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みすず
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ザーメンズマンション
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けいあお
年齢差。
三歳。
京と葵の年齢差である。
三つ年下の恋人に対し、京が年上だから、年下だからと意識したことはあまりない。浮世離れしたというと言い過ぎであるが、葵はどこか現実の生々しさとは薄氷一枚隔てたところにいるような雰囲気があり、彼がどういう人生を歩んできたのかという背景を曖昧に感じさせるのだ。
(ぼくが年下だったらあしらわれていたかな)
もし、京が葵よりも年下だったのなら。葵とはいまのような関係を築けただろうか。葵も年齢というものをそれほど意識しないように思うのだが、年齢差の分の経験はどうしようもない。京はひとりで必死になって葵の足元へまとわりつく自分を想像し、そのおかしさに苦笑いした。
「京?」
「ああ
……
大したことじゃないんです」
振り返り、京は台所の入り口に立つ葵の姿にほろりと口元を綻ばせる。いまは夕飯作りの最中であった。
梅雨入りの空気のように素っ気なかった台所は立つ頻度が増えたからか、以前よりも呼吸が重くならない。二、三ヶ月の間に数える程度しか握らなかった包丁も、そろそろシャープナーを買っておこうかと頭の片隅で考える程度には親しんだ。いまはアスパラガスを切るのに使われている。
「
……
ねえ、ほんとうにそれ使うの?」
「もう、切ってしまいましたからねえ」
「京の朝ご飯に回すっていう手もあると思うんだけど」
「朝食、一緒に食べてくれないんですか?」
葵が眉間に小さな皺を作って黙る。彼は野菜が好きではないのだ。
恋人を甘やかすことに今後の人生を賭けている京としては、葵の言うとおりアスパラガスを下拵えだけして彼のいない間の食事に回してもいいのだが、流石に毎回肉料理だけ出すというのは難しい。なにが難しいかというと、料理ができるというだけの人間である京にはそれだけの献立がない。これで京が葵の好き嫌いを一変させるような腕前をしていたらいいのだけれど、そんなこともなく、京は買い物籠にアスパラガスを放り込む際に葵と問答をしたものである。
「俺、ふりかけご飯食べるよ」
「あっはっは!」
そこまでして食べたくないか。京は包丁を置いて肩を揺らしながら笑う。
「すみません、うちには買い置いてないんです」
嘘ではないし、京が余った菜葉を乾煎りして自家製ふりかけを作っているということもない。鰹節でも撒けばねこまんまになるだろうけれど、恋人にねこまんまを食べさせて、ひとり彩豊かなおかずで飯を食うというのはあまりにも酷い光景だ。
「葵さんがそこまで嫌なら食べなくても
……
ああ、これは嫌味ではなくて。避けてくださればぼくが食べますから。ただ、葵さんの食べる分が減りますからねえ
……
」
作ろうとしているのはアスパラガスの肉巻きと新じゃがいもの煮っ転がしである。葵がアスパラガスを除いて肉だけを食べても京はまったく構わない。ただ、言葉にしたとおり葵の食べる分が減ってしまうので、そこだけが心配だった。流石に味付けを濃くして白米をもりもり食べさせようという不健康な考えはない。
葵は考えているのかなにも言わないので、京は再び包丁を持ってアスパラガスを二等分にしていく。旬のものだから筋は薄いが、これも取ったほうが良かったかしら。
「京」
「はい、なんでしょう」
「
……
一つは食べるから」
ごつ、と頸にゆっくり頭突きがされる。京が振り返ったときにはもう葵は背を向けていて「煙草吸ってくる」とベランダに向かうところであった。気儘な猫のような後ろ姿。京は目を細めて「寒くなる前に戻ってくださいね」と声をかける。ひらりと振られた手は紫煙を解くように緩やかなものだった。
──程なくして食卓。手狭なテーブルには京が勝手に買っておいた葵の食器と自分の食器、茶色のおかずが並ぶ。その日によって酒がつくこともあるのだが、今日はない日である。
「いただきます」
「召し上がれ」
両手を合わせた葵の指先は少しずれていて、その仕草が可愛らしいなと思っている京はふと光に反射したものにきゅ、と唇を結ぶ。
薬指に、指輪。
京と揃いの指輪。
葵は他の指にもデザインリングを嵌めているから、薬指を飾るプラチナリングは決して目立つものではない。けれども、それが葵の薬指に嵌められているというだけで京の目は引き寄せられるし、視線を外すことも意識してしなくては難しい。
この指輪は京が葵に贈ったものだった。
恋人になって、暫くしてのこと。ショーウィンドウできらきらと誰かの幸せを待っている輝きを見て、京は我慢ができなくなったのだ。これを薬指に嵌めたら強固な約束になるのではないか。葵の一生を貰うことができるのではないか。
安易だとは分かっていた。それがなくともと分かっていた。でも、我慢ができなかったのだ。
「まだ慣れないの?」
声には、とすれば、葵の金色の目が茶碗の向こうから京を見ている。敏い彼は京の視線などお見通しなのだ。それが気恥ずかしくて、京はどうして酒を用意しておかなかったのだろうと思う。飲めば誤魔化すことができたかもしれないのに。
「慣れないというか
……
はい、慣れないですね。いつだって嬉しい」
この嬉しさに慣れることがない。
ふうん、と揺れるように頷いた葵は左手を浮かして眺めてから、京のほうへゆるりと視線を向ける。
「慣れないで」
金色の目が細く上弦を描く。
京は締められたように喉をく、と鳴らし、葵から目が離せない。
約束とも言われていない。京は頷きすらできていない。それでも、葵の言葉は京にとって違うことのできない響きを持っている。
「ご飯食べよ。冷めるよ」
何事もなかったように葵は茶碗を持ち、箸で掴み難そうに新じゃがいもの煮っ転がしを取っていく。京の心をまたひとつ縛って持っていったことなんて知らないように。
ゆるゆるとどうにか自身も食事を再開させながら、京は葵が年下で良かったと思う。
三つ年下なだけで、葵にはこんなにも翻弄されている。これで彼が年上だったなら、自分はどうなっていただろう。ひょっとしたらいまのように与えられる愛情への幸福だけで満足できなくなっていたかもしれない。もっと欲しいと彼に求め続けるようになっていたかもしれない。
「
……
葵さんは怖いひとですね」
「そう?」
「そういうところも大好きですよ」
葵が彼にしては分かりやすい笑みを浮かべた。だが、なにを言って続けるでもない。
京は胸中でほんとうに参ったと呟きながら、アスパラガスの肉巻きを口に運ぶ。春らしい青い味。
いつか、葵も好んで食べるようになるだろうか。
その頃には葵に敵わないと思うことも数え切れなくなって、その分以上に彼を更に好きになっているのだろう。
京はもう一度だけ葵の左手の薬指を見つめる。
どうか、そのときもこの輝きが変わらずにありますように。
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