千代里
2026-03-02 07:02:02
9586文字
Public 君ふれ短編
 

君ふれ・クガネ編・11話



「ほんっとうに申し訳ない!」
 草を織ったような独特の作りの絨毯――畳というらしい――に、頭を擦り付け、見事な土下座を見せている青年――ヒョウセツを、ユキハネはまあまあと宥めた。なお、傍らに座るフェリキシーは、いつものしかめ面で見下ろしている。
 ケイとミィハは、この部屋にはいない。今は客間を借りて、怪我人の治療に集中している。
「今日はひどい雨だから、船はもう来ないって潮風亭の人が言ってたんだ! だから、てっきり、明日の朝に来るものだと思い込んでいて……
「情報の行き違いがあったのなら、仕方ありませんよ。どうか顔をあげてください」
「ありがとうございます、ユキハネさん……!」
 土下座から一転、今度は感極まって涙まで流しそうなヒョウセツ。しかし、フェリキシーは「そんなことより」と彼の感動をバッサリと断ち切った。
「俺たちは、今日はここで泊まるってことでいいんだよな?」
「ああ。もう部屋の準備はしてある。だけど、まさかケイたちが助けを求めて偶然訪れた店が、オレの家だったなんてな」
 ヒョウセツがしみじみと言うのもさもありなん、謎の襲撃者によって負傷した商人の怪我を診るため、ケイたちが訪れたのは偶然にもヒョウセツとムヒョウの店であった。
 結果的に、当初予定していた場所に到着したことになったが、予定していたものとはほど遠い慌ただしい来訪になってしまった。
 落ち着かない再会となってしまったが、ムヒョウや彼の家族はケイたちを歓迎した。ムヒョウは息子に命じて怪我人を奥の間に通し、雨に濡れたフェリキシーとユキハネには風呂まで用意してくれた。ユキハネたちは一足早く体を温め、一息ついた所に丁度ヒョウセツがやってきて、今に至っている。
「それで、ヒョウセツさん。あの……私の、親戚の方はどこに住んでいるのでしょうか。この近所なのですか?」
 クガネ来訪の目的であるユキハネの親戚について、当事者である少女がおずおずと訪ねる。
「いいや、ユキハネの親戚……ハタオリさん家は職人の家だからな。こことは住んでいる区画が違うんだよ」
 ヒョウセツの説明によると、この辺りは職人が作った品々をクガネの住民に仲介をしている店が寄り集まっている区画なのだそうだ。
 職人や漁師たちが作った商品を卸値で買い、エオルゼアからやってきて職人との伝手がまだない商人や、クガネに暮らす人々に売る。数はそこまで多くないが、そうして生計を立てているものがここには集まっている。
 ムヒョウやヒョウセツの祖父母も、乾物を売りにきた漁師や職人たちからそれらを買い取り、小売業として住民に売ることで生計を立てているとのことだった。自家製の味噌や漬物も合わせると、クガネの住民にはそれなりに受けが良いらしい。
「でも、ユキハネの親戚の家……ハタオリさんは名前の通り、機織り職人の家だからな。職人たちが集まってる区画に家があるんだよ」
「てめえの家、布織物の職人の家だったのか」
 フェリキシーが「へえ」と感嘆の声を漏らす。身近にいたはずの彼ですら、そのような反応を見せてしまうのも当然で、ユキハネは今まで自分の家が何を生業としていたかを殆ど覚えていなかった。
 父と母がユキハネを連れて船でエオルゼアに向かったことから、漠然と何か商売をしていたのは知っていたが、幼子の認識など所詮はその程度のものだ。言われてみれば布織物が荷物に多かったような気もするが、それも気のせいと言える程度である。
「私の記憶には殆ど残っていないのですが……おそらく、母と父は織物を売る仕事をしていたのだと思います。叔母たちが職人をしていたのではないでしょうか」
「家族ぐるみってなると、別の家が商いに力を入れて、他の家は作る方に集中するってのはよくある話だからな。ユキハネの家もそうだったんじゃないか?」
