大量の湯が絶え間なく大きな浴槽に流れ込み、立ちのぼる湯気で天井が見えなかった。白くつやつやとした石がきっちり同じ大きさに切り取られ敷き詰められている。清い湯の香りと、清潔な石鹸の香り、香油か何かの、木や花が近くにあるかと錯覚するような芳香が清廉に調和してこの場に漂っている。
豪華で清潔だけど、なんだか落ち着かない。フルートはおずおずと踏み出した足で、すっかり温まっている浴場の床を踏んだ。
「フルート王女。まずは御身体を清めますよ」
「さあさあ、椅子におかけになって。最初に御髪をときましょう。ああ、泥だらけになって。おいたわしいことでございます」
「御髪の泥を落とすために、湯に浸します。まずは手の平に少し湯をつけますね。加減はいかがですか? 冷ましましょうか?」
落ち着かないのは、このようにお世話係が何人も従ってくるからというのが一番の原因だった。あれよあれよという間にタオルは取り上げられ、白い石で出来た椅子に座らされ、やわらかな毛がたっぷり植えられたブラシで髪をとかれ、桶で掬った湯の中に片手を浸けられた。湯は、適温だった。
もちろん、いままでこんな風に入浴の手伝いをされたことなんてない。自分だけが裸でいるのも、あまつさえ体や髪の面倒を見られるのも、気恥ずかしくて全くゆっくりとできる気がしない。
「あの、本当に、もうけっこうですから……」
手を桶から取りだして、フルートはお世話係達に下がっていてもらうよう訴えた。三人のお世話係は「まあ」と目配せをし合って困り気に眉を下げたが、浴場を出て行こうとはしなかった。困らせてしまっているかしら、とフルートも申し訳なく思ったが、だからといって「体を洗ってちょうだい」なんて言えそうにもないし、そんな態度でいられるはずもない。
「フルート王女。スフォルツェンド王家のお生まれであるあなた様が、一人で湯浴みをなさるなど。この城でそのようなことがあっては、とんでもないことでございます」
「恐れながら、わたくし達も仰せつかったことを全うしたく存じますわ」
「けれど、どうしても……。どうしても、とおっしゃるのならば……。わたくし達も無理強いはいたしません」
「そうですわね、どうしてもお嫌だとおっしゃるのなら……」
う、とフルートはたじろいだ。お世話係達の瞳は不安げに潤んでいたのだ。もしかして、外に出したりしたらこの人達って叱られちゃうのかしら。そう思うと忍びなくてフルートは勢いをすっかり失ってしまった。
「ああ、もう。分かりました! ……代わりに、じゃないけど……聞いてもいい? 王家の人が一人でお風呂に入るなんてって言ってたけど、それじゃあお母さんもこんな風にしているの?」
フルートは少しだけ想像をしてみた。母がこの城で女王としてどんな風に過ごしていたか。そこに自分がいたら、もしかしてスタカット村のあらゆる親子みたいに、今お世話係がしてくれたみたいに、髪をといてもらったりしたのだろうか。それはなんだかとても遠い世界の夢のようで、考えようとしてもうまくいかない。
「うーん。女王陛下には古くからの使用人が一人だけお付きしますが、ほとんどご自身でなさるようですよ」
「はっ?」
お世話係達の空気が途端にぷつんと緩んだ。
「そうなのです、全然お世話をさせてくださらなくって……」
「だからわたくし達、今とっても燃えているのです」
王女のお世話が出来るなんて、夢のよう!
フルートは感傷から一気に引き戻された。使命感に燃えて目を輝かせている彼女らにわなわなと拳を震わせ、音がわんわんと反響する浴場に声を響かせる。
「なっ、なによ! 騙したわねーっ!」
「そんな風におっしゃらず。さあさあ、わたくしは御髪を」
「ではわたくしは御身体を……。背中の十字架は神聖でわたくしたちには触れるのも恐れ多いことですので、そちらだけはこのブラシを使ってご自身で……」
「そんなブラシがあるんなら全部自分でするわっ! 貸さんかいっ」
フルートは気力を取り戻して、結局、浴場の中で行うことは全て自分でやってしまった。お世話係達は後ろに控えていたが「せめて湯上がりのことはわたくしたちにお任せください」とずっと懇願していたので、下着をつけた後なら、とフルートはとうとう譲歩した。
「本当に夢のようでございます」
お世話係の一人は、フルートの爪を丁寧に磨きながらそう言った。
「この日を、ずっとお待ちしておりましたものね」
一人は、フルートの肌に花のような芳香の香油を優しく塗り込みながら言った。
「そうですわね。女王陛下は言うまでもない――わたくしたちがお心を推し測るのも無礼なくらい。ですが、ここに仕えている者達もみな王女をお待ちしておりました」
一人は、フルートの髪の先までゆっくりとブラシを通しながらそう言った。
お世話係達の優しい声色、宝物を扱うような手つき。今まで纏ったこともないような優しい香りの油に、形を整えられたぴかぴかの爪。これからコルセットをしめてドレスも着るというのだから、どこまでも現実味がない。
布をたっぷりと使った、宝玉もあしらわれたドレス。スフォルツェンドの王女のドレスだ。多くの人々が待ちわびた日。フルートが思ってもみなかったその日。
フルートはいよいよ眼前に運ばれたドレスをその瞳に映して、小さな胸の鼓動を迷いと葛藤の渦の中でひたすらに早めた。優しい花の香りも今ばかりは心を癒やしきることもない。フルートは震える体を叱って鏡を見つめる。勇者の謁見の時が、目前に迫っていた。
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