tonami
2026-02-27 01:18:53
4902文字
Public 世にロゾ
 

逃げ水

世にロゾ参加作品②。現パロ



 ──あ? いきなりなんだ。怖い話? お前といいシャチといい、最近流行ってんのか? ……もしかしてそのために一緒に休憩取ろうとか言い出したな。まァ、構わねェが。つーか、おれから聞かなくてもお前らだってさんざんその手の経験はあるだろうが。病院勤めなら大なり小なりネタになりそうなことはあったろ。おれもたいして変わらねェよ。
 ……仕方ねェな。あれはゾロ屋と会った年の夏のことだ。──そう、おれが避暑も兼ねて東北に逃げた年だな。その日も例に洩れず猛暑日でな。まァ、こっちよりは涼しいっちゃ涼しいが、気温としてはさして変わらなかった。せっかくの旅行だし散策でもするかと早朝に出かけたんだ。近くにあるスーパーまで歩こうと思って、ちゃんとマップアプリで道も調べた。だけど浮かれてたのか、初めて歩く場所だったのもあって気づいた時には目的地とはぜんぜん違う場所にいた。あの時ばかりはゾロ屋の迷子を馬鹿にできなかったな。まだ出会ってねェが。──うるせェ、多少迂闊なほうが可愛げがあっていいだろうが。
 お前も知ってるように、おれは放浪が趣味だ。知らない土地なんて特にわくわくする。だからさほど焦ってはいなかった。ただ気温がもっと上がる前にはホテルに戻りたかったから、アプリで調べながら歩くことにした。マップで表示された通りに歩いて十分くらいだったか。急に景色が変わって周りを見回した。何もない……というと語弊があるが、拓けた場所だった。たまに道沿いに家がある程度の。たぶん家よりも畑のほうが視界に入ってる時間が多かった。おれらが想像するような田舎だな。それにしては虫の声も人の声もしなかったが。蝉すら鳴いてなかったのは単に気温が高すぎるせいなのかもな。──いや、ホテルは町中だ。現在地を調べようとしたらスマホは圏外になってた。そんなに長時間歩いた覚えはないし、電車とかに乗った覚えもない。だいたい迷ったとはいえ、十分前まではおれも町にいたんだ。さすがにおかしいと思うだろ。だけど調べようにも頼みのスマホは通じねェ、帰り道もわからねェ。
 とりあえず来た道を少し戻ってみたら、一軒だけ近くに民家があった。他に手がかりはねェし、このまま戻って本当にホテルに帰れるかもわからねェ。怪しいと思われても聞くしかないと決意して、民家を訪ねた。だが、住人はいなかった。……いた、のかもしれねェが、おれにはわからなかった。呼び鈴がなかったから玄関のドアを叩いたんだ。だが誰も出てこなかった。不在なのかと思って離れようとしたら、ドアが開いた。念のために言っておくとおれは開けてねェからな。そもそも開いた時にはもう手が届かない距離にいたんだ。てっきり実は住人がいたのかと、振り返った。──誰もいなかった。誰の姿も見えないまま、薄暗い家の中だけが見える。ただそれだけだったが、気味が悪くてな。それに……あの家に、近づいたらだめだと思ったんだ。一歩でも家の中に入っちまったら、もうそのまま一生出られないって妙な確信があった。このままそこにいると、今度は家の中から何か出てくるような気がして、慌てて離れようとした。
 ……遠くのほうに、人がいた。おれが来た道とは反対側、陽炎で揺れる空気にまぎれるみたいに、そいつは立ってた。──男だった。顔はわからねェが、遠目でわかるくらい体格が良くて、あの距離なら背もおれより少し低いくらいだと思う。深い緑色の着物……着流しのほうが近いか? トグルボタンがついた着物に、帯は普通の帯じゃなくて赤い長い布で巻きつけてて、下駄とか草履じゃなくゴツいブーツを履いてた。和装なのか洋装なのかわからねェが、時代錯誤な格好だ。見るからに怪しいが、着物の男のほうがまだ安全だと思ったんだよな。根拠はねェが。そいつならこの状況を打破できるって、信じちまってた。
