HAZURE_Mapo
2026-02-24 21:01:24
9798文字
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花の声

2025年8月31日に開催されたスタオオンリーにて頒布したレイレティ小説本「佇むのは霞の渚」に掲載した全三章のうち第一章になります。
本来この話で終わっていたのでこれだけでもお楽しみいただけるかと思います。
薄いですが恋愛描写が含まれますのでご注意ください。

 アスター四号星は自然豊かだ。
 一年を通して温暖な気候の都市があると思えば、はたまた一年中雪に覆われた険しい山岳地帯もある。それに鬱蒼と茂った木々に覆われている場所もあれば、乾燥して緑がほとんど失われた大地を砂が一面埋め尽くしていたりする。
 レティシアが普段過ごしているのは、アスター四号星の中でも比較的気候が安定しているオーシディアス王国の王都である。ここは気温の変動があまりないため、街中には街路樹や花壇が並び、人々の心を潤している。
 そんな土地柄で育った王国の第一王女であるレティシア自身も花を育てることを趣味としていて、オーシディアス城前にある庭園の一部は王女自らが手入れをしている花壇として人々からの人気を集めていた。
 今日も日課である剣の稽古を終え、装備を外して身軽な格好になってから庭園へ向かっていると、従兄弟のテオと偶然会った。
「よぉレティ。今日も行くのか?」
 テオはヴァイル帝国との戦争中に王国を裏切った反逆の罪で投獄されたものの、レティシアをはじめとする関係各位の尽力もあり恩赦となって、王国内であれば自由に動ける身となっている。レティシアにとって頼れる本当の兄のような存在であり、またテオもレティシアを可愛い妹のように見ている。だから彼女がここ最近趣味のガーデニングに力を入れている事も知っていた。
「えぇ、時間もあるし天気も良いから。テオ兄はどう? みんなの稽古ははかどってる?」
「それなりに形にはなってきたが、まだまだ鍛錬が足りないな。けどたまにアビーも様子を見に来てくれるだけ有難い」
 テオは重職にこそ就いていないが、一般兵の訓練の指導係に任命されている。先の戦争のおかげで慢性的な人員不足のため兵士の教育も急務となっているが、指導者の担い手がおらずベルトランド達オーシディアス王国騎士団重役が頭を抱えていたところ、テオが二つ返事で引き受けた。
 しかし彼は王族であり本来このような任務をする立場ではないが、戦争中に自らが犯した罪を考えると任される仕事があれば役職など何でもよかった。
 それに今の立ち位置は案外気に入っているのか、やれやれと疲れた表情をするも声は明るい彼を見て、いつものテオ兄だと安心した。
「でもあまり無理しすぎちゃダメよ」
「レティもな。最近毎日庭園に行ってるだろう。あんまり長時間外で動くと具合悪くするぞ」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫、こまめに休んでるから」
 レティシアはテオと違い、毎日のように重要な公務が入っている。父であるオーシディアス王の補佐として参加する事も多くなった。
 重責が募っているはずなのに、疲れている様子は感じられない。
「じゃあね、テオ兄。頑張って」
「おう、レティも気をつけろよ」
 兄の心妹知らず。
 テオの気持ちはこれに近い。
 しかし趣味で公務の緊張がほぐれているのなら、と小さくなる後ろ姿を見ながら軽いため息をつくと、急に何かを思い出したのかはっとして手のひらを口に当てた。
……そういえば、数日後にアルダスが来るって言ってたな。久しぶりにレイと会えるのが嬉しいからいつもより元気そうに見えるのか?」
 レイモンドはオーシディアスだけでなくこの惑星アスター全体を救った恩人とも言える。テオも最初こそ自ら手引きした計画を覆されて恨むような気持ちを持っていたが、旅の途中で見せた行動力と仲間を大切にする姿勢に今は信用に足る人物だと思っている。レティシアも同じくレイモンドの事を信頼していて、それどころか仲間以上の感情を持っていると推測している。
