冬野暉/Hikari Fuyuno
2026-02-23 22:18:53
5595文字
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朝日のようにしめやかに

※創作刀剣女士ネタ
※倶利伽羅江ルート


 ずっとずっと、待っていた。

 チリン、と鈴の音が聞こえた。
 かすかに空気が震え、まぶたの上をそっと無でられる。鈴の音は規則的に鳴り響き、彼女の意識を眠りの淵から引き上げた。
 誘われるまま睫毛を持ち上げると、薄闇を切り裂いて真白い光が溢れた。
 反射的に顔をしかめて瞬きをくり返す。
 相応の明るさに落ち着くと、色とりどりの紗布が垂れこめる空間に立っているのだと分かった。
 多種多様な長さの紗布の端には小ぶりの金の鈴が吊り下げされ、どこからか吹きこむ風に紗布が翻ると透明な音色をこぼすのだった。
 ヒラ、と一本の紗布が視界にたなびく。
 瞳の奥底まで焼きつくような朱色。何気なく手を伸ばして捕らえると、紗布の端の鈴がチリンと鳴った。
朝倉藤四郎あさくらとうしろう
 低い少年の声に呼ばれた。
 紗布のむこうに忽然と現れた人影に唾を飲む。
 人間でいえば十二、三ほどか。彼女――朝倉藤四郎よりも背丈が高く、青年へと移ろう過渡期の精悍さと未成熟な少年期の儚さを併せ持つ風貌。
 灰白に漆黒が混じる奇妙な短髪。ツンと目尻が吊り上がった双眸は深みのある墨色で、朱色の瞳孔を熾火のように抱いている。
 少年は深緑の上着が特徴的な洋装に細身を包んでいた。――これは、かれのいくさ装束だ。
 しばし無言で見つめ合っていると、少年は困り果てたように眉宇を曇らせた。
 一点の火を灯す瞳が黒々と烟る睫毛に半ば隠れ、うろうろと彷徨う。
 朝倉藤四郎はというと、少年の睫毛が黒一色である事実に感心していた。よくよく見れば凛々しい形の眉も黒い。
 自然と見上げる形で少年の面を観察していると、再び目が合った。少年が両目を丸くする。
「あの……俺の顔に何かついている?」
「ああ――失礼」
 一歩後ろに退がり、胸に片手を添えて頭を下げる。紗布から手を放した拍子にチリンと鈴が音を立てた。
「人間に擬したあなたの姿が物珍しくて……思わず見入ってしまいましたわ」
「物珍しい……ね」
 少年は苦い木の実を噛んだように表情を歪めた。
 朝倉藤四郎は下まぶたを持ち上げてほほ笑んだ。
「お互い、この姿では『はじめまして』ですわね。それとも『お久しぶり』のほうがよろしくて?」
 倶利伽羅江とを呼べば、かれは小さく瞬いて「俺としては久しぶり、かな」と答えた。
「では、改めまして――お久しぶりですわ、倶利伽羅江」
「うん、久しぶりだね。朝倉藤四郎」
 実に六百年ぶりの再会だ。
 朝倉藤四郎と倶利伽羅江は、かつて同じ御家に所有されていた。己が号の由来でもある越前朝倉氏――南北朝から戦国の世にかけて、越前は一乗谷に華やかなりし黄金の都を築いた文武の一族。
 眼裏で赫々と燃える炎がちらつく。
 黄金の都は戦火によって灰燼と帰したが、朝倉藤四郎も倶利伽羅江も焼けることなく一乗谷の外へ持ち出されて別々の道をたどった。
 ――越前朝倉氏の滅亡から時を経ずして、倶利伽羅江は乱世の火に消え失せてしまったけれど。
 紆余曲折の末に江戸幕府を開いた徳川将軍家の所蔵となり、現代に至るまで人の世の移ろいに揺蕩い続けてきた朝倉藤四郎は、苦々しい感情を飲み下して口を開いた。
