Maisie_Lyju
2026-02-27 21:32:37
14591文字
Public
 

DEAREST

付き合ってないエメアゼ下書き

 あれから、なんだかんだで60年か。
 ヒュトロダエウスは目の前の二人を眺めて思った。
 唯一無二の赤い仮面を胸に下げた二人。
 あの日は、アゼムだけが赤い仮面を胸に下げていて、ハーデスは白い仮面を胸に下げていた。
 見た目は今と髪型一つ変わっていないし、違いは本当にそれだけだ。
 あの日と同じに二人は隣り合って座って、ヒュトロダエウスが一人でその向かいに座っている。
 なんなら目の前に置かれたお茶だって、あの日と同じ銘柄だ。
 ああ、あの日と違うことならもう一つあった。
 あの日は二人とも、今とは違う、不貞腐れた顔をしていた。
 不貞腐れた顔で、重い口調で話し始めた。
 でも、今日は違う。
 二人は明るい表情をしているし、会話も軽い。
 これでよかったと言うことなんだろう。
 これで、よかった……
 はずなのに。
 
「どうしたんだよ、ヒュトロダエウス。きみが黙り込むなんて、雪でも降っちゃうよ」
 アゼムの明るい声に、ヒュトロダエウスは我に返った。
……ああ、ごめんよ。なんだかとても感慨深いなって、そう思ってた」
「ん? ハーデスがエメトセルクになったこと?」
 アゼムがきょとんとした顔で首を傾げる。
「うん。二人がそうやって並んでると、なんだかとっても感慨深いじゃない」
 ヒュトロダエウスは頷いてもう一度そう言った。
「お前が、委員会入りを断ったからこうなっているんだが?」
 ハーデス、つい先日からエメトセルクだけれど、ハーデスは眉間に皺を寄せて言う。
「ヒュトロダエウス的にはそこも含めて感慨深いんじゃない?」
 アゼムの言葉に、ヒュトロダエウスは曖昧に笑う。
「そうだね……。ワタシははじめから、キミの方が適任だと知っていたからね」
……お前の、創造物管理局長適性が高すぎるんだ。私にはその代わりは勤められない」
 ハーデスが照れ隠しのようにそっぽを向いて、ヒュトロダエウスはくすくすと笑った。
 ヒュトロダエウスだって、伊達にエメトセルク候補に上がっていたわけではない。その適性はあった。ハーデスだって、アゼムのバディとして、エメトセルクの座に就かなくとも十二分に星への貢献をはたしていた。なのに本来目立つことが嫌いなハーデスが面倒な役目を背負うことにしたのは、周囲の推薦だけではなく、創造物管理局長の仕事をヒュトロダエウスに続けさせる為でもあって。
 本当に、素直じゃない。
「ハーデスならなんだかんだ、局長もこなしたと思うけど」
「うん。ワタシもそう思うよ。面白おかしいイデアの申請は通りにくくなっただろうけどね」
「それは、お前も通すな。この間の、巨大すぎる食虫植物もだ。あんなものをお前が許可するから尻拭いする羽目になったんだろう」
「ええー、生物の多様性は創造物法の第一項にあることじゃないか!」
「ふふ。やっぱりハーデスが局長はないな。たぶん、光る鮫とかも不認可になる」
「当たり前だ」
「いや、おそらく感覚が麻痺してくるよ。喋る鮫とか飛ぶ鮫とかの審査をしているうちにね、光るくらいならいっか、ってなるのさ」
「ならん」
「え、わたし、なるな、絶対」
 そうやって笑い合っているのに……
 今日のヒュトロダエウスの脳裏にはやはり、あの日の二人がフラッシュバックする。

