桐子
2026-03-01 01:42:32
2732文字
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ルミナス③


それからも、水木は時々ゲゲ郎を晩飯に誘った。最低限の生活費だけ手元に残して、あとは息子の面倒を見てくれている岩子の両親―――ゲゲ郎にとっては義理の両親にあたる―――へ仕送りをしているというので、彼はいつも腹を空かせていた。
「役者にとって体は資本だろうが。しっかり食え」
「すまんのう……本当に水木には感謝してもしきれん」
大盛りにした白米を噛みしめながら、ゲゲ郎はしみじみと呟いた。彼はいつも大袈裟なほど水木を褒め、そのたびにむず痒い気持ちになって、「俺なんか大した役者じゃねえよ」と照れ隠しの悪態を吐くのだった。
「今日は例の深夜ドラマの撮影でな」
「うまくいったか?」
「頑張ったんじゃが、どうかのう……女優さんからは何やら妙な目で見られておったよ」
ゲゲ郎は少しずつ端役以外の役を得るようになっていった。くだんの殺人鬼の役は、監督には気に入ってもらえたらしいが、共演者たちからはあまり評判がよくなかったようだ。ゲゲ郎は困ったように眉を下げて笑った。
「ま、ポッと出のお前が気に入らないんだろう。気にするな」
「そういう感じでもなかったがのう……
共演者の名前を聞いてみると、主演の女優は水木も何度かドラマで共演している女優だった。見た目は清楚な可愛らしい女性だが、話してみるとけっこうサバサバしていて好感がもてるタイプだった。人によって態度を変えるタイプのようには見えなかったが、それは相手が水木だったからなのかもしれない。
「ほら、肉食え。人間はな、肉と白米を食うと大抵の嫌なことは忘れられるんだ」
「うむ。そうするとしよう」
ゲゲ郎はとんかつをむしゃむしゃ食べながら、「うまいのう」と何度も呟いた。


番組の宣伝に呼ばれ、テレビ局の廊下を歩いていると、ゲゲ郎と共演している女優が不機嫌そうに話しかけてきた。
「水木さん、ちょっといい?」
「どうしたんですか」
「田中ゲゲ郎のことなんだけど」
女優は嫌悪感を隠すこともなく、吐き捨てるように言った。
「あの人、おかしいわよ」
「おかしい、って……
確かに、言葉遣いは古風だし見た目も日本人離れしている。だが、中身は涙もろくて家族思いのいい奴だ。水木がそう抗議しようと口を開きかけると、女優は苛立たしげに舌打ちした。
「私、本気で殺されかけたんだから」
「え」
「演技じゃない。あいつ、本当に女の足を切り取って喜ぶ変態なのよ。でも、監督もマネージャーも取り合ってくれないの。ねえ、水木さん同じ事務所なんでしょ!?あいつを見張ってて!」
そう言いながら水木のスーツを掴む手は、小刻みに震えていた。
―――まさか。そんなはずない。あの人のいい男が殺人鬼だなんて。
しかし、彼女の恐怖は本物だ。とても演技しているとは思えない。水木はつとめて優しい声で「田中さんとは親しいけど、そんな人じゃありませんよ」と答えた。
「でも、現に私は……
「何してるんですか」
彼女のマネージャーなのだろう男性が、血相を変えて駆け寄って来た。
「水木さんにまで、田中さんのことを言いふらしているんじゃないでしょうね」
「本当のこと言ってるだけじゃない! ねえ、降板させてくれるのよね?」
「無理ですよ。スポンサーも決まってるし。できるだけ撮影をずらしてもらうことにしましたから」
マネージャーは水木に向き直り、深々と頭を下げた。
「すみません。失礼しました」
「いえ……
女優はマネージャーに連れられ、大騒ぎしながら水木のもとから去っていった。
彼女が噓をついているようには見えなかった。演技だとは到底思えないような恐怖に満ちたまなざしだったし、震えていた手も演技でどうにかなるようなものではなかった。薄ら寒いものを感じ、水木は足早にその場を立ち去った。




自宅へ戻った水木は、動画配信サービスでゲゲ郎の出ている深夜ドラマを検索した。
女性の脚にこだわりをもつ殺人鬼が、次々に美女を手にかけ、足を切断する様子を配信するという聞いているだけで胸糞の悪くなるような内容だ。だが、放送前から深夜の放送であるにもかかわらず話題になっていた。水木が見るのは初めてだ。

『最高だ……

暗がりの中、椅子に縛り付けられた女。猿轡をした美女は、恐怖に目を見開いている。そこへ、暗闇からぬっと手が伸びる。
『ああ、何度見ても素敵だ』
ゲゲ郎の声だ。恍惚とした声には狂気が秘められており、背筋が寒くなった。彼は細い指を、女のふくらはぎに這わせていく。ショートパンツをはいた女のふくらはぎはすらりとして美しい。ゲゲ郎は愛おしそうにそれを撫で、膝から太腿へと何度も手を這わせる。そこで男の手は離れ、捕まった女は安堵の息を吐く。しかしその束の間の安堵はすぐにまた恐怖へ変わった。
ヴィーン、という機械音。それはチェーンソーの起動音だ。女は恐怖で顔を引きつらせる。
『もうすぐ完璧な君が手に入る』
ゲゲ郎のうっとりとした声がする。足音とチェーンソーがゆっくりと女に近づく。黒い背の高いシルエットが、画面の中へ入って来る。その影が、チェーンソーを振りかぶった。
『さようなら』
女の悲鳴と肉を断つ音が響き渡る。猿轡越しに、くぐもった女の悲鳴が響く。断末魔の叫びだった。血しぶきが飛び散り、床に血がたまっていく。
画面が切り替わり、椅子に縛り付けられた女が映される。彼女は猿轡をされ、恐怖に目を見開いている。切断された片足を宝物のように抱えたゲゲ郎が、うっとりとした声で囁く。
『これでずっと一緒だね』
カメラが初めてゲゲ郎の顔を映す。彼は目をうっとりとさせ、頬を上気させている。
「っ……
水木は思わず息をのんだ。本当にこれは――――これは演技なのだろうか。女の脚を切って本気で喜んでいるように見える。
呆然としながらテレビのスイッチを切る。
ドラマの内容としては、綺麗な足をもつ女刑事が殺人鬼を追い詰めていくというものだ。ゲゲ郎演じる殺人鬼は、女刑事の脚に執着する。あの女優は怯えていた。彼女はゲゲ郎に足を切られると怯えていた。
それは、女優を本気で怯えさせるほどの迫真の演技。殺人鬼に見えるほど、彼は役にのめり込んでいる。
ふと思いついて、水木はSNSを開いた。ドラマの名前を入れて検索してみる。ドラマの視聴者と思われる者たちの呟きが続々と出てきた。

【マジで殺人鬼なんじゃね、こいつ】
【狂気の演技がえぐすぎる】
【夜道で会ったら本気で逃げるレベル】
【てか、田中ゲゲ郎って俳優だよね? 他に何出てる?】
【変な名前】
【田中ゲゲ郎って最近脇役とかでよく出てるよ】

ずらりと並ぶ、【田中ゲゲ郎】の名前に、水木は愕然とした。