「まさか、顕現して早々にあなたと会えるとは思ってもみませんでしたわ」
 倶利伽羅江は何とも言えない顔で笑った。
「この本丸では、新しい刀剣の顕現時に縁が深い刀剣が立ち会う習わしがあるんだ。……今回は、朝倉家の縁で俺が選ばれた」
「なるほど。刀剣同士の縁を利用して、勧請した分霊を依代により強固に定着させているのですね。よく考えられた手法ですこと」
「朝倉」
 少年の声が咎めるような色を帯びる。朝倉藤四郎は両目を眇め、口端を吊り上げた。
 小首を傾げて倶利伽羅江の瞳を覗きこむと、かれと同年代の少女が挑発的な笑顔で睨みつけてきた。
 金色と朱色の組紐でラジオ巻きに結った梨子なし色の髪。ミルクで磨いたように白い肌の中でひと際鮮やかな、濃い金色の睫毛にふちどられた東雲色オロールの瞳。
 倶利伽羅江よりも小柄な肢体を包む鉄紺の軍服はエンパイアラインのワンピースで、少女が身動ぐたび金盞花マリーゴールドのような橙色のペチコートがふわりと広がる。紺色のカラータイツに包まれた羚羊カモシカのような両脚、山吹色のリボンを編み上げた黒のショートブーツ。
 右肩から斜めに掛けた朱色のサッシュに吊り下げれているのは、鉄色の地に金色の菊花と唐草を散らした鞘に納まった合口拵の短刀。左腕に巻いた朱色の腕章には、正円の中に菊花にも金盞花にも見える意匠が咲き誇る刀紋が黄金に輝いている。
 ――なんと美しく、脆弱そうな器だろう。
 可憐だが高慢そうな顔つきをした自分の姿に冷めた一瞥を投げ、意識外へ押しだした。
「あたくしの『主様』は、刀剣の神威を借りなければ満足に新たな刀剣も呼び起こせない程度の審神者ということですのね」
「朝倉!」
 鋭い一喝に紗布がいっせいに翻り、鈴の音がかまびすしく反響する。
 朝倉藤四郎は柳眉をひそめ、東雲色の爪紅に彩られた指先で倶利伽羅江の胸を突いた。
 倶利伽羅江が瞠目して凍りつく。
「馴れ馴れしくあたくしの号を――あなたが裏切った朝倉家の名を口にしないでくださらない? 朝倉家の怨敵、稀代の謀反人・明智十兵衛光秀の刀めが」
 少年の顔から色が抜け落ちた。
 墨色の虹彩に取り囲まれた火が赤く膨張する。冴えた殺気に首筋の産毛がチリチリと逆立ち、気圧された朝倉藤四郎はたたらを踏んだ。
 能面めいた無表情の倶利伽羅江の右手は、左腰に帯びた短刀には伸びていない。それなのに、瞬時に鞘から抜いた刃を頸動脈に突きつけられているような心地だった。
……ごめん」
 倶利伽羅江はばつが悪そうに呟き、殺気を掻き消した。
 どっと冷や汗が噴きだす。朝倉藤四郎は意地でもまなざしを揺らさず、少年を睥睨した。
「あなたの慕ってやまない惟任日向守が謀反人なのは真実でしょうに。大恩ある朝倉家を滅ぼし、果てには主君の織田信長まで手にかけた……それはあなたも同じこと。朝倉の刀である誉れを捨て、おめおめと明智の刀に成り下がった裏切り者ではありませんの」
「俺は! 俺は……朝倉家のことを……義景様のことを、いまでも大切に思っている」
 ふは、と少女のくちびるから吐息のような冷笑がこぼれた。
「あなたが――義景様を? 明智光秀の手引きによって織田家の軍勢に一乗谷を焼き払われて命を奪われたばかりか、しゃれこうべを祝勝の盃として宴の見世物にされたあたくしの主様、、、、、、、を!? どの口が!」
「朝倉!」