 あの日、

 いつものように呼び出されて、二人の姿を見つけて、「やぁ」と、いつものように声をかけようとして──。
 二人の様子がいつもと全く違うことに気付いて。
 張り付いたような笑顔を口元に浮かべたままヒュトロダエウスが固まっているのを見て、ハーデスは目を逸らし、アゼムは口をへの字に曲げた。
 これは……、二人のデートに合流させらたわけじゃない……、と悟った。
 重く固い足をなんとか前へすすめて、二人の着くテーブルへヒュトロダエウスも座って。
 確かに、予兆はあったのだ。二人それぞれから、相談という体の愚痴を聞かされてはいた。だけど、アゼムは最後には必ず笑って「まぁ、でもなんとかするよ」と言っていたし、ハーデスだって「本当にうんざりする」と言いながら、諦めきれない顔をしていた。
 だから、なんだかんだ二人はこのまま続いていくんだろうと思っていたのだ。
 給仕の使い魔がヒュトロダエウスの前にお茶を置いて去っていく。
 重い沈黙を破ったのは、アゼムの、不貞腐れた声だった。
「悪いね、昼休みに」
 全く悪びれていない目だった。
……いや。大事な話しなんだろう?」
 ヒュトロダエウスの言葉に、こちらも不貞腐れた顔のハーデスがそっと息をついて。
 アゼムは肩をすくめた。
……まぁ、お察しの通りだよ」
 アゼムは低い声で言ってから、チラリとハーデスを見て。ハーデスがムスリと口を引き結んでいるのを確認し、ヒュトロダエウスに視線を戻した。
 少し仄暗い目。
 アゼムらしくない。
……わたしたち、別れることにした」
 別れることにした────。
 二人が燃え上がるように恋をして、恋人になって、ヒュトロダエウスはずっとそれをそばで見ていたのだ。
 友人の時のほうが、わたしたちの関係は居心地がよかったことに気付いたとかなんとか、アゼムがどうでもいい理由を言っているのが遠く聞こえる。
 なんでそうなるの。
 だってキミたち、まだお互いにとても相手のことを好きなのに。
 その不貞腐れた顔は、納得のいく結論じゃないってことなんじゃないの。

 「だいたい、鮫は海洋生物の中でも捕食者の頂点にある創造生物だ。光ったりなどしたら餌となる生物に回避されるだろう」
「え、光に寄ってくる創造生物もいるよ?」
「お前のようなか」
「え、わたし? ハハ! 何言ってんのわたしアゼムさまだよ。鮫なんか光ってたってワンパンだよ」
 アゼムは笑いながらバシバシとハーデスの肩を叩いて、ハーデスの方はゲンナリした顔をしながらもそれを受け入れている。

 ハーデス相手に、そんな風に接しられるのはキミだけなのに、アゼム。
 アゼムの無茶苦茶な言動に付き合えるのはキミだけなのに、ハーデス。
 なんで二人は番えなかったのかな。
 互いに互いが唯一無二であるはずなのに。
 どうして、恋人という関係になった途端、ダメだったんだろう。




 それからまた時が流れて、アゼムの名がそうであるように、エメトセルクの本名が忘れ去られていくほどにはエメトセルクであり続けていた、そんなある日。
「アゼムが今どこにいるか、わかるかい?」
 大物の審査依頼を片付けて、今日はこれで仕事はお仕舞い、と逃げ込んでいたエメトセルクの執務室で、お茶をしていたら、エリディブスがやって来て言った。
「おや、また行方知れずなのか。視てみるよ」
 ヒュトロダエウスは答えると、視界を切り替えて、アゼムのあの煩いほどに輝く魂を探す。
 四方八方眺めてみたが、近くにはなさそうだ。
「すぐ呼び戻せる場所にはいないようだけれど、急用でもあった?」
 ヒュトロダエウスの言葉に、エリディブスは困ったような顔をする。
「急用というわけではないのだけれどね、通信端末が長くエーテル切れのようだから、どうしたのかと気になっているんだ。アゼムのことだから何かあったわけではないだろうけど、通信が繋がらない状態が続いているのを知られてしまったら、またラハブレアに叱られるだろう?」
 エリディブスは、ラハブレアにバレる前に通信端末の電源を入れろとアゼムに伝えたいようだ。
 エリディブスの来訪にもとくに手を止めることなく書類仕事をしていたエメトセルクが、小さく息を吐いた。
「承知の上でわざとやっている。気にするな」
 エメトセルクの言葉に、エリディブスは首を傾げつつも頷く。
「アゼムから連絡があったのかい? 彼女は今どこに?」
「連絡があったわけではないし、どこにいるかは知らん。だが、通信を切っているなら、そうだな……ああ、おおかた、先日ミトロンが口にしていた時化の件を見に行ったんだろう。イオニア海あたりにいるんじゃないか」
 書類になにか書き付けながら、エメトセルクはぞんざいに言う。
「イオニア、時化……その件は、統計から大きく逸脱しているわけではないから、もう少し様子を見ようという結論だったはずだが……
 エリディブスの言葉に、エメトセルクは今度は大きく息を吐く。
……だから、だ」
 言い切るエメトセルクに、エリディブスはますます首を傾げる。
「アゼムも、様子見に賛同していたような……
「だから、だ」
……
「あいつが、保留案件に大人しく賛同しているなど、自分が見に行きたいからに決まっている」
 エメトセルクは諦念しているような口調で言いながら、引き続き書類に何か書き込んでいる。
「なるほど……
 エリディブスは納得したような、でも何か懸念があるような、不思議な顔をしている。
「心配しないで。アゼムの端末はエメトセルクなら遠隔起動できるんだ。非常時のこちらからの連絡手段は、確保されているから」
 ヒュトロダエウスが言うと、エリディブスは目を丸くする。個人通信端末の他者による遠隔操作など、当然セキュリティやプライバシーの問題でできない仕組みになっている。未承認の術式を通信端末に仕込んでいるというわけだ。
……あいつも、いちおう委員会の一員である自覚があるようでな。緊急事用だ。ラハブレアには黙っておけ。濫用されかねん」
 エメトセルクの低めた声に、エリディブスは笑った。
「心得たよ。エメトセルクがアゼムの動向を把握しているなら、問題ない」