 着物の男は近づいてきたおれをちらりと見て、走り出した。つられておれも走って追いかけた。そいつの足がまた速くてな、なかなか距離が縮まらねェ。おれに速度を合わせてんのか、最初の距離から広がることもなかった。いくら走り続けても一定の距離を保ったまま、そいつは走り続けて、おれは追いかけ続けた。どのくらい走っただろうな。持久走が得意といっても連日の暑さでやられてて、途中でおれは足を止めたんだ。とっくに温くなった飲み物で喉を潤して、息を整える。その間もそいつは同じ距離間で立ち止まって静かにおれを見てた。顔はやっぱりわからねェんだよ。顔の周りだけ靄がかかってるというか、こっち見てることはわかるのに顔自体はさっぱり認識できねェ。──髪? あー……みどり、だった、はず。…………ああ、そうか。雰囲気とか佇まいがゾロ屋に似てたんだ。おれのゾロ屋はもっと可愛げがあるし、あんなに殺伐とした雰囲気ではねェが。──あ? ベタ惚れに決まってんだろうが。おれの初恋で生涯唯一だぞ。何があっても離さねェし離れさせねェよ。
 少し休んでおれが回復すると、そいつはまた走り出した。おれも追いかける。またしばらく走って、気づいたらどこかの町の入り口にいた。看板には鈴後って書いてあったな。おれが最初にいた場所とは空気からまったく違った。空気が澄んでて、ここは安全だって自然と体の力が抜けた。男はその間にどこかに行っちまったらしくて、もうどこにもいなかった。
 安心したせいでどっと疲れがきて、体全体が重くてとりあえずどこかで休みたかった。店か民宿でもないか探そうと町に入ったところで、声をかけられたんだ。「見ねェ顔だが、ここに何の用だ」そう、ゾロ屋だ。その瞬間おれは呆気なく落ちた。ロロノア・ゾロという男にな。──言ってなかったか? おれは一目惚れなんだ。おれの好みそのものを体現した人間が目の前にいたんだ。そりゃ惚れるだろ。惚れなきゃおかしいだろ。
 ゾロ屋にかくかくしかじかまるまるうまうま話すと、「そりゃ災難だったな」って慰めるように肩を叩かれた。けっこう痛かった。ゾロ屋はさらに笑って、「狐か狸に化かされたんだろうぜ、お前」今度は背中をばしばし叩いた。やっぱり痛かった。でも体が軽くなったのは、まァ、そういうことなんだろうな。ゾロ屋は危険なものを村に入れないように様子を見に来たんだろう。おれを見て満足げに笑って、ゾロ屋が暮らしてる屋敷に案内してくれた。おれが言うのもなんだが、かなりでかい屋敷だった。地主らしい。ゾロ屋の実家の本家にあたるそうだ。そこで大叔父の牛マルさんに挨拶して、翌日の朝一でホテルに送ってくれる算段をつけてくれた。幸いホテルのチェックアウトは二日後だったから、その日は甘えて泊まらせてもらうことにしたんだ。あとはゾロ屋に町を案内してもらって、昼はゾロ屋おすすめの定食屋に寄った。米が美味かった。いや、米だけじゃなくて魚も野菜もぜんぶ美味かった。疲れてたのもあって普段の倍は食ったと思う。しかも困ったことに酒も美味ェ。感動してたらゾロ屋が「口にあったんならよかったよ」って、柔らかく笑って、……めちゃくちゃ、かわいかった。夜は牛マルさんのところでご馳走になったんだが、よく聞け、なんとゾロ屋の手料理だった。惚れた日に惚れた奴の手料理食えるとか最高だろ。しかも美味い。運命を感じても不思議じゃねェ。おれは運命論者ではねェがな。
 ──結局? ああ、何事もなく翌朝を迎えてホテルまで送ってもらった。もちろんゾロ屋と連絡先は交換した。なんなら最終日は一緒に飯食いに行ったしな。あとはおれが猛アプローチしていまに至るわけだが。
 ん、おい、そろそろ休憩終わるぞ。お前、休憩はもっと有意義にしたほうがいいんじゃねェか? 面白かったんなら構わねェが。惚気が聞きたいならいつでも話してやるから言えよ。──はは、だろ。こういう話は酒呑みながら聞くのが一番いい。
 ──さあな。知らねェほうがいいこともある。……ただの人間には手の負えない存在もいるってことだよ。あの民家しかり、着物の男しかりな。