 倶利伽羅江が朝倉藤四郎の肩を掴んだ。
 予想よりも武張った男らしい手に身が竦む。とっさに口をつぐむと、倶利伽羅江は真剣な表情で声を潜めた。
「めったなことを言ってはいけない。俺たちは、いまは審神者の刀なんだ……少なくとも、本丸ここではその建前どおりに振る舞う必要がある」
……謀反人、あるいは異分子と取れる言動は控えろというご忠告?」
 倶利伽羅江は眉宇を曇らせた。
「きみは本丸ではじめて顕現した刀剣女士なんだ。否応なしに耳目を集めることになる。それに……この本丸の審神者は、いまのきみと同じ年ごろの女の子なんだ」
 朝倉藤四郎はわざとらしく口元を押さえた。
「まあ。年端も行かないおなごにいくさの指揮を取らせるなんて、政府はよほど人手不足ですのね」
……それはある意味、正解だと思うよ」
 倶利伽羅江の視線が斜め下を向き、ため息を噛み潰したような声で言った。
「審神者は、同じ審神者の母君と刀剣男士の父君のあいだに生まれて、母君の本丸で育った半人半神の能力者なんだ。高い資質を持ち、幼少のみぎりから優秀な審神者となることを期待されて教育を受けてきた。この本丸は、母君の肝煎りで編成されたと聞いている」
「絵に描いたような箱入りのご令嬢ですわね」
 朝倉藤四郎は肩を竦めると、「ご母堂の肝煎りということは」と言葉を継いだ。
「少なく見積もっても白刃隊の構成員の三分の一はご母堂の本丸から譲渡された選りすぐりのお下がり、、、、……そして実質的な指揮権は、その中心である刀剣男士が握っていると考えるのが妥当かしら」
「正確には、半数近くの刀剣が母君からの譲渡だよ」
 頭が痛くなるような有り様だ。
 本丸が開かれてすでに五年が過ぎているが、刀剣の数は増えても本丸の運営状況はほとんど変化が見られていないという。
「逆に考えれば、本丸の現状には何ら問題もなく、五年かけて戦力を拡充し功績を挙げている。……だから政府も白刃隊も、、、、、、、お飾りの審神者をよしとしているということですの?」
 冷めたまなざしを向けると、倶利伽羅江は重々しく頷いた。
「政府は一定の戦果が得られる優秀な本丸を失いたくない。白刃隊……総隊長を筆頭とする、御伽衆と呼ばれる古参の刀剣たちはかれらの姫様を大事に大事にしまいこんでおきたい。双方の利害が一致して、本丸は成り立っているんだ」
「審神者のご意思は?」
 倶利伽羅江の表情がいっそう歪んだ。
「俺にはわからない」
「わからないですって?」
「御伽衆以外の刀剣が審神者と接する機会はめったにない。特に俺のような新参の刀には。それに……審神者は唖者なんだ」
 朝倉藤四郎は両目を瞠った。
 唖者――発話障害を抱えているということは耳が不自由なのだろうか。しかし倶利伽羅江は頭を振ると、「霊力が強すぎるための弊害だそうだよ」と説明した。
 他者との会話は、思念波を介したテレパシーで事足りているらしい。しかし生来無口な気質なのか、審神者が思念波を発する前に御伽衆が代弁することが日常茶飯事だという。
「俺も直接審神者の思念波ことばを聞いたことは片手で数える程度しかないんだ。……本当に、きれいな人形のような女の子だよ」
「傀儡と言ったほうが正しいのではなくて?」
「朝倉」
 倶利伽羅江の手に力が籠もる。揺るぎないまなざしで見据えられ、くちびるを引き結んだ。
「きみが俺を嫌っていることはわかっている。でもどうか、俺の頼みを聞いてほしい」