 数日後、偶々行き合ったエリディブスは、ヒュトロダエウスにニコリと笑った。
「アゼムはエメトセルクの言った通り、イオニア海へ行っていたようだ。ふふ。アゼムがしょっちゅう行方不明になるのに、いつもエメトセルクは大仰に構えていたから、不思議だったんだけど、ほら、彼の性格を考えれば頭痛でも起こしていそうだろう? 謎が解けたよ」
 エメトセルクはアゼムの行方などいつだってお見通しで、にっちもさっちもいかなくなったら連絡を取る手段だってある。だから、なのだ。
「親友というのは、すごいね。私にもいつかそう呼べる友ができるといいが」
 エリディブスはそう感慨深く言った。



 それからまた時が流れて。とても穏やかな陽気の、ある昼下がりだった。
 面白いイデアの申請を通して、アゼムに話して聞かせようと、その魂の色を探したら、カピトル議事堂の方にエメトセルクと共にいるようで。
 中庭にあるその魂二つに向かってひんやりとした廊下を歩んでいたら、そちらの方から顔馴染みの書記官がひどく動揺した様子で飛び出して来た。
 危うくぶつかりそうになって。書記官の手から溢れた書類が床に散る。
「おやおや、どうしたんだい?」
 ヒュトロダエウスが書類を拾いにかがみ込みながら尋ねると、書記官の女性はハッとしたようにずれていたフードを直し、居住いを正した。
「ヒュトロダエウスさま……申し訳ありません……、少し慌ててしまっておりまして、気付きませんでしたわ」
 書記官も膝を折ると、散らばった書類に手を伸ばした。
「うん。何かあったのかな?」
 ヒュトロダエウスは拾った数枚をチラリと見る。どうやら、エメトセルク宛のようだ。
「いえ、その……、とくだん何かがあったというわけでは……ございませんの」
 書記官はそう言いながらも、声の調子は普段と違う。
 不思議に思いながら、ヒュトロダエウスは書記官が飛び出して来た方を見る。今から向かおうとしていた、中庭だ。
「そっか。ところでアゼムとエメトセルクに会った? ワタシは二人に会いに来たんだけど」
 ヒュトロダエウスが二人の名を出したとたん、書記官は一瞬、書類に伸ばしていた手を止めた。
「お会い……したというか……、ええ、そちらに、いらっしゃいます……。お見かけ……いたしました」
 書類拾いは再開しながら、でもなんだかとても歯切れが悪い様子で言う。
 散らばった書類を集め終わって、立ち上がりながらそれを手渡す。
「なのに渡さなかった?」
 書記官はヒュトロダエウスの言葉に俯いて、
……急ぎのものではございませから」
 小さな声で言った。
「そう。じゃあ、しっかり前を見て歩くんだよ」
 ヒュトロダエウスは柔らかく言って軽く手を挙げ、切り上げのサインを送ると、中庭の方へ向かって歩をすすめた。
……あの……!」
 書記官の呼び止めの声に、ヒュトロダエウスは振り返った。
 書類をしっかりと胸に抱いた書記官は、勇気を振り絞るように背筋を伸ばした。
「エメトセルクさまとアゼムさまは、恋人ではないと、そう伺っていたのですが……! あれでは、そうは見えません! ヒュトロダエウスさまは、本当のところをご存知なのでは……?」
 そう言えば、彼女は着任以来ずっと、エメトセルクに恋してるんだっけ。ヒュトロダエウスは、エメトセルクの前では魂が華やぐ彼女に気付いていたことを思い出した。
「二人は付き合ってないよ。……今は、ね」
「今は……?」
「二人は、恋人同士『だった』。君みたいに、それを知らない人がけっこういるくらいには、昔の話さ。今は、『親友』だそうだよ」
「親友……
「には見えなかったかな?」
「わかりません……。わたくしは、親友にもあのようには接しませんもの。でも、だからと言って、他の方々もそう、と、決めつけるつもりも、ございませんから……
 聡い女性だと、ヒュトロダエウスは思う。職務にも真面目だし、エメトセルクには一見似合いだろう。でも、じつはそうではない。エメトセルクはあの堅物の様相で、プライベートではかなり怠惰だし、いい加減だし、身内にはパシュタロット案件でも目を瞑ってやるほど甘い。だから、私人ハーデスにとって、アゼムの適当さや、大雑把さが、案外に居心地が良いのだ。
『あの馬鹿の隣にいると、私は私でいられる』
 大昔、まだアゼムに出会ったばかりの頃、そう言っていた。
 魔道士として類稀なる才能を持って生まれた彼にとって、魔法の才は決して飛び抜けてはいないのに、どんなことをしてでもやり遂げる彼女の存在は、ある種救いであって。
 エメトセルクにとってアゼムは、関係性がどうあれ、唯一無二の存在だ。
「二人の距離感がおかしいのは、元恋人だからなんだ。ほら、寝食共にして裸の付き合いをしてたわけだしね。……でも、だからこそ、その距離感に耐えられないなら、エメトセルクの恋人には……志願しないでくれないかな」
 ヒュトロダエウスの言葉に、書記官は一瞬息を止めて、ゆっくりと吐いた。
……それは、あなたさまの望み、ですわね」
 本当に、聡い女性だ。
 ヒュトロダエウスは、二人のおかしな距離感を許容し、むしろ、それの存続を願っている。だから、それを問いただすような人に割って入られたくない。
「そうだね。でも、ワタシも彼の親友だから、わかるんだよ。エメトセルクは、アゼムの方を切ることはない。キミも、辛い思いをするだけだ」
「きっと……、そうなのでしょう……。さっきお見かけした様子では……、わたくしには代わりはつとまりませんでしょうし……
 書記官の仮面の下から、一粒涙が伝って。
 しかし、口元を笑顔の形に歪めた。
「でもだからと言って、さっと諦められるほど、儚い想いでもございませんの。では、これで失礼いたします。ご機嫌ようヒュトロダエウスさま」
 そう、やけに口早に、元気な調子で言うと、書記官はローブの裾を翻して背を向けた。
「ああ、ご機嫌よう」
 大きな歩幅で去って行く背を見送って。
 ヒュトロダエウスは一息つくと、中庭の方に目をやった。
 エーテルを視る目に切り替えれば、そこに、穏やかな様子の二人の色がある。
 物質界に視界を戻し、中庭に降り注ぐ陽光を取り入れんと開いたままの扉に向かって歩き出す。
 扉をくぐって。
 柔らかい緑の葉たちが、燦々と光を照り返し輝く中庭に出る。
 花壇の植え込みの影から、地面に投げ出された足が覗いていて。
 いい大人なのに、相変わらずこうして地べたに寝転がってしまう友人に、ヒュトロダエウスは苦笑しながら植え込みを回り込む。

