の仕方が分からなくなっていく。ツバキがそんな息苦しさを感じるのも、これが夢ではなく現実だからだ。

 これは紛れもない現実。今、ツバキとセキはキスをしている。互いの唾液を絡ませ合いながら、溶け合うような口付けを交わしている。まるで奇跡のようだとツバキは思った。ああ、この夢のような時間がいつまでも続けばいいのに。そう流されそうになったところで、ツバキはハッと我に返る。

「待って待ってアニキ!」

 ツバキはセキの肩を掴んで無理やりに引き剥がす。付き合っているわけでもないのに自分たちは何故キスをしているのか、その理由を知らないまま流されるわけにはいかなかった。

「こんなのおかしいよぅ!? もしかしてツバキがキャプテンになれたから嬉しくなって呑みすぎちゃったとか――……ん゛ッ!?」

 酒に酔っての悪ふざけか、喜びを示すただのスキンシップか。セキがなにを思ってこんなことをするのかと確認するために開いたツバキの口は、ふたたびセキの唇によってふさがれた。抗議するために開かれていたツバキの口内にはぬるりとセキの舌が入り込む。

「んっ……ふぅ……、ッ……

 絡まる舌をツバキは押し返すことができなかった。ツバキも一人の男である。性欲は人並みにあるし、脳が下半身に支配されて何も手につかなくなる日だってある。いっそこのまま流されてしまおうかなんて考えが頭をよぎり、ツバキはセキから与えられるキスを拒否できなくなってしまった。

 そうして抵抗をやめたツバキを押し倒したセキは、仰向けに倒れたツバキの上に馬乗りになる。激しいキスのせいでセキの襦袢ははだけ、ひどく煽情的な姿になっていた。大きく開いた襟元からは鍛えられたセキの胸筋がのぞく。普段の明朗快活な姿とは真逆な、性的な魅力をアピールするような色っぽいセキのその姿。そんな姿が目に入り、ツバキは思わずごくりと息をのむ。

 ツバキの下半身には熱が集まっていた。ドクンドクンと高鳴る自身の心臓の音を聞くツバキの視線は、はだけたセキの胸元から少しも外せない。

「この状況、願ったり叶ったりじゃないのかい?」

 性欲に支配されかけているツバキの視線に気付いているのか、セキは挑発するような笑みを浮かべてそう言った。セキの言う通りツバキにとってこの状況は据え膳以外の何物でもない。許されるのならこのまま欲望に任せてセキのすべてを貪りつくしたいとすら思う。そんな感情が「ボクは構わないけど」なんて言葉としてツバキの口をついて出る。
 しかしツバキが流されかけたのは一瞬のことで、かすかに残る理性がツバキの暴発しそうになる本能にストップをかけた。このままセキを受け入れるわけにはいかない、そう思ったツバキは唇を噛み締めながらセキの胸を押す。

……でも、アニキの気持ちをまだ聞いてない。そんな状態じゃできないよ」

 曖昧なまま体の関係を結ぶわけにはいかないと、そう言ってツバキはセキを拒絶する。
 欲に流されそうになるのを必死で我慢しているせいでツバキには明るく振る舞う余裕がなかった。だからこそツバキのその声は普段よりも冷たく突き放すようなものになる。そんなツバキの声に異変を感じ取ったらしいセキは、ビクリと体を強張らせた。

 押し黙ったまま視線をウロウロと左右にさまよわせるセキの姿はいつになく弱気に見えたが、ツバキは黙ったままセキの言葉を待つ。ツバキは自分からセキに声をかける気はなかった。セキが今なにを考えなにをしたかったのか、それはセキの口から語られるべきだ。そう考えるツバキはただじっとセキを待つ。

 セキはそんなツバキの意思の硬さに気付いたのか、小さく溜め息を吐いてから観念したように口を開いた。

……我ながら狡いと思ってる」

 セキは蚊の鳴くような声でそう呟く。それは普段の明るく豪快なセキとは真逆の、どこか自信なさげな声だった。

「オレがおめぇの気持ちに気付いてないとでも思ってたか? 恋慕に分別のつかねぇ子供じゃねえんだから……おめぇがオレに向ける感情がただの憧れじゃないってことには気付いていたよ」

 セキは絞り出すように心情を吐露し始める。どうやらセキは、ツバキがセキを『友として』尊敬していた以上に、『男として』愛していたことに気付いていたらしい。自分の好意がセキにバレていた事実を内心恥じるツバキをよそに、セキは「これでもおめぇに救われてたんだぜ」と言葉を続ける。

「ツバキのことは大事にしたいと思ってる。……だが、返せるものがこれしか思いつかねえ」

 絞り出すようなセキの声を聞き、ツバキはセキが無理をしていることを察した。自分がセキに対しての好意をあらわにしていたせいで、セキに自らの体を差し出させるような真似をさせてしまった。そう理解したツバキはすぐさま反論する。