 しかし幼い頃から付き合いのあるテオにとって、可愛い妹分の恋愛事情となると中々割り切れるものではなかった。
「いやいや、まさか、な……
 テオは否定するように首を横に振り、一人静かに歩き出した。

 兄の胸の内を知らない妹は庭園に着くと、早速花の様子を伺う。
「うん、みんな元気に育ってるわね。これなら少し株を分けられそう」
 以前無機質なアルダス艦内を気にしていたエレナに花を飾ってはどうかと提案すると、快く賛同してくれた。
 そこで自分が育てている花をプレゼントすることにしたレティシアはアルダスが来る日に合わせて花を選別していた。
 レティシアが選んだのはあまり手入れをしなくても元気にしている丈夫な品種を数株ほど。色は赤や黄色、白や薄紫など複数を揃えた。
 エレナには事前に許可を取ってある。クロエも話を聞いて喜んでいるとの事。肝心のアルダスの所有者であるアントニオと、自分の艦船がまだ銀河連邦に弁償してもらえずアルダスに同乗している弟のレイモンドは案の定、あまり興味を示さなかったらしい。それでも反対はしなかったからと今回の譲渡に至る。
 ローレンス兄弟の花に対する関心の薄さはレティシアの中でも想定内。なのでエレナを信じ、黙々と手を動かして来たるべき日のため準備を進めた。

       ◇

 数日後、艦船アルダスがアスター四号星の転送可能区域に着いた。
「お久しぶりです、レティシアさん」
「エレナさん、お待ちしていました。お元気そうです何よりです」
 レティシアの元に降りてきたのはエレナのみ。レイモンドはアスターへ来る前に挑んだ商談で疲れ果ててまだ寝ているらしい。
 早速世間話をしながらエレナを用意した鉢植えの場所まで案内した。
「とても綺麗ですね。これは全てレティシアさんが育てたのですか?」
「はい。私が丹精込めて育てたお花たちです。アルダスの皆さんも喜んでくれるといいのですが……
「こんなに綺麗な花はベグアルドでもあまり見かけないのでみんな喜ぶと思います。レティシアさん、本当に頂いてもいいのですか?」
「もちろんです。ぜひアルダスに飾ってください」
 二人はせっせと転送ポイント近くまで鉢植えを運ぶ。それにアルダスクルーの協力もあって、花の運搬は滞りなく終了した。
 次に花をどこに置くか助言が欲しいとのエレナから希望があり、レティシアも一緒にアルダスに乗艦する事になった。
 久しぶりに入る艦内。レティシアにとっては星の海へ飛び出したボルドールを追っていた時以来である。長い時間をここで過ごした事もあり、クルーのみならずレティシアにとってもここは安心できる場所だった。
 エレナと向かった先はコモンスペース。テーブルが設置され自動販売機やショップもある、クルー達の休憩所みたいな場所だ。
「ここは私たちがお邪魔していた時と変わらないですね」
 だからこそ、レティシアの中で一つ懸念が浮かび上がった。
「でも……エレナさん、逆にいいのでしょうか? お花を置いてしまっては、かえって迷惑にならないでしょうか?」
 急に様変わりすると戸惑う人もいるのではないかと不安を打ち明ける。
 対してエレナは柔らかく、しかし強く否定した。
「迷惑だなんてとんでもありません。最初は不思議に感じるかもしれませんが、そのうち慣れてくると思います。それに頂くのは数株です。派手に飾るわけではないですし、これは許容範囲内かと」
 エレナの心強い説得にレティシアは小さく頷いた。
 エレナであれば、きっとクルーにも配慮しつつ花を大事にしてくれる。そう思って気を取り直し、礼を言う。
「ありがとうございます、エレナさん。そのように言ってくださってお花たちも嬉しいと思います」
「こちらこそ。ではレティシアさん、どのようにして花を置いたらいいでしょうか」
「えっと、そうですね……