 ああ、彼女はこれを見たのだ。

 仮面を外し、フードも取った二人。
 花壇に寄りかかって地面に座るアゼムの膝に頭を預けて、エメトセルクが、『あの』エメトセルクが、アゼムの方に少し顔を傾けて、なんだかあどけなく見えてしまうような表情を晒して眠っている。
 アゼムも、花壇に背を預けて首をガクンと上向けて、クークーと寝息の聞こえてきそうな、幸せそうな顔で寝入っている。
 何故だろう。植え込みの影であるはずのその場所が、でも、とても輝いて見える。
 二人の、どうしようもないほど、安堵した空気がそうさせるのか、今日のこの穏やかな陽気のせいか。
 まるで、そこだけハイライトされたように、そこだけ切り取られたように。
 優しく煌めいていた。

 自分だって二人の親友だ。
 でも、何故だか踏み出せなかった。
 ヒュトロダエウスは書記官の女性がついさっきそうしたように、踵を返すと、その場をそっと離れた。
 その光景は、二人だけで完成されていて、踏み入る余地なんて、どこにもない。
 そう感じてしまったのだ。




 それから少し経った、ある夜のことだった。
「だって、もうずいぶん長く、恋人がいらっしゃらないじゃない」
「ええ、以前何度かお付き合いされてる方がいらしたけど、どの方ともほんのひと時で、それすらエメトセルクになられてからはサッパリだそうね」
「あの方は真面目だから、お役目に集中なさりたいのよ」
「もったいないったらないわ! ねぇ、わたし、ホントにアタックしてみようと思うの。応援してほしいわ」
「ええ?! 本気でしたの?!」
「当然よ!」
「無理でしょう! エメトセルク様よ? 高嶺の花がすぎます」
「いや、わたし、勝機があるかもしれないと思うのよ!」
「本当に? どのような?」
「ふふん、わたしってばね、エメトセルク様の好みのタイプなのだと思うのよ。だって、ヒュトロダエウス様に、『アゼムみたいだね、エメトセルクと気が合うと思うよ』って言われたのーー!」
 壁の向こうから聞こえる酒精にまかせた騒がしい声に、アゼムは目を丸くし、エメトセルクは目を細めて、ヒュトロダエウスを見た。
 二人の温度は違うが、思っていることは同じ、「お前か」だ。
 ヒュトロダエウスは肩を竦めた。
 あまり記憶にないが、そんなことを言ったかもしれない。声の主の魂の色も、まぁ確かに見覚えはある。
「きみの好みのタイプ、わたしなのか」
 顰めた声でアゼムがエメトセルクの耳元で言う。
 エメトセルクは嫌そうな顔をしながら、グラスに口をつけて少し舌を湿らせて。
……まぁ、そう思われても仕方がないだろうな。交際が一番長続きしたのが、お前になってしまっているし……、一番親しい女性も、どこからどう見てもお前だ」
 エメトセルクもボソボソと顰めた声で答える。
 一番長続きしたと言ったって、種子から育てられた花が三度咲くほどの期間だ。まぁ、それ以外の女性は一つの季節すら越えられなかったから、それから見れば長いのかもしれないけれど。
「ええ、それならわたしの好みのタイプもきみだって思われてんのかな」
「ああ、お前も他に長く続いた男はいないんだったか」
「アゼムちゃんの魅力をねー受け止めてくれる男って案外いないんだ、悲し」
 普段は付き合ってたことなんかなかったかのようにしている二人だけど、こちらも酒で潤っているのだろう、軽くそんなことを言い合っている。
 ヒソヒソと耳打ちし合っているから、すごく距離が近い。
 そんな二人を頬杖をついて眺めて。
 これで、よかった……
 はずなのに……
 と、この百年あまり、何度も過った思いが首をもたげる。
 
 だってキミたち……まだ互いに相手のことを誰よりも好きじゃない。
 もう恋の好きではなくなっていても。
 それでも、それ以上に好きになる人に出会えないくらい、大好きじゃない。
 だから誰とも続かないんでしょ。

 キミたちは、互いにとって互いが唯一無二だ。
 この稀代のアゼムの無茶に、どこまでも付き合える人なんて、星中探したってエメトセルクしかいない。
 エメトセルクほどの偉大な魔道士に、己の限界を知らしめる人なんて、古今東西アゼムだけだ。
 きっとどれだけ生きたって、どれだけ足掻いたって、それ以上の人に出会うことなどないと、ワタシは思うよ。