「ッ、別にそんなことしなくてもツバキは――……

 アニキを見捨てたりなんてしない。そう続くはずだったツバキの言葉は、被せるように発されたセキの言葉によって掻き消された。

「嫌だったら逃げていい」

 ツバキはセキのその言葉に困惑する。セキの声はひどく弱々しく、伏せられたその顔には今にも泣きそうな表情が浮かべられていた。

……どうしてアニキが泣きそうな顔をしてるんだよう」

 その問いにセキからの返事はない。セキの固く結ばれた唇はツバキに拒絶されることを恐れているようにも見えた。ツバキは掴んだセキの腕を離さず、その顔をじっと見つめる。どうしてセキがこんな顔をするのか分からない。そう思いながらツバキはしばらく無言でセキの顔を見つめ、そして、やっとセキの言葉の意味に気が付いた。

……アニキは狡い人だ。嫌だったら最初の時点でとっくに逃げてるよ」

 セキは見返りとして自分に体を売り渡そうとしているわけではない。そう気付いたツバキは掴んでいた腕をほどき、セキの体を包み込むようにそっと抱き締める。その推測は合っていたようで、セキは「おめぇは優しすぎる」とぼやきながらも、体を預けるようにツバキの胸に顔をうずめた。
 きっとセキは自分の思いにどう応えていいのか分からず、照れ隠しをするようにこんな方法を選んでしまったのだろう。その不器用さを愛おしく感じ、ツバキの胸は熱を帯びる。
 ならば自分はもう隠さずに言おう。そう考えたツバキは一度だけ強く息を吸い込む。ずっと胸の奥で抱えてきた想いは今さら無かったことにはできない。ツバキはセキの背に回した腕に力を込める。

「好きだよアニキ。ずっとずっと好きだった。――無理させてごめんね。これまでの関係が崩れるくらいなら、ただの友としてアニキの隣に立ちたいと思ってしまったんだ」
「おめぇがオレを好きなのは前から知ってる」
……アニキ、照れ隠しは良くないぜ」

 照れてねぇ、そう反論しようとするセキの唇を今度はツバキがふさぐ。長い間くすぶっていた想いを解いていくように二人は体を重ねた。言葉よりも確かな感情を指先に乗せて、絡めた指先が離れないように力を込める。その夜は二人にとって、今までの人生で一番幸せな夜となった。


 ◇


 さえずる鳥ポケモンの声でツバキは目を覚ます。窓から差し込む眩しい光。その日差しでツバキは今が朝なのだと理解した。
 起き上がったツバキは一緒に寝ているはずのセキへと視線を移す。しかし、部屋のどこを見渡してもセキの姿はなかった。ツバキの隣にあるのは、抜け殻のように盛り上がった布団だけ。

「はぁ。今日くらいは一緒にいてくれたっていいのによぅ……

 ツバキは一人そうぼやく。初夜の余韻もなにもなく自分を置き去りにしたセキを、ツバキはほんの少しだけ恨めしく思った。どうせセキは今ごろ日課の水浴びでもしているのだろうと分かっていても、ツバキはがっくりと落ちる肩を止めることはできなかった。

 たった一夜で関係が大きく変わることはないとツバキも分かっている。セキの不器用さが簡単に治るとも思っていない。けれど、初めて結ばれたこの日の特別感をもう少し味わっていたかった、とツバキが残念に思うこともまた自然なことだった。
 ――自分の隣で眠る愛おしい人を見つめて、「幸せだなぁ」なんて思いたかった。
 なのに一人先に出て行ってしまうなんて、と胸の内でぼやきながら、ツバキは不貞寝をしようと布団に潜り込む。そんなツバキの目に、枕元に置かれた一つの小さな桐箱が映った。

「ん? これって――……

 アニキの忘れ物だろうか、そう思いながらツバキは箱の中を確かめる。桐箱の中には、ツバキの想像通りセキの装飾品が入っていた。いつもセキが身に着けているものだから間違いない。きっと慌てて出て行ったセキが忘れていった物なのだろう。そうツバキは推測するも、不思議なことにその箱には「ツバキへ」と宛名が書いてあった。

「アニキは一体なにがしたいんだよぅ……

 そうツバキは考えを巡らせ、「あ」と呟く。コンゴウ集落にある昔からのしきたり――結ばれた男女は揃いの装飾品を身に着ける。そういえば自分は「キャプテンになれたら渡してくれよ」と、セキに装身具をねだっていた。

 ――まさかそれをこんな形で渡してくるなんて。

 ツバキは思わず笑みをこぼす。あまりにも不器用すぎると、ツバキはセキの行動をおかしく思った。だが、ツバキにはセキのそんな不器用なところも愛おしく思えていた。