フリンズさんと海に落ちちゃった話


「そうです、その調子ですよ」
……ほんとに?」
「あぁでも、声はそのまま抑えててくださいね」

 今日はフリンズが釣りをすると言っていたので、一緒について行くことにした。釣りを始めた彼を、少し後ろの岩場に座って眺めていたのだが、しばらくすると「貴女も試してみますか?」と声をかけられた。珍しいこともあるものだ。
 実際に釣竿を持ってみると、結構重たくて手を伸ばし続けるのが大変だった。支え続けるだけでプルプル震える腕だったが、それが逆によかったのか疑似餌にお魚が群がってくれた。針に一匹食い付いてくれた時には、嬉しくて思わず声をあげそうになったが、何とか堪えた。しかし、このあとどうしたら良いか……全然わからないっ!
「こ、これ……どうしたら、良いのっ」
「魚の動きに合わせて釣竿を動かすのです。――ちょっと失礼しますね」
 そう言って、一緒に釣竿を支えてくれるフリンズ。その途端に腕に掛かっていた重みが楽になった――のだが、
 
「ぅわっ!」
「あっ」
 体の重心がずれたことで、自分の体を支えきれなくなった私は、フリンズを巻き添えにして――海に落ちた。

 幸い、浅瀬での出来事であるため溺れるようなことはなかったが、二人して頭から全身びしょ濡れになった。流石に私も焦ってフリンズの方へ顔を向けると、彼は珍しい顔をしていた。
……
「あ〜〜〜! ほんっと、ごめん‼︎」
 フリンズは座り込んだまま水底に手をつき、目をまんまるに見開いて小さな口を半開きにして固まっていた。私の方はというと、同じく座り込んだままだったが、焦りすぎて大きな声で謝るしかなかった。
 
……ふふっ、驚きましたね」
「そうだよね! ごめんね‼︎」
「いえ、貴女が転けたこともそうですが、貴女を支えきれなかった僕自身に……ククッ驚いてしまいまして――
 彼は固まっていた表情を和らげた後、小さく笑い出した。
「油断していたとはいえ、僕もまだまだですね」
 フリンズは濡れた前髪を邪魔に思ったのか、片手で撫で付けるように掻き上げ、そのまま後ろへ流す。今度はそれを見た私が目を丸くする番だった。
「二人ともずぶ濡れですね。早く戻――どうしましたか?」
……え⁈ あ、うん、早く戻らないとっ」
 そう言って後ろに振り向いて立ちあがろうとする私の手首を、彼が捕まえて静止する。バシャンと跳ねる水音がした。
 
「どうしたのか、と聞いたのですよ?」
 捕まえられて動けなくなった私は、せめてもの抵抗として下を向く。
「いや、なんでも、ないです」
「なんでもない反応では、ないですね」
 空いている方の手に顎を掬われて、強制的にフリンズの方へ顔を向かされてしまう。思わず私は「ひゃあ」と小さく悲鳴をあげて、目を瞑る。だって、ちょっとこの光景は……私には目に毒すぎる。
「ん、僕の顔に――なにか?」
「なんでもないです! ただちょっと、前髪上げてるフリンズが予想以上に格好良かったものでして‼︎」
 目が開けられない。開けてしまうと、普段は前髪で隠れている彼の額が、顔が、見えてしまうから。どうしたらここから逃げられるか――と、混乱している頭をさらに回転させようとしていたところ、
 唇に、暖かくて柔らかい感触が当たる。

……!」
――愛しい人、どうか目を開けてください」
…………はい」

 自分の顔が火が出そうなくらい赤くなっているであろうと予想しつつも、頭の中は冷静になってきたので、観念して目をゆっくりと開ける。いつのまにか私の両頬には手が添えられていて、額同士をくっ付けられていた。
「ようやく落ち着きましたね?」
「全然落ち着いて無いです顔が近すぎませんか離してくださいぃ」
「勿論、嫌です」
 ニコっと笑ってそんな意地悪なことを言われた。この状況で、逃げ場所など初めからなかったのだ。無言のまま彼の瞳を見つめると、そのままフリンズも私の瞳を覗いたまま動かなくなった。しばらくすると、彼はようやく満足したのか、頬から手を離して少しだけお互いの顔に距離を開けてくれた。
 ――今の時間は、なんだったんですか?

「さて、そろそろ――
 フリンズがそう言った途端、私はクシュンっとくしゃみが出た。流石に水に浸かりすぎていたかな。
 そんな私を見て、彼はバシャンと水音をたてて立ち上がった。落ちていた釣竿を岩影に放置してから、私の背中と足裏に手を差し込んで横抱きにかかえた。そのまま海沿いの崖を飛び越えて、すごい速さで灯台下まで運ばれてしまった。
「すみませんね、少し悪ふざけが長くなりました」
「悪ふざけしていたという自覚はあったんだね」
「えぇはい……ふふっ」
 心底楽しそうに笑うフリンズを見て、なんだか咎める気も失せてきた。運ばれている私はというと、先ほどと変わらずに前髪を掻き上げたままの彼の額を(これは絶好の機会だな……)と思って、じぃっと眺めておくことにした。この髪型、ちょっと好きかも。

 抱えられたまま部屋まで入り、一直線で洗面所まで歩いた彼は、そっと私を下した。
「さぁ、急いでお風呂で温まってきてくださいね。風邪を引いてしまいます」
「え、でもフリンズが先で良いよ。家主を差し置いて先に入るとか――クシュン」
……説得力のかけらもありませんね」
「それはそう」
 彼は小さくため息をついて、「そんなことを気にするなら」と言ってから、腰につけていたランプを手に取った。そして蒼い炎を全身を覆うように纏った後、すぐに元の姿に戻った。いつ見ても不思議な光景だ。
「ほら、僕はこれで乾きましたから」
「え! わあ、ほんとだ‼︎」
「少し疲れるので普段はやらないんですが……いえ、そんな話は後で。いいから、ほら」
 そう言ってからフリンズは、私の体を風呂場の方へ押し込みながら移動させた。
「自分で歩く! ちゃんと歩くから押さないで!」
 私も観念して、というかもう体が冷えて限界なので、言われた通りにすることにした。濡れた服のまま風呂場へ向かって扉を閉める前に、ふと彼を覗き見る。フリンズが洗面所にタオルなどを準備してくれていた。甲斐甲斐しいにも程がある。私の視線に気づいた彼は、こちらに顔を向けてこんなことを言う。
「どうしたのですか。……あぁ、僕が洗って差し上げましょうか?」
「け、結構です‼︎」
 そう叫んでから急いで扉を閉めると、扉の向こうからクスクスと笑う声が聞こえた。

 

「あれ? 髪型、そのままなんだ。うん少し見慣れてきた。前髪ないのも、やっぱり格好良いねぇ」
「戻られましたか。えぇ、無理矢理乾かしたので少し癖がついてしまったらしく。ちょうど今ホットミルクを淹れたので――って、なぜその格好を?」
「ん? あぁ、洗面所にあったからフリンズのシャツ着てみた。やっぱりめちゃ大きいね。怒った?」
……そうですか。いえ怒ったわけではありませんが」
「ありませんが?」
……呆れてました」
「なんでよ」



『いつもと少し違う、いつもと変わらない貴方。』