 辺りを見渡した後、足元に置かれた植木鉢を見てエレナに指示を出していく。途中、エレナも思い浮かんだ案をレティシアに伝え、その場にいたクルーも巻き込んで作業は大掛かりなものになっていった。
「うわっ! なんかやけに人が多いな⁉︎」
 コモンスペースで面白そうな事をやっていると噂を聞きつけた休憩中のクルーが集まっていたところ、事情を知らないレイモンドが入ってきた。
「あっ、レイ!」
「レイ、おはようございます」
 驚くレイモンドの姿を見た二人は駆けつける。
「大分疲れてましたね。調子はどうですか」
「あぁ、よく寝たからもう大丈夫だ。……って、何でレティシアがここに?」
 アスターに向かうのは知っていたが、エレナが降りるだけでレティシアが艦内にいるとは思っていなかった。
「ここの模様替えをするのにレティシアさんにも協力していただいてたんです。レイ、いかがでしょうか」
 エレナに促されて見渡すと、いつもとは少し違う見慣れた場所。
 配置は大きく変わっていない。けどモノが増えている。あと色も。
 そこまでは気がついたが、元々花に関心が薄いレイモンドの起き抜けの頭は全く働いていなかった。
「あ、あぁ……すまん、よくわからん……
 頭を掻きながらそばにいる二人を見ると、返ってきたのは突き刺さるような冷たい視線。
……そうですよね。レイはそう言うと思ってました」
 レティシアは俯き、ため息混じりで小さく溢した。
 頭では理解していた。彼は花に興味がないと。
 しかし改めて面と向かって言われてしまい、心に少し傷がついた。
 エレナも呆れた顔で言い放つ。
「では、レイ以外の皆さんには好評なのでしばらくこのまま楽しむ事にします」
「あのなぁ、俺だって悪いとは言ってないぞ⁉︎」
 保身に回り声を荒げるレイモンドをエレナは無視した。
「ほら、レイ。コーヒーを飲みに来たんですよね? レティシアさんにも淹れて差し上げてください」
 エレナは肩を落とすレティシアに空いている席を案内して座らせた。
……ったく、起きて早々に中々の仕打ちだな……
 興味本位で集まっていたクルーは散り散りになり、残るは休憩時間が残っている一、二名と、レイモンド達だけとなっていた。
 レイモンドは渋々三人分のコーヒーを淹れ、待っているレティシアとエレナの元に運んで同じテーブルの席に着く。
「はぁー……やっぱりコーヒーは美味いな」
 まるで五臓六腑に染み渡るかの如く、レイモンドはしみじみと言った。
「そうですね。ミダス様は苦手のようですが、私は好きです」
「おっ、そうか? レティシアもコーヒーの味が分かるか」
 レティシアの同意にレイモンドは声を弾ませる。
「えぇ。この苦味もケーキとか、甘いものと一緒に飲んだら相乗効果で美味しくなる気がします。アスターでもぜひ飲みたいくらいです」
「それはありがたいな。何せ自分の好きなものを良いと思ってくれるのは俺も嬉しい」
 この言葉を聞き、レティシアは少し思い詰める。
 私が好きなものをレイはどう思っているのだろう。
 答えはまた同じかもしれないけど、再度確かめようと勇気を振り絞った。
「では……レイ」
 レティシアはテーブルの中心に置かれていた小さな花瓶を持ち、レイモンドに差し出した。
 花瓶には鮮やかな唐紅色をした花が挿されている。
「このお花は……どう思いますか?」
「? どうって……
 唐突な質問。
 しかしレティシアにとっては大事だった。
 レティシアはもちろん、隣に座るエレナも見守る。
 レイモンドは考えた。質問に込められた意味を。
 さっきの回答は二人の顰蹙《ひんしゅく》を買ったが、目が覚めた今は違う。
 レティシアから花瓶を受け取り、花を眺める。
「まぁ……いいと思うぜ。自然のものは目の保養になるしな。特にここは宇宙だ。花があるのは自然を感じて気分が上がる」
……本当に?」
「あぁ。俺や兄貴じゃ思いつきもしなかったからな。レティシアがいてくれたからこそ出来た事だ。ありがとな」
 強張った表情から一変、レティシアは顔を綻ばせる。
