Hnyanko
2026-02-25 08:36:56
1448文字
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キス

練習で書いてたやつ

 鍵が回る音が、やけに大きく響いた。

「ただいま」

 返事を待つ余裕なんて、最初からなかった。廊下の灯りが柔らかく滲む、その先でアキラが振り向いた瞬間、胸の奥の何かがほどける音がした。

「おかえり。早かっ——

 言葉の途中で、距離を奪う。肩に触れるより先に、指がコートの襟をつかんで、引き寄せた。扉に背が当たる鈍い音。アキラの体温が、まだ外気の残る悠真の頬をあっという間に溶かしていく。

……んっ、ぅ、悠真?」

 名を呼ばれただけで、理性が一枚剥がれた。返事は唇で塞ぐ。触れた瞬間、息が甘く湿る。浅いキスのはずなのに、胸の奥が熱で満ちて、息が足りなくなる。
 一度離れる。ほんの数センチ。なのに、その隙間が耐えられない。唇に残った温度を確かめるみたいに、もう一度重ねる。今度は少しだけ深く。呼吸が絡まって、喉が小さく鳴った。
 アキラは抵抗しない。ただ、扉と悠真の間に挟まれたまま、瞳を細めて息を吐いた。無防備なそれが、いちばんずるい。

……はっ、ん……寒かったかい?」

 耳元に落ちた声が、やさしすぎて。悠真は笑う代わりに、額を寄せた。握っていた襟を離せない。離したら、また外の世界に戻ってしまう気がして。

……ううん」

 言葉は短くなる。胸の奥の衝動だけが、正直だ。

「会いたかった」

 やっと言えたそれが、空気に溶ける前に、また口づける。性急で、でも乱暴じゃなくて、ただ抑えられない。アキラの唇が少し開く。その瞬間だけで、世界がぐらりと傾く。

 ふっと離れると、アキラが困ったように笑った。

「ただいまのキス……っ、今日は……すごいね」

 その一言が、最後の歯止めを外しかける。悠真は喉の奥で息を飲み込み、アキラの頬に触れた。指先が、熱い。

……誘ってる?」

……さあ?言ったらだめかい?」

「だめ」

 言いながら、また唇が近づいてしまう。アキラが小さく息を吸う音が、なぜだか胸に刺さる。悠真はそれを逃がさないように、そっと、でも確かに口づけた。
 扉の向こうの冷たい世界は、もうどうでもよかった。この家の入口にいる限り、悠真の帰る場所は――目の前にいる。

……ねえ」

 キスの余韻のまま、アキラが首を傾げる。

「そのままだと、ずっと玄関だよ?」

 当たり前みたいに、柔らかい声で言う。

「寒いし……中、来る?」

 ――だめだ。今のは、だめ。

 悠真の理性が、遅れて警鐘を鳴らした。
 アキラは何もわかっていない顔で、ただ笑っている。
 その無自覚が、一番残酷だ。

……あんたさ」

 言いかけた言葉は喉で溶けた。代わりに、悠真は息を吐いて、諦めたみたいにアキラの腰に手を回す。

「え?」

 驚く間もない。抱き上げる。軽い。腕の中に収まる体温が、直に熱を持って伝わってくる。

「ちょ、悠真……!?」

「静かに」

 悠真は短く言って、アキラの耳元に唇を寄せた。笑いを含んだ声が、震える。

「今、喋られたら――

 その続きは、言わない。言ったら終わりだ。

 アキラは一瞬きょとんとして、それから、観念したみたいに悠真の肩に手を置いた。

……わかった」

 そして、追い打ちみたいに付け足す。

「じゃあ、僕は大人しくしてるから……期待してるからね?」

 ――ぶち犯す。

 内心舌打ちをする。悠真は返事をしない。できない。
 ただ、寝室へ向かう足取りだけが、やけに確かだった。