 ヒョウセツの発言に、ユキハネはおずおずと追従する。
「じゃあ、ヒョウセツ。てめえの家は、さしずめ代々続く味噌売りってところか?」
「オレん家の場合は、お袋の実家がそうだったんだよ。親父は天涯孤独だったって話だけど、お袋が亡くなってからこっちの家を継いだんだ」
「奥様の家のことが気になっていたのですね。優しいムヒョウさんらしい選択だと思います」
 月並みな感想を口にしたものの、普段ならユキハネの反応に追従するヒョウセツが、今回ばかりは拗ねたような顔をしてみせた。
「オレは別に、傭兵で稼げるならそれでいいんじゃねえかって思うんだけどよ……
 ぶつぶつと漏らすヒョウセツに、フェリキシーは口の端を僅かにつり上げる。なぜなら、ヒョウセツの物言いが、駆け出しの冒険者の愚痴にうり二つだったからだ。
(西も東も、世間知らずのガキってやつは見栄やら栄誉やらに飛びついちまうのは変わらねえな、ムヒョウが店の人間になったのは、てめえと家族とやらのためだろうってことは、ちっと頭を捻りゃすぐ分かるだろうに)
 傭兵の仕事とは危険と隣り合わせだ。その分、実入りはいいが、いつ自分の命が尽きるとも分からない。
 いくら腕に自信があるといえども、妻を失い、己までもが息子を置き去りにして先に逝くかもしれないと考えた時、危険な仕事を続けるのはヒョウセツのために避けるべきだと考えたのだろう。
 それぐらいなら、妻が遺してくれた縁に頼る方がいいと決断したのは、実に現実的な判断だ。
「ともあれ、ユキハネを親戚の家まで案内するのは明日にする。朝一番に遣いを走らせれば、向こうも迎える準備をしてくれるはずだ」
「わかりました。何から何までお世話になります」
「いやいや、これぐらいどうってことないさ。袖すり合うも多生の縁ってやつだ!」
 そう言いながらも、鼻の下をこするヒョウセツの表情には得意げな緩みが見えた。
 その後、ヒョウセツから宿泊する部屋の案内を受けて、フェリキシーとユキハネは布団が敷かれた六畳ほどの部屋に案内された。見慣れない床敷きの布団に、フェリキシーは怪訝そうな顔をしていたが、ユキハネはぱっと表情を和らげて、いそいそと布団のそばに荷物を並べ始めた。
 その様子を眺めながら、フェリキシーは先ほど自分が考えたことを辿り直す。
(こいつを置き去りにして逝くかもしれねえのは……俺も同じだったか)
 なら、自分がこの町で出すべき結論とは何か。
 既に自答したはずの答えを、フェリキシーは晴れやかなユキハネの横顔から探しだそうとしていた。
 
 *
 
 素足の下を滑る、い草のざらりとした質感。部屋の片隅に置かれた、木組み細工で覆われた照明。蝋燭に点された小さな灯りがふっと吹き消されれば、辺りはあっという間に夜の闇に沈む。
 ぼんやりと浮かび上がるのは、土壁の淡い色合い。襖の絵柄。障子の白。リーリーと角の奥に響く虫の鳴き声すら、全てが懐かしい。
(懐かしい……
 その感情は、自分にとっては縁のないものだと思っていた。よしんば感じるとしても、ラノシアの海を見つめながら、遠くにある東の国をぼんやりと思い出すだけに過ぎないだろう、と。
 けれども、今、ユキハネは『懐かしさ』の只中にいる。
 眠れない身を起こし、そっと襖を開き、縁側の板張りを軋ませないように、そっと歩く。
 ケイたちは怪我人の治療を済ませると、早々にお風呂に入って床についたらしい。ムヒョウやヒョウセツ、彼らが紹介してくれたヒョウセツの祖父母も、朝が早いとのことで、建物の灯りは全て消え、家中が眠りについていた。
 まるでこの家の亡霊のように、ユキハネは貸してもらった浴衣姿で夜の静寂をそぞろ歩く。
(月も、空も、水の音も、全部エオルゼアと同じはずです。なのに、どうして――こんなにも懐かしく思ってしまうんでしょう)