……だよ。なぁ、ヒュトロダエウス」
 急に名前を呼ばれて、ヒュトロダエウスは我に返った。
「ん……? 何だって?」
 尋ねると、アゼムは聞こえなかったのか、というように身を乗り出して、ヒュトロダエウスも耳をそちらに傾けてみせる。聞いてなかったんじゃなくて、聞こえなかったフリだ。
「わたしが一肌、脱ぐところじゃないか、って」
 アゼムは顰めながらもはっきりとした声で言う。
 エメトセルクを見れば、不貞腐れた顔でテーブルに上半身を預け、酒をちびちびやっている。その様子に、
「え? 一肌ってキミ」
 まさか。ヒュトロダエウスは視線を騒がしい壁の方に向けた。
「歌劇場より博物館よきっと!」
「いいえ、歌劇場ですわ。ディナーはワインの合うコース料理」
「お待ちなさいな、最初のデートにお誘いするのに、博物館や歌劇場からのディナーだなんて。お昼間のお茶の方がよろしいわ」
 壁の向こうではエメトセルクをデートに誘う算段をしているらしい。
 視線を戻したヒュトロダエウスに、アゼムは大きく頷いてみせてから、グラスに残った酒を一気に煽って。仮面をつけると、立ち上がる。
 ちょっと待ちなよと伸ばした手よりも早く、アゼムは背を向けて、個室を出て行った。
「やぁ! こんばんはお嬢さん方」
「あ、あ、アゼムさま?!」
 そんな声が聞こえて、エメトセルクは突っ伏して頭を抱えた。
「歌劇場か博物館か、はたまたティールームか、その難問に答えを授けに来たよ!」
 アゼムが腰に手を当て、ドヤ顔をしているのが見なくてもわかる。
「え? え? わたくしたちのお話し、聞いていらして……?」
「うん、すっごくよく聞こえた」
「ええー!? うそ?! そんなに声大きかったですか?!」
「まぁお酒入ると声、デカくなるよねー、わかるー」
「きゃああ!! お恥ずかしいです!」
「わたしはね、エメトセルクの全てを知り尽くしている大親友だ。きみたち、彼の好みのデートスポットを知りたいんだよね?」
「は! はい! そうなんです! 是非是非ご教示ください! あ、どぞどぞ、こちら、とっておきの蒸留酒です」
「えーー? いいの? わーありがとうーー。んん、わ、うっま!」
「あらぁ、アゼム様いける口ですのね〜!」
「勿論だ。さて、歌劇場、博物館、ティールーム。どれもいい線いってる。だけど、あいつを油断させて落とすなら、そこじゃない」
「ほうほう」
「どこなのです?」
「ずばり、景色のよい草原。そうだな……あそこだ! リカヴィドスの丘だ!」
「ええ! あそこは見晴らしがよい以外はなにも……
「それがいいんだよ。エメトセルクはあからさまなデートスポットより、そういうとこのが肩の力も抜けて、気安くデートできる」
 アゼムの熱心な声にエメトセルクを見れば、苦い顔をしている。「そうなの?」と目線で問い掛ければ、「まぁ、確かに」という顔で嫌そうに頷く。
「普段忙しく色々考えがちなやつだからさ、そういうぼうっとできる場所に連れてってやるのがいいんだ。そして、気を緩めた隙に……
「隙に……?」
「ガッと抱きついておっぱいぎゅっして押し倒してしまえーー!」
 アゼムの声からは、酒気がばんばん漏れ出している。確かに結構飲んだもんね。
「ええ?! そ、それは性急すぎません?! し、しかも屋外ですよ?!」