 レイは嘘をついていない。クロエではなくとも、そう感じた。
……良かった。レイにそう言ってもらえて」
 本心を素直に伝えただけだが、彼女が求める答えを導き出せて安堵したレイモンドは残っているコーヒーを一気に飲み干した。
「さて、と。まだやり残した仕事があるんだ。先に部屋に戻ってる。レティシアはゆっくりしていけよ」
「えぇ。ありがとう、レイ」
 レイモンドは立ち上がって軽く手を振り、コモンスペースから姿を消した。
 残ったのはレティシアとエレナのみ。他にいたクルーもいつの間にか仕事に戻っていた。
……レイは忙しそうですね」
 レイモンドが向かった先を見つめ、独り言のように呟いた。
 レティシアの小さな声をエレナは拾い上げて補足する。
「昨日の商談はまとまればかなりの大口契約だったのですが、相手方が交渉上手で。こちらも利益を確保したいので準備に気合が入っていたんです。それも無事に終わりましたが、何せ大きな契約を交わしたのでこれからが大変です」
「そう……ですか」
 自分の知らない一面の彼。
 旅の時だと最初は利害関係が一致した者同士、最後は同じ目的で行動していた。
 その間に仕事の話も少しだけ聞いていた。
 しかしそれだけで理解しているつもりになっていた。
 旅の間、ずっと支えてくれた彼は、今は遠い人のよう。
 一抹の寂しさを感じ、口を噤む。
 そんなレティシアの機微を察知し、エレナは優しく言葉を付け加えた。
「でも、きっとレイはどんなに忙しくてもレティシアさんの話し相手になってくれますよ」
「そんな……レイの仕事の邪魔をするつもりはありません」
 遠慮するレティシアにエレナは続ける。
「レイは言いませんでしたが、本当はレティシアさんに会える今日を楽しみにしていたんです。思いのほか仕事が立て込んでしまってこんな形になってしまいましたけど、一目拝見出来て嬉しそうでした」
 自分が全く感じ取れなかった事実にレティシアは困惑する。
「そうですか? 私には何もわかりませんでした」
「レティシアさんには上手く隠してるようですね。でも私にはわかります」
 エレナも決して嘘はついていないように見える。
 それにこんなところで嘘を言っても誰も何も得をしない。
 レティシアは自分の直感を信じることにした。
「じゃあ……せっかくなので、レイのところに行ってきますね」
「はい。ぜひそうしてあげて下さい」
 エレナに背中を押されるとレティシアははにかみながらその場に立ち、レイモンドの部屋へ駆け足で向かった。

 居住区にはクルーの部屋が用意されていて、一人一部屋、全室個室となっている。その中の一つにレイモンドの部屋がある。旅の間は通路側を使っていたが、今は窓側の部屋を使っているとエレナが場所を教えてくれた。
「(エレナさんはあぁ言ってたけど、本当に大丈夫かしら……)」
 扉の前で立ち止まることしばらく。
 部屋に通してくれた場合と、追い返された場合なども含めて色々頭の中で考えを巡らせたものの、ここまで来たのだから後には引けない。
 覚悟を決めて扉を叩くと、中からレイモンドの声がした。
 声色からして入ってもいいと判断し、部屋の中に足を踏み入れる。
「レティシアか。どうした?」
 レイモンドはデスク周りの椅子に座り、コーヒーを飲みながらタブレットを開いて集めた情報の整理をしていた。
「忙しいところごめんなさい。すぐに帰るから……
 控えめにレティシアが言うと、ふ、とレイモンドは微笑んだ。
「まぁそう言うな。大したもてなしは出来ないけどな、そこ座っとけ」
 指定した場所は窓の近くにあるベッドの上。他に座れそうな場所がこの部屋にはないからだ。
 エレナの言った通り、彼は都合を後回しにして自分を優先してくれた。
 胸の奥底で昂る気持ちを感じながらベッドに座ると、レイモンドはタブレットの画面を消して席を立ち、レティシアの隣に腰掛けた。
「悪かったな、こんなところまで来させちまって。俺がアスターに降りれば良かったんだが予定が狂った」