 浮かぶ月がいつもより輝いて見えるのは何故だろう。
 広がる夜空がどこか慕わしく感じるのはどうしてだろう。
 水路を流れる水音が心地よいのは、どんな理由からだろう。
 クガネに入ってからずっと、ユキハネの心は郷愁をゆっくりと染み渡らせていた。だが、それは、ユキハネにとってはずっと縁のないはずの感情だった。
「クガネは、私が小さい時に別れた街なのですから、今更戻ったって……どうとも思わないんじゃないかって、そう思っていたのに」
 けれども、ユキハネの不安を吹き飛ばすように、彼女の心は懐かしさではち切れんばかりになっている。かつて自分はここにいたのだと、空気が、一歩一歩踏みしめる石畳が、町並みの匂いが、全てがユキハネを歓迎しているかのようだ。
 けれども、だからこそ、郷愁に沸く心の片隅で、狼狽えている己がいるのを無視できずにもいた。
「まるで、私が知らない私になってしまうみたい……
 エオルゼアの冒険者のユキハネが、全く知らないユキハネ・ハタオリという人物によって埋め尽くされていく。
 杖を振るい、魔法を自在に操る魔道士の自分が、クガネの町並みをそぞろ歩く町娘に置き換わっていってしまうようだ。
 その変化はユキハネが自覚していないうちに生じ、気がついたときには取り返しのつかない変化となってユキハネを内側から浸食していくかのように思えた。
「懐かしいことは、私にとって嬉しいことのはずなのに。叔母さんたちに会えるのも……きっと、私にとっては待ち遠しいことのはずなのに」
 縁側に腰を下ろし、ユキハネは自分の体を自分で抱きしめる。
 海賊に娼館へ売り飛ばされたときよりも、冒険者となると決めたときよりも、今の自分を占めている変化の方がユキハネにはずっと恐ろしかった。
「私は、本当に私のままでいられているのでしょうか……
 自分は果たして、どこまでがこれまでの自分のままでいられているのだろう。
 エオルゼアに、冒険者というユキハネの器を置き去りにしてきたような、どうにも心許ない感覚が頭のてっぺんからつま先までを埋めていく。
 それなのに、懐かしいという感情の奔流を押しとどめることができない。障子の隙間から差し込む月光に、障子を引く微かな音に、畳を歩く感触に、涙するほど懐かしいと感じる気持ちを捨てきれない。
(私は、このまま、クガネのユキハネ・ハタオリになってしまうの……?)
 自分が恐れていたのは、きっとこのことなのだ。ヒョウセツに誘われたとき、彼を拒否してしまった理由はきっとここにあったのだ。
 けれども、今更きびすを返して戻ろうとも思えず、ユキハネは夜風の冷たさに身を震わせてしまうまで、その場に蹲っていた。
 
 ***
 
「いやー、まさかこんなところで同郷に助けられるとはなぁ。二人ともありがとうっ!」
 翌朝、商人を寝かせていた部屋に入ったミィハとケイは、からりとした笑顔と東方仕込みの深々としたお辞儀を見せる怪我人だったはずの男に、暫し唖然としていた。
 一晩経って、男の容体を確かめねばと、急いで飛び起きたのに、思わず拍子抜けしてしまうほどだ。
「念のために確認するが、頭痛や気分の悪さはないか。吐き気がしたり、目眩や疼痛は?」
「ちょっと額が痛いだけな。どうやら、まずいところは打たずに済んだらしい」
……そのようだな。額の擦り傷も、傷自体は殆ど塞いである。傷ができた時の痛みを体が覚えていて、尾を引いているだけだ。一日もすれば治るだろう」
 ミィハはいくつか更に問診をし、男の額に巻いていた包帯を取り替えてから、暫くは激しい運動を控えて、安静にしているようにと言いつけた。
 ミィハの治療の間にケイが運んできた三人分の朝食を見て、看病されていたはずの男は目を輝かせる。昨日は怪我の衝撃と、直前にあった何者かとのやりとりでショックを受けて満足に起き上がる様子も見せなかったと思うと、食欲があるのは喜ばしいことだ。