……頼み?」
「自分で自分の首を絞めるような真似はしないで」
 倶利伽羅江の声は縋るようだった。
「朝倉をこの本丸に、この戦場に呼んだのは俺だ。本当は……最後まで迷っていた。きみを巻きこんでいいのか、同じ朝倉の刀として呼んでいいのか――
 黒い瞳の中心で朱色の焔がちらちらと瞬いている。夜空に燃ゆる蠍の火、あるいは幾百年経とうと消えない地獄の残り火のようだと思った。
「でも、朝倉は来てくれた」
 少年は淡く笑むと、儚いほど華奢な少女の肩に額を伏せた。
「俺は朝倉を守りたい。現代いままで存えて朝倉の名を語り続けてきたきみを、義景様の形見であるきみを、失いたくないんだ」
「ずいぶんと――都合のいい、勝手な言い分ですこと」
 朝倉藤四郎は怒りをこめて吐き捨てた。音を立てて倶利伽羅江の手を払い落とす。
「勝手に裏切って、勝手に焼けて、あたくしを置き去りにしたくせに」
 倶利伽羅江は叩かれた手で拳を作った。
 かれのを睨んだまま後退る。腰の短刀を握りしめ、肩を震わせた。
「あなたが嫌いですって? そんなかわいい言葉で済むものですか! 倶利伽羅江ほど憎悪してもし足りぬものはいないというのに」
「朝倉」
「あたくしの名を、義景様が遺してくださったあのお方のよすがを、貴様が呼ぶな!」
 悲鳴にも似た罵声に周囲の鈴がチリチリと震えた。
 揺らめく紗布を掻き分け、深緑のいくさ装束を纏った腕が伸びる。
 朝倉藤四郎が取った距離を詰め、倶利伽羅江は依代を握る彼女の手をてのひらで押し包んだ。
「ごめん」
 短い謝罪に声を上げかけた刹那、少女は少年の腕の中にいた。
 片腕で朝倉藤四郎を抱き寄せた倶利伽羅江は祈るように目を伏せた。
「逢うと見て かさぬる袖の 移り香の 残らぬにこそ 夢と知りぬる」
「何を……
「顕現したばかりのころ、ある刀がこの歌を詠んでくれたんだ」
 ――会いたいひとの夢を見た。現だと思いたくても重ねたはずの袖には残り香もなく、やはり夢だったのだ。
 涙で袖を濡らすような恋の歌だ。困惑して黙りこむと、背中に回された倶利伽羅江の腕がぎゅっと力んだ。
「俺は会いたかったよ。……朝倉に」
 朝倉藤四郎の恨みも憎しみも何もかも肯定し、それでも倶利伽羅江は断言した。
「俺は明智の刀、光秀様の刀だ。その事実は覆せない……覆すつもりもない。でも、朝倉に会えて、本当に嬉しいんだ」
 朝倉藤四郎は、依代の柄にかけていた手をだらりと垂らした。
 少年の抱擁を拒むことはいくらでもできた。しかし、その胸から響いてくる心臓の音に、身の裡で炎が燃えているような熱に、抗う意志を削ぎ落とされた。
 ――倶利伽羅江は生きている。
 黄金の都でともに過ごした記憶を分かち合ったかれが、夢でも幻でもなく確かな現身を伴って存在している。それは奇跡のような救いではなく、残酷な絶望となって朝倉藤四郎を打ちのめした。
 ここも地獄だ。
 この世の何より憎んだ男に守られて飼い殺しにされる生を、辱めと言わずになんと言う? 女に恋の歌を詠んでおきながら、恋情など微塵も抱いていないくせに。
 いますぐ自分の喉を掻き切ってみせてやりたいと思った。
 けれど――できなかった。
 ――お許しください、義景様……姫様、、
 自分はなんと弱く、不忠な刀だろう。
 悔しさのあまり涙が滲む。朝倉藤四郎は軋むほど奥歯を噛んだ。
 朱色の紗布が鮮やかに揺れ、またひとつ、チリンと鈴の音が響いた。