白いシーツの上に落ちていたイルーガの髪をフリンズが拾い上げて、まるで大事なものとでも言いたげに手のひらに乗せた。いつもなら、とっくにごみ箱の底なのに。
「それ、どうするんですか?」
「焼くつもりです」
「……昨夜の爪も?」
うっかり引っ掻いて彼の背中や腕に傷をつけるのが嫌で切った爪も、彼はゴミ箱に入れていなかったはずだった。当然とでも言いたげに相槌を打たれて、イルーガもよく分からないまま頷き返す。
彼の本性は炎である。凍える大地で人を惹きつける自身でもって、フリンズはイルーガの体の一部だった物を焼くらしい。
それって食べているのと同じではないだろうか。昨夜の行為を示す比喩表現などでなく、文字通りに。こてんと首を横に倒してみたものの、仕草を真似してくるフリンズに悪気や後ろめたさは窺えない。
イルーガが知らないだけで、フェイにとっては珍しくもない行為なのかもしれない。そういう事もあるのだろうと、好きにさせておくことにした。
「今度来るまでに集めておきましょうか?」
「お気持ちはありがたいのですが、それは少し違う気がします」
「そうですか……」
全く理屈が分からないものの、フリンズがそう言うならそれで良いだろう。フリンズがそうです、と口角を緩めながら頷き、イルーガの髪の色が移り変わる辺りを撫でる。これから自身が焼くらしい物を慈しんでいる姿は、イルーガからするとやっぱり少し奇妙に見えた。
いつだったか、そんな事があったのをイルーガは思い出していた。ぱっくりと割れた傷口に布がきつく押し付けられているのに、どくどくと血が溢れ出している。四肢の先から痺れて冷たくなるのを感じながら、もったいないとぼんやりと思う。固形だったなら、彼に焼いてもらえただろうに。
「坊ちゃま、聞こえていますか」
いつもより強張った声が聞こえて、イルーガは彼がいるはずの方向に視線を向ける。すでに焦点を合わせられていないと、彼にはおそらく悟られているだろう。それでも視線は動かせていたらしく、フリンズが微かに息を吐いた気がした。
「傷口を焼きます」
ああ、なるほど。そうきたか。そう思うと同時に、自分はそれほどの状態なのだとイルーガはようやく理解する。本当に動かせているかは分からないが、顎を引いて了解の意を示した。
「イルーガ」
すぐに唇に布が押し当てられて、イルーガはまだ動かせる方の手で既に噛まされていた布を引きずり出す。フリンズとしてはイルーガに喋らせている余裕などないのだろうが、彼に伝えなければならないことがあるのだ。今を逃せば、伝えられなくなってしまうかもしれない。
――僕の傷口を食べる感覚を、覚えておいて。
珍しくフリンズに挑みに来た獣を炎で追い払う際に少し毛皮を焼いた感触がして、あの日のあんまりにも哀れで魅力的な彼を思い出した。その感触はあの時とはまるで違っていて、だからこそ記憶の輪郭が煌々と燃え上がる。
極度の痛みと血液の減少でまともに動かせない喉と唇から微かな吐息で、イルーガはフリンズに言葉を紡いだ。その後に続いたのはさして清潔でもない布地をぎちぎちと噛みしめながらの、獣のような呻き声。肉を焼かれる痛みに暴れようとする四肢をフリンズは自身の体で押さえつけ、抱き締めるようにしてイルーガの身を焼いた。
体の奥まで焼かれたその傷跡は生涯消えることはなかった。その古傷を見るたびに、フリンズは恐慌の中に初めて彼に口づけを贈った時のような恭しさがあったことを思い出す。
あれから、たくさんのものを焼いてきた。穏便なものから、およそ他人に教えられないようなものまで。そのすべてがあの瞬間とは違っていて、フリンズに単純で無慈悲な事実を突きつけた。この世界のすべては彼ではない。
最初に感じたのは、彼の血液に炎を削がれる不快感。抵抗を示すそれが熱量に堪え切れず蒸気に変わり、青い炎に炙られる。その奥にある真皮が削り取られ、土埃に塗れた肉がフリンズに触れた。びくんと跳ねる肉体がフリンズの胴に触れる感触と共に、イルーガがフリンズの炎の薪になる。
もう十分と炎を納めた時、せめての仕返しとばかりにまだ残っていた血液がフリンズを少しばかり削り取っていった。もしも自分が死ぬ手段を選べるのであれば、フリンズはあれを浴びて掻き消えてしまいたい。もう、その機会は永遠に失われてしまったのだけれど。
フリンズは覚えている。
ライトキーパーの存在意義が変わり、かつての自分達の仕事が歴史の一ページになっても。同僚達の墓に掘られた凹凸が曖昧になり、フリンズにしか読めないものばかりになってしまっても。
彼がフリンズを呼ぶ声に体温、匂い、魂の形。何一つ忘れる事はない。
忘れられるはずがない。
碑に刻まれた名の裏側にある人生を誰もが忘れ去ってしまっても、時間をかけて炎の内側に飲み込まれた彼の欠片がフリンズの記憶を繋いでいる。彼がフリンズごと失われる瞬間が、少しでも遠くにあればいい。最期かもしれない瞬間にイルーガが願ったのは、きっとそういう事だっただろうから。
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