フリンズさんに引っ越しの相談をする話


「はぁ……またか、またなのか……
 思わず溢れる独り言とため息。
 
 フラッグシップのカウンターで、財布の中身は残り僅かだと分かりきっているのに、頼まずにはいられなかったお酒をちびちびと呑む。グラスを傾けながら、これを飲み切ったらお勘定して帰ろうかな……と悲壮な顔をしていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「随分と陰鬱な空気が漂ってますが、どうしたのですか?」
「あぁ……フリンズさんか、どうも今晩は」
 この美形な男性は、たまにこのお店で出会った時に世間話をしたり愚痴を言い合ったりする、ようは飲み仲間ってやつだ。自然な流れで彼が隣の席に座るのを見届けていると、フリンズさんはデミアンさんに声をかけて、いくつか注文を済ませる。
「話を戻しますが、今回はどうなさったのです?」
……聞いてくれます?」
「えぇ勿論」
 彼はそう答えて和やかに笑う。すぐに届けられたグラスを彼が受け取った後、一緒に注文したらしいフルーツ盛り合わせは、スッと私の前に移動してきた。「こちらは貴女がどうぞ」と差し出される。今日は懐事情も鑑みてお酒だけ煽っていたので、とてもありがたい。お礼を言ってから素直に受け取り、リンゴのくし切りに手を伸ばした。

……聞いても面白く無い話、ですよ?」
「それは僕が聞いてから判断しますので、お気になさらずどうぞ」
「はぁ、じゃあ少し話しますけど……

 実は、少し前から付き合ってた彼氏が居たのだが、自室に呼んだ翌日に隠していたはずの貯金が全部なくなっており、そんなにあったわけでは無い金目の物も消えて、彼氏の消息が掴めなくなった。そのため全財産が持ち歩いていた財布の中身だけになってしまった。

――ということです」
……
 話し終えてから横目でフリンズさんを覗ってみると、グラスを持ち上げたまま固まっていた。あらら……まるで先日の、部屋の惨状を見た時の私のようだ。
「一つ、申し上げても?」
「どうぞ」
……また、ですか?」
「言われると思ってましたー! また、ですよ‼︎」
 所謂『ダメな男』に捕まるのが得意な私は、以前にもズタボロになりながら元彼の愚痴をフリンズさんに聞いてもらった経験がある。どうしてもね、そう言う男に惹かれてしまうし、放って置けないんですよ。『また』と言われても仕方ないのだ。
「ここまで来ると……貴女には、人間の男が向いてないのかもしれませんね」
……そこまで言います? だって……それ、『恋愛をやめますか? それとも人間をやめますか?』って言うことじゃ無いですかー!」
「そこまでは言ってませんよ、ふふ」
「フリンズさんは、慰め方が雑すぎますよぉ……
 思わずカウンターテーブルに突っ伏すと、隣の席からクスクスと笑う彼の声が聞こえた。話したら少しは楽になるかと思ったのに、気持ちはどんよりしたままだし、そうでもなかったな。まぁ、酒の肴としてフリンズさんに笑ってもらえたから、いいかな。

「はは……そんなわけで、部屋も突然片付いてしまった事だし、残りも片付けて実家にでも帰ろうかと思ってまして――
「お待ちください」
 冗談混じりに、少し考え始めたことを呟いたところ、彼の声色が変わった。彼の様子が気になり、カウンターテーブルに付けていた頬を引き剥がして少し姿勢を正す。
……なんですか?」
「貴女の実家とはどちらに……いえ、それは然程重要ではないですね。引っ越すと言うことは、このナシャタウンから去る――と言うことを意味していますか」
「そうなりますね。あ、部屋の荷物、フリンズさん貰ってくれます? 机とか棚とかゴミ出し大変そうで――
「お待ちなさい」
 二回目のほぼ同じ言葉。なんだなんだ? 彼の真意が表情からは読み取れず、首を傾げて次の言葉を待つ。
 
「一つ、提案があります」
……はい」
「僕の家はここから少し遠いのですが、結構な広さがあり、空き部屋もあります」
……つまり?」
「生活基盤が整うまで、僕の家に居候する……というのは、いかがでしょう」
…………い⁈」
「貴女の部屋の家具がどれだけあるかは確認してませんが、大体はそのまま捨てずに利用できるはずです。また、以前の貴女が、今の仕事が気に入っているのだと語られていたと思います。ナシャタウンまでの道のりは僕が送迎しましょう。その他は……そうですね、僕はあまり食べませんが食料備蓄もありますので、次の貴女の給料日までは特に問題ないかと。たまに犬も来ますね」
 す、すごい語るじゃん。えーと……ちょっと待って、つまり……?お酒が入っている脳内はぐるぐる回っていて、何が正しい答えなのかあやふやである。

「今ならなんと、引越し費用は僕持ちです」
……その話、乗った‼︎ よろしくお願いします‼︎」
「はい、ぜひ」

 そうして差し出されたフリンズさんの手を、私は両手でギュッと掴んで握手をした。――この時のふわふわな思考回路では、彼の瞳に宿る真意には気付けなかった。

 そうと決まれば早い方が良い、とその夜に連れて行かれたのは夜明かしの墓だった。道中に聞いた「僕しか住んでませんよ」と言う割に、ほんのり存在が薄い住民の方が沢山いらっしゃいますね。


 ***


 ――あれから結構な日が経った。
 
 仕事は順調だし、経済面ではフリンズさんを頼らなくても生活できるようになった。それでもここを離れていない理由がいくつかある。
 ご近所さんは存在が少し薄いけれども、気の良い人(人かな?)達ばかりで楽しかった。ナシャタウンまでは遠いけれど、フリンズさんが送り迎えしてくれるから不自由はあまり無い。なにより――
「ダメな男に、捕まらなくなった……よね」
 そう、あの日を最後に私の悪癖は続かなかったのだ。その為、仕事にもいつも以上に取り組めるし、心配する要素が単純に減ったため、メンタルも経済面も安定している。なんだか良いことばかりなのだ。たまに来る犬も可愛いよね。

 職場の建物前でフリンズさんのお迎えを待っていると、いつもの時間から少し遅れて彼が現れた。……なんだか様子がおかしい。
「お仕事お疲れ様でした。今日は良い夜ですね。さぁ帰りましょうか」
……フリンズさん、」
「はい、なんでしょう」
「なんか良いことありました?」
「えぇ、なぜ分かったのですか? 実は――狙っていた古銭がようやく手に入りまして」
 彼はそう言って、懐から大事そうに革袋を取り出し、綺麗なコインを見せてもらえた。たしかにとっても綺麗。――しかし、
「予算以内で……?」
「ふふ、今月のお給料分が無くなりました」
………笑い事じゃないですよね⁈ これ何回目ですか!」
 私がそう言うと、彼は指折り数え始めた。いや回数を知りないわけでは無いのだ。
「全くもう……、少しは控えて下さいよね!」
 私がそう伝えると、フリンズさんは少しだけバツが悪そうに、それでいて少し嬉しそうに「しばらくは貴女のお世話になりますね」と言って微笑んでいた。

 ――あれ? 私、結局ダメな男に捕まってないか……
 


『あの時は、僕に都合の良い機会に恵まれましたね』