あさかわ
2026-02-26 12:21:10
4188文字
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試行錯誤のエビデンス

波箱でリクエスト頂いた「令和の横文字チャレンジチチタチの鬼水」です。メッセージ送って頂きありがとうございました!

 鬼太郎の住処から楽しそうな声がもれ聞こえてくる。鬼太郎が入り口に目を向けると革靴と赤いハイヒールが並んでいた。自分が父のお使いで出ているうちに何か始まったようだ。
「第三問。アントレプレナーとはどのような意味でしょう」
 ピンポーンと音と共に目玉の声。

「あんと……餡入りオムレツじゃ!」
「不正解。親父さん、語呂合せじゃないのよ」
 続いて水木の声がする。
「なんかこう……おしゃれな今時のスカート! もしくはヒラヒラしているシャツ!」
 雑だな、と鬼太郎は心の中でつぶやきながらはしごを登る。
「水木さんも不正解。守備範囲広く答えれば当たるってものでもないわ。正解は起業家精神、です」
「はっ? 日本語で言えばいいだろ」
「儂もそう思う。世の中に横文字が溢れすぎなんじゃ」
 僕も、と思いながら鬼太郎はすだれを上げて中をのぞき込んだ。


「ただいま戻りました。あの、何してるんですか?」
 ちゃぶ台の上には小さな押しボタン。その前に目玉と水木が張り付き、少し離れた場所でねこ娘がスマートフォンを操作している。
「おお、戻ったか鬼太郎! 妖怪アパートの面々は元気じゃったか」
「ええ、父さんからの贈り物を喜んでいましたよ。ところでこの状況は」
「目玉と横文字早押しクイズをしているんだ」
 水木が押しボタンを手のひらで叩く。ピンポーンと安っぽい電子音が部屋に響いた。

「はあ……
 鬼太郎は曖昧に頷いた。目玉がボタンにもたれかかる。再び間の抜けた電子音がする。
「以前、マッチングとペアリングの覚え間違いで大変なことになったからの。学びを得ようと思ってのう」
 日本酒ハイボールという新しい飲み物を試しに行って赤っ恥をかいたらしい。ねずみ男にちょくちょくからかわれて悔しいらしく勉強に励んでいるようだ。
「儂らでは問題が思いつかんから、ねこ娘に助けて貰っておる」
「二人とも頑張っているのは分かるんだけど、カタカナに弱いのよね」
 ねこ娘が出題者で、水木と父が回答者。そしてねこ娘の少し疲れた様子を見るに戦績は芳しくないようだ。

「世の中に横文字言葉があふれかえっているのが悪いんだ」
「まったく、タケノコのようにポコポコと出てきおって」
「目新しいものや言葉をメディアはこぞって紹介するから……そうムキにならなくてもいいと思うわ」
 ねこ娘の慰めに二人は首を振る。
「思うがままにされるのも癪に障るが無知も我慢ならん」
「そうじゃ! そうじゃ!」
 ねこ娘は額に手を当て助けを求めるように鬼太郎を見てくる。鬼太郎は思ったままのことを口に出した。

「知らない言葉が出てきたら聞けばいいじゃないですか。知った振りをするよりよほど健全ですよ」
……
「水木さん?」
 水木が瞬きをして目玉にそっと手の平を広げた。目玉がさっと手に飛び乗る。
……
「父さん?」
 二人は無言でうなずき合うと水木が立ち上がる。そのまま外に出て行こうとするので鬼太郎は慌てて引き留めた。
「あの、ちょっと!」
 水木が固い表情でボソリと言った。
「二人で出かけてくる」
「どうしたんですか、急に」
 クイズ大会をするのではなかったのか。ねこ娘が緩く首を振った。

「鬼太郎……多分言っちゃダメなやつよ。気持ちは分かるんだけど……みんな耐えられるわけじゃないの」
「え?」
 ねこ娘のフォローが分からない。ただ、水木と父の心がへこんでいることは分かった。水木がバッグから封筒を取り出し、ねこ娘に差し出す。
「ねこ娘さん、つまらない意地に付き合わせてすまなかったね。これはささやかなお礼だ」
 封筒の文字を読んだねこ娘が驚きの声を上げた。
「百貨店商品券? 最近はすっかり見ないけど、まだあったのね……あっ」
 失言に気がついたねこ娘が中途半端に手を差し出したままでいる。鬼太郎はようやく己の間違いに気がついた。

……うん。まだ、あるんだ」
 水木は眉を寄せ、目玉は慰めるように手首を叩く。しょんぼりと落ち込んだまま二人は家から出て行った。鬼太郎とねこ娘はしばらく黙っていた。ちらちらと目を合わせてから鬼太郎が言う。
「ねこ娘、多分それも言っちゃダメなやつだ」
「そうね……想像よりずっと繊細な生き物だわ」
 おじさ、まで言ってねこ娘は口を手で覆った。



 おじさ……年上の成人男性二人の心が踏み付けられた事件の翌日、鬼太郎は水木のアパートに向かった。あのまま二人は帰ることはなく、スーパーで酒とつまみを買い込む姿を見たとは砂かけばばあの談。世の中のカタカナと若者が眩しく逃げるようにアパートでぐだを巻いたのだろう。ねこ娘と一緒に買いに行った贈り物とインスタントのシジミ汁。その二つを携えて、鬼太郎はインターフォンを押した。

