突如現れた敵によりベルモンド家は崩壊した。子供たちの部屋も応接間も壊され、とても普段通りに過ごせる状態ではない。病院から戻ったシェリーは、ぽっかりと穴が開けいまだがれきと埃が舞う家をあらためて見て、あまりの惨状にもはや呆れさえ感じていた。
まずは家をどうにかしなければと爺の手配で職人を家に呼んだが、職人たちも家の崩壊具合に開いた口が塞がらないようだった。爺に車椅子を押してもらいながら、職人たちと崩れた部分を見て回り、応急的な立入り禁止の措置やがれきの除去をしてもらった。本格的に直すにはやはり難しいようだが、職人は急ぎ人と資材を集め、最大限尽力すると約束してくれた。
「まあ、これだけ派手にやられているんだもの。仕方がないわね」
爺とともに職人たちを見送ったあと、階段や2階廊下の手すりにかけられたバリケードテープを見ながら、そうひとりごちてシェリーはこれからのことを考える。
シェリーが負った傷は深く、医者からは絶対安静を言い渡された。数日病院で様子を診てはどうかと打診されたが、家や子どものことが気がかりで最低限の治療を受けて家に戻ってきた。
ベルモンド家に仕える者たちは爺を筆頭に、指示をせずともシェリーの考えを汲み取って家のことをこなしてくれているが、全ての権限を与えているわけではない。家の管理に関する最終的な決定権はシェリーにあり、代理としてクロードにある。家財の管理運営や経営に関してはシェリーが代表を務める財団で完結しており代理は財団の者が務めている。ゆえに家と子どものことについてはクロードに任せたいところではあるのだが、最近のクロードの行動やブラゴと会ったときの狼狽ぶり、子どもたちのクロードに対する反応からみても、とても任せられる状態ではなかったのだ。事実、帰宅後シェリーが見たクロードといったら、シェリーの心配もそこそこに、まずブラゴがいつまで滞在をするのかを確認し(答えを聞いて絶望し)、ブラゴが同じ部屋にいない間もブラゴの存在に怯え、威勢もなく今までで一番小さくなったように思えた。何ならこの家の惨状もブラゴによるものと思っている節があった。
「家が元通りになるまでの間、皆で一緒に寝ましょう」
その夜シェリーは子どもたちにそう伝えた。シェリーの怪我を理由に子どもたちの手を借りたいというのが建前で、本音は子どもたちのメンタルを懸念しての提案だった。今は落ち着いているように見えるが、子どもたちの恐怖がいつぶり返すかも分からないので同じ空間で過ごした方がよいと判断したのだ。
被害が無かった1階の奥の部屋に、爺が折り畳み式の仮設ベッドを運んでくれていた。ベッドはクロードが組立て、子どもたちにはそれを好きに移動させた。仮設ベッドの寝心地は良いとは言えないが、子どもたちは誰がシェリーの横にベッドをくっつけるのか揉めながらも、ひとつの部屋で寝られることにはしゃいでいた。最終的にベッドは右からジャン、フローラ、シェリー、ニコラの順に並べることになった。クロードも同室で寝ることを選択したが、子どもたちは皆シェリーの周りに固まったので、少し離れた場所にベッドを設置し、居心地悪そうにしているのだった。
ブラゴにはひとまず客間の中で最も大きい部屋を用意した。そこには大人数が過ごせるような大きなテーブルやソファーがあるし、家具を寄せて布団を何組も並べれば、ブラゴでも横になって寛げるスペースがある。ブラゴが昔使っていた部屋と家具も残っているので、それらも好きに使ってよいことも伝えた。とはいえブラゴの巨躯に合う家具は限られていたので、最低限の家具を手配できるよう、爺に家具屋への連絡も依頼した。
子どもたちが恐怖に苛まれるかもしれないというシェリーの懸念は的中し、二コラは夜中、悪夢を見た。二コラが振り返った先で、母が蔓のようなもので体の自由を奪われ、巨躯の男に殴られる瞬間を見た。二コラは震えて動かない手足を動かそうと必死になるが、夢の中ではどうしても体が動かず、男に石を投げ、意識を逸らすことができずにいた。母がさらなる攻撃を受ける直前、二コラは悲鳴を上げた。声が出せたのは夢の中だけだった。飛び起きた二コラの呼吸は荒れ、涙と汗は止まらず体はがたがたと震えていた。母は傍に寝ていたが、声をかけても起きなかったらどうしようかと考えて、そのままぎゅっと体を縮こませて耐え忍ぶことしかできなかった。
「おい」
二コラはびくりと体をこわばらせた。暗闇の中から急に声がして、次いで赤い目がこちらを見ていることに気付いた。対峙したまま長い時間が経ったように思えた(実際には数秒だろう)後声の主が息を吐き、そういえばブラゴというひとがいたことを思い出した。