「だからだ! なにも一発ヤレってわけじゃない。唇の一つでも奪ってやれってこと。エメトセルクはさ、案外に紳士だから、振り解いたりできない。唇を奪うくらい造作ない。そうして、不意を突いて、動揺してるうちに、真摯に告白する。あなたをお慕いしていますって、涙目で言ってやれ。キスしちゃってるからなー、エメトセルク、たぶん断り辛いはず。で、あいつ、そういうの案外流されちゃうから、十中八九、とりあえずは付き合える。」
「ほ……ほんとですか……?」
 女性陣は半信半疑のようだが、ヒュトロダエウスは思った。
 確かに、そうなる気がする……、と。
 エメトセルクも手で顔を覆ってしまっているが、心当たりがありすぎるのだろう。呻く口元をしている。
 エメトセルクがアゼムの動向を手に取るようにわかるように、アゼムだってエメトセルクのことを誰よりも理解しているのだ。
「ほんとほんと、エメトセルクって案外相手が必死だと断れなくなっちゃうやつでさ」
「そう、なんですね……。ふむ……、でもとりあえずそれで付き合えても、他の人みたいにすぐダメになりません?」
「ああー。エメトセルクと長く付き合うにはーー、そうだなーー、うーーん、あ! あいつ騎乗位が好きだよ」
「はぁ!?!?」
 大声を上げたのはエメトセルクだ。
 だが、
「ええ?!?!」
「ま、まぁ!!」
 女性陣も相当驚いたらしく、隣の個室から上がったエメトセルクの声には気を止めなかった。
 ヒュトロダエウスは肩を怒らせて立ち上がったエメトセルクを宥めるように再度椅子に押し込む。
 今エメトセルクが現れたら、女性たちは阿鼻叫喚だろう。収集つかなくなる。
「うんん、ゴホン、えっと、アゼム様……、本当になんでもご存じですね。そのへん、もっと詳しく……ぜひ」
「ん。あいつさ、上乗られて好きに動かれんの、すごい好きみたい。主導権握られてるの、意外とイイみたいでさ」
 抑えつけていたエメトセルクの肩が再び暴れ出す。それをなんとかどうどうと宥めて、「わかるよ」と頷いてみせる。と、何故かエメトセルクは心外だと言わんばかりに怒った顔で首を振る。そんなはずない。騎乗位が嫌いな男はいない。
「そうですのね、エメトセルク様、攻めみたいなお顔でいらして、実は受け……んん、ゴホンゴホン」
「そもそもあいつガタイいいからさ、正常位とか後背位だと終わった瞬間こう、覆い被さってくるじゃん? あれが重いし。で、わたしも騎乗位のがいいじゃんって、」
 ついにエメトセルクがヒュトロダエウスを振り払って立ち上がったので、ヒュトロダエウスは慌てて個室のドアを塞ぐ。
「あ、あーー、そういえばお二人は昔付き合っていらしたようだとかなんとか聞いたこともあの噂ホントウだったんですか?」
「そう、あれ、わたしの元カレ。でもさー、最近彼女つくんないの、わたしも心配してるんだよ」
 ヒュトロダエウスとエメトセルクが静かな攻防をしている間にも女性陣は盛り上がっている。
「ワタシが行くから、キミ、今出てくと、騎乗位大好き男って札下げて登場するみたいなもんだよ」
 ヒュトロダエウスの言葉に、エメトセルクはぎゅうっと眉を顰めて、眉間の皺を深くすると、やがて項垂れてヒュトロダエウスを扉の方に押し出した。行ってきてくれということだ。
 ヒュトロダエウスは引き攣った顔に仮面をつけると、テーブルにあった高級ワインのボトルを取り上げる。そして、いそいそと隣の個室に踏み込んだ。
「やぁやぁ、そこの酔っ払いを回収しに来たよ。これは詫び料、開けちゃってるから飲み干しといてくれないかな」