「これ、ヒョウセツさんのお婆さんとユキハネが用意してくれたんだ。怪我人でも食べやすいように、お兄さんの分はお粥にしてくれたんだよ。ええと……お兄さんのことは何で呼べばいい?」
 そういえば名前を聞いてなかったと、ケイは青年へと視線を向ける。
「自己紹介がまだだったな。俺はザカリアス。ザックって呼んでくれ、命の恩人さん」
「わかった。俺はケイ。こっちはミィハ。よろしくね」
 手早く自己紹介を済ませてから、ケイはてきぱきと配膳を開始する。とはいえ、三人分の御膳をそれぞれの前に並べるだけでいいのだから簡単なものだ。
 足つきのお膳は縦に積み上げて運ぶのにも便利で、東方の文化に慣れていないケイでも軽々と運べた。
(これ、どこかに売ってないかなあ。でも、机の上にこれを載せたら、かえって不便か。文化を取り込むのって難しいなあ)
 ケイがそんな算段を立てている間に、ミィハは正座を崩したような姿勢で御膳の前に腰を下ろす。ザックも怪我人とは思えない俊敏さで、食事の前に陣取った。どうやら、相当腹が空いていたようだ。
 御膳の上には、茶碗というボウルに似た食器に盛られた白い米、ケイたちにもお馴染みの味噌汁、焼いた魚、野菜を漬けたものなどが並んでいた。
 パンや卵、生野菜、燻製肉が主流のケイが作る朝食とは全く異なるラインナップである。
「東方の朝ごはんって、エオルゼアのと全然違ってたよね。米って、こんな風に味付けせずに食べることもあるんだなあ」
「エオルゼアの米とは味わいが異なっていたから、味をつけない方が微妙な味わいが感じられるんだろう」
「俺はすぐ炒めたりリゾットにしちゃうけど、こんな風に水を使って炊くだけでも、ほんのり甘いんだねえ」
 ケイから『火傷するほどの熱さじゃない』のサインをもらい、ミィハも食事に口をつける。
 ザックはというと、ケイたちでは扱えきれなかった箸を片手に、ひょいひょいと魚の骨を取り分け、身を口に含んでいた。
 怪我人のためにユキハネがお粥にしてくれていたのだが、この分では無用の気遣いだったかもしれない。
「この魚は塩気が強いな。その分、米の優しい甘みが活きている。これが、東方の味ということか」
「とふにふはねはみなとはひふぁいふぁら」
「ザック。口にものを詰めたまま話すのは、西でも東でも行儀が良いとはいえないんじゃないか」
 もごもごと何かを言おうとするザックを嗜めるミィハ。怪我人への対応として和らげていた声も、今はいつもの落ち着いたものに戻っていた。
 ザックは、口の中に詰めていた米をごくんと飲み干してから、
「クガネは港が近いから、新鮮な魚が入りやすいんだよ。近くにあるドマも、海に面しているところは漁村が多いしな」
「そう考えると、ラノシア地方と料理の系統は近いのかな?」
「二人はリムサ・ロミンサから来たのか。ウルダハの香辛料を山ほど使った飯も美味いが、ラノシアの新鮮な野菜のサラダも美味いよなあ」
「ザナラーンに住んでたら、新鮮な野菜ってだけで驚きだものね」
「おっ、それを知ってることはそっちの兄さんはもしかして……?」
「うん。俺もウルダハで暮らしていたことがあるんだ」
「うわ、本当か!? 嬉しいねえ、まさか本当に同郷だったとは!」
 厳密にはケイはグリダニアの黒衣森出身なのだが、今は素直に頷いておく。
 外国で同郷の者と出会うのは、諸国を行き来する商人にとっても心強いことだったのか。朝食を食べ終える頃には、ザックはケイたちとすっかり打ち明けていた。
「ザックはこの後、仕事に戻るの?」
 茶碗の米を一粒も残すまいと、匙で米をかき集めながらケイは尋ねる。
「昨日の事件があった後だ。事件のことを、この町の警備組織に連絡するのが先なんじゃないのか。クガネの治安維持を、どこが取り仕切っているかまでは知らないが」