ブラゴはちらりと母を見たような気がした。周りの人間たちが起きるのを気にしたのか、ニコラをベッドからひょいと持ち上げ、そのまま外に連れ出した。恐怖や混乱で声が出なかったが、月明かりで視界が広がったことで二コラはやっと声を出して泣くことができた。ブラゴは二コラが泣くまま好きにさせていたが、落ち着いてから
「ぐずぐず泣いていないで強くなれ」
と静かに声を発した。思いのほか穏やかな声色に二コラは驚いたし、昼間には想像しえなかったやさしさが少しおかしかった。
なんだそれ。こんな状態の子どもにかける言葉が強くなれだなんて、変なの。あんなに強くて、あのダメな父親を恐怖させた大きな魔物が、こんな子ども相手には下手くそな言葉をかけることしかできないのか。
厳しい言葉とその優しさは日ごろの母を連想させた。二コラはブラゴの胸にしがみつき、また少しだけ泣いた。ブラゴがちょっと嫌そうに顔を背けているのもおかしかった。
部屋に戻るとシェリーが半身を起こして待っていた。二コラとブラゴを確認しほっとしたのが分かる。
「寝られなかったの?」二コラに小さな声で声をかける。
「もう大丈夫」そう言って二コラは母に優しく(シェリーの怪我を慮って)抱き着き、そのまま隣のベッドに横たわった。シェリーが同じように寝に入るのを背中で聞きながら、暗闇に向け小さくおやすみなさいと声をかける。今度はぐっすり寝られそうだ。
****
シェリーの目が覚めたのは、遠くで泣き声が聞こえてからだ。慌てて声の出所を探して、建物の外、月明かりの下にあるブラゴの姿を確認した。
「(ブラゴが二コラを外に連れ出したんだわ)」
深く息を吐き、黒い本から右手を離す。目覚めてすぐ枕元の本を握っていた。
二コラが夢から覚めた頃、シェリーの意識は深いところにあった。激しい戦闘と怪我で消耗していて、熱も出てきているところだったが、それでもニコラが寝室から離れたことに気付かなかったことに少し動揺した。異変に気付いた時の瞬発力には自負があったが、少し気が抜けていたらしい。敵襲だったらやられていただろう。
ブラゴは子どもが消えても寝続けていた人間に呆れただろうか、と考え笑みが溢れる。シェリーが思い浮かべたのは、まだ小さかったブラゴが舌打ちをする姿だった。今のたくましい姿は衝撃的だが、何度も思い返したあの頃の姿の方がより鮮明で馴染み深い。隣でぐっすり寝ているジャンとフローラを見ながら、この子たちよりもずっと大きかったはずだけど、やっぱりあの頃のブラゴの印象は「子ども」だったのよね、と思い返す。
呆れたかも、なんて考えたこともシェリーには笑えた。以前は真っ先に足手纏いになっているという考えが浮かんでいたが、王を決める戦いを終えてからそう考えることは無くなっていた。
半身を起こし、部屋に戻ってきたニコラとブラゴを出迎える。薄暗い中でもニコラがすっきりした顔をしているのがわかった。
シェリーはブラゴが子どもを連れ出すような行動に驚いたが、素直に小さく感謝を伝えた。ブラゴはフンと鼻を鳴らして応える。
「お前も早く寝ろ」
「ええ、ありがとう。休ませてもらうわ」
かつてのたたかいの中でも、ブラゴの不器用な優しさがあったことを思い出す。また当時のことを思い出し、少しくすぐったい心地を抱きながらシェリーもゆっくり横になる。シェリーが横たわるのを見届けないでブラゴは暗闇の中に消えた。魔物であるブラゴは人間と比べて活動時間が長い。きっと今夜は寝ずにどこかで体を動かすのだろう。
再会の祝いとお礼に明日は彼の好物を用意しよう、とシェリーは考えだす。数刻前の夕飯は、多めに用意させたつもりだが彼の体の大きさに合った食事量だったのかは分からなかった。それに、骨折や出血を癒すだけの食事量も気になる。ブラゴは何も言わなかったが、本当は足りなかっただろう。魔物は異常と思えるほどの食事と睡眠をとることで、人間より遥かに早い時間で体を回復していたのだから。
朝は簡素になるだろうが、明日の夕飯には準備が整えられるだろう。肉をメインに魚介はイカを使った料理をたくさん用意して、ブラゴの手が止まるまで頑張って料理を運んでもらおう。落ち着いたら食後は煮湯とコーヒーゼリーにしようか。コーヒーゼリーは大きな器で作れるかしら、子どもたちが見たら羨ましがるのかもしれないわ…とまるでパーティー前の子どもたちのように楽しく色々なことを思い浮かべながら、シェリーは瞼を閉じた。考えているうちに、体の痛みと熱が和らいでいくようだった。
ブラゴが何体かのイノシシの死体を持ってきて、シェリーが怒号を響かせるのはこの翌朝のことになる。
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