「鬼太郎……? どうした、朝早くから」
 しょぼしょぼと目を擦り水木が出てくる。朝早いというが九時を過ぎ太陽は南に向かってぐんぐん昇っている。
「差し入れです」
 インスタントの味噌汁を見せると水木の眉間の皺が浅くなった。
「おお、悪いな。目玉も起こしてこよう」
 よろよろと廊下を歩く水木が転ばぬよう、後ろに張り付く。目玉はちゃぶ台の上でタオルにくるまって寝ていた。水木が指で揺するとのそりと起きあがる。
「む……鬼太郎」
「おはようございます、父さん。お酒を過ごされたようですし、シジミ汁はいかがですか」
「おお、それは助かる。ちっと深酒したからのう。頂こう」
 二人で飲み明かし、心の乱れも落ち着いたようだ。鬼太郎は勝手知ったる台所で湯を沸かしシジミ汁と水を用意する。

「これ、ねこ娘と僕から差し入れです」
 腹に物を入れて落ち着いたところで鬼太郎は袋から二冊の本を取り出した。
「流行語辞典?」
 今年と去年の二冊を購入した。目玉は物珍しそうに本に近づいて表紙を開いた。
「ほう……これは分かりやすいのう」
 目玉と水木が熱心に目次を見ている。
「昨日ねこ娘と百貨店に買いに行ったんです。画面でみるより、書籍でひとまとめにされている方が時流も追いやすく馴染むだろうと」
 百貨店商品券を使うなら二人のためにとねこ娘が提案してくれた。神社の裏手から出て百貨店の書店で求めたのだ。水木と目玉は互いの顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。

「ねこ娘さんに気を使わせてしまったな」
「鬼太郎にも迷惑をかけたわい。分からぬことを訊ねるのもまた学びであるのに、つまらぬ意地を張った」
「せっかく貰ったんだ。ありがたく使わせて貰うよ」
「二年分あれば分け合って問題を出し合うのも楽しいかと思って」
 水木と目玉はなんだかんだと二人で過ごすことが多い。伴侶が自分の親父と仲睦まじく過ごしていて嫉妬しないのかとねずみ男に問われたことがある。しかし、目玉の父から友の顔を引き出せるのは水木だけであるし、逆もまた同じなのだ。目玉の父の顔と水木の夫の顔は鬼太郎が独占しているから問題ない。鬼太郎に問うたねずみ男はひげを下に垂らしてすごすご逃げて行った。

「そりゃ名案じゃ! 時折交換して勉強に励むとしよう」
「んで、飲む前にクイズするか。正解が多い方が次回のツマミを持ってくるのはどうだ」
「俄然やる気が出るのう」
 水木と目玉が嬉しそうな声でクイズの話をしている。昨日の小さく丸まった背中は消えて、子供のように目を輝かせて辞書をめくりはしゃいでいる。
 そういえば鬼太郎が初めてランドセルを背負った日もこんな顔をしていたっけ。ふと懐かしい思い出に鬼太郎は静かに笑った。



「水木さん、上がりましたよ」
 鬼太郎は湯上がりの髪を拭いて居間に顔を出す。ちゃぶ台にかじりつく水木の背中。ここ数日この調子だ。
「水木さん」
 鬼太郎が声をかけても水木は振り向かない。ノートに鉛筆。付箋だらけの辞書がちゃぶ台と水木の関心を占有している。
「ン……
「水木さん、お風呂わきましたよ」
「んん……お前先に入ってきなさい」
 鉛筆を持った手が左右に小さく揺れる。鬼太郎は声音に少しだけ硬さを混ぜた。

「さっきもそう言ったので僕は済ませました」
 水木は生返事で鬼太郎を送り出した。これは聞いていないなと思いながらも鬼太郎は風呂から戻ってきたのだ。案の定、水木は首を傾げている。
「言ったか?」
「父さんに負けて悔しいのは分かりますが、そこまで熱を上げなくても」
 二人はさっそく流行語辞典でクイズを出し合ったらしい。水木は一問差で負けて相当悔しかったようだ。
「しかし、あいつが散々俺をおちょくって、高級缶つま三缶も要求してきたんだぞ。次も負けたら目も当てられない」
「はあ……
 二人はさっそく流行語辞典でクイズを出し合ったらしい。水木は一問差で負けて相当悔しかったようだ。以来受験勉強に励む学生のように辞書にかじりついている。一方目玉も次も勝つと息巻いて、茶碗風呂に入りながら辞書をめくる熱中ぶり。時流の勉強より相手に負けないことが目的になっている。
 鬼太郎は水木の隣に座り、相手の肩にもたれかかる。ノートには文字が書き綴られ、太字やラインマーカーを引いたところがある。鬼太郎は学業に熱心な方ではなかったが、勉強の仕方には持論があった。分からないことがあれば聞けばいいし、分かっていないことは伝えて知って貰えばいい。
「励ましや慰めになればいいと思いましたよ。でも、こう放っておかれると」
 素直な気持ちを口に出すのが一等よく伝わる。額を腕に押し当てて小さく呟いた。

「寂しい」
 鬼太郎の言葉に水木の背中が跳ねた。深々と息を吐き出して頭をかく。鬼太郎はそっと離れて拳二つ分の距離で正座した。
「お前を放っておいて悪かった」
「分かってくれたならいいんです。早くお風呂入ってきてください。一緒の布団で寝ましょう」
 たんと甘やかして貰わないとこの寂しさは埋まらない。じっと期待を込めた視線を向けると水木は辞書とノートを押しやった。
「ああ、もう分かった! すぐに入ってくる」
 逃げるように風呂場に向かう。バタンと閉まる扉の音にくすりと笑いがこぼれた。
案外恥ずかしがる人のため、すっかり持っていき忘れた下着を準備しておこうと鬼太郎は立ち上がった。