 ミィハの提案は至極順当なものだった。だが、ザックはなぜか苦い顔を見せる。
「いやぁ、まあ、その……一応、犯人は分かっているんだけどな」
「じゃあ、今から捕まえに行く?」
「だけど、喧嘩した弾みでもみ合って、偶然突き飛ばしてこうなっただけだしなぁ。そんな大事にするのもどうかっていうか」
「一歩間違えれば、君は死ぬところだったが、それでも構わなかったと?」
 ミィハが確認するように尋ねても、ザックの反応は鈍い。腕を組んで、「うーん」と何度も唸っていた。
「じゃあ、犯人だけでも聞かせてくれる? 別に、その人を捕まえたりしないからさ」
 このままでは、助けた側としてもすっきりしない。命の恩人ということもあってか、その申し出はザックも断らなかった。
「ああ。まあ、要するに同業者なんだよ。クガネに商品を仕入れにきた、エオルゼアから来た商人ってことだな」
「同業者同士で喧嘩をしていたのか?」
「仕入れ値のことで、色々な」
 ケイとミィハは揃って首を傾げる。なぜその内容でもめ事になるのだ、という疑問を視線から感じたのだろう。ザックは暫し悩んだが「ここだけの話な」と前置きをして、
「実は、俺も最近来て、この前知ったんだが……最近、エオルゼアの商人の間じゃ、クガネの職人から品物を仕入れる値段を下げていこうって動きになってるんだ」
「えっ!? でもそんなことをしたら、職人さんが困るんじゃ」
 ケイの声が大きかったのか、ザックが「しーっ」と口元に指をあてる。
「勿論、職人たちは嫌がるさ。でも、俺たちだって単なる嫌がらせでやってるわけじゃない。この前、ドマがガレマール帝国の支配下から解放されたのは知ってるか?」
「ああ。光の戦士が解放に一役買ったという話は、エオルゼアにも届いている。たしか、アラミゴもだったか」
 ミィハの説明に、ザックが「その影響があってな」と更に声を潜める。
「ガレマール帝国の商人もクガネには来ていたんだが、この動きを見て、本国に戻る連中が出てきてしまったそうだ。そうなると、帝国と取り引きしていた職人たちは、取引先を失ってしまう。すると、どうなる?」
「エオルゼアから来た商人に、品物を売りつけようとする……?」
 元々商人の下働きをしていたケイは、すぐに考えられるシナリオをいくつか頭の中で組み立てる。
 職人たちがどれほど素晴らしい品を作っても、お金にならなければ意味がない。物々交換で商売が成り立っていたのは、はるか大昔の話だ。今では、もっぱら貨幣が経済の中心に居座っている。
 ガレマール帝国というお得意様がいなくなり、彼らと取り引きしていた職人たちは途方に暮れただろう。なんとかして、エオルゼアからやってきている商人を新たな取引先として、作品を売ろうと焦るに違いない。
「だが、エオルゼアの人間にとって、ガレマール帝国と取り引きしていた相手は、いわば敵国に物資を送っていた相手も同然。素直に取り引きしてやろうという気持ちにはなれない、ということか」
 ミィハの説明に、ザックは深々と頷く。
「せめて、値段を下げてくれなきゃ商売相手として見做さない……って流れが出来上がっていったらしい。最初はそれだけだったんだが」
「帝国と取引をしていた職人だけを値下げさせるだけじゃ、済まなくなっちゃったんだね」
 ザックは、ケイの発言に力無く同意してみせる。
「一度安値で取引しちまったら、次も次もってなるのが人の欲ってやつらしい。今度は、元々エオルゼアの連中とだけ取り引きしていた職人から仕入れる時も、仕入れ値を下げちまえばいいんじゃないかって話も出てきちまったんだ」
 ガレマール帝国の商人とやり取りしていた職人から低価格で取り引きができてしまったなら、品質が同じなら、今までやり取りしていた取引先の仕入れ値も下げられないかと画策する者が出てくるのは不思議ではない。