 ひらりと視界の端で深緑が揺れて、反射的にそちらへ目をやった。塀の向こう、門を出たところに長着姿の男が見える。新緑の短髪、縦に傷が走った閉じられた左目。左耳には見覚えのある三連のピアス。相対するように右腰には刀を一振り。自分と瓜二つの顔立ち。
「──鬼徹」
 名を呼ぶも、男は何も言わない。声を発することなく、じ、とこちらを見ている。どうやら呼んでいるらしい。あの姿では言葉を喋れないようなので致し方ないことではあるが、自分と鏡合わせのようにそっくりな姿に見つめられるというのも、なんとも妙な気分だ。本人……否、本刀に言わせればこちらが似ているそうなのだけれど。
 外縁から玄関に回って外に出る。鍵はかけない。町の住人にこの屋敷に忍び込もうという馬鹿はいないからだ。もし何も知らない人間が悪さをしに侵入しても、無事では出てこられないだろう。ここはそういう家だ。ただでさえ本家の血筋以外に好意的ではないのに、招かれざる者ならなおのこと。それに、もう少しすれば大叔父が帰ってくる。そも彼は確か鍵を持たずに出たはずだ。それなら開けておかねば閉め出すことになってしまう。
 門を出ると、男はすでに数メートル先の煙草屋の前にいた。独居の老婆がやっている昔ながらの店だ。大叔父も自分も吸わないが、中学からの悪友が時折利用している。男を追いかけて煙草屋へ足を向けると、男の姿が相応に離れていく。一定の距離を保ったまま。いくら追いかけても距離は縮まらない。──なるほど、今日は猛暑と言ってもいい気温だ。毎回いろいろな方法を駆使しているが、今回は蜃気楼を使うことにしたらしい。
 男の速度に合わせて、若干小走りになりながら後ろ姿を辿っていく。幼い頃からある駄菓子屋を通り越し、小さな商店の角を曲がる。この暑さで誰も出歩いていない町をひたすら歩き、やがて辿り着いたのは町の入り口にあたる場所だった。そこに長身の……男、が一人、所在なさげに立っている。町の住人でないことはすぐにわかった。刀の真意はわからないが、なるほど、この男のために呼んだようだ。
 声をかけると男はひどく驚いた様子でこちらを見た。話を聞いて呼ばれた理由は理解した。けれど、あの刀がわざわざ抜け出してまでこの男に手を貸す理由はわからなかった。あれも気まぐれなところがあるので、もしかしたらたまたま気が向いただけかもしれない。
「そうか、そりゃ災難だったな」
 強めに男の肩を叩く。男の、存外に鍛えられた体が現れる。医者だと言っていたが、彼らは体を鍛える義務でもあるのだろうか。時々会う幼馴染みの兄のほうの友人を思い出す。
「きっと狐か狸に化かされたんだろうぜ、お前」
 今度は背中を叩くと、男の顔が見えた。お、と内心目を瞠る。両目の下に居座る隈で不健康そうに見えるが、整った顔立ちをしている。これは確かにいい男だ。他人の美醜にあまり興味がない自分でも、ぱっと見てそう思う。全身にあれこれ執念が巻きついて、本人の姿が黒い靄の塊になってしまっても、なんらおかしくはないくらいに。最初にあった民家にも入らなくてよかった。入っていたら、絶対に出てこられなかった。
「ここまで暑かったろ。とりあえずうちで茶でも飲んでいけよ」
 予定のない客人を連れて帰ったとしても大叔父は朗らかに受け入れてくれる人間だ。その手の事柄ならなおさら。その上、あの刀が自ら手を貸したのであれば人間性は保証されている。あれは本家の血筋に害をなす人間には容赦がない。特に気に入った人間は過保護なくらい守る刀だ。今代だとそれがこちらに発揮されている。
 トラファルガーと名乗った男を連れて本家に戻る。やたら熱心に話しかけてくる男を適当に躱しながら背後を振り返る。町の入り口の外で佇む姿が視えて、密やかに嘆息した。あとでもう一度来なければ。看板から内側には入っては来られないとはいえ、あんな負の塊はこの世に残しておくものではない。





25.08.08