 夜の深まった、人通りなんてこれっぽっちもない道をのんびり歩く。
 この時間は街頭の灯りも明るさを調整されて、道をところどころ、ほんのり照らすのみ。人々は夜空の星を眺めるのも好きだから、アーモロートのような大都市も、こんな時間にはきちんと闇が訪れるようになっている。
 隣を歩くエメトセルクは、すっかり力の抜けきったアゼムを背負っている。
 身長が伸び出すのが遅く、痩せっぽちだったハーデス少年の面影はどこにもない。今や魔道士と思えないほどしっかりとした体躯の、健康優良青年だ。
 しかも、長らく恋人がいない。
 なのに、こうして眠る女人を背負っていても、本当に、なんとも思っていない顔をしている。
 まるで、男友達でも背負ってやるように、ふらつくアゼムを担ぎあげて、アゼムのほうも当たり前みたいに首に腕を回して、安心したように口を開けて寝だした。
 なんでなんだろう。
 見ていてわかるほど、互いに相手のことが好きなのに。
 そこに、恋の甘さだけがすっぽりと抜け落ちている。
 今思えば、別れたばかりの頃はまだあった。でもその頃は、その気不味い瞬間が、二人も、ヒュトロダエウスも嫌で、二人共別の恋人をつくったりとジタバタ足掻いていた。それもなくなって。
 気付けばすっかり、ほんとうに、『親友』だ。
「なんで……ダメだったの?」
 ヒュトロダエウスは長年、聞けなかった、いや聞かなかった問いを発した。
「何がだ?」
 エメトセルクは軽い調子で聞き返してくる。
 こんな問い、されるなんて思ってないんだろう。
……キミたちは、なんで、恋人ではダメだったのかな」
 傍らのエメトセルクは、心底不思議そうに首を傾げた。
「何だ、今更。お前だってあの頃喧嘩ばかりの私たちを見ていたし、わかるだろう。……あの日、アゼムが言ったとおりだ。友人としての方が、こいつと付き合うのは具合がいい。互いにな」
「そこがよくわからないんだ。恋人としては上手くいかないけど、友人としてなら、親友と呼べる仲だなんて。恋人か親友かって、そんなに違うことかな」
「違うだろう。随分」
「そう? どう違うの」
……心の持ちようが違う。相手を恋人だと思うか、親友だと思うか」
「それならなおさら。だって、どちらも最愛であることに変わりはないじゃない。せいぜい、セックスするかしないかの違いでしょ」
……お前にとって、親友と恋人の違いは、それだ、と」
「そうだね。ワタシはアゼムやキミとはセックスしない。騎乗位が好きだなんて知らなかったよ」
「別に……! 好きなわけでは、ない!」
「好きだよ。キミのことを知り尽くすアゼムが言うんだ。間違いない」
……くそ、ああ、厭だ……。何をどう言ってももうお前のその認識を覆せない気がする……
「うん、無理だね。アゼムが身をもって理解していることだから」
 こんな話をしていたって、背中のアゼムを気にする様子もない。
 なんでこんなに、綺麗サッパリ、親友の顔でいられるのだろう。