 片や、元々敵国とやり取りしていたという負い目を盾に、価格を下げろと迫る。
 片や、新たな取引先は低価格でやり取りしているのだから、そちらも値段を下げてくれませんかねと迫る。嫌なら、もうそちらとは取り引きしませんよと言われれば、職人は強く出られない。
「ガレマール帝国というライバルがいなくなったことで、エオルゼアから来た商人だけが仕入れ値の価格を決められる状態になったのか」
「あれ。でも、商人といっても商会は一つだけじゃないでしょ。全員が全員、仕入れ値を下げなければ、職人さんも下げる必要はないんじゃないの?」
 ケイの至極もっともな指摘に、ザックは「だからこうなったんだよ」と自分の額を指さす。そこには、ミィハが巻いた包帯が痛々しい白を示していた。
「昨日もめた商人は、値下げ賛成派だったんだ。俺は、相手の足下を見るようなやり方は良くないって言ったんだよ。そうしたら、『お前はウルダハの商会を裏切るつもりか』って口論になって、こういう結果になったんだよ」
 ザック曰く、今までの仕入れ値を維持しようとする商人たちを、片端から脅そうとするような事件も起きているらしい。それは今のところ極端な一例にとどまっているが、いずれは公然の活動になるのではないかと一部で危ぶまれているそうだ。
 だが、それらはあくまでエオルゼアの商人同士の問題だ。クガネの治安組織に持ち込まれても、彼らとしては「おまえらで勝手にやってろ」と言われてしまってもおかしくない。
「最悪、揉め事を起こすならエオルゼアの商人が全員出禁だってなってしまったら、それこそ大損害だ。だから、怪我をしても、迂闊に奉行所には持ち込めないんだよ」
 肩を落とすザックに、ケイはぽんぽんと背中を撫でてやることしかできない。
 彼も元ウルダハの商会勤めとして、商人たちのやり方はよく知っていた。それらが時に法で裁けない後ろ暗い側面を持っていることも、理解している。しかし、それらのやり取りがあるからこそ、今の経済が成立している部分もあるので、一概に間違っているとも言えない。
「エオルゼアの商人たちを総括している商会のようなものは、クガネにはないのか?」
「東アルデナード商会ってのがあるんだが、あちらは今、お偉方が外に出ているみたいでな。彼らが戻ってくる前に、値下げした状態で固めちまおうって考えらしい」
「ということは、東アルデナード商会とは別口の商会が絡んでいる、ということか。そこが、どこかは分からないのか?」
 ミィハの質問に、ザックは肩をすくめてみせた。クガネを出入りする商会など、ごまんといる。一人一人あたるのは、現実的ではないのだろう。
「それに、仕入れ値を下げるってのは、悪い話じゃないって考えてる連中も多いみたいだからな。東アルデナード商会のやり方を完全に肯定している連中ばっかでもない。そんなわけで、一介の零細商人の俺にとっても困った状態になってるんだよな」
 また襲われても敵わない、とザックは大きくため息をつく。どうやら、ザックは味方が沢山居るような大きな商会に属しているわけではないらしい。
「このまま、仕入れに行ったら、また帰りに誰かに襲われんのかもしれないって思うと、気が重いんだよな。せめて、信頼できる護衛とのつなぎでもあれば……
 そこまで言って、ザックはケイたちを見つめたまま一瞬固まる。続けて、彼の視線が、めざとく二人の身なりを確認している。
 二人が身につけている、魔道士が纏うような造りのローブ。部屋の隅に置かれた魔道書と、魔法に使うためと思しき武器。
 それらを素早く確認してから、彼は大きく頷き、
「これも何かの縁ってことで。二人は冒険者なんだろ。よかったら、俺に雇われちゃ、くれないか?」
 後ろ盾のない商人の苦笑いと共に差し伸べられた手を前にして、ケイとミィハは暫し顔を見合わせたのだった。