「いいえ、むしろ私をアルダスに迎え入れてくださって感謝しています。クロエさんと会えなかったのは残念でしたが……
「あぁ、今クロエは長期休暇取って家族旅行中だからな。でもまぁ、その前に仕事は全部終わらせてくれたおかげで商談は上手くいった」
「エレナさんから聞きました。大きな契約だったんですってね」
「まぁな。けどこれからが勝負だな。相手とは良好な関係を保ちたいし、利益も欲しい。親父も息子だからと言って楽はさせてくれねぇな」
 今回の仕事はレイモンドの父親であり勤め先の社長でもあるラウルから任されたものだった。
 レティシアは以前ラウルが話してくれた事を思い出す。レイモンドには社の若きエースとして期待しているようで、恐らく今回抜擢したのも将来を見込んでの事。彼は知らずのうちに親の期待に応えていた。
「あとよ、エレナが頼んだから花も色々用意してくれたんだろ? レティシアも忙しいのにありがとな」
 頭を下げるレイモンドにレティシアは慌てて顔を上げるよう促す。
「あれは私が好きでやっているので何の負担にもなっていません。それに……
 言い淀む姿をレイモンドは不思議に思いながらも、静かに見守る。
「レイが良いと言ってくれて私、嬉しかったです」
 目の前で朗らかに微笑むレティシアを見て、レイモンドもつられてほくそ笑む。
 同時にコモンスペースでのやり取りが頭をよぎる。
 自分が好きなものを相手も好きになってくれたら嬉しい。
 レティシアがコーヒーを好きと言ったように、レイモンドも花を良いと言った。
 互いの価値観が一致したと感じて二人は和やかな雰囲気に包まれる。
 今なら、言えるかもしれない。
 レティシアはここに来た一番の理由を切り出した。
「あっ、あと……これも……
 静かに両手で差し出したのは、小さな植木鉢。
 エレナに許可をもらってコモンスペースに置いたものを一つ持ってきていた。
 鉢には小さいひまわりのような黄色い花がいくつか咲いて見頃を迎えている。
「これ、レイの部屋にどう……でしょうか……?」
 頬をほのかに赤く染めながら申し出ると、レイモンドは彼女の様子を気に留める事なく植木鉢をひょいと片手で持ち上げた。
「これか? これもレティシアが育てたのか?」
「はい。光がそんなにいらない品種なので、艦内に置くにはちょうどいいかと思ったので。大きさも小さいですし、置き場所にも困らないかな、って……
 植木鉢はレイモンドが持てば手のひらサイズ。
 育てるのに手間もかからない。それに見たところ、多分花はこれ以上大きくならない品種だろうし、もし大きくなってもたかが知れている。
「まぁ……そうだな。一つぐらいあってもいいか」
「本当に⁉︎」
 アルダスに乗艦した時の心配は嘘のよう。レティシアは嬉しさのあまり、その場で飛び上がりそうになった。
「ただ俺は植物なんて育てるのはガキの頃以来だからな。どうなるかわからん」
「大丈夫です、何かあったら私に連絡ください。何とかしますから」
 何とかする。
 困難な状況でも突破出来そうな気になる魔法の言葉。
 レティシアがそう言うと、本当に何とかしてくれそうな気になった。
「わかった。その時はよろしく頼む」
 レイモンドは窓の縁に鉢を置くと、レティシアは満足そうに笑顔で挨拶して部屋を後にした。
 アスターへ帰っていく彼女を部屋の入り口で見送った後、再びタブレットの画面をつけて映し出された資料を眺めながら冷めたコーヒーを一口飲む。
 コーヒーの香りはもう、しない。
 代わりにレティシアが残した香りが鼻についた。
「花、ねぇ……
 タブレットから目を離し、窓の縁に置いた植木鉢に視線を移す。
 彼女のような、小柄だが内なる爛漫さが溢れる花。
 さっきまでこの部屋で何度も見た笑顔が脳裏から離れない。
 すると窓には何とも形容し難い自分の顔が反射して写っていた。
 咄嗟に背け、頭を掻きむしる。
「(何を気にしてるんだ、俺は……)」