 キミたち、今も互いにすごく相手のこと好きで、
 相手がそうであることも、ほんとは知っているのに。
 
 アゼムの今日の言動だって、酔っ払っていたばかりじゃない。
 あの子たちへの、牽制だ。
 恋人にはなってやらないのに、互いに相手を隣に縛り付けて。
 何をしたいのだ。
……親友っていうか、あれだね、キミたちどっちかっていうと、熟年夫婦みたいなのかも」
「はぁ? どこがだ」
「ふふ。ヒミツ。さて、我が家に到着だ」
 ヒュトロダエウスは自宅のあるレジデンスの下で、そう言って辛気臭い思いを切り上げた。
「ああ、悪かったな、こんな時間まで」
 エメトセルクが当然のように言って、ヒュトロダエウスは一つ瞬いて。
 「ふふ」っと笑った。
「三軒目行こうって言ったのはアゼムなんだから」
 本来エメトセルクが謝る道理はない。
 なのに、アゼムの言動の不始末をエメトセルクがつけるのを、もうずっと当たり前にしてきて、エメトセルクも当たり前にしていて。
 そういうところだぞ、と思う。
「じゃあね。アゼムをよろしく」
 カピトル議事堂が所有する官舎は、もうひと区画先にあった。三つの巨大なレジデンスからなる官舎だけど、アゼムとエメトセルクは仲良く同じ棟に自宅を構えている。だから飲みの帰りはいつもこうして、ここで二人を見送る。
「ああ。よい夜を」
 エメトセルクがいつも通り落ち着いた声で返して。
 なんだかそれに、無性に意地悪をしたくなった。
 これから、二人っきりの時間になるのに、なぁんにもそんなこと、気にしていないから。
「独り身が長くて溜まってるかもだけど、寝落ちてる婦女子を襲っちゃだめだよ」
 案の定、エメトセルクは毛を逆立てた猫みたいな顔をして。
「な! 襲うか! 溜まってもない!」
 そのエメトセルクの逆上した声に目覚めたアゼムが、半分しか開かない目でキョロキョロして、「ひゃ? なに? じしん? かじ?」と夢現つの様子で呟いた。
 溜まってないのか。意外とどこかで発散しているのか、プロの独身としてきっちり処理しているのか。アゼムと違ってヒュトロダエウスには、エメトセルクの知り得ない部分もあるらしい。
「残念、なら安心だね。じゃあ」
 ヒュトロダエウスはそう言って、レジデンスに逃げ込んだ。

 少しでも背中のアゼムの温もりや膨らみを意識すればいいんだ。
 そう願って。


※※※


「水か何かいるか」
「うんーーん」
「どっちだ」
「いるーー」

「ほら」
「ありがとー」

「あー、沁みるー。水と共にきみの優しさが沁みわたるー」
「結構なことだ」

「んー、帰んの?」
「そのつもりだったが?」
「いなよー。隣で寝たい気分」
……。目が覚めて、何故いるんだ、などと言わないなら」
「はは、言わないよー。そんなこと言ったことないじゃん。ほらほらお布団入った入った」
「おい、引っ張るな。せめてローブを脱ぐくらいはさせろ」

「んー、あったかい……
「お前の方が温かい……
「あれー、どっちの体温かわかんないや……
「ああ……。あ、」
「んー?」
「お前に言っておくことがあった、おい、寝るな、起きろ」
「なんだよー……
「私は別に騎乗位が好きなわけではない!」
「えー? 何言ってんのー……。自覚してないのかな……? きみ騎乗位好きだよ……すんごいなんていうか、蕩けた顔してこっち見るじゃん……。めっちゃ気持ちよさそうな声も出すし……
「声など出していないだろう。お前じゃないんだ」
「もー、出てるよ。はぁはぁ言ってる。呻いてるときもある」
……そんなつもりは……ない」
「今度録画するよ……
「やめろ。とにかく……私は騎乗位が好きなのではなくて、お前が、求めてくる様子にだな、こう、クるものがあると、そういうことだ」
「あー、付き合ってたときは、わたしより先にきみが手を出してくるから、わたしから求めるなんてなかったしねー」
「それだ。別に騎乗位だからじゃない」
「でも、好きだよね、騎乗位でするの」
…………相手がお前の場合は」
「わたし以外だとどの体位がよかったのさ?」
………………後背位じゃないか、男なら」
「ふーん」
「折を見て、ヒュトロダエウスにも訂正しておいてもらいたいものだ」
「アゼムとする騎乗位が好きなだけだって?」
「はぁー。もういい、お前と今も関係をもっていることをヒュトロダエウスだけには絶対に悟られたくない」
「なんだよ、今更」
「あいつにとって恋人と親友の違いは、セックスをするかしないか、らしいからな」
「はは、ヒュトロダエウスらしい。親友とセックスできる男だってバレたら、ヒュトロダエウス、身の危険を感じちゃうもんね。くくく」

「なんか眠気飛んじゃったよ」
「んー、私は寝れそうだがな」

……する?」
「まぁ、吝かではない」
「なんだよ、素直にしますって言え」