桜色

何もいうことねえで…
当たり前のようにカヲシン大前提や……すまんな

俺がビデオカメラを構えるようになったのは、単純に「記録に残したい」と思ったからだ。

満開の桜の下、レジャーシートを広げて笑い合う仲間たち。トウジとヒカリの愛娘・ツバメは、もう三歳。よちよち歩きだった頃とは見違えるほど活発になって、今日も桜の花びらを追いかけて走り回っている。
「ツバメちゃん、転ばないようにね」
シンジがさりげなく後ろをついて歩く。
「シンちゃん、みてみて!」
ツバメが両手いっぱいに集めた花びらを、しゃがみ込んだシンジの頭上にぱらぱらと降らせる。淡いピンクの雪が、髪に、肩に、静かに舞い降りた。シンジは困ったように眉を下げて笑い、ツバメはキャッキャと声を上げて喜んでいる。
彼女は、赤ん坊の頃からこの男にご執心だ。
小さなモニター越しに見える光景は、まるで親子のようで──いや、シンジがツバメに向ける眼差しは、父性というより、もっと根源的な「慈母」のそれに近かった。なんせ、誰かさんの隣にいる時に見せる献身的な顔を、そのままツバメに向けているのだから。
(渚って、結構甘やかされてんのな)
家での主導権がどっちにあるか、なんとなく想像がついて、俺はレンズの内側で小さく口角を上げた。
……ワシ、完全に蚊帳の外やん」
レジャーシートの上で、トウジが缶ビール片手にぼやいた。ヒカリが呆れたように笑う。
「仕方ないでしょ。あなたが泣くまでかまうから」
「可愛いんやからしゃあないやろ!」
「それがダメなの」
「ぐぬぬ……
その様子を、俺はしっかりとカメラに収める。トウジの不憫な面構えも、ヒカリの慈愛に満ちた苦笑いも、全部記録だ。そして、ふと──いい悪戯(いたずら)を思いついた。
「なあ、ツバメ」
俺はカメラを構えたまま、桜の木の下ではしゃぐ娘に声をかけた。
「ツバメは大きくなったら、誰と結婚するんだっけ?」
「この間、お父ちゃんいうとったやんなー?」
トウジがすかさず期待を込めた声を出す。が、ツバメは無邪気に──あまりにも無邪気に、首を横に振った。
「ううん」
そして、満面の笑みでシンジに駆け寄り、その細い腰にぎゅっと抱きついた。
「シンちゃん!」
「え、えっと……
困惑するシンジの腕の中で、ツバメはキラキラとした瞳で宣言する。
「ツバメね、おおきくなったらね、シンちゃんのおよめさんになるんだー!」
トウジの顔が、見る見るうちに土気色に変わっていく。俺はカメラを微動だにせず、この歴史的瞬間を記録した。
「おっお父ちゃんは、許しませんよ……ッ!」
トウジが本気でさめざめと泣き始めた。ヒカリが「あなた、子供の言うこと真に受けないの」と笑いながら夫の肩を叩く。
絶好のタイミングだ。俺はニヤリと笑い、カメラをシンジにパンしながら追撃の一言を放った。
「でもな〜ツバメ。シンちゃんにはもう『旦那さん』がいるからな〜」
途端に、シンジの顔が真っ赤になった。
「ちょっと! ケンスケ、何言ってんの!」
「いや〜、包み隠さぬ事実をさ」
「やめてよ、もう!!」
ツバメは不思議そうに首を傾げ、純粋無垢な瞳でシンジを見上げた。
「シンちゃんおよめさんなの?」
「え!?  いや、その……なんていうか……
シンジが完全にフリーズした。トウジは涙目のまま固まり、ヒカリは「相田くん、あんまり碇くんのこといじめないの」と吹き出している。俺は確信犯的にレンズをズームした。
シンジは少し考えてから、ツバメの目線に合わせてゆっくりとしゃがみ込んだ。
……僕がお嫁さんかは、一旦置いておいて」
ツバメが不思議そうに首を傾げる。
「僕には、大切にしたい人がもういるから。ツバメちゃんとは、結婚できないんだよ」
真面目な顔で、シンジは優しく言った。
「君も大きくなったら、いつか必ず、そういう人と出会うんだ。……お父さんとお母さんみたいにね」
……お前、三歳児にマジレスすんの?」
俺は思わずカメラ越しに突っ込んだ。
「いや、こういうのは、ちゃんとしとかないと。……不誠実だから」
シンジが少し頬を染めながら、でも真剣な顔で答える。
「お前ほんっと……相変わらずだなあ」
「そういや、渚は今日来んのか?」
トウジが鼻をすすりながら思い出したように聞いた。
「ちょっと仕事が押してて、遅れるって」
シンジが答える。
俺はカメラをツバメに向け、ニヤニヤしながら畳み掛けた。
「ツバメ、今日シンちゃんの旦那さんに会えるぞ〜。めっちゃくちゃイケメンだから、惚れるなよ?」
「いけめんってなに?」
「かっこいい人ってことよ」
ヒカリの補足に、ツバメは「ふーん」と頷いた。わかっているのかいないのか。
そこで俺は、さらに意地悪な質問を投げかけた。
「なあシンジ。もしツバメがさ、渚と結婚するとか言い出したらどうする?」
シンジが、一瞬ピタリと固まった。
……そ、それは」
また顔がみるみる赤くなっていく。
……ちょっと、困る……かな」
──最高だ。本気で困ってる。
大概素直で、ガキの頃からちっとも変わらない。
俺は、そんな親友が誇らしくて、嬉しかった。
レンズ越しに映る、満開の桜の下。
シンジの赤い顔も、トウジの情けない笑い声も、ヒカリの苦笑いも、ツバメの無邪気な笑顔も。
全部、今ここにある。
「お、噂をすれば。……来たぞ、お前の旦那」
レンズを向けた先。
桜並木の向こうから、こちらを見つけて穏やかに手を振る、銀髪の男の姿が見えた。
……カヲル君」
小さく零したシンジの横顔が、今日一番柔らかく綻ぶ。
さっきツバメに詰め寄られていた時よりも、ずっと鮮やかで、優しい「桜色」に染まって。
その瞬間、俺はあえてカメラを引いた。
シンジの隣に、当たり前のように渚が並ぶ。
そして、目を赤くしたトウジや、自分をキラキラした目で見上げるツバメとホッとしたように笑っているシンジを交互に眺め、不思議そうに首を傾げた。
「やあ、お待たせ。……随分と盛り上がっているね。何か面白いことでもあったのかい?」
屈託のない笑顔で、カヲルが問いかける。
「あったわ! お前のことや! ……いうかお前、確信犯やろ!?」
「あなた、意味不明なこと言わないの。……ごめんね、渚くん」
トウジが叫び、ヒカリが呆れたように笑う。ツバメは「かっこいいひと!」と声を上げて二人の足元へ駆け寄り、カヲルは「大きくなったね」と嬉しそうにその小さな頭を撫でた。
ファインダーの中に収まる、騒がしくて、どうしようもなく平穏な桃色の世界。
モニターの端では、赤い『●REC』の表示が静かに明滅を続けている。
この光景を、一秒たりとも逃すつもりはない。
俺はグリップを握る手に力を込め、レンズの内側で独りごちた。

……一生、撮り続けてやるよ。お前らが呆れるまでな」

春の風が、また花びらを舞い上げた。