 気を取り直そうとしてその場に立ち上がり体を伸ばしていると、部屋の外から声が聞こえた。
「レイ、少しいいですか」
「エレナか? 何だ」
「明日配送に伺う取引先から連絡が入りまして……
 部屋に通すと早速エレナは用件を述べ始める。レイモンドも的確に指示を出して、話はそれほど時間がかからずに終わった。
「わかりました。ではそのように伝えます」
「あぁ、頼んだぞ」
 用が済み、そのまま退室するかと思いきや立ち止まって踵を返す。
「あと……差し出がましいようですが、レティシアさんはここに来ましたか?」
「あぁ? まぁ来たが……どうかしたか?」
「でしたら、あの花はレティシアさんから頂いたものですね」
 エレナの視線の先には植木鉢がある。
「まぁな。でもやっぱり似合わねぇよな。俺の部屋に花なんて」
「そんな事はありません。それにあの花にはレティシアさんの気持ちが籠っています。大切にしてください」
「そうだな。ベグアルドに戻ったらたまに外の空気を吸わせてみるか」
「それがいいと思います。あと……
 エレナは顎に手を当てて考える素振りをする。
「何だ、まだあるのか」
 言うべきか、言わないべきか。レイモンドに続きを促されるも躊躇する。
 しかし余計な事かと思いつつも、口を開いた。
「レティシアさんからはいくつかの花の品種を頂いたのですが、レイの部屋に置く花はそれを選ばれました。何故だかわかりますか?」
「知らねぇよそんな事」
「ですよね。レイならそう言うと思ってました」
「おい……
 馬鹿にされていると感じたレイモンドは面白くない。エレナはたまに人を揶揄《からか》う時があるが、信用している自分たちにしかにやらないし、コミュニケーションの一つだと頭では理解しているものの受け入れ難い時もある。
 エレナもレイモンドが完全に機嫌が悪くなる前に手を打った。
「冗談です。恐らくレティシアさんは花言葉で選ばれたんだと思います」
「花言葉?」
「はい。花には品種一つひとつに意味があるんです。例えば赤いバラは『あなたを愛しています』のように」
「ふーん……
 花言葉自体に興味がないレイモンドはつまらなさそうに返事をしたが、レティシアが何を思って選んだのかは気になった。
「で、これは?」
「『私を見つめて』になります」
…………は?」
 瞬間、レイモンドは固まった。
 呆然とし、徐々に顔が赤く染まり始める。
 その表情は長年レイモンドを近くで見守ってきたエレナも見た事がなかった。人の恋路を笑うのは断じて許されないが、あまりにも素直すぎる。普段顔にあまり感情が出ないエレナは無表情を貫くも、腹の底では驚きと滑稽さが複雑に入り混じっていた。
 レイモンドの動揺が収まったのはそれからしばらく後のこと。
 タイミングを見計らってエレナは言った。
「とにかく、レイも後日頂いた花のお礼をしなくてはなりませんね」
「礼、ねぇ……
 レイモンドはベッドに座り、腕組みをして俯く。
「またアスターに寄るための日程を調整します。それまでに考えておいて下さい」
 指示をするも俯いたまま、返事がない。
 エレナは黙って側に立ち、レイモンドをじっと見下ろす。
 彼が出す答えは一つしか許されていなかった。
……わかったよ、頼む」
「承知しました。では」
 答えを聞くと、エレナは速やかに退室した。
 ようやく一人になったレイモンドは腕を伸ばし、置いてある鉢植えを手に取ってまじまじと眺める。
……マジかよ。これにそんな意味が……
 私を見つめて。
 きっと口には出せない自分の願いを花に込めたのかと憶測する。
 だとすれば自分の気持ちも礼に添えて伝えなければならない気がした。
 これまでレティシアに対して特別な好意を持っていた自覚はなかった。けれどそれは大きな誤りで、今日の出来事を経てレイモンドの答えは決まっていた。
 しかし行動に移すのは、また別問題。
「どうすればいいんだよ……
 悩みは窓の外に広がる星の海のように広大で、しばらく収集がつかなかった。